社会正義を振りかざす|背景には「怒りのはけ口」としての「正義」という事情がある

「正義」を捨て去ることが上昇へのキーワードになる。

感情で理解できなくても、すべての出来事を「気づき・学び・成長」に無理やりロジックで結びつける。 これが「正解」の結末。

「社会正義を振りかざして相手をやりこめ、懲らしめ反省させ改心させる」というやり方は、自分の怒りを正当化するためのクソ理論。

「社会正義を振りかざして相手をやりこめ、懲らしめ反省させ改心させる」というやり方を、相手は「気づき・学び・成長」には、絶対に結びつけない。

それは運動部や自衛隊や海上保安庁や警察や勝負など「軍隊」での「かわいがり」や少年院での「矯正教育」や刑務所での「矯正教育に該当するもの」がけっして実を結ばないことからわかる。

「自分の正しさ」を自己と同一視している。 その錯覚を自分が抱いているので、「自分の正しさ」を否定されると恐怖が生まれる。 この恐怖を覆い隠すための威嚇・攻撃がある。 そこに怒りが生まれる。

「自分の正しさ」は、「価値のないどうでもいいこと」である。 座標の取り方によって、「どちらの方向をプラスにする、マイナスにする」は正反対になる。 2者でいえば、お互いに、自分のいるエリアはプラスの(正しい)エリアという座標の取り方をしたい。 座標の取り方で争い合っている。 意味がない。

結局、座標の取り方はどちらでもよい。 どちらでも成立しうる。

「社会正義を振りかざして相手をやりこめ、懲らしめ反省させ改心させる」というやり方は「しつけ」と称されて、これまで肯定されてきた。

しかし、この「しつけ」の大きくなったものが、レムリアとアトランティスの戦争であり、宇宙大戦争なのである。

「社会正義を振りかざして相手をやりこめ、懲らしめ反省させ改心させる」というやり方を捨て去る必要が、どうしてもある。

それが平和を実現する道である。

いいかえれば、平和を実現するためには、すべての出来事を「気づき・学び・成長」に無理やりロジックで結びつける、練習(トレーニング)が必要だ。 それは自己洗脳でもある。

これまで「社会正義を振りかざして相手をやりこめ、懲らしめ反省させ改心させる」というやり方が「正しい」というふうに家庭での「しつけ」や学校教育や職場での指導によって洗脳されてきた。

それらは、すべて間違いである。

「正しさ」を武器にして、自分の怒りをぶちまける場面を、自分でマニフェスト〔具現化:manifest〕しているだけなのだ。

この「正しさを笠に着た怒り」を私自身が捨て去らないかぎり、私は上昇できないことが、今日、心の底からわかった。

 
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