「正しさを握りしめている手を緩める」

「自分が何一つ間違ったことをしていないのに、結果が思わしくない」というのは、「何一つ間違ったことをしていない」の内容が「こうあるべき」「こうするべき」というジャッジメントを多分に含んでいるのだろう。

「正しさを握りしめている手を緩める」ことによって、そういう現実は投影されなくなるであろう。

例えば、クジラを護る人たちなど、「正しさを振りかざして戦いのモードに入る」というのが、こうした「正しさを握りしめる周波数」の人がおちいるトラップである。

実際には、クジラなど存在しない。 私たちが見ているのは幻影である。 映画である。

感情ブロックとその背景にある信念体系の取り除き|強制的な検出方法

感情ブロックは「はずかしい」「こわい」「いやだ」などの「抵抗感」として検出することができるようだ

「抵抗感」はジャッジメントの結果の一種である。

この世のいろいろな場面を思い起こす、あるいは、書き出す(そういう書籍・映画・アニメ・小説があればよいと思う)。

場面の1つ1つを想像してみたとき、「抵抗感」を感じる場合には、その場面にまつわるに感情ブロックが、自分の内側にあるということになる。

感情ブロックを、感じ切る、あるいは、バイオレット・フレームで燃やして光に還元するなど、感情ブロックを処分することも大事であろうと思う。

しかし、この感情ブロックが、怒り、嫉妬などのネガティブな感情の燃え残りであった場合、ネガティブな感情を生んだ原因である信念体系を探し出して、ここを「見える化」「意識化」する必要があるだろうと思う。

たぶん「こうあってほしい」「こうであるべきだ」という決めつけ(ジャッジメント)が先にある。 「ほしい」「べきだ」が叶えられなかった、思い通りにならなかった。 そこで「自分が被害者みたいな感情」「自分が債権者になった(相手に貸しをつくった)みたいな感情」「自分だけが正しくて、正しいがゆえに相手を責める感情」が吹き出す。 クレーマーが図々しいのは「債権者づらして相手を責める気満々」だからだろう。

ほかにもパターンはあるのだろうけれども、おもに、そういうところから、怒り、嫉妬などのネガティブな感情が生まれる。

ネガティブな感情が生まれたら、それを否定しないで、表現して、出し尽くす。

つまりネガティブな感情は、その場で燃焼を完了させるのが理想。 例えば、親との死別において、しっかりと悲しまなかったせいで、感情ブロックが残るとか、そういうことである。 悲しむべきときに、しっかりと悲しむのが理想ではある。

しかし「世間体」「しつけ・指導」「こうあってはならないという宗教的な善の観念(禁戒など)」などによって、ネガティブな感情の発露を抑え込んでしまうことがある。 そういうことも多いであろう。

そのようにして「ネガティブな感情を素直に発露すること」が阻止され、抑圧された結果、感情の燃焼が不完全なままこびりついたものが感情ブロックなのだろうと思う。

そう。 宗教の禁戒なども、結局、感情ブロックをつくるだけなんだよね。 仏教の五戒というものがある。 「殺すなかれ」「盗む(奪う)なかれ」「姦淫(かんいん)するなかれ(これはキリスト教的な表現)」「ウソをつくなかれ」「酒を飲むなかれ」。 これらも、殺し合い、奪い合いなどを生む結果になるんだよ。 「オマエが戒律を破ったのが悪い」というように、ジャッジし、相手を責め、攻撃する口実をつくるんだよね、こういうルールというのは。

つまり世の中に、いさかいを多くしようとしたら、法律やルールを増やすのが最速ルートなんだよ。 「頭の悪い学校ほど校則が厳しい」って知ってた? 

それで、国会議員とか、官僚とかって、法律やルールを増やす係でしょ?  この人たちには、世の中を改革する創造性がないんだよね。 法律やルールというのは、周波数を下げて、創造性を奪うから、法律やルールを策定しているうちに、創造性が奪われて、アホになっちまうんだよ。

すべての元凶は、「こうあってほしい」「こうであるべきだ」という決めつけ、いいかえれば、ジャッジメントにある。

なぜ「元凶」だといえるのかというと、宇宙に善悪の既定はないから。 宇宙のありようは、「すべてOK」という「基準のない状態」なのだ。 それが「ジャッジメントなし」=「無条件の(unconditional)」という状態、いいかえれば、みなもとがそうある状態なのだろう。

闇の勢力の中には、誘拐してきた幼児をレイプした挙げ句、殺害して食べる食べる人たちがいるようだ。 みなもとは、そのような魂にも愛を送る。 それが「無条件のありよう」なのである。

その「無条件のありよう」は、あらがいようのない、圧倒的なものである。

胸くそ悪くなる重大犯罪の犯人に対して、私たちが抱く「裁きたい感情」「報復したい感情」の背後に「私たちのジャッジメント」が存在している。

NHKその他の報道では、できるだけ陰惨な事件をトップニュースにしている。 私たちの周波数が上がってきて、闇の勢力の敗北が近いので、なりふり構わずなのだろうと思う。

こうした闇の勢力による「胸くそ悪くなる陰惨な事件報道」を、私たちは光の子として「逆用」することで、さらに周波数を上げていこう。

つまり、「胸くそ悪くなる陰惨な事件報道」を、私たちの内心に巣くっている「ジャッジメントの体系」=「信念体系」をあぶりだすための「光」として利用するのである。

結局、来ているものはエネルギーなので、コンバーターを通して「陰陽転換」すれば、「闇」のエネルギーも、「光」のエネルギーとして利用することができるのだと思う。

「日経平均が値上がりしても、値下がりしても、どうやっても勝てるポジションを組んでおく」といったような状態を私たちがつくってしまえば、闇の勢力がどのような情報を流しても、私たちの周波数は上昇するばかりです。

闇の勢力よ、ありがとうございます。

あなたは、私たちの次元上昇を加速してくれています。

闇の勢力よ、もっと「胸くそ悪くなる陰惨な事件報道」を放送してください。

それによって、私たちはより磨かれ、よりクリーンになっていきます。


つまりは、起こっているすべての現象に、善も悪もない。

起こっている現象に、どういうフィルターをかけて「解釈」するか。

つまり「どうジャッジするか」という「ジャッジの思考回路」=「信念体系」だけが問題なのだと思う。

その「信念体系」の感染源は、まず両親、教師など他者からのしつけ・指導・教育などであることを知る必要がある。

両親、教師などから洗脳を受けてきた、この洗脳を解き放つことができないのは、オマイらが両親、教師などから支配されているからだ。

いいかえれば、両親、教師などを「尊敬」しちまっているから、オマイらは両親、教師などの洗脳者から自立できないんだよ。

自分が「上がって」いくとき、古巣がつまらないもののように思えて、古巣を捨てるものなんだよ。

両親、教師などを「尊敬」しちゃっているオマエは、「上がっていない」んだ。 つまりオマエは「成長していない」。

両親、教師などは、自分が「上がっている」と、つまらぬ人に思えてくるものなんだ。 もちろん、背後には「思い上がり」もあるだろうけれども、「思い上がりも、上がっているうち」なんだぜ。

結局、「対象がつまらぬものに見える」というのは、観測地点の標高が上がっているわけよ。

それが中二病的な思い上がりであったとしても、確かに、観測地点の標高が上がっているわけよ。

より高い視点から客観視することができるようになっちまった。 それは「思い上がり」であっても、視点が高くなったというのは、否定できない事実なんだね。

よりマルチな視点を手に入れることは、意識が拡大したのだから、それは成長なんだよ。

それで「思い上がり」というのは、客観視した対象を「受容せず、許さず、愛さず、感謝せず、軽蔑する」といったように、「分離する」という重大な欠陥を持っているだけ。

つまり「思い上がり」の「上がり」だけは採用して、「分離する」というノイズ部分を是正すれば、「思い上がり」も大いに歓迎すべきなんだ。

でも、現在の教育では、「思い上がり」を叩くわな? 

とくに日本人は、「思い上がっている」という難癖をつけて、対象が「上がっていく」ことに抵抗するわな?  これが洗脳の結果なんだよ。

背景には「尊敬」と「軽蔑」の連鎖、上下関係の連鎖、比較の連鎖がある。

原因は「尊敬」にある。

「尊敬」は、洗脳の始まりを生むんだよ。

だから天皇陛下も、みなもとも、「尊敬」しちゃダメ。

尊重しても、尊敬するべきではない。


尊重というのは、上下に関係ないでしょ? 

小さい子供でも尊重されるべきでしょ? 

でも尊敬というのは、崇拝と等しいもので、必ず「上」にしかおこなわないでしょ?  それよ、それ。

これが分離なんだよ。 分離とは、非対称性なの。 「上」は尊敬しても、「下」は尊敬しない。 「下」は軽蔑する。

「無条件の愛」における無条件とは、360度の対称性を保った状態なんだと思う。

「360度の対称性を保った状態」とは、あらゆる尺度において、「北の果て(一方の極致)」と「南の果て(もう一方の極致)」がカバーされていて、その中点に自分が位置している状態のことだ。 いわば、球体の中心に存在するような状態のことだ。

尺度を数直線だと考える。 球体の中心にいる自分は、尺度Aについて、「北の果て(一方の極致)」と「南の果て(もう一方の極致)」を両方知ることによって、中点を割り出す。 そして中点を選択する。 このことを尺度Aから尺度Zまで、いやいや、もっと多くの尺度について達成する。 結果として、あらゆる尺度の中点が集中した「球体の中心部」に自分を置くことになる。 みなもとの状態は、たぶんコレなんだと思う。

そのためには、無限の経験を積む必要がある。 それがたぶん、私たちが地球学校で輪廻転生を通じて学んできた「経験」の意味合いなのだろうと思う。

それから「経験」がすべてアカシックレコードに記録されている。 それはたぶん、みなもとの調和を、さらにいっそう強化するためではないか? 

つまり「闇の勢力によって、輪廻転生システムの中に、私たちが閉じ込められてきた」というのは、よりミクロな見方にすぎない。 こういう輪廻転生システムがおこなわれることは、私たちが志願して、どこかの星から地球へ降り立つときには、すでに既知の予定として知っていたんだよね?  知っていながら輪廻転生システムに参加したんだよ、自発的に。 すべて私たちが選択したことだ。

輪廻転生システムを通じて私たちが「経験」した内容は、すべてみなもとの調和を強化する肥やしになる。 私はそう思っている。 つまりみなもとの分身・代行者として、私たちは「経験」という肥やしを増やす役目をしてきたんだよ。

憎しみをなぜ経験するのか?  それは許しを学ぶためである。 許しは、無条件の愛の表現形式の1つである。

怒りをなぜ経験するのか?  それは許しを学ぶためである。 許しは、無条件の愛の表現形式の1つである。

※ここで自分で気づいたけれども、いわゆる「ネガティブな感情」「感情ブロック」の背景に存在する因子は、すべて「無条件の愛」の反対概念なんだわ。 結局、「無条件の愛」を知るために、私たちはいわゆる「ネガティブな感情」「感情ブロック」を体験してきた。 「どうしてこんなにつらいことを経験しなければいけないのか?」への答えはワンパターンで、「それが無条件の愛の反対概念だから」「無条件の愛を学ぶために、その反対のことを経験している」ということだと思う。

苦悩をなぜ経験するのか?  それは歓喜を学ぶためである。 歓喜の根源にあるものも、無条件の愛だわな。

このようにして「北の果て(一方の極致)」と「南の果て(もう一方の極致)」を知って初めて、中点がわかる。 中点がわかるから、「中点をとること」=「対称性を具現化すること」ができる。 「対称性が具現化された状態」を「調和がとれた状態」「調和された状態」という。

悲しみを経験するのは、喜びを学ぶため。 そして「悲しみ」と「喜び」という両極を知ったら、「悲しみ」も「喜び」も、お互いに「違いがない」「それでも私は生きている」ということがわかる。 そうすると、「悲しみ」は悪くて、「喜び」は正しいなどといった「決めつけ」ができない心境に至る。 両方必要だったんだ。

「両方必要だったんだ」となると、「ジャッジメントにつながるクラッチが切れる」んだよね、たぶん。 ジャッジしようと思っても、力が入らなくなる。 なぜかというと「構造がわかってしまった」から。

12色環 - Google 検索

例えば、12色環というのがある。 180度反対側には補色がある。 補色どうしを混ぜ合わせると無彩色(白黒グレー)になる。

ある色彩には、180度反対側の色彩というものがあるんだわ。 それが補色というもの。

色彩は周波数そのものだから、数学的というか、物理学的なことなんだよ、これは。

補色どうしは、逆の映し鏡どうしだから、互いに打ち消し合うんだよ。 そこでは、中和が起こる。

「宇宙のすべては回転・循環」「宇宙のすべては波動」だという大原則を思い出す。

男性性優位の時代から、女性性優位の時代は、循環している。 男性性と女性性とが融合すると「中和」が起こるのだろう。 それが「調和された完全体」というこになるのだと思う。

感情にも、たぶん「補色」の関係になっているものがある。

1つの色を経験し、学ぶことによって、補色も同時に学ぶことになる。

悲しみを経験するのは、喜びを学ぶためであった。 悲しみと喜びは、「補色」の関係なんだわ、たぶん。

「ネガティブなものをみなもとに投げ込んで、浄化されたものを受け取って」というプロセスで、何が起こっているのか? 

たぶん「補色」に該当する要素を補うことによって「中和」しているのだと思う。

結局、憎しみには許しを与えて「中和」する。 憎しみも許しも、宇宙に最初からあったものであり、増えもしないし減りもしないのだと思う。 ただし、その人の中で「憎しみと許しのバランスが狂った」ので、足りない側を付け足して「中和」する。 「ニュートラル」に戻す。 「中点」を取り直す。

そういう感じになっているのだと想像しているよ、現在は。


この世に生まれた意味は、どういう尺度においてバランスを取り直す必要があるのか。 その尺度の1つ1つを経験として学び、そういう「学びの断片」「経験値」を増やすために転生したんだね。 けっして「成功する」「うまくいく」ために転生したわけではない。

学びのために「うまくいかない人生」を経験しようと思っている魂にとっては、「これこそが順風満帆な人生だ」ということになる。

だから他人の人生は放っておけということ。

脇見運転は事故の元。

他人の弁当を見るなよ。 他人の弁当を見て、自分の弁当と比較して、自分の弁当がショボいとか何とか、そうやって比較するオマエは、どこで間違ったか? 

脇見運転してるんだよ、他人の弁当を見ている時点で。 つまり「意識が外側に向いている」んだね。

脇見運転しているってことは、オマエが全速前進してねぇってことだ。

例えば、試験が迫ってきて、勉強に忙しいとき、他者のことなんか、構ってられないだろ?  それが全速前進している状態なんだ。 その状態をキープしろってことだよ。

「他者がどうのこうの」とゆっているうちは、自分の課題に全身全霊で取り組んでねぇんだわ。

他人の人生は放っておけ。 他人の人生に口出すな。 これが基本だ。

だから矢作直樹さんの「自分のことだけ考えとけ」という姿勢が、かなり「正しい」んだよ。

どうして貧困があるの?  豊かさを学ぶためだよ。

だから貧困にあえいでる人たちを助けちゃいけないの。 彼らはそれが経験したくて転生しているんだから。

そして、私たちが経験している「現実」は、脳内の錯覚なんだよ。 「現実」は起こっていないんだよね、実際には。 頭の中だけのこと。 VRと同じなんだよ。

食事中のナトリウムとカリウムの比が高い人で循環器病死亡リスクが増加 | 滋賀医科大学

例えば、塩分を摂りすぎると血圧が上がり、野菜や果物の摂取によって血圧が下がるとされる。 それはナトリウムとカリウムとが、血圧の制御において、拮抗的に作用し合っているということだ。

このとき「ナトリウムが悪玉」「カリウムが善玉」とかは、ないんだよね。 ミカンの産地では、秋から冬にかけて、ミカンが豊富に手に入る。 そうすると「ミカンの食べ過ぎでカリウム摂取が過剰になる」ということもある。 そうなると、高カリウム血症(むくみなどとして発現する)という一種の病気になるらしい。

こうした状態において、「ナトリウムが悪玉/カリウムが善玉」「ナトリウムが善玉/カリウムが悪玉」といったジャッジメントは無意味だろ? 

同様にして、「喜びが悪玉/悲しみが善玉」「喜びが善玉/悲しみが悪玉」といったジャッジメントは無意味なんだね。

「ジャッジメントは無意味だと知る」「全体の構造を知り、ほどよいバランスのところを選択する」というのが、対称性を具現化した状態なのだと思う。

その対称性を具現化を、あらゆるジャンルで達成した、全方位的な調和のカタマリみたいな状態というのが、「無条件の愛の体現者」=「みなもと」ということになるのだと思う。

結局、あらゆる方面のバランスを達成する「純度」の問題なんだわ、たぶん。 それはベアリングを真球に限りなく近づけるとか、ナノメートル単位のレンズ研磨とか、そういう精度の世界なんだね。

つまりそこは、ジオメトリーとか、アラインメントとか、バランスといった、連立方程式みたいな世界なんだよ、たぶん。 「あちらを立てれば、こちらが立たず」というのを、ぜんぶ調整して、求めうる最良のバランスを見いだす的なことなんだわな。

そういうことをやっているのがみなもとなんだと思う。


「上」は尊敬しても、「下」は尊敬しない。 これは非対称的な状態でしょ?  そこにあるのは、非対称性でしょ?  非対称性とは、いいかえれば、「無条件でないありさま」なんだわ。

逆に、無条件の(unconditional)とは、360度の対称性を保った状態。 この「無条件の(unconditional)」という状態が「ジャッジメントなし」の状態、つまりは、みなもとがそうある状態なのだろう。

つまり「完全に公平で平等で中立で公正」なものが「無条件の愛」なんだよね。


スピリチュアリストが、高いお金で個人セッションとかやるのを、「おかしい」と思っていたけれども、理由がわかったわ。

非対称性なんだよ。

「プレミアム会員だけに限定公開された動画」とかに違和感があるのは、非対称性、つまり、「無条件でないありさま」が背景にあるんだよ。

そして、調和というのは、360度の対称性を保った状態なんだと思う。

ジャッジメントを取り外すことは、この「360度の対称性」「完全な対称性」「完全調和」を手に入れることだろうと思う。

それは電磁気学的、物理学的なものだと思う。


結局、ジャッジメントの体系が、信念体系なのだろうということだろうと思う。

「自分がこういう場面で、どうジャッジするのか」というテストを、5000問でも自分にあびせて、「自分のジャッジメントのクセ」=「自分の信念体系」を割り出し、1つずつ意識して外していく必要があると思う。

そして、ジャッジメントが生まれたとき、「そのジャッジメントについての、一方の極致と他方の極致を考える」ことが大事だと思う。

「この憎しみの感情」の対極にある感情は何なのか?  どうして憎しみの感情が生起するのか?  憎しみの感情を生んだ原因である「こうあるべきだ」「こうするべきだ」の観念とは、どういう観念なのか?  その観念を私に刷り込んだ人は誰か?  すべてを突き止めて、全体を明らかにしたうえで、すべてを受け容れて許し、愛と感謝に還元する。 そうすると、自動的に自分の選択する位置が、その尺度の中点に戻るんだよね。

いくら感情ブロックを解除しても、背後にある信念体系が変わらなければ、またネガティブな感情を発生させ、その感情が燃え尽きることが途中で阻止されれば、また感情ブロックとなってしまう。

原因となる信念体系、いわば「過てる観念」を私たちの内側で「中和」する必要があると思う。

「自分が抱いている信念体系を外した」と仮定した場合、自分がどういう感情を抱くのか? 

自分の「生きる指針」「モットー」に反することを、わざとやってみるのもいいと思う。

結局、バランスが崩れているからネガティブな状態におちいっているわけだから、「自分がやっていることの逆」をやるんだよ。

左を選択してきたんだったら、右をわざと選択するとか。

ぜったいに愛せない対象 → 愛そうと試みる

ぜったいに許せない人 → 許そうと試みる → その抵抗感の周波数を燃焼完了させる

ぜったいに称賛したくない対象 → 褒めようと試みる → その抵抗感の周波数を燃焼完了させる

ぜったいに感謝したくない対象 → 感謝しようと試みる → その抵抗感の周波数を燃焼完了させる

ぜったいに許せない出来事 → 許そうと試みる → その抵抗感の周波数を燃焼完了させる

嘘つきは泥棒の始まり|尊敬は軽蔑の始まり

これについて「誰かがゆってたなぁ」と思ったら、スナフキンだったわ。 ムーミンだわ。

スナフキンの名言「誰かを崇拝しすぎると本当の自由は得られない」 - 自由ネコ

「偶像崇拝を禁ずる」などのことは、「自分の外側に崇拝の対象を設けることによって、対象から精神的な支配を受けること」を避けるための方便なのだろうと思う。

尊重しても、尊敬するなよ、バカタレ! 

尊敬というのは、自他の区別であり、分離そのものなんだよ。

大天使だって、尊敬する必要はない。 尊敬とは分離だから。 ただし、大天使は尊重する必要がある。

両親を尊敬している人は、両親に支配されていることに気づいていない。

支配こそ、分離なんだよね。

両親に世話になったから、両親に逆らえない。

だから自分の思ったよういな生き方ができない。

それが自分軸を狂わす最初なんだよ。


私たちがどうして古文を習うのかというと、「天皇崇拝を刷り込む」ための洗脳が目的なんだよね。

入試古文に、どうして平安時代の作品ばかりが採り上げられるのか? 

「敬語法の学習」の必要性を人工的に生じさせるためだよ。

まず日本語の中から、尊敬語、謙譲語を取り除き、丁寧語だけにする必要があるんだよ。

尊敬語、謙譲語は身分の上下を前提としている。

身分の上下に基づく人心支配。 これはアヌンナキの発想なんだね。


「スーツを着て、敬語を巧みに使いこなす」というのが、支配された奴隷の姿なんだよね。

そう、ビジネスマナーとか、そういう世界こそが、分離の典型例なんだよ。

「スーツを着て、敬語を巧みに使いこなす」のが「立派な大人になること」だと思っているとしたら、オマエ、文化レベルが低いんだよ。

そうゆうことだから、闇の勢力に支配されちまうんだよ。

闇の勢力というのは、私たちの心の闇が召喚した亡霊なんだ。

私たちが周波数を上げれば、闇の勢力は消える。

だから闇の勢力の歴史とか、そういう「投影された物語」の内側に入り込まないことだよ。

とにかく、闇の勢力がつくりあげた「世の中」というものから離脱して、自分の世界を生きるふうに、生き方を切り替えよう。

「世の中」とか、ドウデモイイ。


私たちが「過てる信念体系」をどこから入手したのか? 

それは両親や教師だよね? 

両親や教師からしつけ・指導を受けただろ? 

そこが自己否定、無価値感など、いわゆる低い周波数の原因になっている。

どうして自己否定、無価値感を外すことができないの? 

両親や教師から、精神的な支配を受けているからだよ。

どうして支配されたの? 

対象を尊敬したからだよ。

つまり尊敬こそが、分離の始まりの1つなんだ。

尊敬という分離を捨て去る必要がある。

尊敬という行為には、自他の区別が必ず含まれている。

「自他の区別」が「アンチ・ワンネス」だということ。


「世話になった人には逆らえない」などは自分軸から遠ざかる自己欺瞞でしょ? 

両親が反対しても、「これは私の人生なんだから、オマイらには口出しさせねぇよ」ってゆってやんな。

親だからといって、我が子の人生にまで口出し・指図するのは、「親しき仲にも礼儀あり」に反することだよ、って教えてやんなよ、ご両親に。

このあたりの「過てる観念」を壊す必要がある。

社会問題の90%ぐらいは、家庭内に原因があるんだよ。

家庭の映し鏡が社会なんだよね。

結局、お父さん・お母さんがバカだから、社会がこんなふうになっちまったんだ、ってことだ。

だから、お父さん・お母さんは、尊重しても、けっして尊敬しないこと。

これは、天皇陛下でも同じだよ。 尊重しても、尊敬するな。 これは宇宙の法則だよ。

自分軸をしっかりと保持して、バカな両親を暖かい目で見て、自分が高い周波数の発信者になることだわ。


礼儀に厳しい家庭から、犯罪者が出やすい。 その傾向は、あるんだよね。

礼儀というのは「尊敬を強要する文化」なんだ。

尊敬の裏側には軽蔑があるわけよ。

そして、犯罪がどうしておこなわれるのかといったら、「被害者を軽蔑している」という心的な背景があるんだ。

ハラスメントがどうしておこなわれるのかといったら、「被害者を軽蔑している」という心的な背景があるんだ。

極が登場すると、その対極が必ず登場するという、ポラリティの法則から、「尊敬」が登場すると、必ず「軽蔑」がセットで登場するわけよ。

それが二項対立を学ぶ、この地球という磁場の属性なんだわ。 もうすぐ、それが終わるけどね。

二項対立を学ぶ磁場が終わるわけだから、二項対立に最適化された観念を捨てる必要があるのよ。

その典型が「尊敬」という観念。

例えば、「バカにされた」と感じるのは、「尊敬」と「軽蔑」というスケールをオマイらが持っているからだろ? 

「尊敬」の観念を捨てちまえよ。


礼儀に厳しい家庭というのは、お父さん・お母さんの知的レベルが低い傾向がある。

バカほど「尊敬」を強要してくるわけよ。

マウンティングというのは「尊敬の強要」だよね。

大人をよく観察してみな。

バカほど「尊敬」を強要してきて、ピリピリしているから。

ヤクザがその典型だよな? 

マウンティングで成り立ってるだろ? ヤクザの世界は。

「マウンティングで成り立っている世の中」というのは、「人間の世の中」ではなく、「イヌ・サルに近い社会構造をもつ世の中」ということだ。

つまり「尊敬」というのは、周波数が低いんだよ。

わしゃそう思うちょるよ。

運動部とか、警察とか、自衛隊とか、ブラック企業とか、ブラックじゃなくても企業とか、そうゆう「社会」全般を見てみなよ。

ぜんぶ「尊敬」と「軽蔑」の連鎖で、上下関係、ピラミッド構造ができあがっているから。

そうした構造の中で「各種のハラスメント」が発生するわけだろ? 

原因は「尊敬」なんだね、ぜんぶ。

「尊敬」を外すと、社会構造が一気に変化する。

このピラミッド社会が大崩壊するよ。

たぶん今年2019年から始まる。

ってか、私たちが意識改革をしてピラミッド社会を壊す必要がある。

といっても、意識をパチンとチェンジすればいいだけ。

それは一瞬のことだよ。

それはバカな上司、バカな教師、バカな両親に背を向けること。

組織を去るということだよ。

会社・役所を去る。

学校を去る。

家庭を去る。

そして、オマイらが本当に望むことに没頭するんだよ。

それが「世の中」の構造改革になるんだ。

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DC-GH5S

【2019年】買って後悔したもの・良かったものランキング! - YouTube

吉田くんは「DC-GH5を買うべき」と述べているけど、DC-GH5の動画AFが超残念である件を知らないらしい。 DC-GH5も、DMC-G8も、DC-G99も、動画AFが遅くて迷うことにおいては共通している。 ここで特に問題なのは、新発売・後発のDC-G99であるにもかかわらず、「動画AFが遅くて迷う点」が改善されていない点、つまり、DC-GH5SとDC-G9には搭載されていると思われる「改良型AF」を搭載していない点。 安い機種だから動画AFも残念なままでよいのか? 

LUMIX G99 5日目の感想、AF検証(顔、瞳認識、追尾) - YouTube

DC-GH5SとDC-G9は、動画AFについて「改良型AF」を採用していると考えられるけれども、動画AFの速さ・正確さにおいて、SONYとFUJIFILMには負ける。

PanasonicはコントラストAFなので、写真撮影時には正確なフォーカスになる傾向がある一方で、動画撮影時にAF連続動作を「入」にすると必ずAFが遅くなり、迷うようになる。 つまりコントラストAFに固執するPanasonicのつくるカメラにおいて、動画AFが劇的に改善されることは、考えづらい。

SONYやFUJIFILMの動画AFがサクッと合焦するのは、「コントラスト式+位相差式」のハイブリッド式AFを採用しているから。 つまり、AFCでAF連続動作を「入」にして動画撮影をする場合だと、SONYやFUJIFILMのミラーレスが、ハイブリッド式AFを採用している点で、最良ということになるだろう。

DC-GH5SとDC-G9については、AFCでAF連続動作を「入」にして動画撮影をしても、ある程度は正確に合焦するため、動画撮影に向いていると思う。 DC-G9には動画連続撮影時間30分制限が付いているけれども、どうしてこのクソ仕様にしたのか不思議。 DC-G9から動画連続撮影時間30分制限を取り除けば、DC-GH6と名付けてもよいくらいの性能があります。

ただしDC-GH5SとDC-G9といえども、動画AFは遅くて迷いがちなPanasonic方式(コントラスト式)ですので、「動画のPanasonic」というのは、DMC-GH4の時代の話だったと割り切るべきでしょう。

現在は、動画用ミラーレス一眼としては、SONYかFUJIFILMが適切でしょう。

結局、動画AFに注目したとき、PanasonicのGHシリーズよりも、「FUJIFILM X-T3またはX-T30」「SONY αシリーズ」のほうがいい。

ただしX-T3〔FUJIFILM〕もX-T30〔FUJIFILM〕もボディ内手ブレ補正ナシ。

ただしα6400〔SONY〕はボディ内手ブレ補正ナシ。

結局、FUJIFILMでボディ内手ブレ補正アリの機種を待つ、あるいは、SONYもα6400〔SONY〕の上位機種(たぶんボディ内手ブレ補正アリ)の登場を待つと、よいことがあるかも。

なお、SONYはメニューがメチャクチャらしく、ユーザビリティが最悪であるらしい。

それから、SONYがEマウント〔SONY〕ではない、新マウントを発表するという噂がある。 もしもそれが、中判用ではなく、フルサイズ用の新マウントだとしたら、Eマウント〔SONY〕のレンズ資産は無駄になってしまう。

またEマウント〔SONY〕では、APS-Cサイズ用の名機と呼ばれるレンズが、あまり出ていないと思う。 Eマウント〔SONY〕のレンズでスゴい機種は、フルサイズ用のG MASTERレンズ、SIGMAのArtシリーズなどだと思う。 それらは、太くて大きくて重たいため、三脚必須であり、男性向けである。

FUJIFILMのレンズは、入門用のレンズだと、鏡筒がプラスチックであり、軽いけれども、レンズはいいヤツを使っている。 そういうのが、歩き撮りには向いているレンズだろう。

Xマウント〔FUJIFILM〕については、レンズのロードマップが示されており、「将来的にどうなる」ということが見える。

そうなるとFUJIFILM一択になる。

FUJIFILMは、白飛びや黒つぶれしづらいし、高級レンズなら、フルサイズにも負けない感じのなめらかな写真・動画になる。

FUJIFILMでボディ内手ブレ補正アリの機種が出たら、ガチで検討に入るべき。

农村大姐3个鸡腿加5包方便面,大葱蘸酱一阵猛吃,网友:方便面跟你有仇吗 - YouTube

マウスコンピュータのG-Tune(50万円)が1カ月で故障したという話|結局、サイコム〔@Sycom〕やね

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「自分の守護者や自分のハイヤーセルフとのチャネリング」だけが必要

霊的通信はアマチュア無線のようなものであるらしい。

通信相手が「サナンダだ」と名乗ったところで、彼がサナンダである保証はない。

霊的通信をする相手が「偽りの聖者」である可能性も高い。

「自分の守護者や自分のハイヤーセルフとの霊的通信」だけが必要なのであり、他は原則として不要である。

ポートが開いていれば低級霊に憑依される危険性が出てくる

「霊的通信をする」とは、ポートを開くということ。

セキュリティがしっかりしていない状態でポートが開いていれば、データを盗まれたり、ウィルスやスパイボットやアドウェアを仕込まれたりする。

同様に、「霊的通信をする」からには、霊的な攻撃を受ける危険性があることを前もって知っておくべきである。

だから霊的通信をする際には、できれば、霊的に発達した人がいつでも助けに入ることができる状態でおこなう必要があると思う。

つまり、未熟な状態でチャネリングをすると、低級霊にもてあそばれるだけの時間・体力のムダになり、かつ、悪影響を受けることがあるようだ。

神々、大天使、マスターなどへの依存は「外側へ意識を向けること」になる

結局、自分のハイヤーセルフとつながることが、唯一の目標なのである。

それに際して、神々、大天使、マスターの助けを借りることも、多々あるだろうとは思う。

しかし、そこで神々、大天使、マスターを祭り上げることだけは絶対にダメである。

私たち1人1人がすでに神であるわけなのだから、神々、大天使、マスターを祭り上げることは、「私たち1人1人がすでに神である件」を否定することになる。

いくら「神々、大天使、マスターは、あなたの中にいるのだ」という説明を加えても、「神々、大天使、マスター」に名称が与えられ、「神々、大天使、マスターに依頼する」となると、脳は「神々、大天使、マスターは外部に存在する」と認知する。

それは「意識を外側に向けること」でしかない。

つまり「神々、大天使、マスターなどを使ったワーク」は、気をつけないと、私たち自身の神性を否定すること(=眠りのモード)を強化することにつながりかねない。


多くのスピリチュアリストは、自分のクライアントを増やそうとしているように見える。

多くのスピリチュアリストは、自分のクライアントを増やすことが、真実の情報を広めることであり、ひいては、それが次元上昇に直結するのだと、そのように信じているように見える。

多くのスピリチュアリストは、「クライアントを増やす」ために、自分の「チャネリングをする力」などを示すことによって「自分が覚醒している証明」を熱心におこなっている。

そうやってスピリチュアリストがチャネリングをしている様子がかっこよく見えて、自分もチャネリングしたいなどと思ってしまう人が出てくる。

この「チャネリングにまつわる、もろもろの余計なこと」は、ぜんぶカットする必要があると、私は個人的に思う。

「チャネリングをして見せる側」も「チャネリングに憧れる側」も、私は選択しない。

心の整理整頓をやっていこう。 自分の畑を耕そう。


現実的には、多くのスピリチュアリストは、自分や家族や社員を養うために、つまりは、生活のために顧客を囲い込んで(≒クライアントを自分に継続的に依存させて)、できるだけ儲けを出したいと考えているようにも見える。

その一方では、特定のスピリチュアリストに傾倒した人々が、顧客として囲い込まれた結果、余計な遠回りをさせられることもあるだろうと思う。

「遠回りをさせられる」とは、次元上昇には、必ずしも必要ではない、余計なことをさせられるという意味である。

「スピリチュアリストたちが、自分や家族や社員を養うために、多くのクライアント(次元上昇をする人たち)を犠牲にしている」ように見えてしまった。 それはジャッジメントであろう。 けれども、私の正直な気持ちである。

このあたりは、私も整理できていない。

このようにして、スピリチュアリストの中には、個々の魂の次元上昇を邪魔する結果となる「スピリチュアルな活動」に、まったく悪意なく没頭している場合もあるだろうと思う。


必要なのは、自分自身とつながることだけである。

つまり、自分軸を取り戻し、感情ブロックを取り除き、自分のハイヤーセルフとの通信を回復させる。 ここだけにフォーカスする必要があると思う。

自分のハイヤーセルフとのパイプに、小さな穴を貫通させることだけに絞り込んで、このサイトの全体を建て直している。

実際には、「自分自身の」霊的な力によって、「自分自身の」感情ブロックを掃除していくしかない。

神々、大天使、マスターなどは、私たち自身の霊的な力を引き出すための象徴、道具にすぎない。 彼らに対して依存心を抱いてはならない。

この「彼らに対して依存心を抱いてはならない」というのは、「彼らの力を利用しない」という意味ではない。 「大天使ミカエルよ、エーテルコードカットをお願いします」というのは、やってよいと思う。 しかし、大天使ミカエルに頼り切って、大天使ミカエルを祭り上げるのは、よくない結果にしかならない。 そのことを申し上げているのだ。

ワークの内容に「神々、大天使、マスターなど」がいろいろと登場して、ワークの内容が複雑すぎる場合、そのワークを無理にやらなくてよいと思う。

面倒でやらなくなるから。

そして、バイオレット・フレームなど、もっとシンプルなものがあるから。

また、私たちを浄化してくれるツールは、もうすでにいろいろと出回っているから、今後はスピリチュアリストに依存する必要はないと思う。

スピリチュアリストも、飽きられまいと? いろいろ新ネタを出してくるかもしれない。 しかしエンタテインメントじゃないんだから、私には、新ネタというものは必要ない。

これからは、私たちがスピリチュアリストから教わったものを、私たちが生活の中に組み入れて実践する時期である。

もうスピリチュアリストへの過剰な傾倒を、私はやめようと思う。

幸い、K.Angelさんを中心とするグループから、アセンションにつながる重要な情報が流れてくる。 このグループに掛けてみようと思う。

もう探求は必要ない。 「自分の生活」を始めるのだ。


自分が最も使いやすいと信じる、感情ブロックの除去テクニックを1つだけ磨き上げるのが実際的な方法であろう。

私の場合、感情ブロックの除去テクニックは、バイオレット・フレームだけに絞ることにした。

たくさん覚えられないし、1つのことだけを磨き上げて、とりあえず小さな穴を貫通させたいと思うからだ。

複雑なものは面倒になるだけ。 面倒だとやらなくなる。

あと、神々、大天使、マスターなどに依頼するワークも、私には合わない。

バイオレット・フレームは、それ自身が独立しており、「私はバイオレット・フレームである」と宣言して、紫色の光線に自分が包まれ、自分が浄化されていく場面を想像するだけでよい。 単純だけれども、奥が深いように感じる。 とくに外したい感情ブロック、思考パターン、信念体系などを、それだけ別に取り出して、バイオレット・フレームで焼いて、それらがキラキラした光に戻っていくことをイメージする。

バイオレット・フレームと、アセンション・コードの書き写しだけで手一杯であり、あとは、できない。 いろいろなものに手をだすより、この2つをしっかりと深めていきたい。

Violet Transmuting Flame - YouTube

3次元の残務処理|感情ブロックとその背景にある信念体系の取り除き

感情ブロックの取り除きは、4つのプロセスからなるようだ。

(1)「感情ブロックの発見(気づき)」
(2)「感情を感じ尽くす(90秒かからないと雅子ステュアートさんがいっていた)」=「感情の燃え残りを燃焼完了させる」
(3)その感情(周波数)を生み出す背景になっている、信念体系(思考パターン、感情の発生パターン)の情報を得る。
(4)その感情(周波数)を生み出す背景になっている、信念体系(思考パターン、感情の発生パターン)に気づき、見つめ続け、納得することで、その信念体系を取り除く。

■信念体系(思考パターン、感情の発生パターン)は、「自分はそんなルール/信念体系を後生大事に抱いていたのだ」という気づきを得て、しかも、それを素直に受け容れた時点で、たぶん8割ぐらいは取り除かれていると考えられる。 結局、ビデオで自分の走り方のクセを見せられたとき、フォーム修正の8割方は終わっている感じであろうと思う。 「自分はこういうふうであった」という事実を、ふだんは見ないように誤魔化しているけれども、それを客観的に見せつけられ、それをしっかりと認め、受け止めることによって、すでに改善の大部分が終了している。 そんな感じであろう。

■信念体系を握りしめている状態が解消されないのは、次のような場合である。
―――「そんな信念体系を抱え込んでいることにかんして、フタをして見ないふりをする」
―――「事実が目の前にあっても、逃げ回り、誤魔化して、そういう信念体系を抱いていることを認めようとしない」
―――「反論して開き直る」

※とにかく「無駄な抵抗をする」というのが、この2019年という時期には、まったくふさわしくない。

■感情ブロックは、最大90秒間しっかりと最後まで感じ切って、「燃焼を終わらせる」ことによって、取り除くことができる。
―――感情ブロックは、スピリチュアル・ヒーラーが代行して燃焼させることも可能である。
―――感情ブロックは、バイオレット・フレームによって燃焼させて光に還元することも可能である(と思う)。
―――「やる気が出ない」など、消極性にまつわる感情ブロックは、感じ切るという方法では解決できない。 それなので、消極性にまつわる感情ブロックは、その感情ブロックを何かの具体物としてイメージし、例えば、バイオレット・フレームによって燃焼させて光に還元するなどするしかないと思う。

Chat with Dan Marchini Energy Healing, Energy Shift, Ascension Energy · ゆきんこの勉強法 | 自修人

■低い周波数の感情を発生させる原因となっている信念体系を編集して書き換えないかぎり、同じパターンでつまずくと思う。
―――今世で植え付けられたネガティブな信念体系は、生育の過程で、両親、教師、きょうだいなど、周囲から植え付けられたものである可能性が高い。
―――ただし、これは「ひとのせいにする」ということではない。「ウィルスの混入経路を特定する」といった、事実認定の話である。
―――そして、こうした現実も、「自分が選択した現実」であって、誰のせいにもできないのである。
―――両親、教師、きょうだいなど、ネガティブな信念体系を私に植え付けた人たち、ネガティブな感情をけっして抱くことなく(そうしたら、また逆戻りだよ)、許しと愛と感謝と祝福の中で、光に還元されることをイメージする。
―――両親、教師、きょうだいなど、ネガティブな信念体系を私に植え付けた人たちは、クイズ番組で問題を出す人でしかない。問題の作成者は、私とハイヤーセルフであり、これは生前に決めてきたことだと思う。

結局、「発見(finding out)と処理(processing)」である。

「感情という燃焼工程」を完了させる前に、「途中で怖くなる」「途中でイヤになる」などして、「感情という燃焼工程」を途中で止めたまま放置したので、「感情の燃え残りが固化してこびりついたもの」が、感情ブロックなのだと思う。

私たちは、感覚を鈍らせて気づかないふりをし、臭い物には蓋ということで、そこから逃避したせいで、残務をそのままにしている状態なのである。

感情ブロックを取り除くためには、次のようなことが必要であるらしい。
「感情の燃焼工程を完了させる」=
「感情の発生時点・発生時点に立ち戻って、感情の燃え残りを燃焼完了させる」=
「感情の発生時点・発生時点に立ち戻って、燃え残りの感情を感じ尽くす/感じ切る(感情の燃焼完了)」

感情を感じ尽くすのに、1件あたり90秒以内であると雅子スチュアートさんがいっていた。

とくに大きく重たい感情ブロックであっても、90秒以内で終わるのだとしたら、それは感じ尽くして、燃焼完了させておいたほうがよい。

おもだった感情ブロックを燃焼完了させておくことが、「イベント」へ向けての「いますぐやるべきこと」の1つだと考えられる。

3次元の残務処理|感情ブロックとその背景にある信念体系の取り除きが必要な理由

それは、電気製品になぞらえていえば、感情ブロックの部分が抵抗になり、「イベント」において、そこが熱をもって焼き切れるからだろうと思う。

どちらにしようか、迷いやすい、揺れやすい状態を放置していると、それも感情ブロックになり、それも「イベント」において抵抗となるであろう。 つまり「逡巡、躊躇する」「煮え切らん」というのが、よろしくない。

私たちは電磁気的な存在であり、感情ブロックやその背景にある信念体系(思考パターン、感情の発生パターン)は、抵抗である。 感情ブロックや信念体系は、電気回路でいう抵抗、パイプでいえば「詰まり」であり、「通りが悪い、圧力が高まりやすい部分」である。

信念体系は、ジャッジメント(良し悪しの決めつけ=座標の固定=視点の固定)の源泉である。

ジャッジメントが発生するからこそ、特定の感情が強く生まれて、それが感情ブロックへと発展するのである。

あらゆるジャッジメントから自由になることは、あらゆる信念体系から自由になることである。

つまり信念体系を捨て去るというか、信念体系を手放して解放することによって、ジャッジメントから自由になることができる。

その状態でいてこそ、「イベント」のときを問題なく通過できるのであろう。

「彼ら」(闇の勢力)を許さないと、私たちは上昇できないと思う|許しを体現した人のみが上昇できる

「彼ら」(闇の勢力)にさんざんヒドいことをされたから、リベンジだ!  とか思っていると、その分離の周波数によって、上に行けないようになっていると、私は思っている。

「本気の許し」を体現した人しか、上に行けないようになっているのだと、私は思っている。

「相手の悪事を許さない」という考え方を、どうしても、何が何でも、捨てる必要がある。


許すことによって、悪事をなす相手との関係性が断ち切られるので、「許すが勝ち」だということは、コツとして覚えておいたほうがいい。

断ち切るといっても、これは「そういう周波数を使っている相手」との関係性が断ち切られるだけで、改心した相手とは、つながることができると思う。

つまり「誰かを排除する」ということを「断ち切る」とゆっているのではなく、「そういう周波数を使うような相手」を断ち切るということ。 「相手であるAさん」は「無数に存在する」のだから、「低い周波数で振動しているAさんを断ち切る」というだけのこと。

「相手の悪事を許さない」というのは、「やられたときの周波数」に、自分自身を紐付け、結びつけ、そこに地縛霊のように縛られることを意味する。

許さないことによって、自分をその低い周波数に結びつけているのは、あなた自身である。

自分で自分の首を絞めているのが「許さない」という発想である。

したがって、闇の勢力が何をやっても、許す必要がある。


それ以前に、闇の勢力が活躍している最大の理由は、私たちがその現実をつくりだしているからだ。

映写機は私たちであり、自分の映写内容に完全に責任をもつ姿勢の中では、「闇の勢力は私の心の反映です。闇の勢力のメンバーは、ぜんぶ私が召喚しました」ということになる。

闇の勢力が投影されている原因は、「私たちが周波数を上げない」点にあり、それ以外にはない。

闇の勢力がいなくなるためには、自分の周波数を上げる。

 
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