この記事に書いてあることは仮説だから、そのまま信じないでね

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自分で「それな」と思ったときだけ採り入れてください。

BackJoyという腰椎

BackJoyがあればコクヨingはいらない説

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BackJoyは左右に転がる

BackJoyは、プラスチックのヒップソリみたいなものである。 材質は、スケートボード用のプロテクター(膝や肘を保護する)のような材質である。

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ヒップソリと比較すると、BackJoyのほうが、より深いくぼみをもち、バケットシート的な形状になっている。

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BackJoyは、ヨコから見ると「く」の字型に屈曲している。 そうして、「面積の広いほう」が「太もも側」、「面積の狭いほう」が「お尻側」である。

結局、「太ももの体重によって、お尻の後ろに、小さな背もたれが立ち上がり、仙骨の後傾姿勢を是正する=お腹をやや突き出す姿勢になる」というのがBackJoyの機能である。

実際、BackJoyを使って座ると、お腹をへこませて、背を丸めて座る癖が矯正されて、腰がラクに感じる。

さらに、BackJoyは「前後には容易に動かない」けれども「左右には容易に転がる」ようになっている。

つまり腰回りの姿勢が左右方向で自由になっている。

これは背骨をできるだけまっすぐに立てるときの修正がしやすく、また左右に動くことで、凝り固まったインナーマッスルをほぐす軽い運動をすることができる。

この「運動できる」という要素は、コクヨ ing(イング)で提唱されていたけれども、コクヨ ing(イング)の値段がびっくりするほど高い。

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そのように高いものを買わなくても、BackJoyに座って左右にぐりぐり倒れる運動をすれば、代用になるような気がする。

ここで思うのだけれども、この「BackJoyに座って左右にぐりぐり倒れる運動をする」という荷重のかけ方が、オフィスチェアという「1本の回転軸にすべての体重がかかる椅子」には、向いていない気がする。

つまり、左右にぐりぐりするには、よっぽど軸と軸受けがしっかりしたものでないといけない。

(1)回転椅子であるようなオフィスチェアだったら、高級機を買う必要があるだろう。

(2)1~2万円の椅子であれば、四つ足のベンチ型のピアノ椅子に帰着するのかもしれない。

ベンチ型のピアノ椅子も足が木製だと、耐久性が心配だ。

エレクトーン椅子は高さがきわめて高いので、ふつうのデスクには適合しないと思う。

しかしスチール製のベンチ型のピアノ椅子は、高さ調整の部分がギコギコ鳴るらしいからな。

ダイニングテーブル用のベンチ型チェアも、足が木製だから、やがてガタがくる。

ホントに難しい。

BackJoyは、自動車に乗る場合にも使えるので、かなりいいと思う。

とりあえず、BackJoyは使っておくと、腰が悪くなりづらいと思う。

BackJoyが転がるため「座面が広くてフラットで固めなベンチ」などが有効かもしれない

BackJoyそれ単独で、背もたれの付いた椅子のような役割を果たしている。

背もたれの付いた椅子にBackJoyを使うというのは、屋上屋を架すことになる。

もちろん、背もたれの付いた椅子を使うべき事情があれば、使っても、まったく問題はない。


机で使う以上、椅子には高さ調整が必須である。

椅子の高さが適合していないと、疲労度が急激に増す。

「座面が広くてフラットで固めなベンチ」となると、ピアノやエレクトーンなどの鍵盤楽器のベンチ型の椅子がよいだろうと思われる。

ただし、YAMAHAのピアノ椅子でも、けっこうきしみ音が出る。

集合住宅の場合、椅子のきしみ音やカキンカキン音というのは、階下の住人に直接大きな迷惑となる。

住民どうしのトラブルを避ける意味で、椅子の選定には、かなり注意する必要がある。

ちなみに、学校の体育館で卒業式などに使うパイプ椅子(折りたたみ式)はぜんぜんダメ。

パイプ椅子は、座面高が「膝側430mm」「尻側400mm」という規格のものが多い。

これはたぶん、長年使っているうちに「膝側430mm」の側が、人間の体重で曲がってしまい、下がってくるために、最初は上げ気味にしているのであろう。

要は、パイプ椅子の場合、「座面高に傾斜がつけてある」ので、座る姿勢が後傾姿勢になってしまう。

他方、BackJoyは、骨盤や仙骨が後傾するのを抑制する補助具である。

その補助具としてのBackJoyの作用を、パイプ椅子の座面の傾斜が打ち消すことになる。

したがって、パイプ椅子だけは、ぜったいに選んではならない。

フラットな椅子にする必要がある。

しかもBackJoyが転がることができるぐらい、座面に固さがあり、座面が広くないといけない。

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腰痛から身を護る

Amyへ。 私の経験からいうと、地べたに座るのは駄目だよ。 腰と膝にくるから。 あと股関節にもくるよね。

だからこたつとか、座卓とかやめて、机と椅子にしないといけない。

ヘソのチャクラのことをセイクラル(仙骨)チャクラともいう。

「ヘソのチャクラ」というのは、「お腹(太陽神経叢)のチャクラ(マニプーラチャクラ)」のことではない。 その1つ下の丹田周辺のチャクラのこと。 男性の場合、ヘソ下数センチ(臍下丹田せいかたんでん)にセイクラルチャクラがあるらしい。 女性の場合、子宮が存在することから、男性よりも上にセイクラルチャクラがくる。 つまり女性の場合、ヘソ位置にセイクラルチャクラが位置しているらしい。

腰が痛いというのは、仙骨を支えるインナーマッスルの関係なんだよ。

仙骨 - Google 検索

結局、尾てい骨に上半身の荷重が集中して、仙骨がナナメっちゃうわけよ。

ナナメった仙骨をまっすぐしようとして、インナーマッスルが頑張ってしまい、インナーマッスルが疲労する、あるいは、つるんだよ(足がつるみたいに)。 それが腰痛だと思う。 腰痛の原因は、もっとほかにもあるけど。

仙骨 - Google 検索

lumbar support - Google 検索

地べたに座ると、ランバーサポート(lumbar support:腰椎のあたりを後ろから押すように支える機構)が使えない。

そうすると、仙骨とその周辺にあるインナーマッスルに負担が集中するんだよ。


あとAmyの猫背は矯正しないと、骨粗鬆症になって、圧迫骨折したら、背中の曲がったおばあさんになってしまうよ。

とにかく、猫背の強制、仙骨・腰椎の保護、膝の強化(膝の上にある、膝を守る筋肉を鍛えるには、長い階段を下るか、チャリに乗るか)、股関節への過大な負担の軽減(机と椅子を使う)を考える必要がある。


椅子については、考え中だ。

カウネットで、コクヨのスチールデスク(1~2万円)とオフィスチェア(2万円~)を買うのが、安全確実だと思う。 コクヨはちゃんと組み立ててくれるみたいだから。

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椅子はぶっ壊れるものだから、保証が3年のヤツとかを買うと、途中で壊れたら直してもらえると思う(たぶん壊れない)。 椅子は2万円以上のを買わないと、基本的な強度が得られないと思う。

コクヨは国内製造だと思うから、かなり信頼出来るよ。 多くのオフィス家具メーカーは、中国製造だから、品質に疑問がある。

オフィス椅子は、背もたれが付いていて、ランバーサポートが装備できるヤツがいいと思う。

自動車のシートでも、ランバーサポート付きのが大半だろうと思う。

BackJoyの具合を見て、いい椅子が必要なのか? それとも、BackJoyだけあれば、適度な値段の椅子でもよいのか、見極めたい。

それには実験が必要だ。

自然は不均衡を嫌う

つまり熱エネルギーは散逸していくでしょ?  例えば、熱いコーヒーを淹れても、冷めていくでしょ?  「エントロピーが増大する」というのは、「自然は不均衡を嫌う」という意味だよ。

例えば、コップの水に墨汁を1滴たらすでしょ?  墨汁は水の中に広がって、薄まっていくでしょ?  散逸していくでしょ?  これも「自然は不均衡を嫌う」という意味だよ。

キュウリやナスを塩もみにすると水が出るでしょ?  浸透膜とか浸透圧の問題。 これも「自然は不均衡を嫌う」という意味だよ。


宇宙では、循環運動がおこなわれているでしょ? 

太陽の周りを惑星が公転しているのも、惑星自身が自転しているのも、「自然は不均衡を嫌う」という意味だよ。

つまり循環運動というのは、不均衡を連続的・連鎖的に是正し続けるシステムなんだよ。

不均衡をなくすために、わざわざ循環させているわけだよ。

部屋の温度の不均衡を調整するには、サーキュレーター(循環器)を使うでしょ?  循環させると不均衡が是正されるんだね。

五右衛門風呂のお湯も、上は熱くて下は冷たいよね?  これもかき混ぜるわけよ。 そうすると、湯船のお湯の温度が均等になる。


地球が自転していなかったら、片面は灼熱地獄、もう片面は寒冷地獄になるわけよ。

地球が自転しているから、温まりすぎず、冷えすぎずになるわけよ。

地球の自転というのは、ケバブとか、バウムクーヘンを回転させながら焼くというのと、同じ考えだよ。

【発明】自宅にある物だけで「ケバブ」が焼けるマシーンを作ってみました - ぐるなび みんなのごはん

THE MAKING  (144)バウムクーヘンができるまで - YouTube


それでさぁ、安倍独裁政権とか、いつまで続けるんだよ? ということ。

長期独裁政権というのは、「自然は不均衡を嫌うがゆえに、循環させなければならない」という定理に反したことをやっているんだよ。

組織の老害というのも、結局、人事的な循環がないから、そういうことになるわけよ。

過去の自分を振り返る|「自分の立場・気持ち」と「相手の立場・気持ち」を両方とも観察して感じ切る

すべては波動だとしたら、反対の波動を合成すれば、中立に戻るはず。

実際、ノイズキャンセリング・イヤホン(ヘッドホン)がある。

あるいは、12色環で、180度反対の色どうしを等量ずつ足し合わせることにより、無彩色となる。


自分がその場面で感じた感情の「燃え残り」を感じ切るだけでなく、さらに進んで、相手がその場面で感じた感情と、もしあれば「燃え残り」を感じ切ることも同時におこなうことによって、自分と相手との双方において、「発生した感情を無害化すること」ができるのではないか? 

「自分が現実を映し出している責任者である」「現実が起こった責任は100%自分にある」ということを前提とする。

そうした場合、自分がなしたある言動の結果、相手方に及ぼした影響についても、自分が責任を負うべきではないかと考えられる。

これは「いたずらに罪悪感を感じるべし」といったような内容ではない。

例えば、交通事故を起こした場合、「自分の立場・感情」とともに、「相手の立場・感情」をも癒やす責任があるように思う。

その場・その場に残っているであろう過去の出来事のエネルギーは、結局、「散歩させた犬のクソを持ち帰らない飼い主」とか、「タバコのポイ捨て」みたいなことを、エネルギーのレベルでやってしまっているのだと思う。

「落ち武者の亡霊が徘徊する地域」など、過去の未処理のエネルギーが残っている場所が、あちこちに存在する。

私たちは生きて意識をもっている。 生きて意識があり、過去を振り返る余裕がある場合には、せめて自分の過去だけでも、「自分で汚した時空を掃除しておく」ことは、やっておかなければマズいような気がする。 宇宙への礼儀とか、宇宙人としてのマナーとして。


例えば、報復の連鎖というものがある。

報復の「発生源」がどこに(where)、あるいは、どのようで(how)あってにしても、報復の連鎖が発生している事実がある。

つまり、どちらが先に手を出したとか、そんなのは、ドウデモイイから、報復の連鎖が発生している事実をしっかりと認める必要があるだろう。

報復の連鎖が、相手とのキャッチボールである以上、そのキャッチボールを停止しない責任は、双方にある。

本当に「報復の連鎖を終わらせる」つもりがあるのなら、報復をやめて、「自分の立場・感情」とともに、「相手の立場・感情」をも癒やす段階に入ったほうがいい。

次元上昇は5年後だというから、退去するための大掃除の時期だし、「自分の立場・感情」とともに、「相手の立場・感情」をも癒やす作業をしっかりおこなわないと、次元上昇できないように思う。

みなもとは2つ同じ分け御霊(みたま)をつくらないと思う

学校とか、受験とか、スポーツ競技とか、会社など「闇の勢力がつくったシステム」は、比較の泥沼に私たちを引きずり込むためのトラップなんだね。

学校というのは、「他者と比較する心の癖」をつけさせるんだよ。

学校の成績、テストの得点が、まずソレだよな? 

あと、体育祭、球技大会、運動会、合唱コンクール、合奏コンクールなど、ぜんぶ「競争させている」という点に気づいてください。

これは何を意味しているのかというと、闇の勢力がつくった学校には「個々の魂の独自性を否定する作用」があるのだということ。

実際の学校は、「文科省 → 教育委員会 → 学校長」といったような、上意下達のシステムがしっかり組まれていて、現場の声を吸い上げるような雰囲気はないようだ。

また、大学では、教育学部が最も偏差値が低い(という大学もある)とか、中央省庁の中では、文科省が最も人気のない省庁であるとか、そういう事実がある。 日本では、教育の地位そのものが低い。

さらにいえば、先生になる人は、そこまで優秀ではないけれども真面目な人である。 そういう傾向が強い。

日本では、教育というものが「価値の低い、重要ではないもの」であると定義づけられている。

※ただし例外があって、数学教育だけは、日本では、ものすごく進んでいる。 これは『大学への数学|東京出版』「矢野健太郎」「寺田文行」「藤田宏」「安田亨」「西岡康夫」など、きわめて優秀な数学教師が、受験数学の世界を支えてきたから。 あと、灘高校、開成高校、巣鴨高校など、数学の優秀な教師を擁している私立中高一貫校のせいかもしれない。 とにかく、日本では、数学教育だけは、かなり成功している。

その結果、教育という分野には、優秀な人材が、あまり流入して来ない。 その傾向が根強くある。

ぶっちゃけ、教育関係には、ろくな人材がいないので、ちょっと優秀だと、ものすごく目立つ。 これは認めざるを得ない事実なんだよ。


私たちはみなもとの分身であるらしい。

そのことを「分け御霊(わけみたま)」という。

いわば、1枚の写真を、ジグソーパズルのように区画ごとに分離させたものが、私たち「分け御霊」の実態である。

さて、ジグソーパズルの1つ1つのピースが唯一無二であることは理解できると思う。

「一意の」という意味の「unique(ユニーク)」という言葉がある。

ユニークなファイル名を付けるためには、連番(sequential number)を振るのが最も簡単である。

この「1つ1つのピースが唯一無二であること」という場合の「唯一無二」は「unique」と同義である。

「同じものは1つとしてない」のがユニークということ。

ユニ(uni)というのは「単一」という意味で、フランス語では「un / une」で、英語では「a / an」である。 つまり不定冠詞というのは「単一を表すuni」からきている。 「un」「one」「an」というのは、みな同じ語源からきている。 そして英語の不定冠詞は「an」が本来の姿で、「a」というのは省略されたかたち。


それで、何がいいたいのかというと、比較するのは有害無益だということをいいたい。

「同じものは1つとしてない」のがユニークということであり、私たち1人1人は、みなもとをパズルのピースのように分割した「分け御霊」である。

それゆえ、私たちそのものである「分け御霊」どうしは、MECE(Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive)つまり「漏れなく・重複なく」という条件を満たすようにつくられていると考えられる。

つまり、それぞれが「ユニークつまり必ず異なっている」という性質をもつわけであるから、他者に自分の価値判断を押し付けてはならない。

そして比較してはならない。 比較は成り立たない。

さらに、1人として、ワンピースとして、欠けてはならない。 つまり「存在しなくてよい魂」など、1つとしてない。

それぞれの魂が「ユニークつまり必ず異なっている」のであるから、教育は個別にカスタマイズ、パーソナライズされているべきである。

ICT、IoTの時代であるから、それはじゅうぶんに可能である。

つまりアカウントにログインすれば、自分に合ったカリキュラムや教材が与えられている状態。 いいかえれば、学校のない状態は、現在すでに構築できる状態にある。

専従の教師は、「児童・生徒・学生」ばかりを相手にしているので、自分の限界を上げるための「新規のチャレンジ」をしないため、すぐに成長が停滞してしまうんだ。

専従の教師には、社会での経験がないため、これから社会へ出て行く生徒・学生のメンターになることができないんだよ。

つまり、私たちが教育を受ける相手というのは、専従の教師であってはならないということだ。

いいかえれば、社会のどこかで、何かにチャレンジし続けている「ON GOINGの大人」だけが、メンターとして、「児童・生徒・学生」を導くことができる。 私は、そんなふうに思っているよ。

「児童・生徒・学生」がメンターとつながる方法は、例えば、Discordでもいい。

Discord - Google 検索

何らかの通話、チャットのできるツールで、メンターと「児童・生徒・学生」がつながればいい。

学校は必要ないので解体する。

そして専従の教師は、全員クビ。 教師以外の自分の仕事を探してください。


学校ってのはさぁ、結局、「規則には従うおとなしい奴隷になれよ」「みんなの前でええかっこするために競争するのが社会だぜ」ってことを刷り込むための洗脳機関なんだよね。

オマイラ、乗せられるなよ、そういう大人のあおりに。

意味のない規則は無視していいし、競争のない新規分野を開拓して、巨大な支配構造をモロモロに崩すんだぜ、これからは。

例えば、セブン‐イレブンとか、Amazonとか、Googleとか、Appleとか、Microsoftとかは、完全に倒してもいい。 それは可能なんだよ。

セブン‐イレブンを使わないで、ファミマとローソンとセイコマを中心に、コンビニを育てていく。 セブン‐イレブンを徹底的にハブって弱体化させないと、セブン‐イレブンが、独占企業になっちまうぜ。

Amazonを倒すためには、ヨドバシをよく活用することだよ。 ヨドバシのサイトは、Amazonのサイトを徹底的にベンチマークして、改良したものになっている。 実際、Amazonよりヨドバシのほうが、配送が速いよ、この頃は。

Googleの倒し方は、Googleのエンジニアを、ぜんぶ引っこ抜きゃいいんだね。 つまりGoogleってのは実体がなくて、実際にはエンジニアがすべてを握っている。 したがって、Googleから人材を引っこ抜くことによって、Googleの勢いは、完全に失われる。

だって、Yahoo!だって、これだけ地位が低下したんだぜ。 昔はYahoo!といったら一流企業だったけど、このざまだ。 Googleだって、3年後があるかどうか、わからんぞ。

例えば、米国経済が崩壊して、Googleに従事していたアジア系、インド系のエンジニアが、例えば、「アジアのシリコンバレー」みたいなところに集住して、Googleを超えるようなものをつくる。 そういうことだって、3年ぐらいあれば可能なんだよ。

Appleはすでに危険だと思う。

特許紛争によって、Appleは5G対応が遅れており、かつ、クアルコムにロイヤルティ支払いをする必要がある。

AppleとQualcommが正式に和解。5G対応iPhoneに向けてひと安心? | ギズモード・ジャパン
クアルコム - Wikipedia

たぶん中国は国家ぐるみで、Appleを廃業に追い込むための長期戦略を実行してきたんだと思う。

そしてAppleに勝ち目はないと思う。 結局、生産拠点として、アメリカ企業がいいように利用してきた中国が自力をつけて、Appleをつぶしにかかっているのだということ。

ASCII.jp:中国IT大手「ファーウェイ」の正体、米国が最も潰したい企業
全文表示 | 「iPhone」失速、ファーウェイ「締め出し」 世界のスマホ勢力図「異状あり」 : J-CASTトレンド

さらにAppleは、ティム・クックの経営判断が悪く、iPhoneのブランドイメージが下がった。

iPhoneの大不評が始まったのは、iPhone 6 / 6 Plusの「曲がる」「腐食する」といったあたりから。

あれ以降は、腐食しないように、ガラスで覆ったり、プラスチックで覆ったりしているような感じなんでしょ(知らんけど)? 

とにかくiPhone 6 / 6 Plusの世代から「Androidの後追いをして画面を大型化させるダサいiPhone」というイメージになってしまった。

そうなると、iOSに執着する必要もなくなり、徐々にiPhone離れ、Apple離れが始まった。

さらに中国が、iPhoneを閉め出す勢いであるらしい。

iPhoneが一時的にでも閉め出されれば、iPhoneは中国市場をほぼ失ったことになると思う。

というのも、データ/

移行するのが面倒だから

またiPhoneは、中国市場から閉め出しを食らって 結局、Appleは中国によって、戦略的に廃業へと追い込まれているんだよ。

Apple 5G外し

アメリカがHuaweiのスマホを叩いているのは、

iPhone(iOS)がHuaweiのAndroid機に、完全に敗北したからなのだと思う。 つまり、現在の市場の傾向がこのまま推移すれば、iPhoneのシェアが激しく下がって、iOSそのものが、主要OSといしての地位を失う。 そこまで追い込まれている。

MacBookシリーズ(とりわけMacBook Pro)について、動画編集ソフトも使えないような貧弱なマシーンにしてしまった。 これもApple

Appleが生き残る道は、iPadだけなんだよ。 だからiPad OSという、iPad専用のOSを打ち出した。 すでに遅い(too lateだ)けどね。

Appleは「macOSにタッチ機能を採り入れる」ということを、2015年あたりに完了しておくべきだったんだよ。

洗脳機関ってのは、仕事が面白くないから、大した人材が集まらない。

ホント申し訳ないけど、私の経験では、先生とか、警官とかは、たいがいアレだったよ。

先生とか、警官とかは、公務員だろ?  法令や上司の命令通りに動いて違和感を感じない時点で、人間として大切なものが抜け落ちているのだと思うよ。

その人が標準以上の意識水準をもっていたら、そういう職場に疑問を感じて、早々に退職して、別の生き方をするはずなんだよ。

警察署はハラスメントの巣窟で、裏金もつくるし、ヤクザとも通じ合っているし、警察署そのものが犯罪者のアジトなんだね。

そういう犯罪集団に染まって、自分から抜けることのできない社会不適合者が警察官なんだよ、実際には。

犯罪者が犯罪者を取り締まるって、波長導通とか、引き寄せの法則からしたら当たり前なんだけれども、みなさんは洗脳されているので、警察は正義だと思っているでしょ? 

正義なわけないじゃん。 「太陽に吠えろ」とか、「大都会」とか、「西部警察」とかでは、取調室で殴る蹴るのやり放題で、違法な取り調べをしていただろ?  アレが警察の実際の姿に近いわけなんだよね。 実際にはトイレに行かせないとか、そういう陰湿なことをやるんだよ。

代用監獄制度と、日本の警察の闇については、ここでの本題ではないから、省略する。

代用監獄 - Google 検索

警察官とか、自衛官とかの自殺率の高さには、驚かされる。 結局、職場がハラスメントの温床なんだよね。

そして、警察官が上司を拳銃で撃つ事案が、チョコチョコ起こっているだろ?  結局、警察での「指導」というのはイジメ/ハラスメントなんだよ。

剣道の試合に名を借りて、女性記者を竹刀でボコボコにしたのだから、傷害罪だよ。 日大アメフト部のレイトタックル事案と似ているよな。

「捜査一課課長が剣道で女性記者をボコボコに!」に怒り | チラウラ

警視総監や幹部、さらに記者クラブ員など、200人ほどが観覧する一大行事。問題の“事件”は、第一機動捜査隊の上野洋明隊長(58)とTOKYO MXの女性記者(23)による剣道の一戦で起きた。

引用元: 美人記者の腕が赤々と腫れ上がり…警視庁「新捜査一課長」は“試合ですから” | デイリー新潮

柔道部でよくあるのが、試合に名を借りた「アイツ締めてやれ」というヤツ。 これで高校の柔道部で何人も死んだり、重大な障害が残ったりしている。


それだもんで、実際のところは、こういうふうだ。

「規則は闇の勢力が策定した、私たちを奴隷かする計画の一環」「規則には従う必要なし」
「ええかっこすることにとらわれると他人軸で生きることになる(それがトラップ)」
「闇の勢力の裏をかいて、さっさと次元上昇しよう(闇の勢力、アバヨ)」「次元上昇のためには自分軸で生き、自己との内的な対話を繰り返す必要がある」
「競争に巻き込まれるな(競争に勝っても、新たな覇者が登場するので、最後は敗北して無力感で終了となる)」「競争こそ他人軸の生き方」

みなもとは私たちの学びと成長を願っている

地球という学校が終わった後も、私たちが学びと成長を続けていく必要があることは、まったく変わりがない。

みなもとは、この宇宙を、学びと成長のためにつくったのだと思う。

「学びと成長のために、どうしたほうがいいか」という視点から、自分の言動を選択したほうがいいと思う。 もちろん、本心からそう思えないのだったら、そんな必要はさらさらないが。

学びと成長とは、「意識の拡大」=「センサーサイズを大きくする」ということだと思う。

それは結局、「置くことのできる視点の多さ」というふうに言い換えることができるだろう。

あの視点からも、この視点からも、観自在に見ることができるようにする。

そういう意味では、「自分の立場・感情」とともに、「相手の立場・感情」をも癒やす練習というのは、ヒーラーだけでなく、誰にとっても、学びと成長のプロセスで必要になってくることではないか? 

エンパスの人は、そういう練習を繰り返した結果、意識の拡大が進んでいる、いいかえれば、学びと成長の進んでいる人なのだと思う。

furbish|磨き上げる

「ジャッジする」ことを恐れない

これについて、気づいたことがあったのでメモしておく。

「手放す」というのも、どうにもウンコ臭くてやってらんない用語だと私は感じている。

「手放す」というのは、releaseの訳語だと思うけれども「対象に対する束縛、あるいは、対象から受ける束縛から、解放される(それらを解放する)」という意味である。

releaseというのは「束縛関係の解除」という意味であろう。


「ジャッジすることを手放す」というのは、私は現段階では、説明が不完全で、ある意味でウソだと思っている。

「ジャッジする」ことを恐れ、回避し、逃げ回るのは、正解から遠ざかるだけだと感づいてしまった。

「ジャッジメントの背景にある信念体系」という余計な要素を取り除くという発想そのものがダメダメなのではないか? 

いったん生じた信念体系は、みなもと以外に、消去できないのではないか? 

だから「引き算ではなく、足し算にするしかない」かもしれない。

自分のジャッジメントの癖をよく観察して、それとは真逆、つまり、180度反対のジャッジメントを足す(プラスする、加算する)ことによってのみ、自分独自の偏り(ウェイトバランスの不均衡による歳差運動〔ブレ〕)がキャンセルされるのかもしれない。

「ジャッジメント」を削除する(マイナスする、減算する)わけでは「ない」(かもしれない)ということが大事だと思った。

例えば、「Nikonのカメラしか好きではない」というのはジャッジメントそのものだと思う。

それで、ジャッジメントから解放されるためには、ジャッジメントを積み重ねて、ジャッジメントで全体をカバーしてしまえば、全方向にジャッジすることができるわけなんだよね。

どういうことかいうと、「Nikonのカメラしか好きではない」「Canonのカメラしか好きではない」「SONYのカメラしか好きではない」「Panasonicのカメラしか好きではない」「OLYMPUSのカメラしか好きではない」「FUJIFILMのカメラしか好きではない」「PENTAXのカメラしか好きではない」ということを、ぜんぶ経験するんだよ、たぶん。

あらゆるジャッジメントを経験すると、全方向からジャッジすることができるので、偏りがなくなる。

みなもとが私たちを使ってアカシックレコードに膨大なデータを集めさせている理由も、たぶんそこにある。

さらなる完全調和、1ミクロンの狂いもない中立性を実現するために、あらゆる「信念体系のデータ」を集めまくってきた。

乱数をぜんぶ集めてマージすると、「すべての数が集まるであろう」といったようなことだと思う。

あらゆるジャッジメントから自由である状態は、「真っ白」か「真っ黒」かだと思う。

つまり「純真無垢である状態」または「酸いも甘いもかみ分けた手練れである状態」において、あらゆるジャッジメントから自由になることができるのであろう。

私たちには過去世の記憶がたくさんあると思う。

それらを生かすとするならば、「酸いも甘いもかみ分けた手練れである状態」を目指すことになると思う。

みなもとに還っていくということを「純真無垢である状態」に戻るというふうにイメージしていると、真逆かもしれないよ。

「ジャッジすることを打ち消す」のではなく、「あらゆるジャッジメントに精通する」ということが、「ジャッジしない生き方」の指針になるかもしれない。


スピリチュアリズムがウソをついている部分があると思う。

それは、「ノージャッジメントを目指すプロセス」において、「どうしてもジャッジメントが発生する件」を覆い隠している点である。

ジャッジメントが、「いま自分が大事にしている信念体系に基づき、対象の善悪などを固定的に断定する精神作用」というふうに定義する。

この定義だとすると、「ウソをつかずに自分軸で生きる」ということをすると、必ずジャッジメントが発生するってわかりますか? 

「いま自分が大事にしている信念体系」に「忠実に」というのが「ウソをつかず」「ありのままを」といったようなことだろうと思う。

「いま自分が大事にしている信念体系」に「基づいて」というのが「自分軸で」といったようなことだろうと思う。

みなもとにならないかぎり、信念体系というのはなくならないと思う。

いいかえれば、「ノージャッジメントの状態」は、みなもとと完全に一致した時点で初めて達成される状態だろうと思う。


さて、私たちはみなもとと完全に一致してはいない。

みなもととともにあることは理解できるけれども、みなもととは、基本的には、分離した状態であるのが私たちの現状だ。

そうした段階では、「必ずジャッジメントが発生する」わけだよ。

そこで「ノージャッジメントの状態」を演技しちゃダメだと思うんだな。

「批判を恐れて、ジャッジしないでおく」というのは「ウソをつかず」「ありのままを」といったようなことに反すると思うんだよね。

「ジャッジしたのに黙っておく」というのは「ウソをつかず」「ありのままを」といったようなことに反すると思うんだよね。


このあたりに、大きな疑問があるんだよ。

現在のスピリチュアリズムの世界は、バシャールに代表されるニューエイジと呼ばれる、1つの流派の影響がものすごく強い。

でも宇宙は広いから、ニューエイジ系でないスピリチュアリズムもあるのだと思うんだわ。

それで、便宜的に「眠った状態」とか、「ジャッジする」とか、そういう定義のハッキリしない言い回しを使って説明するより、もっと客観的な「数式」や「図解」などを使って説明してほしいという感じが強くしている。


「ジャッジしちゃいけない」という罪悪感にさいなまれたり、そこで発生する精神の抑圧といったものが、「自分のありのままの状態」をジャッジした結果なんだよね。

だから結論は、「ジャッジしてもいいし、ジャッジしなくてもいい」「両方ともOK」ということだと思う。

だったら「ジャッジ」という言葉を使うのは、もうやめようよ。

「ジャッジ」というのは、必要のない言葉だと思う。

「ジャッジ」というのは、余計な観念だと思う。


例えば、「戦争を嫌い、平和を愛する」「無条件の愛や許しや感謝を是とする」というのも、ある種の信念体系に基づく決めつけだよね? 

ジャッジメントがどういう定義であり、どうしてジャッジメントがいけないのか? 

また「ジャッジメントはいけない」というジャッジメントをどう処理するか? 

そのあたりが、ユルユルで、突っ込みどころ満載なんだよ。

結局、私が現在思っているのは、「ジャッジメントという言葉を使い始めた人は、その悪影響を深く考えないで使い始めた」「言葉は有害な側面をもつから、さっさと、やるべきことを実践するのがよい」ということだと思う。

少なくとも、「ジャッジする」「ジャッジメント」という言葉を使うと、泥が沈殿して透明度が増している水を、ふたたび濁らせるような、不細工なことになってしまうということだけは確かだと思う。

「言葉は有害な側面をもつから、さっさと、やるべきことを実践するのがよい」というのが、「それな」だよね? 


浴槽に白いペンキが入っていて、自分がその中にドボンと浸かっているとする。

それで、身体をきれいにする必要がある。

このとき、「ペンキの手で水道のコックをひねるな」とかゆわれても、無理だろ? 

それは、ジャッジメントから離れるとき、必ずジャッジメントが必要になることを暗示しているんだよ。

結局、「周波数を下げるジャッジメント」「同じ周波数で、水平に活動を展開するだけのジャッジメント」「周波数を上げていく方向性(垂直方向)のジャッジメント」など、いろいろなジャッジメントがあるのだろうと思う。

現在という時にふさわしいのは、「周波数を上げていく方向性(垂直方向)のジャッジメント」を採用して、要領よく垂直に上がるようにしていけばいい。

そして、「上がるために使ったジャッジメント」は、後から処理すればいいんだよ。

はしごを使って昇り、はしごを処分しておく。 そんな感じかも。


自分にウソをつくことなく、自分の思いに基づいて、自分の思いに忠実に生きる。

その結果としての言動が「それはジャッジメントだ」というふうにジャッジされても、気にしなくてよい。

それが正解だと思うよ。

宇宙の法則に照らして考えると「固定するのはよくない」というのはあるよ

光と影(闇)は表裏である。

月影(つきかげ)というのは、月光ということだ。

星影(ほしかげ)というのは、またたく星の光ということだ。

光と影は表裏なんだわ。

同様にして、善悪は表裏なんだわ。

一方から見た善は、他方から見た悪であり、逆もまた同様(vice versa)だよね? 

ジャッジメントというのは、「善にも悪にも解釈できる内容を、善だ悪だと決めつけて固定すること」が本質なんだと思う。

つまり「価値判断の固定化」というのは、ラジオのダイヤルを例えばAM954kHzにボンドで固定するということ。 大沢悠里が好きだ。 伊集院光が好きだ。 だからTBSラジオしか聞かない。 ニッポン放送はクソだ。 垣花正はクソだ。 文化放送はクソだ。 野村邦丸はクソだ。 これが「価値判断の固定化」だと思う。

「固定」というのは、生々流転とか、「回転運動や循環」といった宇宙の本質からハズレている。

だから「ジャッジメントはいけない」ということなのだろうと思う。

しかし実際には、「不要となった低水準のジャッジメント」を処分するために、より高次のジャッジメントを使う。 それが実際のところであろう。

結局、垂直に上がっていくわけだから、周波数の低いジャッジメントを、周波数の高いジャッジメントで、否定・ジャッジすることを繰り返して、尺取り虫のように垂直に上がっていくんだよ、たぶん(知らんけど)。

だから「ジャッジメントはいけないこと」というのは、上昇活動を停滞させるから、ゆわないほうがいい。

忠実の原則

ものごとのあるがままを正確に見て、それを承認する。

現実がいかに悲惨で絶望的に見えたとしても、まずそれを忠実に観測して、現状把握を正確におこない、それを承認するということが大事。

「歪曲収差」「色収差」を最小化する。 あるがままを忠実に見取る。


「現状はそれとして受け容れて、フォーカスをそれ以外に移す」というのが、抜け出す道だと思う。

悪いことをしてしまった場合、自己保身の気持ちから、「現状を認めようとしない」「ウソの証言をする」といったところから、転落が始まる。

素直に現状を認める。 認めるだけでなく、承認する。

「言い訳をする」というのは、「現状把握においてウソをつく」ことと同義であり、忠実の原則に反するんだよね。


ウソをつかないことがスピリチュアルなパワーの維持に不可欠である理由は、たぶんウソをつくとパイプが屈曲して、エネルギーが通らなくなるんだよ。

パイプをまっすぐにすることが、忠実の法則に基づいた生き方なのだと思う。

すべての抵抗をゼロに近づける|ウソをつかない(忠実性の厳守)

次元上昇の入り口である「イベント」を無事に乗り切るためには、すべての抵抗をゼロに近づけることが大事だと思う。

「イベント」というのは、たぶんこの天の川銀河のセントラルサンから、強烈な無条件の愛のエネルギーが一気に放出されて、次元上昇を一気に進展させる「電磁気的なプロジェクト」のことである。

みなもとが「イベント」を発令し、たぶん「宇宙のセントラルサン」から「天の川銀河のセントラルサン」へと強烈な無条件の愛のエネルギーが一気に放出されて、それが太陽系・地球にも届くということだと思う。

宇宙は電磁気的であり、「イベント」も「電磁気的なプロジェクト」なので、私たちは電磁気的な準備を整える必要がある。

みなもとは、その準備が整うのを待っている状態だと思われる。

例えば、つらい体験から起こった感情を、その時期に感じ切らずにフタをして、感情の燃焼が途中で止まっているものが感情ブロック。 この感情ブロックが、パイプの詰まりとなってエネルギーの流れを阻害し、不具合を生むであろうことが予想できる。

・電子回路になぞらえれば、パイプの詰まりで抵抗値が異常に高くなっている部分が発熱して、回路がその部分で焼き切れてしまうということになる。

・血管になぞらえれば、パイプの詰まり(血栓)で抵抗が異常に大きくなっている部分で血圧が上がりすぎて瘤(こぶ:りゅう)ができ、その後、血管が破裂するであろうということになる。

・水道管とホースになぞらえれば、パイプの詰まり(ホースの屈曲)で抵抗が異常に大きくなっている部分で水圧が上がりすぎて、ホースがパンパンに太って、最後はホースが破れるか、蛇口とホースの接続部がはずれるなどするであろうということになる。

「イベント」にかんしては、いろいろな高次の存在たちが補助すると考えられるので、「私たちという回路が破綻する」ことはないであろう。 みなもとのことだから、「安全装置」が仕込んであるにちがいない。

しかし「イベント」を最大限に活用して、大きくジャンプするきっかけにする意味で、「イベント」の前に徹底的に大掃除をしておくに越したことはない。

・「電子回路でいう抵抗部分(感情ブロック)を正常化させておく」

・「血管でいう血栓の詰まった部分(感情ブロック)を正常化させておく(血栓の溶解作業+瘤ができていれば、バイパス手術をしておく)」

・「水道管とホースでいう『ホースが屈曲した部分(心が屈折してしまった部分)』を正常化させておく」

心が屈折してしまった部分というのは、私たちの身体を創造した宇宙存在たちが、DNAレベルで? 私たちに仕込んだ、罪悪感や無価値感・無力感なども含む。

また、いじける、アテンションを惹こうとして病気になったり自傷行為をするなど、いわゆるエゴに基づく「しょうもないこと」について、その原因の洗い出しと、対策を進める。

いじける、アテンションを惹こうとして病気になったり自傷行為をするなどは、「両親・祖父母などの外部から愛情が注がれることによって初めて、私は満たされる」という洗脳から始まっている。

結論を述べると、無条件の愛は自分の心臓あたりから無制限に得られるので、他から調達する必要はまったくない。

つまり「自分のハイヤーセルフを通じてみなもととつながっている」状態が続けば、いつも安心で穏やかな精神状態を保つことができる。

しかし日常に流されて、意識が自分のハイヤーセルフからそらされることが多いのが実際である。 これを是正すれば、心臓あたりから安心の甘い蜜が出てくるようになると思う。

だから両親・祖父母などの外部から愛情が注がれなくても、まったく寂しがる必要はない。 だから、パートナーは、いてもいいし、いなくてもいい。

両親・祖父母とて、人間であるから、エゴをもっている。

我が子、我が孫を独占し、支配したいといったようなエゴの感情を、両親・祖父母とて、人間であるから、もっているのだ。

自分が飼っているわんちゃんが、他人になついたら、悲しい気持ちになるだろ? 

「この愛しいわんちゃんは私だけのもの」というエゴを、誰でももっている。

もちろん、これは取り外す必要があるし、取り外せる。 結局、自分の心臓あたりから安心の甘い蜜が出るようになれば、外側は関係なくなる。

対象が、子供でも、両親・祖父母でも、きょうだいでも、異性・配偶者でも、友人・知人・取引先であっても、「私とだけ取引(transaction)していたのに、他に浮気するとは、許せない!」といった感情は、どこにでも生じる。

この取引という言葉は、トランザクション(transaction)の訳語だけれども、金融取引や商行為など以外でもおこなわれていること。

例えば、スピリチュアルな意味でのエネルギー交換などもトランザクションである。

日常生活における心の交流もトランザクションである。

「両親・祖父母などの外部から愛情が注がれることによって初めて、私は満たされる」という洗脳、刷り込みは、幼少期に「食べさせてもらう」「下の世話までしてもらう」といった「世話になる」という部分において発生する。

ここで「尊敬」のような感情が生まれ、それが「支配である件」に気づかぬまま年齢を重ねる。

この「支配である件」にふと気づくのが、人生で何度か起こる反抗期である。

反抗期は「精神が独立していく」「支配から解放されていく」といった成長プロセスである。

反抗期をしっかりと経験しておくことは、とても大事だと思う。

両親・祖父母と仲が良すぎるため、人間関係を壊したくないという思いから、真っ当に反抗期を通過しなかった人は、両親・祖父母から支配されたままだと思う。 客観的に見ると、「親離れ・子離れ」を経ていないのだと思う。

これは私の観念だけれども、人間は一時期において依存し合うものだけれども、成長するにつれて、「親離れ・子離れ」といったような「自主独立」への関門に至るように思う。 それが、いわゆる「巣立ち」「卒業」なのだと思う。

「巣立ち」「卒業」は、両親・祖父母との間にも、友人との間にも、異性・配偶者との間にも、あらゆる関係性について、起こりうる。

「両親・祖父母から支配されたまま」というのも、ホースが屈曲した部分(心が屈折してしまった部分)の一種だと私は思っている。

人間には、おのがじし生きる(てんでんこに生きる)性質があり、両親や祖父母からも、誰からも支配されたくない性質をもっている。

どうして、寂しくもなく、おのがじし生きることができるのか? 

自分の心臓あたりから安心の甘い蜜が出るようになれば、外側は関係なくなるけれども、私はそういう状態になることは、ほとんどない。

「たぶんこういうことだろう」というものに、物事を夢中でおこなっているとき、そのことが楽しみでありすぎて、外側は関係なくなる、という状態がある。 例えば、無我夢中で創作に取り組んでいる状態など。

ただし、この「自分が夢中になっていることを邪魔されるのが、ものすごくイヤだという感情」は強くなる。 そういう意味では、その部分において、ものすごく自己中心的である。

結局、「他者に迷惑をかけない自己中心性」こそ、「自分軸で生きる」ということなんだよ。

自己中は美徳である。 これは覚えておきたい、宇宙の真理である。

「自分軸で生きる」ことによって、ジオメトリーが整い、エネルギーのパイプの折れ曲がり・ねじれのない状態になるのだと思う。

つまり「他人軸で生きる」ことによって、ジオメトリーが狂い、エネルギーのパイプの折れ曲がり・ねじれが生まれて、自分の調子がおかしくなる。 例えば、「空気を読む」とか、「誰かに支配される」「誰かのいいなりになる」などが、「他人軸」で生きることの実例。 これをやっていると、自分ほんらいのエネルギーの流れにならない。

自己中は、わがままでいながらにして、分離していない。 それは「他人の自己中も、それをしっかりと見て感じて承認している」ので、他者の領域を侵犯することがないから。

「他者領域不侵犯の原則」を守るとは、「他者を最大限に尊重する」ということ。 「他者の権利・自由を最大限に認める」ということ。 そこを守っているかぎり、魂どうしのエゴに基づくぶつかり合いは起こらない。

他者に無理を強いない。 例えば、自分が寂しいからといって、長電話をダラダラしない。 「私はあなた」「あなたは私」だから、お互いが大事。 お互いに、慈しみ合い、愛おしみ合うが、しかし束縛、無理強いしない。

「荘子」の「山木篇」に「君子の交わりは淡さこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」とあり、我々の職場の付き合いや、日常での交友関係に参考となる格言を遺しています。
「物事をよくわきまえた人の交際は水のようだ」と述べた後に続いて「つまらぬ小人物の交際は、まるで甘酒のように甘く、ベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招きやすいものだ」と述べています。

引用元: 君子の交わりは淡きこと水のごとし | 創考喜楽 | 教育業界の常識にQuestionを投げかけるメディア

mixiとか、Facebookとか、Twitterとか、LINEとか、いろいろなSNSがあったけれども、そして、今でもある。 けれども、あらゆるSNSは「小人の交わりは甘きこと醴の如し」という「落とし穴」にはまって、最後は炎上とか、関係破綻に帰着することが、すでにわかったと思う。

つまり「自分のハイヤーセルフを通してみなもととつながる」という状態を、それぞれの魂が実現して、みなもと経由でつながることをしないと、人間関係は破綻するんだよ、いずれ。

「SNSだからいけない」というのではなく、「リアルな人間関係」でも、まったく同じ。

「自分のハイヤーセルフを通してみなもととつながる」という状態で他者とつながることが、今後は、人間関係維持の絶対要件に近いようなものだと思う。

結局、エゴが完全に消えない状態では、必ずエゴどうしがぶつかり合うからね。

恋人同士が最初だけ、ものすごく燃え上がるのは、「エゴを隠しているどうし」が「理想人を演じている」からでしょ?  「屁のひとつもこかないような顔して、かわいぶる」という演技をするから、最初だけ甘い関係なんだよ。

そのうち「理想人を演ずることに疲れてくる」ので、そうなってきたら、エゴとエゴとがぶつかり合って、ぶつかり合うのがイヤだから、牽制し合って、セックスレスとか、夫婦の会話がないとか、だんだん冷たい関係になって、いたたまれなくなって離婚だわな。 多くは「子供が大学を卒業するまで耐えよう」と思って、無理をして我慢して夫婦生活を続ける。 これがパターン。


たとえみなもととつながっていない状態であっても、どうして、サラッとした人間関係にしておくことができるの? 

(1)独りで存在しても、心臓のあたりから安心の甘い蜜が出るから、まったく安心な状態が続いて、寂しい・会いたいとか思わない(これはみなもととつながっている状態)。

(2)自分独りでおこなう、散歩とか、昼寝とか、勉強とか、創作とか、そういう「お楽しみのアレ」があるから、そちらが楽しみで仕方がないため、寂しい・会いたいとか思わない。

(3)他者も自分と同じく「お楽しみのアレ」がきっとあるだろうから、相手を長い時間、縛り付けておくようなことはしない。 相手の生活ペースということを、ものすごくよく考える。


私たちが自分軸に沿って生きている(自分を生きている)とき、完全ではないにしても、みなもととつながった状態になるのだと思う。

「自分を生きている人」は、たぶん「なすべき課題」「お楽しみのアレ」など「有益な時間の使い方をする予定」というものをお互いに抱えていることを了解し合っている。

その「有益な時間の使い方をする予定」というのは、人生の財産そのものだから、その領域、あるいは、聖域ともいえる部分を、お互いに侵犯し合わない。 それがあうんの呼吸でわかるんだよ。

「あうんの呼吸でわかる」というのは、周波数が近い似たものどうしであるということと、みなもとを介してつながり合っていることと、その両方が合わさっているのだと思う。

次元上昇は、「自分のハイヤーセルフとのつながりが完全に回復した状態」とされる。

そして自分のハイヤーセルフとのつながりを回復する第一歩が、「自分軸で生きる」=「内面からの声に耳を傾けながら生きる」ということ。

「空気を読む」というのは「外側に意識を向けて、外側の雰囲気を読む」ということで、それは「他人軸」だから、そちら方面は、今後はおこなわないほうがよい。

私たちそれぞれが「自分軸で生きる」ようになることは、分離しているのではなく、みなもとを通じて、1つにつながっている状態なのだ。

他者の生き方に干渉しないけれども、それをしっかりと見て感じて承認している。 そういう魂たちの相互のありようが、みなもとを通じて、1つにつながっている状態だと思う。

結局、自分のハイヤーセルフ経由でみなもとを介して他者とつながる以外に、正しいつながり方はないのだと思う。

私たちには、エゴが強く残っている。 エゴが強く残っている者どうしが、上記以外のつながり方でつながり合うと、何か不具合が起こると思う。

自分のやるべき課題がハッキリしている人ほど、人間関係にあっさりしている。

他者にかかずらわっているよりも、自分が夢中になっているアレの続きがやりたいんだよね、本音では。

精神の発達した魂ほど、早期から「支配・束縛を嫌い、独立と自由を志向する」ように精神が向かいやすい。

結局、自主独立を獲得したがるタイミングが早いのが、精神の発達した魂の特徴。

ADHDの多くは、誤診である。

つまり「子供、児童、生徒が、自分の思い通りにならないと不満に思っている側」が、ADHDというレッテルを貼りたいだけ。

実際には、「子供、児童、生徒」は全員、スターシードとか、なんちゃらチルドレンといった、精神の発達した魂なんだと思う。

したがって、地球の因習にドップリ浸かった大人たちのいうことなんか、きくわけがないんだよ。

「子供、児童、生徒」は、じつは私たちの手本となるために、私たちのメンターとなるために生まれてきているんだよ。

だから「子供、児童、生徒」から学び取る姿勢をもつことが、上昇していく早道なんだよね。


いずれにしても、「感情ブロックの発見と感じ切り作業」は「イベント」前の準備として、精力的におこなっていく必要があると思う。

「いろいろなスピリチュアリストの情報を総合して」ということは、避けたほうがいい。

次元上昇は「純度」「精度」の世界だから、「最も正確で、最も速い、最も自分の周波数に合ったメソッド」の1点だけに絞り込み、その1点だけに深掘りするのが得策だと思う。

結局、何人の異性と付き合ったところで、異性との付き合いは、つまりは自己との対話なのだから、結局は自分自身を承認し、自分自身を愛し、自分自身を許す、自分自身に感謝するというところに帰着する。

このメソッドだと決めたら深掘りする。 この人だと決めたら深掘りする。 1人の人と深く付き合う。 そんな感じが、自分には合っているような気がする。

「ナンチャラ神様がどうのこうの」という複雑なワークは、自分にはできない。

自分に合っているヤツをやればいいんだ。


とにかく「イベント」の前に、できるだけ感情ブロックを取り除いておくことが、「イベント」を大きく生かす方法だと思う、私は。

だから感情ブロックという詰まりを取り去る必要がある。

すべての抵抗をゼロに近づける。

映像的な忠実性

宇宙は電磁気的なところであり、光も電磁波の1つであり、光の取り扱いについては、映像的な忠実性ということを意識する必要があると思う。

像をゆがませることなく、色を偽ることなく、あるがままを写し取る。 つまり、心に曇りがないほど、入力された映像を、そのまま忠実に受け止めることができる。

像をゆがませることなく、色を偽ることなく、あるがままを映し出す。 つまり、心に曇りがないほど、心に描いた映像を、そのまま忠実にmanifest(具現化することが)できる。 「あなたが望む現実を具現化する」ことを「manifest the reality you want」という。 このことを「Law of Attraction」=「引き寄せの法則」といったりする。

ただし、この時期なので、具現化の方向性を「vertical ascension」にしておく必要があると私は思っている。

具現化には、大きく分けて、たぶん「水平方向で体験を増やすために使う」やり方と、「垂直方向に上昇するために使う」やり方があるのだと思う。

世の中の「スピリチュアル本」「スピリチュアルなウェブサイト」「スピリチュアルな動画」の大半が、「お金を引き寄せる」「恋人を引き寄せる」など、「水平方向で体験を増やすために使う」ように誘導している。 これらはみな、次元上昇に失敗するように仕掛けられたワナだと思って警戒したほうがいい。

次元上昇とは垂直に(vertically)上がっていくことである。

私たちに時間・体力・お金などのエネルギーが与えられている。

そうしたエネルギーをロケット燃料になぞらえて考える。

そのロケット燃料を「垂直上昇」に使えば上昇できたものを、「水平方向のくだらない具現化に使った」としたら、上昇するロケット燃料が残ってねぇってことになる。

つまり、この時期なので、「manifest the reality you want」「Law of Attraction」といったことは、ぜんぶ「次元上昇へ向けて」「意図する内容を垂直方向に保つ(vertical ascension)」という点が、大きなポイントになってくると思う。

次元上昇してしまえば、そこで理想的な恋人をマニフェストすることができる(マニフェステーション)。

いまこの段階で具現化するなら、次元上昇というものを中心に据えて、ぶらさないことが大事だと私は思うけどね。

もちろん、スピリチュアルな活動をするのにも、現状ではお金が必要だということはある。

でもそのお金は「次元上昇へ向けて」というお金だからね。


大事なことは、映像的な比喩でゆったら、「色眼鏡で見ない」ということだよな。

あと、「不都合な真実ほど、刮目・注視する」という勇気の部分がとても大事だと思うようになった。

結局、目をそらしたいと思って逃げているから余計に苦しいんだよ。

自分の弱い部分に切り込んで、真っ正面から「心のクソ(感情ブロック)」「思いグソ(クソな思い方の癖)」を取り除く作業に入ることが近道だと思うようになった。

真正面から立ち向かって、感じ切ることが大事だと思った。

雅子スチュワートさんによると90秒から70秒。

ダン・マッキーニさんによると30秒。

それぐらい感じ切れば、感情ブロックは消えるらしい。

パイプをまっすぐにすることが安全に効果的に「イベント」を通過する方法

「言い訳をするとカッコ悪いから言い訳をしない演技をする」こと自体がパイプを屈折させてるんだよ。

本心から受け容れることができるまで待ったほうがいい。

「言い訳をしない」というのは、外側は関係ない。

ホースの折れ曲がりやねじれを解消するために、いいかえれば、抵抗を生むことを防止するために、言い訳をしないだけ。

NDフィルターも偏光フィルターも付けないで、そのままの状態で写真・動画を撮影する。 「素のままを切り取る」。 この感じが「言い訳をしない」ということに似ているかもしれない。

言い訳とは、現状を是認しないということ。 「現状否認」「現状不承認」を言い訳とゆっている。

ただし、警察署での取り調べについては、警察が「思ったように自白させる」という「ウソをでっち上げる体制で取り組んでいるため、そういう場合には、絶対に自分軸をブラさないことが大事」だといえる。 そこは「頑固力を徹底的に発揮する部分」なんだね。

だけれども、「現状こうある」というのを「認めたくない」「見たくない」というのは、自分にウソをつくことじゃん?  これが自分軸から離れて、上昇からはずれる原因になるのだと思う。

ましてや「イベント」のときは、そういうエネルギーパイプの折れ曲がりが、どういう悪さをするかわからない。

とにかく、「ホース(エネルギーパイプ)の折れやねじれをまっすぐに直す」という作業が、かなり大事だと思うようになった。

「感情ブロックの燃焼完了作業」「外側を操作しようと思っておこなってきた、見せるための演技をすべてやめる」などのことが大事だと思う。

そしてウソをつかないこと。

自分の内心の思いと違うことは、やらない、ゆわない、思わない。

瞬間的には、「ああクソだ」と思っても、「そんなことを思ったらイカン」などというふうに、思い直すでしょ? 

それは抑圧になるから、やめたほうがいい。

「瞬間的に思ったこと」「第一印象」をもっと大事にして、アタマで考え直した「修正案」は捨て去ろう。

「そんなことを思ったらイカン」というふうな「思考の修正回路」を止めて、修正するのなら、「瞬間的に思ったこと」「第一印象」を発生させている根本的な奥の部分にしっかりと手を入れ、修正が必要なら修正しよう。

つまり「ハートから、こうであると思える段階まで、掘り下げて、考え方をつくり直す」ことが大事だと思う。

マインドだけで、機械的に言葉の置換をするような小細工をしても、思い癖は治らんわな。 「心底から」という部分に入る、大工事をしたほうがいい。 といっても、それは眠る直線とか、寝起きとか、ボーッとした状態でやれば、実行可能だと思う。

こうやって書いて整理することもまた、有効な「思考パターンの書き換え」になると思う。

書くというのは、自分から発する必要があるから、「すでに心中に内在する情報」なんだよね。

他者から発信された「音声言語」や「文字言語」による情報は、あくまでも「外部」だから、自分の中で発動させるのが難しい。

しかし翻案して書いてみたりすると、他者から発信された情報でも、比較的容易に内在化されると思う。 それは私の実感だ。

つまり書くことそのものが自分のための学習なのである。

とにかく、次元上昇にまつわるトレーニングは、「すでに心中に内在する情報」にしてしまうことが、とても大事だと思う。

逆にいうと、音声ガイダンスがないと続けられないような複雑な瞑想ワークは、「すでに心中に内在する情報」にしてしまうことが難しいため、その効力も限定的だと感じている。

バイオレット・フレームなど、シンプルで覚えやすい、しかもパワフルな方法がある場合には、複雑な瞑想ワークはオミットしてかまわないと私は思う。

とにかく、「すでに心中に内在する情報」にしてしまうこと。

実践しながら情報を血肉化させることが、かなりかなりかない重要じゃないかと。

そのためには、スピリチュアルなトレーニングを少数に絞り込むことが大事だろうと思う。

私は、「Neo Glimmerのアセンションコードの書き写し」「バイオレットフレーム」「昔の各時点の感情の感じ切り」で手一杯であり、あとのことはできない。

そして、新たな感情ブロックをつくらないために、自分にウソをつかない体制を強化している。

自分の本心に1ミクロンのズレもなく忠実に生きることを心がけている。 やりたくないことは、やらない。 ダメだと思ったら、素直に離れる。

ネガティブさというのは、あるがままを受け容れない抵抗を意味する

「陰キャだからネガティブ、陽キャだからポジティブ」ということじゃないんだよ。

「自分が陰キャなのに、陽キャぶる」など、実際のありのままを受け容れないで、抵抗し、否定することを、ネガティブというのよ。


陰キャなら陰キャで、そのままでいいじゃん。

陰キャには、陰キャにしかない価値がある。

「陰キャだけど何か文句ある?」ということだよ。

陽キャとか、イケイケの人たちというのは、見せることが生きがいで生きているんだよ。

そういう生き方があってもいい。

だけれども、陰キャが下で、陽キャが上ということもない。

例えば、アニメ職人とか、アニメ音楽家とかは、みんな陰キャだよ。

有名なアニメの名作の監督は、みんな陰キャ。

陰キャだからクリエイティブになれるんだよ。

陰キャというのは、内にこもるタイプ。 いいかえれば、エネルギーの展開が、自分の心の中に向かいやすいタイプ。 だから外側から見ると、陰キャなんだよ。

逆に陽キャというのは、意識が外側へ向かっていきやすいタイプ。 だから外側から見ると、陽キャなんだよ。

それぞれが違うから、「もともと自分が陰キャ」だったら、無理をして明るくふるまうことはない。

無理をして陽キャのグループに入れてもらおうとしないほうがいい。

周波数が違うし、回転の方向が逆なので、苦しいから。

要は、自分に正直に、自分のあるがままをそのまま承認して、他者と比較したりして、自分を責めたり、指弾したりしないことだよ。

「私は私の人生を生きる」だけなんだね。

陽キャの人たちは、容姿や能力などに自信があって、それらを比較して、優位に立って、世間に見せつけて、それによって満足感を得ようというグループなんだ。

そういう一生を送ろうと思って、すぐれた容姿や能力などを手に入れるかたちで転生しているんだよ、きっと。

彼らには彼らの人生計画がある。 それは放っておけばいい。

自分と比較する必要は毛頭ねぇってこったぁな。

マズいのは、比較して劣等感を感じて、自分を責めて、自分を否定するクセなんだよ。

「これでいいじゃん」なんだよね。

それから、この肉体のままでいるのは、次元上昇までだよ。

次元上昇後は、少しずつ、自分の好きな身体に変容できるようになるから、次元上昇を第一に考えて、イジイジする人生を味わう必要はないと思う。

イジイジしながらも、他者と比較して、「勝ってる」とか思って、一喜一憂する時期は、すでに平成時代で終わっていると思う。

比較の世界を抜け出さないと、比較の苦しみと恐怖はずっと続くよ。 「自分より有能な人」「自分より若くてピチピチした子」「自分より可愛い子」とかと比較している状態では、「もうBBAだから」「負けた」「オワコン」とかゆって、しぼんていくだけなんだよなぁ。

比較するなよ。

とにかく、次元上昇へ向けて、すべてを整えてゆく時期に入っていると思う。

無抵抗の原則

「言い訳をする」というのは、「現状把握においてウソをつく」ことと同義であり、無抵抗の原則にも反するんだよね。

私たちが上昇に失敗するとしたら、無抵抗の原則をしっかりと守らないからだと思う。

宇宙を信頼して、ゆだねきる、まかせきる。

それは、滝壺へ向かって、ダイブするような勇気が必要なのだと思う。

イジイジしていないで、「ええい、くそ、どうにでもなれ!」の精神が必ず必要になる。

 
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