この記事に書いてあることは仮説だから、そのまま信じないでね

この記事に書いてあることは仮説だから、そのまま信じないでね。

自分で「それな」と思ったときだけ採り入れてください。

ダン・マッキーニの遠隔セッションで浄化が起こりつつあります

私は1回目のセッションをライブで受けていません。 限定公開動画を通じて受けています。 それでも、浄化が起こりました。

現在でも、2回目のセッション7/20(これもZOOMというウェブ映像チャットツールでおこなわれます=インターネット環境のある自宅で受けることができます)の前ですから、申し込むことができるかもしれません。

Divine Angel Place - 魂を取り戻すグループセッション

・激しい筋肉痛と筋肉がつる現象。
・激しい下痢。2019-07-13の深夜から明け方までずっと腹痛で、3度ほど、水のような便が出ました。そしてお腹がものすごく痛かったです。今は治っています。
・風邪のように身体全体が痛い。

結局、以上は感情ブロックがリリースされて、身体の痛みになったものらしいです。

ダン・マッキーニ自身も、初期は激しい様々な肉体的痛みを通じて、リリースを経験したそうです。

そうして、痛みを真正面から受け止めて、感じ切る(feel fully)ことによって、リリースのプロセスは加速され、後になるほど、ラクになっていくといいます。

それだもんで、座ってPCを打つこともやりにくい状況です。

次元上昇のプロセスを加速するための、本物のセッションだと感じました。

この「肉体的な浄化」というのは、どうしても経験しなければならぬものです。 早く経験して、後でラクになったほうがいいと私は感じました。

「耳元でささやかれたこと」「ふと思いついたこと」

hontoにポイントがあるので、以下の本をポイントで買ってみた。 書き手が小難しく書きすぎのため、難しくて理解できない。 また機序以外の余計な情報が多く、ノイズとシグナルを見分ける作業だけで疲れる。 しかし「最新の情報ではない」「成長途上の宇宙存在の臭いがする」という感じを得ている。 つまり、以下の本について、鵜呑みにするのは危険かもしれない、という思いを抱いている。 この期に及んでは、必要のない本だと思う。

宇宙には対称性を保持する力が常に働いている|結果として「宇宙は、偏りを解消して、均等化したがる」

見たことも聞いたこともない対象を理解するとき、対称性だけを頼りに予想を立てて見ていくと、「当たり」であるケースが多いように思う。

「やじろべえの左右が均衡する」「貸借対照表の借方・貸方がバランスする」といった、対称性、左右/上下の釣り合いなどを意識する。


例えば、お風呂の浴槽に入れたお湯が冷めていく(熱の拡散)。

例えば、コップの真水にインクをたらすと拡散する。

宇宙の自然な状態においては、「貧富の格差」「情報格差」は、解消される方向にある。

結局、「富を独占するシステム」「情報を隠蔽し独占するシステム」は、これからのオープンな時代には通用しなくなる。

「偏りを解消して、均等化したがる性質」を具現化する方法の1つとして「循環」がある

例えば、血液の循環が生命を支えている。

例えば、心臓の中心にあるトーラスフィールドのエネルギーセンターから、エネルギーの循環が起こって、私たちの生命活動を支えている。

天体が自転・公転したり、銀河がそのセントラルサンを中心として大周期で回転したりするのも、循環である。


「富が一部に集中している状態」は、血液の循環において、うっ血に相当するものであり、これは病(やまい)に通じる。

例えば、ローマカトリック教会が免罪符を販売した。 ローマカトリック教会が、神と衆生(しゅじょう)とをなかだちする要素として介在する状態は、このうっ血に相当するものであり、これは病(やまい)に通じる。

多くのスピリチュアリストが、チャネリングをすることで、「神と衆生(しゅじょう)とをなかだちする要素として介在する状態」を無意識のうちに目指している。 これは、うっ血に相当するものであり、これは病(やまい)に通じる。

チャネリングは、安易にやらないほうがいい。 というのも、チャネリングする先の存在によって、コントロールされるだけに終わるのがオチだからである。

チャネリングの先が、いかに「高い魂」だと主張していても、ウソであることが9割だと思う。

そして、残り1割の「本物の高い魂」だとしても、みなもとから見れば低いと判断することができる。

結局、自分の自分のハイヤーセルフを通じてみなもとをチャネリングできるようになればいいだけ。 ただそれだけ。 それが自分軸だと私は考えている。

生活を自分軸に切り替える

外側に振り回される生活(他人軸の生活)から、自分軸へと切り替えることによって、「自分の本心を大切にすること」を学習する。

自己との対話を確立しながら、自分の本当の姿を承認する経験を積んでいく。

感情ブロックの解消において、「感じ切る」という手法がとられる。

この「感じ切る」というやり方そのものが、自己を承認していくプロセスである。

感じ切ることによって感情ブロックを取り除くことが自己承認のプロセスである

感情ブロックとは、体験すべき感情を最後まで感じ切らずに、途中で怖くなったり、イヤになったりして、「感じるプロセスを中止した」ことから発生している。

「体験すべき感情」というのは、生まれる前に、自分と自分のハイヤーセルフとの間で予定を組んでいた内容である。 そういう「自分が組んだ予定」を否定することは、自己不承認である。

「体験すべき感情」には、その目的がある。 悲しみを体験して愛を知るとか、怒りを体験して許しを知るとか、魂の成長・意識の拡大にまつわる「インストラクティブな要素」が、「体験すべき感情」の中に含まれているのである。 それを否定することは、転生した意義そのものを否定することになる。

自分の過去世と今世においておこなってきた「無意味な契約」の解消は必要である。

しかし魂の成長・意識の拡大にまつわる「インストラクティブな要素」が含まれている「体験すべき感情」を経験する予定は、解消できる「無意味な契約」の外側にある。 そういった「人生の青写真」を変更しようにも、とくに重要なものは、divine intervention(聖なる介入≒みなもとの介入?)によって、解除不能にされているようだ。

結局、魂の成長・意識の拡大にまつわる重要な体験は、この人生において、逃げられないようになっているので、しっかりと真正面から受け止め、そこで発生する感情をじっくりと味わうことが、この世を卒業する早道であるようだ。


自己不承認は、「あるがまま」に対して「あらがった」ということになる。

それは電気における抵抗であり、パイプでい詰まりであり、血液循環でいううっ血である。

宇宙における病(やまい)は、すべてこの「抵抗」「詰まり」「うっ血」といった「あらがいの要素」から起こっている。 力学の「摩擦抵抗」などの「抵抗」も、この「あらがいの要素」なのである。

心の屈折により、エネルギーの通り道(パイプ)に折れ曲がり・ねじれなどができている場合にも、それらが「あらがいの要素」となる。

「言い訳をしない」というのは、かっこよくするために演技でおこなうのではない。

「言い訳をしない」というのは、「あらがいの要素」を発生させないという、テクニカルな措置にすぎない。

「言い訳をしない」というのは、「あらがいの要素」をできるだけゼロに近づけるようなかたちで「あるがままを受け容れる(承認する)」ということである。

「あらがいの要素の最小化」とは「サクッとあるがままを受け容れる/承認する」ということである。

あらゆる精神の病は、自分自身を不承認にしていることから始まっている。 自分を取り巻く環境についても、実際には、自分が転生する前に決めてきたことに基づき、しかも自分の現在の周波数に基づき、投影されている「現実(リアリティ)」であり、この現実の投影における全責任は、自分自身にある。

ぜんぶ「自分が仕込んだ結果としての現実(リアリティ)」であるのに、他者に責任転嫁をするというのは、「あらがい」でしかなく、完全に筋違いの反応である。

例えば、自分が暴行を受けて大けがをした場合でも、その現実をつくり出したのは自分である。 そして、その現実をつくり出した「深い原因」=「生まれる前からの計画」=「人生の青写真」も自分で描いたうえで、転生してきているのだ。

したがって、「あらがい」というのは、転生する前に定めたはずの覚悟が揺らいだということにすぎない。

「あらがい」を助けるのが「マインド」であり、それゆえにスピリチュアリストたちは「マインド」を悪者としてジャッジしていることが多い。

水平方向に体験を増やす狙いがあるのであれば、「あらがい」はプラスに働く。

「水平方向に体験を増やす」というのは、たくさんの経験をすることで、アカシックラコードの内容を充実させる段階である。 しかし現在は、みなもとが「もうたくさんだ」「もうやめてくれ」といった、私たち分け御霊たちからのメッセージを聞き届けた後の時間帯である。

つまり現在は、垂直方向に次元上昇する時期である。 それは「この世での体験をやたらに増やす段階」ではなく、「この世を手じまいをする段階」に至っているということである。

結局、私たちは、この現在というタイミングにおいては、「あらがい」を停止させる「撤収モード」に入る必要があるわけである。

「撤収モード」を是とする場合には、「あらがい」を停止するのが筋である。

「あらがい」を停止することが急務である理由は理解できたことと思う。

「あらがい」を停止するとは、精神において「ゼロ抵抗」を具現化するということ。

精神において「ゼロ抵抗」を具現化するということが、「感じ切る」ことによって感情ブロックをなくしていくプロセスになる。

この作業は、2段階になる。

「感じ切ることによって感情ブロックをなくしていくプロセス」をおこなうのには、恐怖が伴うことがある。 この「やる前の恐怖」を克服して、「感じ切ることによって感情ブロックをなくしていくプロセス」を開始しようと意図することが第1段階になる。 これは「全財産を失ったから、頑張るしかないのだと決意した状態」に似ている。

私は筋肉痛、下痢、風邪のような全身の痛みを経験した。 こういう「浄化」が起こることについて、恐怖心を抱いてはいけない。 注射を受けるときのように、覚悟を決めて、身を委ねるのが一番である。

第2段階は、「感じ切ることによって感情ブロックをなくしていくプロセス」の実践段階である。 具体的には、筋肉痛、下痢、風邪のような全身の痛みを、できるだけ真正面から感じ切ることである。 また悲しみなのか、よろこびなのか、よくわからないけれども、涙がものすごくこぼれるようになった。 この涙についても、押しとどめることなく、しっかりと感じ切り、出し切ることが大事だろうと思う。

結局、「やる前のあらがい要素をなくす」プラス「あらがい要素の本体をなくす作業において、あらがわない、逃げない」ということだと思う。

つまり、真正面から素直に真面目に取り組むことが、最短距離を進むことになるようだ。


結局、自己承認とは、自分や周囲の環境をあるがままに受け容れ、それどころか、それらに対して感謝することを以て完了する。

つらい人生があるとしても、結局、自己承認を完了することによって、そのつらい人生は投影されなくなる。

人生は何のためにあるのかというと、「ゼロ抵抗」の領域を増やすためである。

「あらがいの要素」の発生領域を最小化するトレーニングのために、私たちは転生した。

いいかえれば、「オールオーケー」「何でも受け容れる」という状態へと、私たちが成長するために、この転生があったのだ。

闇の勢力がマスコミを重視するのは集合意識のマニフェステーション能力を利用するためである

かつては、「東海地震が起こる・起こる」とマスコミが騒ぎ立てていた。 しかし現在でも、起こっていない。

現在は、マスコミが「南海トラフ地震が起こる・起こる」というふうにうるさい。

これについて、闇の勢力が何をしているのか? 

マスコミが、そういう情報を流すと、私たちの集合意識が「南海トラフ地震が起こる・起こる」というふうにアファメーションをする結果になってしまう。

アファメーションをするので、そのような現実が投影される、つまり「南海トラフ地震が起こる」という現実が投影されることになる。

闇の勢力が狙っているのは、ソレである。

NHKも闇の勢力によって支配されており、「南海トラフ地震が起こる・起こる」というふうにうるさい。

マスコミは私たちにイメージを与える。 このイメージを、私たち1人1人が脳裏に思い描くことがアファメーションと同等の効力を生み、そういうイメージがマニフェスト(顕現化・具現化)されてしまうのである。

マスコミに接するのは、気象情報・災害情報など、必要な情報を取得する場合だけにしておくことである。

「NOT A BUT B|AではなくB」という説明にかんして、その十分性をよくよく検討する|鵜呑みにするな

「外側に意識を向けるのではなく、内側に意識をしっかりと向ける」というのは混乱を呼ぶインストラクション(指示)である

「NOT A BUT B|AではなくB」という構文を安易に使うと、情報の受け手に「意図しない情報」が伝わってしまうので、よくよく注意する必要がある。

インストラクション(指示)として適切なのは、こうであると私は思う。 ご判断は、皆さんにお任せいたします。

内側だけでなく、外側(現実)にも意識をしっかり向けて、外側(現実)を「内側の自分をモニタリングする映し鏡」として十二分に活用する。

つまり、ただ単に「内面を見つめる」といっても、漠然としている。

実際には、外側(現実)で不快な出来事があったりして、外側(現実)から「あなたの内側はこういう周波数ですよ」というヒントが与えられることが多い。

実際には、外側(現実)にもしっかりと意識を向けて、外側(現実)を注意深く観察し続ける集中力が要求されているのである。

自己観察とは、外側(現実)を注意深くモニタリングすることであると考えてかまわないと思う。

ただしこのとき「外側(現実)に没入して、外側(現実)に巻き込まれる」ことをしっかりと防止する必要がある。

総合的に見て、「外側に意識を向けるのではなく、内側に意識をしっかりと向ける」というのは混乱を呼ぶインストラクション(指示)である。

マインドではなくハート(スピリット)

「頭脳=思考=理性=マインド」を細かい条件設定なしに全面否定するスピリチュアリストの説明は、その十分性をよくよく検討する|鵜呑みにするな。

自分にそのような感情(周波数)があるから、それをまざまざと見せつけるために、その感情の顕現化(マニフェステーション)として、特定の現実が起こる。 この現実発生の責任は、全面的に自分にあるので、他者を非難することは、逃げである。 この「他者を非難して逃げる」という部分で「頭脳=思考=理性=マインド」が使われる。

無条件・無防備な状態で、「頭脳=思考=理性=マインド」を問題視することは、人間のこころのしくみについての大きな誤解を生み、その大きな誤解ゆえに、間違ったメソッドを選択することに通じるので、たいへん危険である。

みなもとは「必要のないものを用意すること」はぜったいにしない。 宇宙の要素には、与えられた使命・機能が必ずある。 1つとしてムダなもの、余計なものはない。

したがって、「ある要素を排除する」というメソッドについては、その十分性をよくよく検討する|鵜呑みにするな。

 
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