「心地よい」=「自分の周波数」に合っている

「心地よい」=「自分の周波数」に合っている。

「心地よい」=「自分ほんらいのものである」。

「不快である」=「自分の周波数」に合っていない。

「不快である」=「自分ほんらいのものではない」。

幻想からの解放―ある異邦人の手記(覚醒ブックス)|富平 正文|ナチュラルスピリット|9784864511490|4864511497

この本には、私が「統合」するときのヒントになる考え方がちりばめられており、私にとっては、エックハルト・トールやアジャシャンティよりも、心に刺さる、腑に落ちる内容です。

エックハルト・トールとアジャシャンティの和訳された本は、現在の自分には向かないと思い、処分しました。

こういう本は、何冊も必要ありません。 自分の性格に合った1冊を見つけたら、それを熟読玩味したほうがいいです。

ラジオのメモリに記憶されたプリセット周波数をデリートする過程

「誰々さがんが、ああした、こうしたから、私が怒ったのだ」 「誰々さがんが、私を怒らせた。それは、こういう経緯・理由からだ。尤もでしょ?」 という考え方では、永遠に抜け出せません。 何回転生しても無駄骨です。

「怒った」ときに自分が何ヘルツの周波数で振動していたのか。

その周波数を知るための「単なるエピソード」として、リアリティが存在するだけなのです。

自分が何ヘルツで振動していたのかを知るためだけに、その「エピソード」と「そのリアクションとしての感情エネルギー」を感じたのです。

その何ヘルツは、旧来の地球の周波数であり、その周波数に執着しているかぎりは、新しい地球にエントリーできません。

いまこの瞬間に、「その周波数」と「周波数を見ている私」との紐付けを切断して、「エピソード」を「自在状態」≒「中立状態」にすることです。

それが「統合」なのだと思います。

「その周波数」と「周波数を見ている私」との紐付け解消が「統合」だと思います。

フォーカスする対象が「エピソードの細目」という状態では、けっして抜け出せません。

その「エピソード」が自分にとって好ましくないとしたら、その「エピソード」は、自分の周波数が発生させた「ウォーニング(警告)映像」=「警鐘を鳴らす映像」でしかないのです。 「ウォーニング(警告)映像」というのは、ウォーニングランプ(警告灯)です。

ウォーニングランプ(警告灯)は、自動車やバイクで「燃料が底を突きそうだ」などの「異常事態を教える電球」のことです。

ウォーニングランプは、「異常が発生している」「危機が迫っている」ということを知らせるだけの役目なのですから、ウォーニングランプに食って掛かってもダメですし、それはアホです。

ウォーニングランプ、つまり「ウォーニング(警告)映像」が警告しているのは、「あなたのマインドが発している周波数に異常があります」ということでしかありません。

このとき、ウォーニングランプに対して腹を立てたり、文句をいったりするのは、お門違いというものです。

「ウォーニング(警告)映像」を映し出してるのは、オメエだよ、オメエ。

自分で映し出しておいて、なぜ「ウォーニング(警告)映像」の内容に巻き込まれて、またそれに腹を立ててるのか?  バカかよ? 

もう世の中の森羅万象に右往左往させられる必要はない。

自分の周波数が異常だから、この世の中が異常なだけなのだから。

結局、自分の「統合」を進めるしか、世の中を変える方法は存在しないのだ。

国会も県議会も市区町村議会も、いわば無駄である。 みんなが「統合」を進めないから、世の中の諸問題が発生しているのだから、話し合うより、テメエらで「統合」しろって話だ。

ああ、すべてが無駄だった。 大きな勘違いをしていた。


他者を非難する人は、自分自身をも非難しているので、自分自身が傷つくだけである。

リアリティというのは、自分の周波数を投影した「自分の鏡」であるから、リアリティに対する非難・否定・愚痴などは、すべて自分自身に対しての非難・否定・愚痴になるだけである。

自分を護るために非難・否定・愚痴といった「外部へ向けての攻撃」をするのが人間の常である。

しかし「外部」は幻影であり、すべて「内部」の出来事にすぎないのだった。 つまり自分を護るために非難・否定・愚痴といった「外部へ向けての攻撃」は、独り相撲であり、いいかえれば、自傷行為にすぎない。

このカラクリさえわかれば、あとは問題が解けそうだ。

結局、自分自身をちゃんとしていくしかない。 他者の言動は、自分の周波数の反映でしかない。

他者の言動を変化させたい場合には、自分の周波数を上げて、よりマシな並行現実を選び取るしかない。

自分の周波数がシフトしなければ、相手は変わらない。

自分の周波数をそのままにしておいて、その投影であるリアリティに手を加えて操作しようとするから、さらに問題が複雑になり、問題が解決できないだけなのだ。

つまりリアリティは「ああそうなのね、と思って、放っておく」しかない。

要は「統合」して周波数を上げれば、周囲の「映像世界」は、自分の周波数に見合ったものになる。

すべては振動し続けている幻影なのだから、振動数=周波数を上げるしか、「映像世界」を変化させるすべはない。

地球のアセンションに合わせて私たちの周波数も上げていかないと自然災害がひどくなる|最終的にはポールシフトまである

チヒロ☆なう2019(3)

チヒロ☆なう(11)2018

地球の浄化の一環として、自然災害がけっこうひどくなるようです。 悪くすると、ポールシフトと、それによる大陸の浮沈があるようです。 それは私たちの「統合」の進捗状況によるのだとか。

いずれにしても、定住型の安泰な生活というのは、難しそうな感じがします。

結局、災害に応じて移動を伴うような生活になる可能性もある。

ですので、「家を立派にする」などの「物質的な豊かさ」を追い求めても、むなしく終わるのではないかという感じを私個人は得ています。

つまりは、「常に旅行に行くような体制で生活する」という感じになるような気が、私自身はしております。

断捨離をして、ノマド的生活に慣れていくしかないでしょう。

いよいよ始まるノマド生活!メルボルン🇦🇺空港、フライト、現地の宿!〔#757〕 - YouTube
この家で最後の動画 (涙) 引っ越し終わった〜! - YouTube
動画撮ってる場合じゃないけど… ノマド生活に向けて準備!〔#754〕 - YouTube
断捨離は英語で?海外で話題の「こんまり」で英語レッスン!〔#753〕 - YouTube
あと10日間で海外移住!断捨離、引っ越し、ドタバタ準備!〔#752〕 - YouTube
2019年の目標を発表しちゃいます!My 2019 Goals!〔#742〕 - YouTube

あくまでも個人の現在の感想です。


チヒロ☆なう11 2018 - YouTube

先に気づいた人は、「その後に気づく人を増やすための情報伝達/情報拡散」だけはして、とにかく自分の「統合」を進めるしかない。

統合|methods of integration (meditation) · ゆきんこの勉強法 | 自修人

大規模な自然災害には「地球が周波数を上げるために地球自身を浄化する」という意味合いと、「『日常』に溺れて眠ったままの地球人に刺激を与えることで、覚醒することを促す」という意味合いがあるらしい。

もう2月も後半だ。

ゲートが閉じて「次元上昇するグループ」と「次元上昇しないグループ」が分離するまでに、実質、2019年の1年間しかないらしい。

2020年の春頃にはゲートが閉じ始めて、オリンピックが始まる頃にはゲートが完全に閉じるので、それ以降に気づいても、今回の周期では、次元上昇しないことになる。

地球の周波数上昇についていける人だけが残り、そうでない人は淘汰されるといった感じになるらしい。

しかし「周波数の上昇を選択する」のも「周波数の上昇を選択しない」のも、「自分の選択」である。

ゆきんこの私見|間違っているかもしれない「仮説」だと思ってください

バリコンによって同調する周波数を変える

私たちのマインドはチューナーのバリアブル・コンデンサー(バリコン)のような状態になっています。 チューナーのバリコンとは、アナログ・ラジオの同調ダイヤル(と歯車等でつながっている可変コンデンサー)のことです。 同調ダイヤルを回すと、共振する周波数が変更され、受信できる電波(放送局)を選び取ることができるのです。 ですので、チューナーで放送局を選ぶことを「選局」といいます。 バリコンの値(静電容量)を954kHzと共振する位置に変えると「954kHzのTBSラジオ」が入ります。 これが選局です。 「1134kHzの文化放送」「1242kHzのニッポン放送」なども同様です。 「バリコンによる静電容量の変化によって、共振する周波数が変更され、受信できる対象が選べる」というところが、ラジオ/通信機の仕組みの核心部分です。 私たちのリアリティも、電波の受信に似ているようです。 RPGで「選択肢ごとのノード」をもつものがあります。 RPGをプレイするゲーマーが、どの選択肢を選んだかによって、ゲームの結末が変わる(ドラマのプロットが変わる)わけです。 私たちの現実も、じつは「いくつもの選択可能な並行現実」から「私たちの周波数に合わせた現実」が選び取られて現出されているだけなのです。 つまり私たちの周波数が「いくつもの選択可能な並行現実」から「特定の現実」を選び取っている。 これが「私たちが体験している現実」なのです。 「私たちの周波数」が、バリコンの静電容量ですね。 私たちのマインドはバリコンであり、このバリコンを高い周波数にチューニングする。 その具体的な方法が「統合」といわれるトレーニングなのです。

周波数が高いとリアリティをコントロールしやすくなるらしい

どうやら、高い周波数からつくり出されたリアリティでは、リアリティの可塑性が高まるらしい。 「統合」=「ブロック解除」を日常的に繰り返していくことで、私たちの周波数が上がる。 そうなると、ビジュアライゼーション(映像化)をおこなったリアリティが、ダイレクトに映し出されるらしい。 映し出されるというのは、私たちが体験しているリアリティは、じつは仮想現実だから。

みんな夢の中 高田恭子 - YouTube

つまり、私たちが高い周波数をもっていると、共振する現実が「自分でビジュアライゼーション(映像化)をおこなった通りになりやすい」ということのようです。 子供の頃に、「お湯で柔らかくなる樹脂製の粘土」で遊んだと思います。 「熱エネルギーが高まると、個体が液体になり、液体が気体になり」といったように、形状をこしらえる自由度が増してゆく。 これが「可塑性の高まった状態」です。

「周波数の高い闇の勢力」が存在する|周波数が高いからといって「光」とはかぎらない

「高い周波数をもっている」ということと、光と闇ということは関係がないらしい。 要は「周波数が高くても闇属性の存在がいる」という点に注意が必要。

現に、プラズマトップレット爆弾が仕掛けられていた、地球を取り巻く領域は、私たちの次元からは感知できません。 つまり私たちから見て高次元の領域にプラズマトップレット爆弾が仕掛けられていた。 ということは、その高次元の領域で、闇の勢力が暗躍していたということです。

闇の勢力は、1つには、周波数が高くて現象化能力が高かったからこそ、この地球市民を支配するだけのリアリティを展開することができたわけです。

「覚醒した」と勘違いして、「闇の勢力がつくるウソの悟りの世界」につながってしまう。 そういうトラップがあるようです。 いわゆる「引っかけ問題」のようなもので、これにハマって「悟った」と勘違いしている人もいるらしいです。

光と闇は符号が逆なだけ?

それで、これは私見であり、推測なのですけれども、「光と闇は、貸借対照表のように、借方・貸方が常に等量であり、常にバランスしている(かも)」ということです。

「光が発生すれば、闇もそれと等量だけ発生する」

「闇が発生すれば、光もそれと等量だけ発生する」

ここでは、「$y=A\sin x$」と「$y=-A\sin x$」との関係のように横軸($x$軸)を挟んで、グラフが上下が線対称になっている感じのことを述べたいわけです。

三角関数のグラフ | 数学II | フリー教材開発コミュニティ FTEXT

したがって、「元に還る(かえる)」ためには、「$y=A\sin x$」と「$y=-A\sin x$」とを「統合」する。 XLR端子〔キャノン端子〕などの平衡接続でおこなわれているノイズキャンセリングは、そういうふうです。 またヘッドホン/イヤホンにおけるノイズキャンセリングの概略も、符号を逆にしたグラフ(例:「$y=A\sin x$」と「$y=-A\sin x$」との関係)の信号を人工的につくり出すのでしょう。

「光と闇は、符号を逆にしたグラフにすぎないので、善悪とは直接関係ない」という感じです。

そして「光と闇とを合わせて、中立状態に還元する」ということが大事なのではないかと。

その「光と闇とを合わせて、中立状態に還元する」ということが、「鶴と亀が統べった」ということなのでしょう。

この「統合」というのは「悪人を袋叩きにしてメシウマ」とか、そういうことではありません。

それは、戦いのモードですから、「戦争をする人」と同じ土俵に立ってしまっているのです。

たぶん「無条件の愛」という接着剤を使って、闇を「抱き参らせる」ことが「闇と光の統合」なのでしょう(知らんけど)。

「思念の強さ」=「電波の強さ(出力の大きさ)」?

あと思うのが、「思念の強さ」がビジュアライゼーション(映像化)による「現象化する確実性」を増大させる、ということです。 「$y=A\sin x$」と「$y=-A\sin x$」の「$A$」が振幅を決めますけれども、「振幅が大きい」とは「音量が大きい」「光が強い」「電波が強い」といったようなことではないかと。 「電波が強い」とは、トランスミッター、トランシーバーの出力(何mWとか)が多い(高い)というようなものだと思います。 そして「メンタルな電波が強い」ということを、スピリチュアル的には「思念が強い」と表現する。 「思念が強い」とは、結局、「振幅が大きい」ことでしかない。 「振幅が大きい」という性質、いいかえれば、「思念が強い」=「波動が強い」という性質が、ビジュアライゼーション(映像化)を現象化する確実性を高める。 集団瞑想によって、同時刻に一斉にビジュアライゼーション(映像化)をおこなうと、現象化しやすいというのは、このためではないかと。 「波の合成」によって「振幅が大きい」=「思念が強い」=「波動の強い」という結果がもたらされる。 闇の勢力がこしらえているバリア(いわゆる「マトリックス」を現出している仕組み)というものは、クラック(ひび割れ)を入れて、そこから突破すれば、案外、容易に崩壊するであろうと。 そのバリア(いわゆる「マトリックス」を現出している仕組み)には、ぶっ壊れるスレッショルド(閾値)があるから、集団瞑想を波状的におこない、クラックを大きくしていけば、ある瞬間に「ダムは決壊する」。 閾値を超えさえすれば、いわば「卵の殻が破れる」という現象が必ず起こる。 そこが「地球の次元の変わり目」になるような感じがしています。

闇の勢力が、東京の地下に秘密の地下道をたくさん掘り、地下原発までつくって、何をやっているのかと。 これは、私見になるけれども、電磁的な装置によって、彼らの思念をブーストしているのではないか、ということです。 結局、「高い周波数」「振幅の大きさ(高出力)」というものも、中立的な現象なのであって、それは光にも闇にも利用できるらしい。 そして、光と闇について、善悪を断定することはできない。 常に「自由」であり、「循環」している(はずである)。

高い周波数で強い電波を出す

バリアブル・コンデンサー(バリコン)を回すことによって、「自分が発している周波数」と「それに共振して表現されるリアリティの周波数」とを、変更できるのです。 つまり自分の周波数をバリコンをによって上げていき、しっかりと(「思念の強さ」を強める)ビジュアライズ(映像化)をおこなえば、私たちが「愛に満ちた理想社会」を実現することが、即座に可能なのです。

善と悪とは、相対概念

【最重要】:「どこに立場(観測点)を置くか」ということが、とても重要。 現象に善や悪はない。 つまり善悪は、「Aを善と定義すれば、not Aは悪と定義される」といった相対的な概念にすぎない。
●太郎(善)から見たあなた〔=花子:二人称:悪)
●花子(善)から見たあなた〔=太郎:二人称:悪)
それで「どこに立場(観測点)を置くか、が重要」とは、「ゲームでいう三人称視点で『体験する現実』を静かに見つめること、が重要」ということです。 イギリスで「EU離脱に賛成」「EU離脱に反対」とか論争していますけれども、戦いのエネルギーを生んで苦しむだけです。 こういう見方ができるのは、私たちがイギリスに住んでいないから、三人称視点で「EU離脱問題」を静かに見つめることができるからです。 「観測点がリアリティの外側にあること」=「リアリティに呑み込まれていない状態を保っていること」が「気づき」「目覚め」の土台になるようです。 例えば、「この現象は私がつくり出した映像にすぎない」=「この現象の責任は私にある」という考え方ができるか否か。 それは「現象の発生原理が理解できているか否か」に依存するのです。 「リアリティ」を真に受けてしまった結果として「マインド」を通じて「感情」が生まれ、「マインド」と「感情」が連合して、「反論・反撃する」などの新たな「リアリティ」をつくってしまいます。 その「リアリティ」を真に受けてしまった結果として「マインド」を通じて「感情」が生まれ、「マインド」と「感情」が連合して、「反論・反撃する」などの新たな「リアリティ」をつくってしまいます。 この「反応の連鎖」は、ループになっていて、ハウリング状態なのですよ。 どこかで断ち切らないといけない。 こういった無限ループの状態は、「(正義を背景にしていたとしても)怒りによって他者と対立した場合(反対運動やハンストなども含む)」 「タバコ/アルコールその他の薬物やゲームやギャンブルや恋愛感情やセックスなどの快楽に溺れている場合(アディクションの状態)」 「ネガティブな連想がループして自殺・殺人・銃乱射・乗り物による人混みへの突入などに至る場合(メンヘラの暴走状態)」 などにも表れる無限ループです。

現象は中立(ニュートラル)であり、善悪を決めつけること(循環を止めて固定化すること)が、マイナスになるようです。 この善悪を決めつけることをジャッジメント(とくに批判・非難する文脈で対象を決めつけること、断定すること)といいます。 ジャッジすることが、なぜ問題なのかというと、「立場(観測点)がリアリティの中にある」からなのです。 前項の「●」の例でいえば、太郎か、花子か、どちらかの身になって、どちらかの味方になって考えてしまっているからです。

信念(自分が信じている「当たり前」)を書き換えること、あるいは、消去することが成長

成長とは、信念(自分が信じている「当たり前」)を書き換える、あるいは、消去することではないかと思います。 人生経験を積むだけでは成長しないようです。 事実、私も年齢不相応に愚かですし、私の両親も、年齢不相応に愚かでした。 私たちの信念は「意識がハッキリする時期(3歳頃)」から「第二次性徴が発現する時期(12歳頃)」の頃までに、ほとんどが確定され、その後は大きく書き換えられることもなく、過ぎていくことでしょう。 よっぽど意識的に自分の信念を観察し、検証し、書き換えないかぎりは、家族や教師といった「自分よりも年長の人たち」や友達から叩き込まれた信念(自分が信じている「当たり前」)をバカみたいに信じて生きてゆくのです。 このことに意識的になる必要があります。 つまり、自分が信じている「当たり前」(信念)が、幼少期に「未熟な年長者」や「未熟な友人」から刷り込まれた「借り物」にすぎないのだということについて、自覚して、これを何とかせなならんと強く思うことが大事なのです。 私たちの人生は、この「借り物の当たり前」に振り回されて生きてきた「情けない人生」だったというのが実際のところです。 この「情けない人生」を飛び出すために「借り物の当たり前」を消去する時期が、すでに到来しているのです。 つまり「私たちが幼くて無自覚な時期に、他者から何を刷り込まれたのか」を「冷めた目」あるいは「醒めた目」で観察・検証し、「たいがいの刷り込みを廃棄処分にする時期」が到来したのです。 あなた自身の「思いっきり」を生きていますか?  「思いっきり」を生きられないのは「刷り込み」が邪魔しているのでしょうよ、きっと。 結局、「信念の棚卸し」「信念の断捨離」「信念の大掃除」をするべき時期なのです。 時間がある人は、ノートなどに、「自分がどういう考え方をしがちなのか」を書き出して、じっくり観察し、それが日常の中で「出てしまった」ときに「統合」で手放す。 こういうワークを日常、ずっとおこなうべき時期が来ているのです。

「しつけ」「指導」は「自己無価値感という心の病気の人の精神的排泄行為」

「家庭教育」「学校教育」「社員教育」「刑務所での更生」などで「しつけ」「指導」などがおこなわれるけれども逆効果です。 「しつけ」「指導」の背景にあるのが、「善悪のジャッジ」という低い次元での固定的な考え方だからです。 どこが問題なのかというと、「しつけ」「指導」の根拠が「固定的」であり「循環がない」という点です。

実際には、善悪は循環しますので、善悪はカンタンに逆転します。 例えば、「鬼畜米英を叫んでいた教師が、敗戦とともにアメリカびいきになり、英語教育の重要性を喧伝する」とかね。 こんど地球のS極とN極が逆転し、さらには地軸が逆転するかもしれないらしいですけれども、こういうのも動くのですね。

「固定」したがるのは、エネルギーが低い、いいかえれば、周波数が低いからです。 実際、教育しているご両親も「固定観念」、学校の先生も「固定観念」、会社の上司も「固定観念」、刑務官も「固定観念」ということを、感じませんか?  「固定観念」から「しつけ」「指導」されても逆効果ということがあるわけです。 「固定観念」からの悪影響を最も受けない「教育」は「自学自習」です。 「じぶんでまなぶ」という以外に「ほんとうの教育」はないのです。

「しつけ」「指導」をしたがる人は、自己無価値感を解消するためのはけ口として「しつけ」「指導」をする自分に酔っていることが多い。 「しつけ」「指導」が好きな人は、メンヘラを立ち直らせたり、不良を更生させたりするのが好き。 「しつけ」「指導」には、教育効果がないどころか、そこで新たな問題を生んでしまうだけ。 それなのに「しつけ」「指導」をしたがっている。 それは結局、「しつけ」「指導」が好きな人は、自分よりも「バカ」な対象を見つけてマウンティングして安心したいわけです。 どうして? 自分に「絶対価値」がないと思っているからです。

「絶対価値」というのは、「存在するだけで尊くありがたい」という価値であり、それぞれの魂は、そういう「絶対価値」をもった存在なのです。 というのも、私たちは「個人」ではなく「宇宙創造神の一部」だからです。 宇宙創造神という巨大な鏡もちを切り分けた断片が、私たちなのです。

幼児虐待がどうして起こるの?  「親が子供を虐待する」というのは、我が子を「自己無価値感を解消するためのはけ口」にしようとするのですね、親が。 つまり親が子供にマウンティングして、自分の自己無価値感を払拭しようとする。 しかし、マウンティングをしようとしても、子供が嫌がるんですよ。 それどころか、親の底意を見抜くんですよ、子供って。 「これは私のためを思ってやっているのではないな」ってね。 結局、子供が「自己無価値感を解消するためのはけ口」=「やられ役」に「素直に」なってくれないと、親の自己無価値感がさらに増大して、最終的には暴力で我が子を死なせることになる。 「クズが、自分以下のクズを探し回って、我が子をクズ以下に仕立て上げようとして失敗し、最終的には暴力で片を付ける」というのが幼児虐待の1つのパターンだと思います。 よく「底辺」とかっていいたがる人がいますよね?  この「底辺」という観念の好きな人こそ、「クズが、自分以下のクズを探し回る」という「マインド」なのです。 根底には比較の観念があるわけだし、比較のさらに奥には、自己無価値感がある。 何の取り柄もないけど「存在するだけで尊くありがたい」という状態を承認していない(森羅万象が「絶対価値」をもっているという事実を是認していない)から、苦しむのですね。

結局、「しつけ」「指導」をしたがるマインドと、幼児虐待をしたがるマインドは、大きな共通項をもつように思います。 「自己無価値感を解消するためのはけ口」=「やられ役」を探し回っている。 それは「しつけ」「指導」をしたがる人は、「自分が誰かにバカにされるなどして、深い部分で劣等感を抱いている」から。 だから、この手のマインドの持ち主は、「上からやられたこと」を「下に対してやり返す」という形式の「鬱積の解消経路」を常に模索している。

自衛隊でも、警察でも、消防署でも、部活動でも、先輩からのイビリというものがありますよね?  こういう世界は、結局、「自己無価値感の強い人」のコミュニティなのですよ。 自分を大事に思う人は、こういう「上意下達の世界」には進みません。

もっとぶっちゃけると、勉強のできない人が、自衛隊、警察、消防署、部活動などに没頭・従事しやすい感じがする。 結局、その「自己無価値感」の中心は「学力コンプレックス」や「学歴コンプレックス」だと考えられるわけです。 「勉強ができない劣等感」から、「上意下達の世界」に巻き込まれて、暴力とハラスメントが渦巻くコミュニティを支える一員になってしまう。

とにかく、「しつけ」「指導」をしたがるマインドの背景には、強い「自己無価値感」があることが多い。 それほど優秀でない人ほど、「しつけ」「指導」をしたがる傾向が強い。

というか、現実をズバリいってしまうと、「一流になれないから、専従の指導者になる」んだね。 「ゴルフで、ツアープロになれないから、レッスンプロになる」「プロ野球に入れなかったから、少年野球の監督をする」「メジャーなミュージシャンになり損ねたあげく、音楽教室を開く」「ダンサーとして終わったから、ダンス教室を開く」などなどの実例を思いつくまま、思い浮かべてください。 この傾向は押さえておきたいところです。

どんな世界でも、指導者というか、メンターは必要です。

「メンター」というものを、ここでは、「教えを請う側を抑圧しない指導者」と定義しておきます。

「専従の指導者」になると、尊大になってくるよね。 そして、目下の者を抑圧するようになる。

しかし、現役の一流「選手」は、目下の者を抑圧するような指導はしない。 「メンター」に適任なのは、現役の一流「選手」だよね。 何かに没頭して、実際、その世界で活躍できている人。 そういう人こそ「メンター」として、たまに指導してくれる感じが最良だと思うわけです。

「専従の指導者」は、優秀とはいえないので、「お手本にならない」のですよ、習う側からすると。

例えば、「ナントカ写真専門学校の講師」って、カメラマンが、写真だけでは食っていけないから、専門学校でバイトしてるんだよ。 一流の写真家なら、専門学校で教えたりしない。

「お手本にしちゃいけない人」が「先生」になる、という大きな傾向がある。 これを知っておくことも、もちろん大事だし、この矛盾を、どうにかしないといけない。

どこかに属して労働していない人を「ニート」と呼んで腐す人も、自分に「絶対価値」がないと思っているから、他者攻撃をするわけです。 赤ちゃん、子犬ちゃん、子猫ちゃんなどは、世の中に貢献していないけれども、かわいがられます。 それは、それぞれの魂に「絶対価値」があるからです。 「存在するだけで尊くありがたい」のです。

思い上がった人が、「労働しないヤツは全員死ねばいい」などというけれども、それこそ、その人自身の自己無価値感の発露なのですよ。 「存在するだけで尊くありがたい」ということがわかっていないから、自分自身にも自己無価値感を感じ、その幻想を他者にも押し付けて、「働かざる者食うべからず」とかいうのです。 だったら赤ちゃんや子供はどうするの?  ペットはどうするの? 

世の中の労働の大半は、闇の勢力が私たちを労働に縛り付けて覚醒しないようにするための「必要のない労働」です。 さらには、闇の勢力の存在を許しているのも、私たちの集合意識、いいかえれば、私たちそのものが闇の勢力を登場させているのです。 ぜんぶ私たちに責任がある。

自分に「絶対価値」を認めていない人は、「何か貢献しなければ自分には価値がない」と思い込んでいる。 そういう人は、奉仕の対象、いいかえれば、マウンティングする対象を探し回っている。 「自分には価値がない」という観念が襲ってこないように、奉仕≒マウンティングをしつづける。 これが先輩風を吹かせる人とか、リーダーになりががる人の実際の姿でしょう。

あるいは「尽くす妻」とか、「リーダーに仕える秘書」とか、「セバスチャン(執事/お手伝いさん)」とか、そういう人も奉仕≒マウンティング体質でしょう。 SとM、ツッコミとボケは、「相方を必ず必要とする」という意味で表裏一体なのです。 奉仕≒マウンティングの参加者は、どちらが「尽くされる側」で、どちらが「尽くす側」でも、両方とも変態です。 この変態ゲームは、自己無価値感にさいなまれた心のご病気の人同士が営む異常者のゲームですから、すぐにやめる必要がある。 先輩風を吹かせる人とか、リーダーになりががる人の心の状態は「寂しい」「わびしい」「頼りたい」という感じ。 先輩に付いていきますという子分肌の人の心の状態もまた「寂しい」「わびしい」「頼りたい」という感じ。 両方とも変態です。

ノンケの人(この上下関係のシステムに組み込まれたくない人)から見ると、そういう変態さんたちの片鱗が透けて見えるだけで、逃げ出したくなるわけです。 そして、世の中は、この変態愛好者が9割方でしょうね。 会社で働かないと不安で、「寂しい」「わびしい」「頼りたい」という感じの人たちが大半。 これは、近いうちにひっくり返ります。 就職する人が少数派になります。

同情しないで立ち去れ

「苦しみ・悲しみに寄り添う」=「同情する」というのは、火事でいえば類焼を招くことであり、それは愚かなことで、不幸が倍増するだけです。 寂しい・悲しいといって、他者に依存し、他者のエネルギーを奪うだけの人を「ヴァンパイア体質の人」といったりします。 「ヴァンパイア体質の人」に寄り添うと、「ヴァンパイア体質の人」とともに、寄り添った人まで周波数が下がって、両方とも不幸になります。 「ヴァンパイア体質の人」は、火災を起こしているのですから、放っとくことですね。 燃え移らないように、逃げることが最善です。 放っておくことで、「ヴァンパイア体質の人」の気づくのを待つしかありません。

というのも、「ヴァンパイア体質の人」は、その人自身が望んでそういう体験をしに(そういう遊びをしに)転生しに来ているわけで、その人が勝手に遊んでいればいいのです。 私たちには、自身の目的があって転生してきているわけで、「ヴァンパイア体質の人」に付き合っている時間はない。 これは「冷たい」とか、そういうことではなく、「他人の家のことに口を挟むな」といったようなことでしかありません。 「ヴァンパイア体質の人」がそれを解決したいと思えば、解決すればいい。 それは、その人の専権事項ですから。

そして、私たちが世の中を生きていくとき、「リアリティ」については「ゲームでいう三人称視点で『体験する現実』を静かに見つめること、が何よりも重要」です。 「EU離脱に賛成」「EU離脱に反対」のどちらでもない立場から、客観的・俯瞰的に解決策を模索することが大事。 それは「現象に巻き込まれない三人称視点(次元の異なる視点)」からの鳥瞰図を判断のフィールドとすることです。 どちらかの味方にならず、大所高所から物事を観察し、解決策を探る、といったようなことを述べたいわけです。

ところで、「宇宙のワナ」としては、たぶん「現象に巻き込まれない三人称視点(次元の異なる視点)」がマトリョーシカのように入れ子になっているのでしょうね。 「もっと三人称視点」というのが、無限にあって、その都度、意識が拡大していくのだと思います。

それは結局、カメラでいえばズームアウトしていく(焦点距離を短くしていく/広角にしていく)ということです。

私たちが密度を高めて、周波数を下げる過程をディセンション(ディセンドすること)といいます。

私たちが密度を低くして、周波数を上げる過程をアセンション(アセンドすること)といいます。

ズームアウトしていく(焦点距離を短くしていく/広角側にしていく)というのがアセンション。

ズームインしていく(焦点距離を長くしていく/望遠側にしていく)というのがディセンション。

「助け合う」ことを自己目的にしたコミュニティには問題がある

「尽くす側」と「尽くされる側」の両方において、生き方に間違いがあるとしたら、それは「自分軸に基づいて生きていない」ということなのだと思います。 「自分のインスピレーション」に忠実に生きていくことこそが「自分軸に忠実な生き方」なのであり、それが本来的な生き方なのです。

ところが、「尽くす側」が自己犠牲を強いられ、「尽くされる側」がますます依存的かつ尊大になる。 「尽くす側」と「尽くされる側」の両方において、「自分軸をハズした生き方になる」わけですから、成長・気づきまでの時間が遅くなる。

さて、グループ/集団というものは、「尽くす側」と「尽くされる側」との「やりもらい」だけで成り立っているようなものです。 その「尽くし尽くされ」のやりとりに忙殺されたままで一生涯を終え、自分の本懐を遂げることが叶わずに死ぬる。

これは、グループ/集団でも、ペア/カップルでも、同じことです。 「自分軸を保った状態で、心底やりたいことに没頭できた」ということこそ、至宝なのだと思うわけです。 それを邪魔する側面があるのが、グループ/集団、ペア/カップルといった「人間のしがらみ」だと思います。

したがって、「てんでんこに生きる」「独立個人として生きる」というスタンスが大事なのだと思います。 自分を曲げてまで「尽くす」というのはバカですし、自分で実行できることまで頼る(「尽くさせる」)のもバカです。 両者ともに変態領域の住人です。 こういう人生の無駄をするぐらいなら、両者は離れたほうが成長します。

グループで活動している人たちは、「本来的ではない」というふうに感じてきましたけれども、それは結局、「自分軸」を弱めるかたちで グループ/集団、ペア/カップルが結成されている場合が多いということなのだと思います。

外側の活動を停止し、自分の「統合」に専念しよう

「マクロン大統領を引きずり下ろすために黄色いベストを着て反対運動をする」とか、「コミュニティづくり」とかは、いまただちにやるべきことではないと思います。

周波数が上がっていけば、旧来のシステム自己崩壊しますので、放っておけばよろしいのでは? 

地球の周波数が上昇するのに伴い、私たちの周波数も上昇させる必要がある。 そこにこそ、いま集中するべきでしょう。

社会は、周波数の上昇とともに、自動的に変わります。 私たちが手を下す必要はない。 それは社会が、集合意識を投影した幻影にすぎないから。 私たちの周波数が上がれば、寝て起きたら、朝には社会が変わっているんだよ。 「闘争の末に、為政者を断頭台に送って」とか、そういうフランス革命みたいな子供っぽいストーリーを思い描くものではない。 幼稚すぎるね。

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以下【工事中】

預金封鎖の可能性を考え、半年程度は生活できる現金だけは手元に

通貨の評価替え(RV=Revaluation of Values)や世界通貨改革(GCR=Global Currency Reset)が世界規模でおこなわれるらしい。

これに伴い、預金封鎖がおこなわれる可能性もある。

現在保有する貨幣を、黄金や土地などの現物資産に投資して、「一円でも損をするまい」と身構えて対策をしても、自然災害などで、どうせ消失するんだと思う。

現在私たちが保有する預貯金・資産などが、新通貨体制にも引き継がれるのだとしたら、ラッキーだと思う。

現在私たちが保有する預貯金・資産は、どうせパーになる。 それぐらいに思っておけばいい。

それから、「これはアセンションの一環」なのだから、物質世界に自分を縛り付ける「強欲な動き」をして心を曇らせないことのほうが、ずっと大事だと思う。 また「強欲でない、心の平安な状態」を保ったほうが、総合的に幸運を呼び込めると思う。

「死ななければ大丈夫」ぐらいの「ええ塩梅のところ」で手を打ち、あとは諦めるのがよい。 心の平安のほうが、ずっと価値が高い。

だから半年程度は生活できる現金だけは手元に置き、あとは金融機関に預けておくのが基本だと思う。

お金が盗難被害に遭う危険性があるため、全額現金保有などはしないほうがいいだろう。

また仕事や趣味や生活において、これまで我慢してきて買わなかったものは、購入してしまったほうがいいだろう。

新通貨への切り換えが発生したら、保有していた現在の現金(黄金の裏付けをもたない)は、もしかすると無効になるのだから。

預金封鎖やRV/GCRで預貯金が吹き飛ぶぐらいなら、変に我慢しないで、必要なものは購入するのがよい。

ただし、どうせ預貯金が吹き飛ぶのだからと、浪費・放蕩をするべきではない。 必要なものをしっかりと購入し、有効に活用し、生きるうえでの豊かさを向上させるだけでよい。

食料備蓄

預金封鎖などで経済活動の停止した場合には、備蓄食料で食いつなぐことになる。

半年程度は暮らしていくことができる分の備蓄食料は必要だろう。

経験上、穀類はパスタがいちばん長持ちする。

お米はすぐに酸化するし、虫(コクゾウムシなど)がわくので、「お米を備蓄しよう」というのは、まぁ、あまりオススメできない。

魚介類はすでに放射能汚染されており、魚介類の缶詰はまったくオススメできない。

豆類の缶詰、乾物としての豆類は、タンパク源として、とても重要。

無調理で食べることのできる、カロリーメイト等の備蓄用クッキー、乾パン、プレッツェル、クラッカーなどの小麦製品は、ある程度、用意しておく。

乾パンはサンリツのがベスト。 甘いものにも、塩辛いものにも合う、中立的な味である。 ただし、サンリツの乾パンま、微妙に甘みが入っているので、クッキー的な側面もある。

サンリツの乾パンは、プレッツェルを麻雀パイの大きさぐらいにした「変形プレッツェル」だと考えればよい。

フランスで「フランス革命」が起こっている。 フレンチ・ロスチャイルド家による、フランスに対する支配が終わろうとしている。 マクロン大統領は断頭台にかけられるかもしれない。 麻生副総理の娘さんが、フレンチ・ロスチャイルド家のお子さんと結婚している。 麻生氏は、日本の水道事業をフレンチ・ロスチャイルド家が支配する私企業に売り払うために、水道法改正案を通した。 麻生氏は、悪魔の売国奴である。 ルノーは半官半民の「事実上の国営企業」で、フレンチ・ロスチャイルド家の私物企業。 ゴーン氏も、フレンチ・ロスチャイルド家から派遣された「日産をルノー傘下に収めるための産業スパイ」であった。 ゴーン氏は、日本側に寝返ったのかもしれない。 ゴーン氏の逮捕と長期拘留は、麻生氏の悪事を立証する証言(当然、司法取引をするであろう)を取っているのか?、はたまた、ゴーン氏が暗殺されるのを阻止するためなのか? それはわからない。 わからないけれども、ゴーン氏が、フレンチ・ロスチャイルド系統の日本の売国奴、例えば、麻生氏などを逮捕するための重要機密情報を知っている可能性がある。 最終的には、麻生氏、安倍氏は逮捕だろう。 そしてパパ・ブッシュと同じく、セントラルサンで魂のリサイクルにかけられるのかもしれない。 まぁ、それは当人のことだから、私は自分の人生を生きるだけだ。 いずれにしても、水道法改正案は、日本の水道事業が外資系に支配されることを許す悪魔の法律だよ。 入管法改正案、水道法改正案、種子法廃止などは、すべて、日本をつぶすための策略だから、ぶっ潰さないと。 もうすぐ東京株式市場は取引が成り立たなくなる。 たいてい年明け一発目から大暴落というパターンが多いよね。

ニニギさんは厳しめのことをおっしゃっていますが|日本円は新通貨に移行できると思います

つまり白い勢力が日本円にだけひどい仕打ちをするわけがありません。

NESARA施行後も、日本円は、何らかの新通貨に移行できると私は思っています。

ですから、消費行動は、今まで通りでよいと思います。

ただし、「必要なのに買わないでいた」など、「我慢してきたもの」は買いそろえて、自分自身の喜び、お役目をしっかりと経験・遂行することが大事だと思います。

豊かさは目の前にまで来ていますので、必要な食料備蓄をおこない、必要な消費をおこない、過度の節約を慎むことです。

渋ちんは、恐怖の表れでしかありません。

「悪い未来予想」が「悪い現実を呼び込む『集団瞑想』」にならぬように

富士山ニニギさんの情報については、「まさかのための準備」に使いましょう。

「悪い現実を呼び込む『集団瞑想』」にならぬように、悪い未来予想に巻き込まれないようにしましょう。

要は、「どこにフォーカスするか」です。

「最悪を想定して準備をなす」ことと、「楽観的である」ことを、うまく統合するようにします。

もちろん、外側のムーブメントも大事でしょうけれども、内側において、ビジュアライゼーション(映像化)を強くおこなったほうが、安全で確実でしょう。 闇は、光と統合して、中和することで解消するように思います。 つまり「抱き参らせる」とか、「鶴と亀が統べった、後ろの正面、誰」(光と闇の統合で真我が眠りから覚める?)とか、そういうことだと思います。 闇の勢力を憎んで、怒ることによって問題を解決しようと思っても、また新たなネガティブ感情が蓄積されてゆくだけで、「解消」には至らないと思います。 「解消」とは、闇の反対である光を加えて、中和して、波形を消去することです。 ノイズキャンセリングです。 ですから、富士山ニニギさんの「敵対心をあおるような書き方」に関しては、私は違和感を感じています。 ただ、情報としては貴重だと思います。 「すべてが完璧な人」はいません。 その人の得意な部分、光る部分にフォーカスすれば、ノイズの弊害は受けずに済むと思います。

口永良部島の噴火によって、地球の浄化が分割的に発生しているのだと思います(ゆきんこの私見)

1月17日は、ロサンゼルス大地震(ノースリッジ地震)や阪神淡路大震災が発生した、いわば「地震の起こりやすい特異日」です。 天体の配置の関係でしょうかね? 

2019/01/17、口永良部島の噴火が発生したということは、地震を起こすエネルギーが、分散的に発生している状況の一環だと思います(あくまでも私見です)。

私たち人間も、次元上昇のプロセスにあるために、精神的・肉体的な病気・不具合・怪我などに見舞われている部分があるのです。 「筋肉や関節が痛い」だとか、「眠れない」だとか、いろいろあろうかと思います。

地球が次元を上げている以上、地球の浄化を止めることはできないようです。

地球の浄化とは、地震・津波、噴火・火砕流、台風・突風、大雨・土石流など、地球科学的な現象のこと。

人間にとっての自然災害は、地球の浄化でもあるのです。

私たちの集合意識の周波数は、地球の周波数と影響し合っています。 それは「すべてが1つの状態」から、宇宙の万物が「分かれ出ているだけ」だからです。 生物も、植物も、鉱物も、ネモトは同じところから出ているのです。

人間が浄化を強化することによって、自然災害について、大難を小難に転ずることができます。 つまり震度7を震度5に軽減することができます。

多くの人々が意図することによって、1つの地震を、複数の小地震に分割して発生させ、より災害による被害の出にくいかたちで、地球の浄化を推進することもできるようです。 つまり「地球の浄化としての自然災害」を、人間は「分割払い」というかたちで軽減することができるわけです。 いわば「コントロールされた災害」を現出することができるらしいのです。

今回の噴火が南海トラフと関係するかどうかわかりません。 けれども、何か「分割されて、小難で終わっている」という感じがします。

「大難を小難に転ずる」ことができるように、私たちも統合のプロセスを爆速で進めていきましょう。

日常にフォーカスしすぎて、日常に没入し、そこで感情・思考に翻弄されているだけ

結局、日常へのフォーカスを緩めていき、日常への没入、感情への没入、思考への没入から、足を洗うこと。

それが目覚めの基本であろうと思われます。

「南海トラフ地震」は2019年~2023年の間に発生する可能性が高い

「南海トラフ地震」がどうせ起こるのだから、土地を所有したり、家を建てたりするなどにこだわる時代ではないと感じた。

物をたくさん所有したり、高価な物を集めたりしても、自然災害で失われる可能性がある。

だったら、必要最小限のものを残して、処分してしまう。 断捨離だ。 2019年は断捨離だ。

デスクトップPCやノートPCで思ったこと。

デスクトップPCやノートPCは、予備があっても使わない。 最も使う1台をハイスペックにしたほうがいい。

PCは日進月歩だから、壊れた都度、買えばいい。

カメラ(ただしボディ)も日進月歩だから、型落ちの安いのを買うよりも、最新のを買ったほうがいい。

「4K-60p-4:2:2-10bitが映像外部レコーダーで記録できるミラーレス一眼」が、現在の「買ってもいいライン」。

とにかく、必要な物を除き、だいたいのものは捨てていくべき。

ただし、災害用・経済活動停止時用の備蓄食料だけは進めておきたい。

古代の大陸が沈んだ時代に「3次元の肉体のまま次元上昇する」という試みに失敗したので取り戻しのために転生している

私たちがこの時代を選んで転生してきた狙い・趣旨、いいかえれば、私たちの「人生の目的」は、見出しの通りだと考えられます。

個人的に「何を課題にして」ということもあるでしょう。

しかし、大まかにいえば、「肉体のままアセンションする」という経験をするために地球に転生した。 前回において、大失敗しているから、挽回するために、ぜったいに失敗できない最後のチャンスとして、今回のアセンションがあるわけです。 今後、このようなことは宇宙で発生しないようです。

2020年の8月にゲートが閉じるので、それ以降にアセンションしようと思っても、今回の周期では不可能となるようだ。 この2019年を無駄なく活用しなければ。

2020年の8月にゲートが閉じるから、急がないといけない。

そして2020年の3月・4月あたりまでが勝負の時であるようです。

本当の強さは受容力

自分の中の闇をしっかりと真正面から受け容れる。 これは強さの極み。

自分の弱点を受け容れないから、問題が大きくなる。

順当に進めばよいものを、あらがうから、摩擦が大きくなり、スッと片付かない。

「葛藤する」というのは、「現状あるがままに対してあらがうこと」による「わちゃわちゃ」のこと。 葛藤なんて、ないほうがいい。

その現実を投影した責任は、すべて自分にある。

その現実を投影した周波数は、すべて自分の周波数である。

この周波数を自分が保有しなくなれば、その現実は投影されなくなる。

したがって、その周波数を放棄する。 これが「手放す」ということ。

「心の浄化」は「闇の排除」ではなく「闇と光の統合」

マインドを敵に回さない。 エゴに「地球の次元上昇に合わせてゆく必要があること」をしっかりと説明して、エゴと折り合って、エゴの力を少しずつ削いでいく。

エゴは反発するので、無理矢理なことをしない。

ミッションは、闇を敵視するのではなく、自分の中に闇を受容して、見つめて、存在することを見て感じ取るだけ。

「闇を敵視する」ことは「分離」の発想となり、それは「エゴの増大」(マインドの活性化)そのものとなる。

「パズルのようにして、この世を手じまいする」といった感じのこと。

願ってから叶うまでの時間が大幅に短縮されている

自分の「心の浄化」と「覚醒」をまず願う。 願ってから叶うまでの時間は、2~3日ぐらいになっている。 強くビジュアライゼーション(映像化)すれば、もっと早まる。

その「心の浄化」と「覚醒」を通じて、「私たちが地球に対しておこなっている汚染・汚損を停止する」。

私たちが次元上昇するとき、身体・精神の浄化の一環として「不具合」が多発する。 これは「借金返済」と同じようなもの。

地球も次元上昇するとき、身体・精神の浄化の一環として「不具合」が多発する。 その「不具合」が、地球の場合、自然災害になる。 これは「借金返済」と同じようなもの。

地球が浄化しなければならない理由の多くは、人間による自然破壊、あるいは、人間の心に積もったネガティブなエネルギーのせい。

「人間の心に積もったネガティブなエネルギー」を洗い流すことを「心の浄化」「統合(ブロック解除)」などという。

結局、地球の行く末は、他人事(ひとごと)ではなく、私たちのあり方と連動している。

端的にいえば、「自然災害を起こしているのは自分自身」ということになる。

これから、地震、火山噴火など、地球の浄化が始まるらしいけれども、それを軽減するためには、私たちが「心の浄化」をするしかない。

これは宗教とか、スピリチュアルとか、そういうことではなく、「エネルギーの保存則」にほかならない。

エネルギーがバッファされていて、現在は発現してひないけれども、何かのトリガーによって、そのエネルギー解放が発生する。

そうすると、地震・津波、火山噴火、台風、豪雨、突風、寒波・大雪などの「症状」となって、私たちに大きな影響を与える。

「心の浄化」を助ける光が大量に来ていても、受け取るゲートを開いていないと取り込まれない

1つ1つを「意識」して「開く」「受け取る」というように、意思表明しないと、宇宙は自動的には与えてくれない。

守護天使、大天使、アセンデッドマスター、ハイヤーセルフなどにお願いをして、エネルギーを取り込めるようにする。

霊的存在には、頼ってもいい。 いや、頼るべきときには、頼らないといけない。

そのためには、「必ずできる」「それを実行する」というふうに、アファメーション(意思表明・宣言・断言すること)とインテンション(意図すること)が大事。 これは音声言語として、言霊を利用すること。

つまり「そうするかもしれないし、そうしないかもしれない」など優柔不断なことではダメ。

「すでにそうなっている、ありがとうございます」と先にお礼をいって、それからビジュアライゼーション(映像化)をする。

感情を伴ってビジュアライゼーション(映像化)をする。

「こんなに願いが叶って恐ろしい」という部分まで含めてビジュアライゼーション(映像化)する。

私の仮説では「逆もまた真なり」

波動の高い人のなしている「フォーカスの当て方」を模倣することによって、逆算的に「高い波動をもつ心のありよう」が体感的にわかってくるかもしれない。

この次元の問題を、この次元のレベルで解決するのは無理

政治改革などは、この世的な手法では無理。

「高次元の投影が、低次元に及ぶ構造になっているらしいので」「この次元の問題を、この次元のレベルで解決するのは無理」らしい。

この世の問題を、この世的に議論しても、解決になるわけがない。

民衆が次元を上げる以外に解決策はない。

民衆の周波数を上げることが、世の中を改革することに直結する。

デモ行進するより、「深い意識状態に入って、自分の恐れ・怒り・悲しみ等を受け容れ、感じ残しを経験することで昇華し、その空いたスペースに光を呼び込む」という作業を着実に進めるほうが世の中が変わる。

「積み残し感情」「感情の借金」を解消することが「心の浄化」の本質。

今この段階でコミュニティをつくっても、エゴによる対立が生まれるだけ。

まずは周波数を上げること。

そのためには周波数を下げている最大の要因を取り除く。 具体的には、「自分の恐れ・怒り・悲しみ等を受け容れ、感じ残しを経験することで昇華し、その空いたスペースに光を呼び込む」という作業を、寝起きにおこなう。

朝、時間的な余裕をもって起きることによって、「寝起きのまどろみの時間=心の浄化に最適な時間」を有効に活用する。

波動の高い人は、どこにフォーカスしているのか

波動の高い人は、どこにフォーカスしているのか。

波動の高い人は、問題をその次元で解決しようと躍起にならない。

今、ここで発生している現象は、心の登場の投影であるから、心の浄化をしないかぎり、現象はよくならない。

つまり波動の高い人は、発生してしまった現象にフォーカスしているのではない。

波動の高い人は、「その現象を発生させた心」にフォーカスしている。 これを真似ることで、私たちも「逆算的に波動を高めることができる可能性がないともいえない」と思う。


身・口・意(しんくい)。

現象が発生するのは、「意=心=映像」から「口=言葉=音声」が生まれ、それらによって「身=身体が存在する世界が形成される」。

(1)意=心で思う。光波。ビジュアライゼーション(映像化)。周波数が高い。

(2)口=言葉で言う。音波。言霊。周波数が中間。

(3)身=身体の存在する世界で現象が発生する。物質の振動。現象化・現実化・実現。周波数が低い。

つまり(3)の部分は「『現象』という結果」なのだから、この部分のコード(PC言語の言葉)を操作しても、「『現象』という結果」に影響を与えることはできない。

「スクリーンにすでに投影されてしまったこと」は、「すでに反応が終わった化学物質なので、変えようがない」と思っておけばいい。

現象を動かすときに大事なのは、「意=心」と「口=言葉・言霊」である。

つまり「世の中を変える」とは、「意=心」と「口=言葉・言霊」を変えることにほかならない。

テレビがおこなう洗脳は、「意=心」(視覚情報)と「口=言葉・言霊」(音声や文字による言語情報)だということに気づこう。

「南海トラフ地震が云々」という情報が「口=言葉・言霊」に影響する。 そうすると、「南海トラフ地震」が発生しやすくなってしまう。 それは集合意識の言霊のデータが書き換えられるから。

「南海トラフ地震」が発生するCG映像を視聴する。 それが「意=心」に影響し、私たちは知らず知らずのうちに「南海トラフ地震」が発生する ビジュアライゼーション(映像化)への協力をさせられてしまう。 それは集合意識のビジョン/イメージのデータが書き換えられるから。

だからテレビを捨てよう。 テレビが私たちを洗脳してくるから。


起き抜けに自分のネガティブ感情を体験することで「心の浄化」をする。 これによって、周波数が上昇し、アセンションの流れに乗ることができる。

他方、この周波数の上昇によって、現象を容易に動かすことが可能になる。

閉塞感に満ちた世の中を打破するためには、「周波数を上げて、私たちの望むユートピアを現象化させるだけでよいのだ。

物理次元での運動は、時間・体力の無駄づかいだと思う。

より本質的な努力とは、「集合意識の『言霊』『ビジョン/イメージ』のデータを書き換える作業」。

いいかえれば、より本質的な努力とは、「私たちの意(ビジョン/イメージ)・口(言葉・言霊)の『浄化』と『磨き上げ』と『強化』」。

善悪・良否を判断しない中立の目で見る

中立の目で見るためには、「マインドに由来する目」で見てもダメ。

「マインドの外側の目」で見ないと、中立の目では見ることができない。

「心や身体の痛みの中に入り込み、それを受け容れ、感じ尽くすと、自然に消える」というのが「心の浄化」

波動が変わると「フォーカスする部分」「フォーカスを当てる角度」が変わる

どんなに汚れた状態の自分でも、いったん受け容れる

すでに「汚れた状態の自分」という見方が、「マインドに由来する目」であるから、その時点で失格。

受け容れられるのは、「マインドの外側の目」で見ているから。

つまり「判断しない」とは、「マインドの外側の目」で見るということ。

マインドとは、「思考・感情が展開される場所」。

つまり「思考停止・感情停止の状態」あるいは「思考展開・感情展開の状態を『第三者の客観的な目』で見ている状態」が、心の静止した状態らしい。

そのためには、思考や感情に対して「睨みをきかす」ことが大事。 それを「意識的に生きる」という。

ホ・オポノポノ

「心の浄化」=「ブロック解除(統合)」=「感情解放」とは、「相手の傷ついた心」や「自分の傷ついた心」を癒やすことだと思います。 解放されるべき「燃え残りの感情」を素速く燃焼させ、傷口を早く治すために、「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」という4つの言葉を「相手」と「自分」など、関係者すべてにかける。 そういうことが可能かもしれないと思いました。 スピードが大事なので、思いつく「良さそうなこと」はすべて試してみる価値があると思います。

ありがとうごめんなさい許してください愛しています  ホ・オポノポノ

「心の浄化」の参考テーブル

厳密にやらなくても、「自分のマインドが物事を曲解する元凶になっている点」がわかれば十分だと思います。

自分が能動 相手 自分
出来事の
意図と解釈
その出来事は相手の目に
どう映ったか(推測)
自分として、どういう
つもりでなしたことか
出来事から
生じる感情
相手はどういう感情
を抱いたか(推測)
自分はどういう
感情でそれをなしたか
出来事がもたらした
その後の態度
出来事の後、相手は
どういう態度をとったか
出来事の後、自分は
どういう態度をとったか
自分が受動 相手 自分
出来事の
意図と解釈
相手はどういうつもり
でなしたことか(推測)
その出来事は自分の
目にどう映ったか
出来事から
生じる感情
相手はどういう感情
でそれをなしたか(推測)
自分がどういう
感情を抱いたか
出来事がもたらした
その後の態度
出来事の後、相手は
どういう態度をとったか
出来事の後、自分は
どういう態度をとったか

短時間・短期間で集中的に取り組む

長い時間がかかるかもしれない。 しかし、この一瞬、この一時間、この一週間など、集中する期間を設けて、その時間・期間「だけ」頑張ることを積み重ねていったほうがいいような気がする。

バシャール

バシャール:結局自分 | the PLANET from NEBULA

要は「どこにフォーカスするか」の問題

周波数の高い人が「どこにフォーカスするか」をよく観察する。

朝は余裕をもって起きる

朝の寝ぼけ状態こそ、深い意識。 この深い意識を得るために、昼寝なども活用する。

深い意識での「心の浄化」はきわめて強力。

純粋な愛の最上級のものが「許し」

許すことは、純粋な愛の中でも特上のもの。

報復感情から、「犯人に極刑を」と嘆願書を出しても、遺族の心の傷は癒えない。 なぜ? 

問題の本質が、遺族の「心の浄化」にあるから。

ぶっちゃけ、「故人が被害に遭った」というのは、故人がそれを選択したのだから、それはそのものとして受け容れる以外にない。

この「現状あるがまま」(as it is)に対して抵抗するのが報復感情である。 報復しても、故人は生き返らない。

要は、故人を諦め、犯人を許す。 これが「落としどころ」であり、これ以外に行くルートは存在しない。

結局、故人を諦めきれない遺族が、いわば「間違っている」だけ。

流れる水のように、出来事を受け容れ、出来事を許し、出来事を水に流す。 それ以外にない。

怒りの炎にさいなまれている間は、仕方がない。 しかし、何年も裁判をするなど、遺族の心にさらに傷をつくるだけ。

いくら仕返しをしても、けっして心の平安は訪れない。 報復の連鎖を生むだけ。


謙虚、感謝、謝罪など、つつましさの中にこそ「正解」がある。

「現状あるがまま」(as it is)に対して抵抗しない。 これが謙虚さの極み。 コレが最もラク。

それは「感情を抑圧する」ことで、つつましさを装うのではない。

本心から、すべてを納得して、謙虚、感謝、謝罪などに至ることが大事。

怪我・病気の患部に青い光を当てる

治癒を促すブルーライトを想像によって照射する。 傷や病気が癒やされる。

心臓の中心に強い感謝の念を送る

心臓の中心に、人間のトーラスの中心がある。

心臓の中心に感謝すると、トーラスのエネルギー循環が活性化されて、元気が出てくる。

「ネガティブ」の意味を間違えている

「現状あるがまま」(as it is)に対して、否定したり、抵抗したり、隠蔽したりするのがひき逃げ犯。

マインドを消滅させるプロセスは長丁場である。

途中のプロセスでは、マインドの権利を認めながらも、最終的には消去する。

消去を焦ると、ズラトコさんのように、アンドロイドにボコボコにされて死亡する。

nagative(否定的)とは、「現状あるがまま」(as it is)に対して、否定したり、抵抗したり、隠蔽したりすること。

例えば、「陰キャなら陰キャでいい」というのはpositive(肯定的)なのだ。

陽キャが善で、陰キャが悪というのは、1つの見方にすぎない。 事実、陽キャには創造性の低い人が多い。 つまりエネルギーを内面に向けてないのが陽キャ。

陰キャはエネルギーを内面に向けているので、創造性が高い傾向がある。

また「陽キャがnegativeで、陰キャがpositive」というのは、ここでいうnegative、positiveとは別の考え方。 同じnegative、positiveという用語を使うから、混乱する。

negativeとは「抵抗する」ということ。

positiveとは「無抵抗」ということ。

「かわいいね」と褒められて、「そうでもない」というのがnegative。

必死になって「ポジティブな自分」を演じている(真実の自己を否定している)のはnegative。 自分の「現状あるがまま」(as it is)に抵抗しているから。 こういう人が自殺しやすい。

結局、negativeとは、「現状の流れに逆行する」という相対的概念でしかない。

自分が陰キャの流れをもっているのであれば、それを肯定し、抱きしめ、けっして逆の流れにしようなどと抵抗しない。 これをpositiveという。

陰キャそのものを「現状あるがまま」(as it is)として是認する。 これがpositive。

事の善悪・良否に関係なく、「現状の流れを逆流させる概念」がnegative。

例えば「反省する」「反省させる」といって、「自己否定に陥」「自己否定をさせ」るようでは、「心の浄化」にはならない。 これが「刑務所の反省」。 そして、出所者の多くが再犯する。

「しつけ」「反省」を大事にする指導者は、このトラップに必ずはまる。 それは刑務官と同じ、低い波動の指導者。

「心の浄化」の結末は「現象と感情の分離」

つまり何を見ても聞いても、動ぜず、「現状あるがまま」(as it is)を受け容れることができる。

そこで感情が動かない。 いや、感情が動いても、その感情を見つめる「第三者の神の目」(真我からの視点)を維持している。

「感情と私は別だ」 「これは私のものではない」 「マインドと私は別だ」 「状況と私の認識は別だ」。

「マインドが私そのものだと誤解している」という「一体化の妄念」を打破する。

感じている本体は? 「真我」しかない。

「できない」から「できる」への進化

勉強やスポーツは材料にすぎない。

「できない」から「できる」への進化を経験し、結果として、「自分を信頼する練習」をすることが人生の目的の1つ。

試験に合格する場合、試合に勝つ場合、最も大事なのは、「自分を信頼すること」である。 「自分を信頼していればこそ、最後まで諦めない態度」が生まれてくる。

素直に受け容れるのがpositive

自己と和解せよ。

あなたの心にある「反発心の部屋」を破壊する

あなたの心に「反発心の部屋」がありますね。

「反発心によって頑張る」人は、コケます。 動機が不純だから。

相手の指図に唯々諾々と従うのも、相手の指図に反発して「逆」をやるのも、両方とも相手の指図に従ったことになる。

そういうこととは関係なく、自分の確信によって、選択をおこなう。 独立的に選択をおこなう。

そのためには、判断を狂わせる「反発心の部屋」を破壊する必要がある。

ブロック解除(=統合)の効果を濃密にする詳細表

ブロック解除(=統合)(自覚法、ネガティブ感情の開放)は、マインドに退蔵されている「ネガティブ感情の不発弾」を爆破処理するおこないである。

つまり「ネガティブ感情の不発弾」を残したままでは、次元上昇は無理です。 それは「ネガティブ感情の不発弾」こそが、私たちの周波数を低く抑制する、「沈下させるオモリ」になっているから。

もともと私たちには浮力があり、周波数を上昇させることは容易であり、周波数を下降させることは困難。 つまり「物質世界に身体を得る」という「困難な状態」を私たちは維持している 私たちは日常において、「離れ業」をやってのけているのだ。

「マインド」の同義語

無意識?

思考

左脳

「心の浄化」の同義語

寝起きのボーッとした時間などに潜在意識において、過去の経験を再び経験し、過去の経験がもたらず「害毒」を昇華することが、「心の浄化」だと思います。


以下の「●」の付いた表現は、すべて「マインド」を掃除することを意味するのだと思います。

●エゴ(エックハルト・トール)

●ブロック解除(=統合)(アンフィニ、関野あや子さん)――対象となる記憶を十分に味わい尽くした後、「汚れた経験」を? 鉄球や岩石の球体に見立てて、レールの上を転がし、海か何かに落とす。

●自覚法――同じように、樹木を引っこ抜いて火で燃やすなどして処理する。

●ネガティビティーの解放

ペインボディの定義

「各チャクラに残っている、感じ切っていないネガティビティ」をペインボディという。

感じるべきときに、十分には感じ切っていない「未処理案件」がペインボディ。

痛みがあろうとも、恐怖があろうとも、真正面から感じることが「早く終わらせるコツ」らしい。

「願ったことが実現する」のではなく「フォーカスしたことが実現する」

「こうなったらイヤだな」という意識のフォーカスは、「そのイヤな起こって欲しくないこと」に当てられている。

したがって、まんまと「イヤな出来事が起こる」という仕組み。

物事に対してネガティブな人は、「こうなったらイヤだな」に強烈なフォーカスを当てているので、いつも「こうなったらイヤだな」ということが起こる人生である。

物事に対してネガティブな人は、「嫌悪・恐怖という感情的波動を伴いながら、リアルにビジュアライゼーション(映像化)をおこなっている」ので、まさしくそれが実現する。

現実には十分な可塑性があり、やわらかい粘土のように自由に整形できる

「物事はカンタンに実現できる」と強く思うと、実現できる。

現在の地球の波動は、以前の波動よりも高くなっているため、実現するスピードが速くなっている。

麻雀アカギはビジュアライゼーション(映像化)によって望みの牌を引き込む

自分のビジュアライゼーション(映像化)を信じる。

それは自分を信じるということ。

謙虚さとは「自分に対する、いい意味での疑い」の心である

慢心する人は、到達の直前で、必ず墜落(ついらく)する。

謙虚であることは、自分のおごり高ぶりに対して、最大限の警戒感を抱き続けている「超集中状態」である。

事故を何度も起こす人は、「超集中状態」で運転していない。

謙虚でなければ、大事故を何度も起こす。

悟りの直前で、見えないベールにはじき返されたくない。

そうであれば、常に謙虚であることだ。

9割が汚れていても、残り1割を評価する

対象の欠点ばかりあげつらい、何も選べない未熟な人。

水清ければ魚棲まず。

お金を汚いものだと定義したら、豊かにはなれない

バシャールによれば、belief(信念)とdefinition(定義づけ)が大事なのだとか。

beliefとは、たぶん「私は悟ることができる」など、「森羅万象について、当たり前だと思って信じ込んでいること」だろう。

definitionとは、たぶん「自分はこういう人間だ」など、「森羅万象について、これはこうである・こうあるべきだと思って信じ込んでいること」だろう。

ビリーフとデフィニションを書き換えれば、周波数が上がると思う(私見)。

つまり周波数によって、その周波数特有のビリーフとデフィニションの傾向があるのだろう。

エゴを認める|「恐怖を恐怖すること」を避ける(バシャール)

エゴにも権利がある。 エゴを消滅させようと躍起になるから、エゴが抵抗して、大事になる。

エゴの消滅にもプロセスがある。 少しずつ。

恐怖してもいいのだ。

「恐怖することを恐怖する」ことが、精神のハウリング状態を引き起こす。

失敗してもいいんだ。 人間だもの。

共同創造の背景には想像力がある(Co-creation through imagination)

現実を「つくる」=「創造する」という作業は、「想像力」がその発信源になる。

Co-creation through imagination(想像力を通じての共同創造)。

闇の勢力は、私たちが「強烈なイマジネーションを使って、自由な世界を創造する」ことを最も恐れている。

闇の勢力を攻撃するのではなく、「強烈なイマジネーションを使って、自由な日常生活を創造する」ことを繰り返せば、闇の勢力は、自然と弱体化する。

戦わずに勝つ。

触れずに勝つ。

 
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