他者に指図したり、他者を悪い意味で指導したり、しつけたりする理由|相手に罪悪感を与えて相手を支配するため

金星人・オムネスオネクさんトーク 4/4 五次元 人間は楽しむために生まれてきた - YouTube

結局、人間どうしのありようとして、相手の「思いっきり」を発揮する姿を受け入れて、けっして否定・批判・非難などしないということを、お互いに守ることが大事。

それは現在の地球のルールに合わせていえば、「対等な関係でゆるやかに連合する仲間どうしであり続ける」「けっして相手を束縛・支配しようとしない」「互いの個性や違いを尊重し合う」ということだと思う。

「指図」「悪い意味の指導」「しつけ」などは、背景にどんな「正義」があったとしても、その「正義」は「つくりもの」でしかない。

だって、宇宙には「いい」も「悪い」もないのだから。

例えば、警察官がねずみ取りをするよね?  事故の起こりそうにないところで、陰に潜んでいて、速度超過の取締、一次停止義務違反の取締をするよね?  どうして? 

お金でしょ?  支配してお金(罰金)を取りたいだけでしょ? 

結局、欲でしょ? 

欲が背景になければ、「正義」を振りかざして、相手を糾弾し、相手に罪悪感を発生させることによって、相手を束縛・支配しようなんて思わないんだよ。

つまり「正義」の裏側には、欲があるんだ。

ここに書いてあることは「いま私がわかっている範囲」のことで「正しくない部分」があるかもしれません

いま私がわからなくなっているのは、次の用語の違いです。

エゴ、マインド、ハート、スピリット、ソウル、ハイヤーセルフ、セルフ。


並木良和さんの『目醒めへのパスポート』には「エゴを統合し、応援のエネルギーに変えるワーク」が紹介されており、これが目醒めのキモの1つになる感じがします。

そして『目醒めへのパスポート』には、「エゴ」と「ハート」という用語は登場するけれども、「マインド」や「スピリット」という用語は登場しません。 「マインド・コントロール」という用語は2回登場したけれども、それは「マインド」の説明ではありません。

結局、大筋において「マインド」や「スピリット」という用語は、覚醒や必要のない用語だという解釈をしていいと思います。 「マインド」や「スピリット」という用語は、英語圏向けのスピリチュアル用語であり、ここにとらわれても意味がないように思います。 言葉ではなく内容が大事。

並木良和さんは、「エゴ」を副人格であると表現しています。

この「エゴ」=「副人格」という部分が気づきのポイントとなる突破口になるかもしれません。

私たちは人格を複数インストールできる機能をもっているようです。 つまり私たちは「マルチ人格」「ポリ人格」が可能なようです。

ほんらいの主人格である「ハイヤーセルフ」は、源〔みなもと〕につながっています。

「分離」「眠り」とは、「ハイヤーセルフ」と「私」との間に「エゴ」という「副人格」が介入して、通信を遮断している状態なのかもしれません。

この「エゴ」という「副人格」を抹消しようとすると、「エゴ」が猛反発して「分離」「眠り」の状態から脱却できなくなる。

また「エゴ」を異端視して抹消しようとする発想そのものが「分離」「眠り」の発想。

結局、この「分離」「眠り」という状態をリセットするためには、「無条件の愛」と「尽きることのない感謝」という接着剤を使って、すべての断片をつなぎ合わせることが必要らしい。 この接着行為が「統合」らしい。

ホワイト・ドラゴン(白龍)とブラック・ドラゴン(黒龍)の如意宝珠を使ったワークでも、光と闇を統合する。

並木良和|CWJ 並木良和・森田真文コラボWS③極性、陰陽の統合 黒龍と白龍とのワーク · ゆきんこの勉強法 | 自修人

極性の原理(後述:principle of polarity)から考えて、光が発生すれば闇も同時に発生する。 光と闇を「統合」した「ひかり」にしなければ片付かない。 これが「鶴と亀が統べった」ということなのだろう。

結局、「ネガティブ」と「ポジティブ」を「統合」して「もともとの姿」に戻す必要がある。

「エゴ」がネガティブだからといって、「エゴ」を排除してしまうと、「何も足さない、何も引かないという条件で、全体を中立に戻す」というゲームのルールを破ることになる。

したがって、「エゴ」も「闇」も「ネガティブ」も、それらの反対要素と「統合」して「ひかり」に還元することで、ワンネスに戻すことができるらしい。

このとき「統合」するためのエネルギーが「無条件の愛」と「尽きることのない感謝」なのかもしれない。

とにかく、アタマを使わないで、「無条件の愛」と「尽きることのない感謝」のワンパターンでやっておけばいいらしい。

しかしふつう、そこに「アレはいいけど、コレはダメ」といった分け隔ての意識が入ってくる。 このとき「エゴ」が雄弁に語っているらしい。

理屈をゆわないで「無条件の愛」と「尽きることのない感謝」で対処し、そこに「ヘンな感情」が出てきたら、 その実体がわからなくても「統合」ワークの要領で手放す。

「判断しない・区別しない・差別しない」……というのが「無条件」の条件。

「何でもOK」の状態になることが、「無条件の愛」と「尽きることのない感謝」のコツであるらしい。


「エゴを統合し、応援のエネルギーに変えるワーク」でも「無条件の愛」と「感謝」が使われる。

「無条件の愛」と「尽きることのない感謝」という接着剤を使って、「断片化されたすべて」を再接着する行為を「統合」というらしいことが、だんだんわかってきた。

この「目醒め」というゲームは、部品点数の多い精密機械を、部品を1つも余らせないように、ぜんぶ完全に組み立てるゲームであるらしい。

「部品を1つも余らせないように」という部分がポイントのようで、「エゴ」を敵対視して排除しようとするようなスピリチュアリストや心理カウンセラーは、根本的な部分で大きく間違っているようだ。

部品が余るから。

光と闇を「統合」した「ひかり」をゴールとするのが正しい方法。

光を「良きもの」として残し、闇を「悪しきもの」として排除すると、それは「分離」「眠り」そのものになってしまう。

スピリチュアルなコミュニティが「排他性の強い集団」になってしまうことが、よくある。 この段階で「分離」「眠り」そのものになってしまう。

スピリチュアルなコミュニティに属していると、「朱に交わることで赤くなっている自分」に気づきにくい。

やはり、集団化するのは危険。


ほんらいの「私」は「ハイヤーセルフ」だけれども、「エゴ」という副人格の作用によって、「私」と「ハイヤーセルフ」が「分離」されてきた。

「私」と「ハイヤーセルフ」を「統合」することが目醒めという作業のゴールであるらしい。

そのゴールへ向けて、「エゴ」を排除するとか、「エゴ」を消滅させるなど「分離」の発想を捨て、「エゴ」と和解的に「統合」を果たし、「エゴ」を味方につけて目醒めへと進んでいく必要があるらしい。

「エゴ」を敵対視しているスピリチュアリストや心理カウンセラーをNGと見なすことによって、危険を回避することができると思う。

なお並木良和さんは、「アセンション」という用語を回避して、「目醒め/目醒める」という用語で統一している。

ただし厳密には、並木良和さんの『目醒めへのパスポート』「目醒めとアセンション――p.109」では【趣旨引用:「悟り(目醒め)」があって、その先に「アセンション」があります】と述べています。

言葉の厳密な定義が大事なのではなく、意識するべきなのは、「悟り(目醒め)」がないと「アセンションできるわけがない」という包摂関係です。

まず目醒める。 この目標設定が大事になってくるのだと思います。


いま私が感じている混乱は、文法用語の定義について、私が最初に感じた混乱と似ています。

文法用語の場合は、「文法用語がイイカゲンに使われており、本当に文法用語を理解できて使っている人は少数派だ」という結論でした。

スピリチュアルな用語についても、状況が似ているように感じます。 そして、同じやり方で、本当のことが割り出せそうな感じがします。

大筋において、「私」がおもに使う回路を、「エゴとマインド」から「ハートとスピリット」へ切り換える、そういうモード切替が、スピリチュアルなトレーニングの概要らしいです。

そして、スピリチュアルな本や動画やサイトでは、「ハートが開く」「ハートを開く」といった表現が、あちこちに出てくるのに、その定義や機序(メカニズム)を真正面から語る人がいない感じです。

また「ハート」という用語は、「心臓の中心部にあるエネルギーセンター」としての「ハート」と、「体表面にあるハートチャクラ」としての「ハート」があり、用語的に分類されていません。

打ち上げ花火の「星」は交わることのない軌跡を描きながら飛び散る

私たちは、めいめいが何らかの使命を帯びて生まれてきているのだと思う。

そして、1つとして同じ使命はないのだと思う。

「使命なし」という使命を帯びている人もいるのだと思う。 それは「透明な絵の具」みたいなもの。


そして「1つとして同じ使命はない」ということを模型(モデル)にして表現するとき、1点から立体図形的な意味において全方向に広がる直線を考える。

その身近な例が、打ち上げ花火。

打ち上げ花火の中には「星」という火薬の玉が仕込んであり、「星」が1点から全方向に広がるようにするために、上空で爆破される。 そうするとボールのような球体になる。

「星」が燃えながら広がる軌跡を楽しむのが花火。

重力があるので、「星」の軌跡は直線ではないけれども、それぞれの「星」の軌跡が交差しない、交わらないという部分だけが重要。

その「星」=「私たちの魂が、この地球で帯びている使命とか、責任」であろうと思う。

使命とか、責任とか「重たいこと」をいうと「マインド」だとか「左脳」だとか「周波数が下がる」などと思われるかもしれない。

でも実際には、地球に住まわせてもらっている以上、地球に対する使命や責任はあると思う。

地球に暮らす以上、少なくとも、源〔みなもと〕からのエネルギーを、自分がパイプとなって、地球へと送り届ける責任があるらしい。

その責任以外に、私たちは、この次元上昇へ向けて持ち寄るべき「パズルのピース」=「大事な何事か」を抱えて、転生してきているらしい。

その「パズルのピース」=「大事な何事か」を「使命」と呼ぶことにする。

その「パズルのピース」=「大事な何事か」を適切に合体させたとき「この次元上昇プロジェクトの全体が完成する」ように仕組まれているらしい。

このとき、「パズルのピース」=「大事な何事か」が「1つとして同じものはなく」、それぞれが異なるという点が重要。

このことが、「星」が1点から全方向に広がり、「星」の軌跡は互いに交わらないということに対応している。


したがって、他者に指図したり、他者を悪い意味で指導したり、しつけたりしないほうがいい。

その「指図」「悪い意味の指導」「しつけ」などの「抑圧」が、「パズルのピース」=「大事な何事か」が1つとして同じものはなく、それぞれに異なる点、いいかえれば、ユニーク(一意)である側面を破壊してしまう。

「みんな違っていい」のは当然であり、「みんな違わなければ、パズルのピースを適切に組み込むことによって『全体』を完成させることができない」のだということ。

いいかえれば、打ち上げ花火の「星」の軌跡は、けっして交わらないのだということ。


他者からの「指図」「悪い意味の指導」「しつけ」が、パズルのピースを変形させてしまい、ピースをはめ込む場所に、しっかりとはまらない状態をもたらすのだ。

周囲に合わせる「他人軸」の生き方を手放して、「自分軸」の生き方へと切り換えることによって、「パズルのピースを変形させないようにすること」が可能になるのだと思う。

だから「リーダーを押し頂くような生き方」「集団主義に染まった生き方」を停止する必要があるのだと思う。

「リーダーを押し頂くような生き方」「集団主義に染まった生き方」は、宗教から離れ、エセのスピリチュアリズムから離れるといったようなことも含む。

学校や会社や役所のやり方に疑問を感じたら、自分軸に立ち、「やめよう」と決意して、やめればいいんだよ。

学校や会社や役所そのものが「宗教団体」みたいな「特定思想」の実践集団になってしまっているからね。

「社会を変える」とは、「宗教団体」みたいな「特定思想」の実践集団を、それぞれが「やーめた」といって離れることなんだ。

『私はアセンションした惑星から来た』 オムネク・オネク (徳間書店) 《中編》 ( その他人文科学 ) - 書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」 - Yahoo!ブログ

オムネク・オネクの本でも、金星で過去に「始まりの日」というのがあって、大衆が権力者たちを捨てて、都市部を出てしまった、というくだりがある。

自分軸で考えた場合、学校や会社や役所を離れて、「自分を生きる」ように切り換えるタイミングが、早かれ遅かれ、訪れるはずなんだよね。 この2019年は、そういう年だと思う。

親から「勉強しなさい」「勉強しないとバカになるよ」といわれても、自分軸で考えて、勉強は必要ないと思えば、学校なんかやめていいと思う。

そうして、自分軸で考えて、やっぱり勉強が必要だと思ったら、また学校に戻ればいいと思う。

小中学校は、不登校でも卒業できる。 高校に進学しなくても、高校中退でも、高認を取れば大学の受験資格が生まれる。 高認は高校卒業資格ではないから、大学を中退した場合、中卒扱いになるけれども、いちおう高認というものがある。 高校卒業資格が欲しければ、NHK学園などの通信制高校を利用すれば高校卒業資格が取得できる。

他人のことは放っておいて

並木良和さんが、「他人のことは放っておいて」と強調なさる。

それは複合的な意味を含んでいるのだろうと思っている。

(1)「自分」を「エゴ中心」から「ハート中心」へと、大きく「モード切り替えする」精神的なトレーニングが、目醒めへ向けてのトレーニング。 これは「フォームのクセの矯正」みたいなものなので、個人のトレーニングに帰着する。 自分のトレーニングに忙しい場合、他人にかまっているヒマなどあるわけがない。 「他人のことをどうのこうの」と意識したり、ジャッジしているということは、自分のトレーニングに集中できていないことになる。 したがって、「他人のことは放っておいて」ということになる。

(2)覚醒やアセンションは、きわめて個人的・私的なおこないである。 そのため、その魂がみずから意図し、みずから求めないかぎり、どんなに高次の存在でも、その魂に手を貸すことは許されていない。 お役所の申請主義ではないけれども、エンジェルも、アセンデッドマスターも、自分のハイヤーセルフも、自分が申請しなければ助けてはくれない。 その「高次の存在たちへ向けての申請」という行為が、「祈る/祈り(invoke/invocation=インヴォーク/インヴォケーション)」あるいは「意図する/意図(inten/intention=インテンド/インテンション)」というもの。 高次の存在たちですら「求められていないのに手出しはできない」わけだから、 「エセのスピリチュアリスト」が「親切に」という「エゴ」を以て、他者に対して「指図」「悪い意味の指導」「しつけ」などの「抑圧」は、おこなわないほうがいい。 「指図」「悪い意味の指導」「しつけ」などは、指導者のエゴから出た、受け手への「抑圧」になるだけ。 だから「他人のことは放っておいて」とは、「親切に」という「エゴ」を手放しなさい、ということ。 もちろん、「受け手の意向によって、受け手が拒絶できる余地」を保っているのであれば、受け手に伝えることは必ず必要。 何もいわないで、秘密にしておくのは、地球の次元上昇を邪魔することになる。 そもそも覚醒やアセンションの情報を伝えなければ、受け手が「その情報に出会うべくして出会う」ということも起こらない。 ここで危険視している対象は、指導者として「受け手が自分の思い通りになるように」という「結果」を受け手に押し付けてしまう行為。 そこでは、宇宙の原則の1つである「自由意志の法則」を指導者が侵犯している。 「自由意志の法則」があるから、高次の存在たちですら、私たちが祈り、意図しなければ、「発動」してくれないのだ。 「相手のためを思って」などという「勝手な理由」で、勝手な「救済」をしないことが大事。 勝手な「救済」によって、「救済」をされた受け手の「経験する」「気づき学ぶ」「成長する」というプロセスを台無しにしてしまう。 勝手な「救済」は、まさに「浅はかな行為」。 この仕組みは、あまり伝えられていない。 したがって、「自称指導者よ、他人のことは放っておいて」ということになる。

(3)他者を指導して「いいことをしたつもりになりたい」という未熟な魂が多いらしい。 「指導者自身の無価値感を払拭する手段として(実際には払拭されない)、自分よりも小さく、弱く、進んでいない人と関わりたがる」ような人が、「指導者になりたがる人」の一定部分を占めている。 客観的に見ると「たいした実力もない人」が「指導者になりたがる」という傾向が、一部の指導者において見られると思う。 自分にも、そういう側面が多分にあり、それを「統合」しなければならない。 その指導者は「たいした実力もない自分」を自分自身で受け入れたくない「エゴ」をもっているので、「指導される人」=「依存する対象」を鵜の目鷹の目で探している、という感じがする。 極性の原理(principle of polarity:下記)によって、「たいした実力もないエセ指導者」が「エセ指導者に騙される人」を生む。 「エセ指導者」の一定部分を「受け手が自分の思い通りになるように」という「結果」を受け手に押し付けてしまう人たちが占めている。 このとき、宇宙の原則の1つである「自由意志の法則」を指導者が侵犯している。 ただし、何事にも「光」と「闇」の両面があり、「親切」が光だとしたら、「お節介」「余計なお世話」「干渉/過干渉」は闇ということになる。 どちらも、同じ行為なのだけれども、そこに「受け手の求め(offer)」がある・ないによって、結果が違ってくる。 「受け手が求めていないのに押し付ける」と闇になる。 そこで大事になってくるのが、「受け手が拒絶できる余地を保つ」ということ。 受け手を追い詰めるようなやり方をぜったいにしないこと。 したがって、「自称指導者よ、他人のことは放っておいて」ということになる。

(4)私が勝手に極性の原理(principle of polarity)と呼ぶものとして、並木良和さんが紹介していた、「癒やしたいと思う人」が登場すると、「癒やされるべき人々」が発生するという現象がある。 これはS極が登場すると、N極が必然的に登場するようなもので、どういう仕組みかわからないけれども、この3次元世界の背景で、「極」が発生すると「対極」も同時に発生するようになっている。 棒磁石は、どんなに短く切り刻んでも、S極とN極とをもつようになる。 ほんとうに不思議な現象だけれども、そういうことがある。 こういうことを、私が勝手に極性の原理(principle of polarity)と名付けている。 そのため、他者を指導して「いいことをしたつもりになりたい」という未熟な魂が前へ出ることによって、癒やされる必要のある魂が大量に「発生」する結果となる。 S極が生じると、N極まで必ずセットになって生じるのと同じようなものだ。 現在の「商業的スピリチュアリストの大発生」には、たぶん「上」もあきれかえっていることと思う。 「商業的スピリチュアリスト」は、「スピリチュアルなことをお金に換えたい」ので「他者を指導したい」という欲求を抱えている。 「商業的スピリチュアリスト」が宣伝をするなどして、どんどん前へ出ることによって、「他者から指導されたい」という大衆を生むことになる。 これは次元上昇プロセスに対する重大な妨害行為になると思う。 スピリチュアリストやヒーラーなどに過度に依存してしまうと、「できるだけ自力で、自己の秘められた能力に目醒める」という次元上昇における重要課題の部分を打ち消してしまうことになるだろう。 それは、勝手な「救済」によって、「救済」をされた受け手の「経験する」「気づき学ぶ」「成長する」というプロセスを台無しにしてしまう行為そのものだ。 このようにして、「商業的スピリチュアリズム」という「場」「世界」では、「指導者(trainer=トレーナー)」と「研修生(trainee=トレーニー)」ともに、芳しくない結果になると思う。 「商業的スピリチュアリスト」自身が「依存的」なので、共振によって、「依存心の強い人々」を集め、彼らの依存心をますますくすぐり、共依存関係が確立されるのだと思う。 もともと「スピリチュアルなトレーニング」=「ハイヤーセルフとの導通回復」は、他者とは直接関係のない、個人的・私的な営みである。 そこに「商業的スピリチュアリスト」という「エセ指導者」が介在してくると、「お金目的で自分に依存させるよう仕向ける」ということがおこなわれがちだと思う。 「神」と「信者」との間に割って入り、贖宥状(しょくゆうじょう)を販売したカトリック教会のような感じになってしまう。 結局、「ハイヤーセルフと分離されていた状態を、ハイヤーセルフと統合された状態に戻す」というモード切替が「目醒める」ということらしい。 そこは、自力でやるしかない部分だと思う。 したがって、「自称指導者よ、他人のことは放っておいて」ということになる。

(5)指導者から「指図」「悪い意味の指導」「しつけ」を受けると、私たちの意識が外側に向く。 「スピリチュアルなトレーニング」=「ハイヤーセルフとの導通回復」という行為は、まったく個人的・私的な営みである。 その個人的・私的な営みを、指導者によってかき乱されるケースもある。 個人的・私的な営みに他者が介入したことで「もとより悪くなる」ことも多い。 それは内向的な人にありがちだなことだと思う。 学校、塾・予備校、家庭教師のいずれも「自分に合っていない」という人がいるものなのだ。 誰からも干渉されず、印刷教材や動画教材や音声教材をひとりでコツコツこなして、静かに進んでいきたい人もいる。 そういう内向的な人にとって、指導者というのは有害無益なんだよね。 学校が性(しょう)に合わない。 先生という存在が性に合わない。 最後は不登校になる。 そういう人は、「指導されること自体がウザい」んだよ、きっと。 それは勉強の世界でも、スピリチュアルな世界でも、スポーツや技芸の世界でも同じだと思う。 「先生ぎらい」な人は、存在するよね、一定の割合で。 とりわけスピリチュアルな世界が個人的・私的な営みを中心としていることから、スピリチュアルな指導者というのは、有害な側面が大きいのかもしれない。 とくにスピリチュアルなことを、お金を取って指導する場合には、「お金のためにクライアントを手放したくない」という「エゴ」が働きやすくなる。 私はそれぞれの魂が「思いっきり」を発揮することこそが、大調和を生むのだと思っている。 指導者から「指図」「悪い意味の指導」「しつけ」を受けると、抑圧され、萎縮してしまって、それぞれの魂が「思いっきり」を発揮することが難しくなるとすら思うんだよね、実際問題。 だから指導者が必要な場合には教えを請うけれども、けっして必要以上に馴れ合わないことだと思う。 距離感、大事だよね。 したがって、「自称指導者よ、他人のことは放っておいて」ということになる。

大川小学校 悲劇 - Google 検索

(6)「指導者と研修生」といったようにグループ/コミュニティをなしていると、指導者が闇の勢力からの霊的な攻撃に見舞われやすいようだ。 指導者さえ籠絡(ろうらく)してしまえば、研修生たちもろとも、団子にして高次元へ上がれないようにすることができるからである。 並木良和さんの『目醒めへのパスポート』の第3章「偽りの存在」に、そのことが述べられている。 「未熟な指導者」がグループ/コミュニティの全体を誤った方向へ導く危険性(大川小学校の悲劇を思い起こさせる)。 第3章「偽りの存在」という1章まるごとを割くぐらい、その危険性への警戒は大事なことなんだよ。 だって、「未熟な指導者」に師事したばっかりに、私たちの次元上昇が台無しにされる危険性すらあるんだからね。 特定の指導者をもたず、「野良(のら)」=「独立個人」でやっていくのが一番だよ。 関係ないけど、UUUMのYouTuberが軒並み「案件」=「企業コラボ」の動画の割合を増やしてしまっていて、レビューワーとしての中立さ・公平さが危うくなっていると思う。 これも結局、UUUMという事務所に属したことによるマイナスの側面だと思う。 「野良(のら)」=「独立個人」でやっていくのが一番だよ。 必要以上に覚醒を急ぐのは危険だと私は思っている。 一時的にワンネスを体感する「一瞥体験(かいま見)」を経験することなどを以て「覚醒した」と定義し、そこを早く目指すよう指導する指導者もいる。 しかし私が思うに、「誰が見ていなくても、誰から指導されなくても、ヒマを見つけては『統合』するように、自分を習慣づける」ことのほうが、一瞥体験よりも大事だと思う。 「統合の習慣」と「一瞥体験」は比較の対象ではないけれども、霊的体験に執着しすぎると、むしろ「眠り」に入ると思うのである。 並木良和さんによると、目醒めの手前まで到達しながら「転落」していく人が多いらしい。 現実が改善されたので、そこで満足してしまう人もいるらしい。 また霊的体験をして「自分は特別なのだ」と思い上がったり、調子こいたりする場合もあるらしい。 そうしたことどもは「統合」の対象として手放すしかない。 とにかく「統合」を徹底して、「垂直に上がっていく」ことがポイントになるようだ。 「感じ尽くす」「味わい尽くす」というのは、同一/近傍の波動/周波数において、水平に体験して経験値を積む段階。 いまは、この段階ではない。 「統合」ワークにおいても、いちいち「感じたり味わったりする」ことなしに、強制的に手放して垂直に上がる段階である。 こうした「状況設定へのメタ認知」が、十分には説明されていない気がする。 とにかく、自分としては、脇を締めて事に当たる必要性を感じる。 そうしないと、心の隙/脆弱性という窓口から、闇の侵入を許すことになるのだと思う。 並木良和さんの『目醒めへのパスポート』は内容が濃密で捨てるところがなく、また余分なことも書かれていない。 ワークが豊富に紹介されている点がスゴい。 セミナー何回分かのワークが紹介されていると思う。 2020年のゲート閉鎖まで、『目醒めへのパスポート』の1冊だけで十分だとも思う。

どんなに足の遅い人でも、二人三脚よりは速い

覚醒・次元上昇の話になると、「自分だけ覚醒して次元上昇してしまったら、家族はどうなるの? ペットはどうなるの?」ということで、覚醒・次元上昇を拒絶する人がいます。

まずペットは純粋で葛藤がなく、愛そのものなので、難なく次元上昇するようです。

むしろ私たち人間のほうが「エゴの引っかかり」が原因で躊躇・葛藤が生まれることによって、スムーズには次元上昇できない危険性があるらしいです。

並木良和さんによると、次元上昇を妨害する最大の要素は葛藤であるらしいです。 余計な迷い、躊躇、逡巡がクセになってしまっているとしたら、そこを重点的に「統合」する必要があると思います。 私自身も、ここに大きな課題が残ったままです。

また、自分が先に周波数を上げたほうが、その周波数に共鳴して、家族や配偶者や恋人や友人なども周波数を上げるらしいです。

したがって、「他人のことは放っておいて」「てんでんこに」周波数を上げるための努力をおこなうのがベスト。 これ以外にないようです。


どんなに足の遅い人でも、二人三脚よりは速い。

つまりグループを組まず、集団をつくらず、個々人がてんでんこに、自分の「思いっきり」を発揮するかたちで全力疾走するだけでいいのです。

他者のことを振り返る必要はないし、他者のことを振り返っていると全力疾走ができなくなるので、逆にマイナス。

そういう意味において、「スピリチュアルな指導者になりたい人」というのは、指導者自身/自分自身が全力疾走をしていないので、危険だと私は個人的に感じます。

自分にとって本当に必要な「指導者」は「自分のハイヤーセルフ」だけなので、ハイヤーセルフとのつながりを回復するための「手段」には、深入りしないほうがいいです。

「手段」は「手段」でしかないのです。

「自分」と「自分のハイヤーセルフ」との間に「エゴ」が介在する状況下で、さらにそこへ「スピリチュアルな指導者になりたい人」が介入してきたら、ゴチャゴチャになります。


グループを組まず、集団をつくらず、個々人がてんでんこに、自分の「思いっきり」を発揮するかたちで全力疾走するだけでいい。

それは津波避難の心得とまったく同じ。

津波警報を聞いたら、自分の「思いっきり」を発揮するかたちで全力疾走するだけでいいのです。 つまり「家族を放置して、自分だけ高台へ逃げる」だけでいいのです。

もちろん、小学校低学年までの子供は、誰かが連れて行く必要があるでしょうけれども、小学校3年生以上だったら、てんでんこに高台とか、コンクリート建造物の3階以上へ避難すればいいのです。

「冷たい?」ってか? 

そういうことゆってるから、大川小学校の悲劇みたいになるんだよ。

個々の魂には、個々のパワーがちゃんと備わっているのだから、それを信頼して、てんでんこに逃げる自由を与える。 これが、津波被害を免れて、生き残る魂を最大化する方法なんだね。

個々の魂には、個々のパワーがちゃんと備わっている。 ここを信頼することが大事。

学校教育というのは、集団主義を植え付ける洗脳の場なので、個々のパワーをできるだけ抑圧するようにできているんだよね。

大川小学校の児童の中にも「死んでたまるか!」と叫んでいた男子がいたそうだわ。

避けないで、「バカなセンコーなんて無視して、裏山に逃げようぜ!」と叫んで、児童が逃げ始めればよかったんだよ。

ちょうど私たちが直面している状況も同じ。

安倍政権が悪いとか何とかより、学校や会社や役所をやめるとか、離婚すると、引っ越すとかして、「新しい自分を生きる」ように切り換えるタイミングなんだよね、この2019年という年回りが。

「死んでたまるか!」だったら、スーッと逃げちまえよ、少年! 

オムネク・オネクの本の中に出てくる、金星での「始まりの日」のように、大衆が権力者たちを捨てて、都市部を出てゆくようなかたちで、政府を捨てればいいんだよね。 それが無抵抗・非暴力による革命なんだよ。

『私はアセンションした惑星から来た』 オムネク・オネク (徳間書店) 《中編》 ( その他人文科学 ) - 書いとかないと忘れちゃうから「読書記録」 - Yahoo!ブログ


「エセ指導者」の一定部分を「受け手が自分の思い通りになるように」「指図」「悪い意味の指導」「しつけ」をする人たちが占めている。 「受け手が自分の思い通りになるように」という段階で波動/周波数が低いことが判明しているので、離れたほう安全。

波動/周波数が低い状態の特徴として「依存性」がある。 「指導者自身の無価値感を払拭する手段として(実際には払拭されない)、自分よりも小さく、弱く、進んでいない人と関わりたがる」ような人が、「指導者になりたがる人」の一定部分を占めている。 それは結局、「対象を利用して自身の無価値感をかりそめに払拭する(実際には払拭されない)」という「依存性」が表出した状態という側面をもつ。

現在の「教育」も「商業的なスピリチュアリズム」も、まったく同様に「指導者に依存させて、受け手からお金を取る」という構造になっている。 「商業的なスピリチュアリズム」や「お金」そのものが悪いのではなく、お金を儲け続けるために、ベースに「何事か/何者かに依存させる」というカラクリが仕込んである点が問題。

「依存させる」というカラクリ。 これを言い換えれば、「支配」ということになる。

結局、支配したがるのは波動/周波数の低い存在の特徴なんだよね。

指導者を志望する人の一定部分を、この「支配したがる波動/周波数の低い存在」が占めているように思う。

指導者が「指図」「悪い意味の指導」「しつけ」をしたがるのは、その指導者の波動/周波数が低いために、支配欲に負けてしまっているからなんだよ。

学校の先生がウザい。

部活の先輩がウザい。

会社・役場の上司がウザい。

どうして? 

支配してくるからだよね? 

「指図」「悪い意味の指導」「しつけ」って、結局、支配なんだよ。

闇の勢力が支配しているこの世の中って、重たいよね?  それは波動/周波数が低いから。

この支配を取り払うのが地球解放という作業。

私たちにホログラムを見せている「マトリックス」と呼ばれる電磁的な環境については、その専門チームがやってくれている。

私たちのやるべきことは、私たち個々人が自分自身を「依存させるカラクリ」=「支配されるカラクリ」から解放することだ。

それは「統合」ワークをしっかりおこなうことだと思うし、周囲に合わせる「他人軸」の生き方を手放して、「自分軸」の生き方へと切り換えることだとも思う。

具体的には、「自分軸」に基づいて、気づいた人から徐々に、学校や会社や役所をやめちまうことだと思う。

闇の勢力による人民支配の具体的なフロントが、学校や会社や役所なんだから、そこをやめる人が増えることで、社会構造が崩壊していくんだよね。

スクラップ・アンド・ビルド。

それは破壊と創造の神であるシヴァ神のエネルギー。

大きな変革を成し遂げるためには、いったん全体を破壊しなければならない。

その前段階として、気づいた人から、「自分軸」に基づいて、現段階の世の中から足を洗ってしまい、自分の好きなこと、自分のテンションが上がることを始めればいいのだと思う。

このとき、コミュニティとかいって、集団化すると間違った方向に向かいかねないと思う。 まだ意識状態が十分に純化されていない状態でコミュニティづくりを始めても、対立・分裂という結果に終わると思う。

波動/周波数が上昇している最中だから、メンバーそれぞれの波動/周波数も変わってくるので、意識状態・価値判断まで違ってくるから、コミュニティそのものが崩壊すると思う。

現段階での「自分のテンションが上がること」というのは、次元上昇の一環として、あるいは、自分の「人生の青写真」の一環として、小さいながらも「自分の天国」を構築することなのだと思う。

「テンションが上がる」とは「波動/周波数が上がる」ということ。

それは、バシャールのいう「ワクワク」のこと。

並木良和さんのいう「こひしたふわよ」(こ=心地よい、ひ=ひかれる、し=しっくりする、た=楽しい、ふ=腑に落ちる、わ=ワクワクする、よ=喜びを感じる)のこと。

「テンションが上がる」=「ワクワク」=「こひしたふわよ」というのは、源〔みなもと〕がOKサインを出していることを意味する。

源〔みなもと〕が「その対象は、あなたの使命に合致しています」「その対象は、あなたがになっているパズルのピースに該当します」と判断したときに、私たちに「よろこびの感覚」=「ワクワク」=「こひしたふわよ」が走るのだ。

このとき「これは私のエゴが喜んでいるのだろうか」などという「否定」「疑念」をぜったいに発動させないこと。

「テンションが上がる」=「ワクワク」=「こひしたふわよ」を得たと感じたなら、それを信じて、やってみればいい。

やった結果、途中でうまくいかなくなったら、それは源〔みなもと〕からのOKサインではなかったのだということで、切り換えればいいだけなのだと思う。

それで、「自分のテンションが上がること」を一人一人が始めると、産業構造・経済構造としては、大企業が衰退して、中小企業や個人事業主が増えるようなかたちになると思う。

セブン‐イレブンがオーナーを奴隷扱いしていることが判明して、世間のセブン‐イレブンに対する悪感情が高まってきている。

また放射能汚染されたお米を使ったコンビニ弁当、おにぎり、冷凍食品等を供給しているコンビニは利用しないようにする。

だったら、セブン‐イレブンに行かなければいいんですよ。 買わなければ撤退しますよ、セブン‐イレブンは。

そうやって、産業構造・経済構造が変化していくのです。

セブン‐イレブン衰退 - Google 検索

Amazonを使わなくなる。

セブン‐イレブンを使わなくなる。

スターバックスを使わなくなる。

マクドナルドを使わなくなる。

私たちの選択によって、企業の横暴を阻止することだって可能なのです。

学校や会社や役所をやめちまう。

そういう「いちぬけた現象」が、大きなうねりとなって、これから社会を席巻することになります。

非人道的な企業は、みんなで手放しましょう。

非人道的な学校や会社や役所は、そこを退職することによって、手放しましょう。

その一方で、心ある企業を応援し、利用することにしましょう。

北海道地震におけるセイコーマートの神対応は、今でも語り草になっています。

北海道地震におけるセイコーマートの神対応 - Google 検索

セイコーマートは、北海道にほぼ限定されたコンビニエンスチェーンですけれども、セイコーマートに全国展開して頂くことも考えるべきでしょう。

そして、個々人としては「自分のテンションが上がること」を始める。

そうすると、暮らしてゆけるだけの収入は、おのずから入ってくるようになります。 なぜかというと、「自分のテンションが上がること」をおこなうことは、「天意に忠実に暮らしている状態」なので、自然と豊かさが保証されるのです。

そこに「心配」を持ち込むと波動/周波数が下がって、「心配」したとおりに、困った状態になります。

「自分のテンションが上がること」をやっているということは、波動/周波数が上がっているので、それに見合った現実が投影されます。 つまり、暮らしていくことができるだけの収入は、どこからか入ってきます。


「お金と商業」という「制約」から、「学校・教師/塾・予備校・講師などに依存させるために」「歯科医院に依存させるために」「病院・医師に依存させるために」など、ベースに「依存させる」というカラクリが仕込んである。

このカラクリは「自分の外側に価値・意義がある」という思い込みを誘発するように仕組まれている。

実際には、「自分の内側に価値・意義などすべてが内在している」ということへの「気づき」が「目醒め」であるらしい。

結局、「目醒め」を誘発するハズであるスピリチュアリズムの中にも、「自分の内側に価値・意義などすべてが内在している」ということへの「気づき」を阻止するカラクリが仕込まれている場合があるのだ。

この観点から、自分が好きだと思っているスピリチュアリストなどを吟味していくと、NGな人がゴロゴロっと外れていくことになる。

このスクリーニングを最も優秀なかたちで通過しているのが、現在の私の中では、並木良和さんである。 私の中では、並木良和さんがいちばん信頼できるということ。

スピリチュアリストを吟味する場合、ベースに「依存させる」というカラクリが仕込んであるかどうかを見るとよい。

それと、スピリチュアリストを吟味する場合、「グループ化・集団化しようとしていないか」をチェックする。

「仲間を集めて、グループ・集団を大きくしようとしている人」は危ないと思う。

「仲間意識は仲間割れの始まり」なんだよね。

スピリチュアリスト自身が、独立個人として楽しく生きているかどうか。 そこを見ると、誰がNGなのか、だんだんわかってくるのだと私は思っている。

「できるだけ自力で、自己の秘められた能力に目醒める」という次元上昇における重要課題の部分を打ち消さないスピリチュアリストであることが大事だと思う。


津波からの避難も、波動/周波数の上昇と覚醒、あるいは、その先にある次元上昇も、まったく同じ。

個々人がてんでんこに全力疾走で、自分のベストを尽くす。 「家族その他を放置して、自分だけ波動/周波数を上げる」だけでいいのです。 それが、巡り巡って、全体の波動/周波数上昇を最大化することになるわけなのです。

「自分が周波数を上げることで、家族や配偶者や恋人や友人なども周波数が連動して上がる」という件を、スピリチュアルな世界では、あまり強調しないので、誤解している人が多いようです。

この宇宙は「波動/周波数の世界」なので「共振が起こる」ということに注目する必要があるわけです。

これは「ともしびを他者に分け与えても、自分のともしびは減らない」ということに関係していると思います。

また「デジタル・コンテンツは、コピーして分け与えても、自分のデジタル・コンテンツは減らない」ということに関係していると思います。

「波動/周波数の世界」なので「共振が起こる」ということ。 「与えても減らない」ということ。 「コピー(複写)できる」ということ。

これらをよく考える必要があります。

「放送と通信とが異なる」件が、いい例です。

通信においては、接続する人がキャパシティを超えると「輻輳(ふくそう=通信渋滞)」が発生するのです。

しかし放送は、受信機が何億台、何兆台、何京台あってもが輻輳(通信渋滞発生)など発生しません。

結局、放送(broadcasting)というのは、「共振が起こる」「与えても減らない」「コピー(複写)できる」という電磁的な性質を利用しているわけなのです。

この宇宙は「波動/周波数の世界」という意味において電磁的なのです。

したがって、「自分が最大限に幸せになることだけ」を考えると、幸せが最大化されるのです。

波動/周波数が上がると幸せになります。 一人が波動/周波数を上げると、その周囲で「共振」が発生する。 それは「与えても減らない」「コピー(複写)できる」という原理に基づき、まるで秋吉台の山焼きのようにして燃え広がっていくわけなのです。

秋吉台 山焼き2017 HD 空撮part1 - YouTube

それでは、「共振」する側が、最も高い波動/周波数で「共振」できる状態とは? 

波動/周波数の最大値/ピーク値を叩き出してくれる「急先鋒」「特攻隊」みたいな人が、その人の全力を投入して波動/周波数を上昇させてくれることでしょ? 

その「急先鋒」「特攻隊」みたいな人が「自分が最大限に幸せになることだけ」を考えると、その波動/周波数の最大値/ピーク値で「共振」する人が増えていく。

その高い波動/周波数での「共振」が輪のように広がっていく。

波動/周波数が高いと、幸せになる。

つまり「実力のある人が、実力の限りを尽くして、波動/周波数を最大限に上げる」ことが、結果的に、地球全体の幸せを最大化させてくれるのです。

それで「波動/周波数が高い状態」とは、「テンションが上がった状態」=「自分が幸せになった状態」なのです。

結局、「楽しみじょうずな人」「喜ばせじょうずな人」が、「その人が感じる最もテンションの上がることだけをして、テンション上げ上げな状態を保っていてくれること」こそが、「社会の宝」「地球の宝」になるわけなのです。

それが「周波数ホルダーの使命・責任」なのです。

夢を語ると、冷や水を浴びせるようなことをゆう人が出てきます。 ドリームキラー、ドリームブレーカーですね。 こういう人からは、離れたほうがいい。

いまは地球の波動/周波数を上げ上げにする必要のある時期なので、暗い未来を語ったり、心配事を増やしたりするような情報を発信する人の情報は、自分の中に取り入れないようにする必要があるのです。

昭和天皇崩御のとき、自粛ムードというのがあって、あれで景気も減速したし、波動/周波数も下がったわけです。

3.11の後も、自粛ムードというのがあって、あれで景気も減速したし、波動/周波数も下がったわけです。

「こういうときに不謹慎なこと言うなよ」とか言い出す人は、ドリームキラー、ドリームブレーカーと同じ作用をもたらしますので、離れたほうがいいです。

波動/周波数を上げると、どういう良きことがあるから、波動/周波数を高く保つように配慮している。 そういう「場」において、冷や水を浴びせるようなことをゆうのは、「自分を常識人に見せたい」などの他意があるのですね、きっと。 そういう人からは、離れたほうがいい。 下がりますので。


「自分が最大限に幸せになることだけ」を考える。

そういった、この世的には「自分勝手」と思われるような姿勢が、じつは地球の波動/周波数にとって最大の効力を発揮する姿勢であった。

こういう深遠な仕組みがあるのです。

ですので、仕組みが理解できないうちは、安易にジャッジしないことです。

結局、波動/周波数の上昇は、火事のようにして燃え広がっていく。

したがって、大事なのは、全体を制限時間内に燃やし尽くすほどの発火点を、発生させることだけ。

地球全体を制限時間内に燃やし尽くすためには、14万4千人が必要。 それだけの「発火点」「電波塔」が必要なのです。

並木良和さんが、「14万4千人の周波数ホルダー」=「14万4千人の電波塔」ということを強く提唱なさっているのは、たぶんコレなのです。

より正確には、「イベント」と呼ばれる、高次エネルギーの集中放射が地球に加えられるタイミングにおいて、「14万4千人の周波数ホルダー」=「14万4千人の電波塔」が必要になる感じだと思います。

ということは、いますぐに発火しそうにない人のことは放っときゃええちゅうことなんよ。 どうせ彼らも類焼で発火することになるから、安心せてから、自分だけ燃えりゃぁええのんよ。

自分が発火しそうなのに、家族が、配偶者が、恋人がとかゆって、自分が発火するのを遅らせるほうが、冷たいんよね、実際には。 そのような姿勢では「全体のため」にならない。

この世の「制約」という環境下で、ゼロサムゲームばっかりさせられてきたから、自分が幸福になると、他者の幸福を奪うなどといった思い込みが強化されすぎている。

それが私たちの集合意識がおちいっている「落とし穴」なんだよね、実際には。

自分だけ幸せになれば、その高い波動/周波数が共振を起こして、受け手にも伝わるから、受け手も幸せになる。

この物理法則をよくかみしめて、ゼロサムゲームによって刷り込まれた「自分だけ幸せになっちゃいけない教」という宗教を捨て去る必要があるんだよね。

面白いことをやろうとすると、冷や水を浴びせる人がいるけど、それは「バチが当たる」といったような、闇の勢力の洗脳に毒された「精神を病んだ人」なのです。

面白いから波動/周波数が上がる。 波動/周波数が上がると、幸せが増える。 その幸せは、共振によって燃え広がる。

この原理が腑に落ちるようになると、嫉妬というのは起こらないんだよね。

嫉妬というのは、資源が有限だとか、ゼロサムゲームだとか、そういう闇の勢力が私たちに刷り込んでいる「制限」の「洗脳」から抜け出せない人の発想なんだよ。

あの人が幸せだったら、その波動/周波数を自分にも共振させて、自分も幸せな現実をプロジェクターとして投影すればいいのよ。 そうすると、自分にも幸せな現実が訪れるから。

とにかく、冷や水を浴びせる人とは、距離を置いたほうがいい。


集団行動というのは、結局、二人三脚をすること。

集団行動というのは「$n$人$n+1$脚」をすること。

どんなに足の遅い人でも、二人三脚をするよりは、速く歩ける、速く走れる。

この原理を考えた場合、スピリチュアルなトレーニングというのは、基本的には、一人一人、個別におこなうのがベストなんだよね。

というより、スピリチュアルなトレーニングは個人的・私的な作業なので、結局は「じぶんひとり」がベースになる。

そうなってくると、スピリチュアルなことも、てんでんこが一番。

そもそも、特定の指導者をもったり、コミュニティをつくったりすると、意識が外側に向くんだよ。

指導者に気を遣う。

コミュニティの仲間に気を遣う。

そういう「余計な業務」が増えることによって、意識が外側へもっていかれる。

本末転倒だよ。

てんでんこのほうが、意識を内側に向けたまま、自分のペースで進んでいけると思う。

とくに、並木良和さんの『目醒めへのパスポート』の第3章「偽りの存在」に書かれている内容が重要。

「未熟な指導者」と「その研修生」という構造をつくると、「未熟な指導者」が「その研修生」を「えせ五次元」に連れて行く結果になる。 そういう危険性があるんだよね。

そうならないためには、「自分」と「自分のハイヤーセルフ」との関係を緊密にすること、あるいは、「自分」と「地球(ガイア)」との関係を緊密にすることだけに絞り込んだほうが、間違いがないと思うんだよね。

「仲間意識は仲間割れの始まり」なんだよね。

仲間意識をもたず、適度な距離感で、てんでんこに生きたほうが、結局、お互いのためなんだよ。

覚醒や次元上昇においても、津波被害からの避難などにおいても、てんでんこにやったほうが、全体として、上がれる人/助かる人が増えるのだと思う。

よくスピリチュアルな人たちがやりたがる「コミュニティづくり」というのは、ことごとく失敗するとにらんでいる。

これはジャッジするとか、そういうことではなく、「覚醒するか否か」「次元上昇するか否か」というこの大事な時期に「コミュニティづくり」をすると、意識を外側に向けさせられてしまう。

「コミュニティづくり」というのは、時期が「いま」じゃないんだよね。

地球が五次元に安定するのは2032年~2033年だと並木良和さんがおっしゃっているので、「コミュニティづくり」を開始するのだとしたら、その前後だと思う。

つまり個々人が覚醒、次元上昇していない状態で「コミュニティづくり」をしても、「仲間意識は仲間割れの始まり」になる。

それに、その「仲間」の中でも、波動/周波数に違いが出てしまい、お互いに共存できなくなるからね。

参加メンバーの波動/周波数が安定してからでないと「コミュニティづくり」をしても、メンバーそれぞれの波動/周波数の違いによって、そのコミュニティは短期間で崩壊するのだと思う。

だから、今年2019年から、2032年~2033年ぐらいまでの期間は、「個を磨く時代」と位置づけてもいいんじゃないかと思う。 少なくとも私は、そう決意した。

集団行動というのは「$n$人$n+1$脚」をすること。 どんなに足の遅い人でも、二人三脚をするよりは、速く歩ける、速く走れる。 だとしたら、集団行動は、覚醒や次元上昇においても、効率が悪いだけじゃん。

適度にばらけて、安全にいこうよ。

もちろん、共振を利用する必要は大いにあります。 一斉瞑想とかも効果がありますからね。

でもそれは「日常」ではなく、ある特定の時期の「フェスティバル」です。

毎日の「日常」は「個を磨く」ことの連続だと思うわけです。

この「個を磨くための日常」が壊されるぐらいなら、グループ、集団、コミュニティといった要素は、私には必要ありません。

機が熟すまでは、グループ、集団、コミュニティといった甘い言葉には、乗らないことにしたのです。

 
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