ゆきんこの勉強法 | 自修人

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30 May 2020

シフトへのヒント:「私が経験するすべての現実は私を成長させるための最善の出来事のオンパレードだ」という信念

「私が経験するすべての現実は私を成長させるための最善の出来事のオンパレードだ」という信念

宇宙の根源は、私たちが[意識進化]をとげることだけを考えています。

つまり宇宙の根源は、私たちを成長させることだけにフォーカスしています。

どんなときも、私たちは、このことを信じ抜く必要があります。 粘り腰が大切だと思います。


私たちは「光の自分」を忘れています。

「光の自分」へ戻るときに起こった「一見すると自分に意地悪をしてくるような出来事」にかんして、最初は必ず反発心を抱いたり、真面目に受け取らなかったりして、逃避してしまうものです。 それは心の弱さからです。

「これは自分が真正面から取り組むべき課題である」と知りながら、思いきって、課題への取り組みに飛び込んでいけない状態に留まってしまうわけです。

尻込みは時間のロスになるだけですので、サクッと飛べや、アホ! ということでございます。


すべての現実は、それがどんなに理不尽で、場合によっては非人道的であろうとも、[私を成長させるために「上」が起こしてくれている現実なのだ]と考えるようにしましょう。 ただし、これは私自身への言い聞かせです。

「宇宙の根源は、私たちが[意識進化]をとげることだけを考えている」ということから考えを推し進めていくと、「起こっているすべての現実は、私たちに[意識進化]をもたらすために与えられた恩寵おんちょうgraceグレイス=神様からのうれしいプレゼント〕である」としかいえなくなります。

それが、どんなに「ヒドいこと」「おぞましい現実」であろうとも、それが「私たちに[意識進化]をもたらすのに役立つからこそ、意図的に起こされている」のです。 それが「神のみわざ」というものです。

ぶっちゃけると、現実とはフォトンを使った[映画]にすぎないので、高次元の人たちにしてみれば、その[フォトンシネマ]をでっち上げることなど朝飯前なのです。

私たちが経験する「ヒドいこと」「おぞましい現実」は、自分のハイヤーセルフ、あるいは、大天使など高次元の人たちがでっち上げた[フォトンシネマ]なのだと、私は考えています。

つまり、私たちが経験するすべての現実は[私たちを[意識進化]へと導くための映像教材]なのです。

ですので、よく目をこらし、よく耳をそばだて、最大限の集中力を発揮しつつ観察しなければ、さらには、現実が起こった文脈から、ハイヤーセルフの教育意図を酌み取る読解力を発揮しなければ、[意識進化]は発生しないのです。

私たちが地球という学校で経験した現実〔realityリアリティ〕というものは「私たちが地球学校の生徒として、気づき、学ぶべき教訓きょうくんlessonレッスン〕がメタファー〔隠喩いんゆ暗喩あんゆ〕としてめられているフォトンシネマを見せられている状態」なのです。

絢香 Ayaka - "やさしさに包まれたなら" 音楽で遊んでみた (Studio Session LIVE)

「目に映るすべてのものはメッセージ」なのですけれども、それは見る人の[角度]によって、さまざまなメッセージになります。 [角度]とは、[自分の視点]から[対象]を見たときのアングルのことをいいます。 [自分の視点]が低ければ、それなりのメッセージしか得られません。

私たちが「バカ」だと、「自分に都合のいい情報」しか取り入れない傾向がありますので、私たちが「バカ」だと、くだらないメッセージしか目に映りません。 あとのメッセージは捨象しゃしょうされます。

だから私たちが[意識レベル]を上げるしかないのです。

ですので、私たちが「バカ」だと、ハイヤーセルフの教育意図を読み損ねて、あるいは、読み違えて、「私は神から見放された」「私は神から愛されていない」などという「自虐的じぎゃくてきな結論」を勝手に導き出して、さらにどつぼにはまっていくのです。

神々の領域に至っても、「私は神から見放された」「私は神から愛されていない」などと勘違いすることによって、カンタンにダークサイドに転落します。 それは疑念ぎねんというダークなエネルギーに負けたことを意味します。

私たちは、いつもエントロピー増大に抵抗し、[ズレたら戻る][ズレたら戻る]を繰り返す。 つまり、常に【ニコちゃんの場所=中立点】に立ち戻ることを意識する必要があるのです。

私たちは「バカ」をやめて、しっかりとハイヤーセルフの教育意図を読み取る訓練をする必要があります。

この現実〔realityリアリティ〕が何を言わんとしているのかを瞬間的に見抜く訓練をするのです。

これは「典型的な入試問題を秒殺レベルで解くトレーニング」と同じ「学習プロセス」にすぎません。

その訓練において、最も重要なことは、「私が経験するすべての現実は私を成長させるための最善の出来事のオンパレードだ」という信念を抱き続けることです。

それは、「宇宙の根源は、私たちが[意識進化]をとげることだけを考えている」ので、「宇宙の根源から派生した存在である自分のハイヤーセルフ、あるいは、大天使など高次元の人たちがでっち上げる[フォトンシネマ]も、その趣旨は[私たちに[意識進化]を与えるため]」に決まってるからです。

あったりめぇだろ? そのんなの、そうに決まってんじゃん、ということです。

これは「宇宙の公理」として、信じ抜くべきものです。 そこは、理屈の領域ではありません。 信心、信仰の領域です。

この部分が揺らぐと、神々でもカンタンにダークサイドに落ちます。

大切なことは、揺らいでもいいから、[躊躇ちゅうちょなく素直に機敏きびんに修正をかける]という謙虚けんきょな姿勢です。

毎日、毎回、キャリブレーションを取り直すのです。

起こった現実に対して、「これはちょっとヒドすぎるのではないか?」というように、開き直ったり、怒りやうらみを抱いたりするのは、傲慢ごうまんになっている証拠です。

傲慢さは、「宇宙の根源は、私たちが[意識進化]をとげることだけを考えている」という公理に疑念を差し挟んだからこそ生まれるわけです。

「自分がズレている」のではなく、「宇宙の根源がズレている」というふうに、[因果や主従の順番を逆転させた解釈]へと転落しているのが、傲慢な状態なのだと思います。

[現実の中に滋養じよう成分として含まれている教育意図を解読する]という学習意欲を喪失した。 勉強を途中で放棄した。 その弱い心の表れが、傲慢さとして表出するわけです。

傲慢さを発揮しても「うまくいっている」「成功」している人は、どうやっているのでしょうか?  それはダークエンジェル、ダークピープルが援助しているのです。 つまり「悪魔に魂を売り渡す代わりに、この世の成功を与えよう」という契約書にサインしてしまったので、「うまくいっている」「成功」している状態が維持できているようなのです。

したがって、「うまくいっているから正しい」「うまくいっているから安全だ」とは考えないほうがいいです。

不良やヤクザは傲慢ですよね?  彼らは勉強を途中で放棄した弱虫です。

誰にだって「荒れた時期」というものはあります。 大切なことは、それを「過去のことは、すべてヨシ〔とらわれない〕」としながらも、立ち直る決意をして、自分の考え方・行動・発言などに、実際に修正をかけることです。 弱虫だって立ち上がることができるのです。

不良やヤクザが、勉強を途中で放棄した弱虫であるということは、真正面からごまかさないで認知するべきです。 「勉強を途中で放棄した弱虫」であることを、他者が責めたり、自分で自分を責めたりする必要はありません。 そして「弱虫が悪い」ということではありません。

しかし「弱虫は弱虫である」ということは、澄んだ心で、真正面から、素直に受け取るべきです。

「弱虫を強虫と読み替える」など、[解釈をごまかす]ことは、【中立点定位】からズレる要因、いいかえれば、[おかしな非難]をする背景となる[おかしな信念]を身につけてしまう要因になってしまうと、私は思います。

[おかしな信念]こそは、統合すべき対象の筆頭なのだと思います。 [おかしな信念]を手放さなければ、いつまでたっても、[おかしな感情]が発生し続けるわけですから。


ちょっとつらい現実があると、私たちはすぐに「私は神から見放された」「私は神から愛されていない」などといじけて見せるのです。 それは、依存心から出た愚行ぐこうです。

いじければ誰かが助けてくれる? 

あなたのお母さんは、そうだったのでしょうけれども、ハイヤーセルフはもっと厳しいですよ。

あなたのお母さんは、あなたを育てるとき、そのように依存心を出せば、助けてくれたのですね?  あなたのお母さんは、あなたに依存心を抱かせる原因をつくったのですね?  そこは改める必要があります。

あなたのハイヤーセルフは、あなたを成長させたいので、いじけたあなたを放置します。

いじけているかぎり、誰もあなたを助けてくれません。

いじけるところから、ダークサイドへの転落が始まります。

不良やヤクザは、いじけた状態が「常態化」した典型例です。

これを「悪い」とか「責める」という意味ではありません。

「それがそうであることを、ごまかしなしに、素直に見取ること」が大切だと思っているのです。


ハイヤーセルフと通信できようが、できまいが、「私が経験するすべての現実は私を成長させるための最善の出来事のオンパレードだ」という信念を抱いて、すべての現実の中に「[意識進化]」の中を、目を皿のようにして探しまくる。

それを習慣づけることが大切なのだろうと思います。