インナーチャイルドに自立心を! 

私たちのDNAには、宇宙存在たちから植え付けられたインプラントとしての罪悪感・無価値感という「二つの大きな眠りの要素」というものがある。

細胞核にもDNAがあるし、体の周囲にあるオーリック・フィールドにもDNAがあるようだ。 私たちにインプラントが組み込まれている部位は、オーリック・フィールドかもしれない。

罪悪感・無価値感という「二つの大きな眠りの要素」を乗り越えるためには、「私にはできない」という感覚(無力感)を克服する必要がある。

「自分が感じ切ることができずに残った感情」というものにインナーチャイルドという名前をつけた。

インナーチャイルドという名前をつけたのは、「自分が感じ切ることができずに残った感情」というものが、あたかも「独立した人格」を有しているかのように振る舞うからだろう。 ならば逆に、「独立した人格」を有するのであれば、インナーチャイルドは自分で自分を癒やしなさいよ、という論法が成り立つ。

インナーチャイルドは、自分に癒やしが必要だからという理由で、陰に隠れて悪さはするけれども、自分で自分を癒やす力はない?  ふざけんな! 

悪さをする気力のある人格が、自分で自分を癒やせないわけがない!  「独立した人格」を有するのであれば、セルフヒーリングができるはずだ。

だからインナーチャイルドに自立心というものを、しっかりと教えてやる必要があると思う。 それは自分自身が自立心に目醒めるということでもある、と思う。

インナーチャイルドは、自分で自分を癒やせよ、と。

理性に抑え込まれても、インナーチャイルドは、しっかりとその場で自己主張をして、表に自分で出て来いよ、と。

インナーチャイルドは、被害者ヅラして、メソメソしてるんじゃぁねぇよ、と。


インナーチャイルドのヒーリングの本質的な部分は、「インナーチャイルドが象徴している残存感情を感じ尽くす」という部分とともに、そのさらに根源をなす原因体にアプローチする必要もあるのではないか?  そういう部分に行き着く。

インナーチャイルドが傷ついているから、「私たちの理性」がインナーチャイルドを癒やしてあげる必要がある。 こうした捉え方の前提には、「インナーチャイルドと『私たちの理性』との間には共依存の関係がある」という大前提があるのだと思う。

しかし、この大前提そのものが不健全だ。

私はインナーチャイルド理論には、どこかに大きなバグが潜んでいるのかもしれいないと思う。

インナーチャイルドは、本当に私が引き受けるべき「ゴミ」「産業廃棄物」なのだろうか? 

愛と感謝以外の要素は、すべて自分の本質とは別の要素である。

インナーチャイルドは、本当に私が引き受けるべき「ゴミ」「産業廃棄物」ではないのだと思う。

これは、インナーチャイルドは、外来の「ゴミ」「産業廃棄物」だと思う。

これで、インナーチャイルドを握りしめている手が緩む。


インナーチャイルドは、「自分が傷ついた」なんだと言って、依存心を発揮している。

依存心を発揮しているということは、依存心を手放すことも可能だということを意味している。

インナーチャイルドは独立した人格を有しているかのように振る舞う。 人格があるんだったら、インナーチャイルドよ、自分で自分を癒しなさい。 甘えるんじゃないよ、バカ者! 

私たちがいちいち、インナーチャイルドを抱きしめて「つらかったね」「苦しかったね」などと言ってやらなくても、インナーチャイルドが自分で自分を癒せるはずだ。

それは、インナーチャイルドが、インナーチャイルド自身を癒すこと(セルフヒーリング)が可能だということを意味している。

それはインナーチャイルドが依存心を手放し、自主独立の精神を取り戻し、無力感を克服する瞬間である。

それは同時に、私たちが自主独立の精神を取り戻す瞬間でもある。

つまり、あらゆるものには自己治癒力があるのだ。

人間の体を構成する各細胞には、細胞の中の太陽というものがあるらしい。 細胞は自分の中の太陽によって自分を癒すことができる。

同じようにして、インナーチャイルドには、インナーチャイルド自身のみなもと〔ソース〕とのつながりがあるはずである。

「私たちの理性」を通さなくても、インナーチャイルドが直接みなもと〔ソース〕とつながって、インナーチャイルド自身を癒せばよいことである。

インナーチャイルドは、自分で自分を癒しなさい。 インナーチャイルドに人格があるのなら、インナーチャイルドには、それだけの力があるはずです。

インナーチャイルドを癒す前に新規にインナーチャイルドを作らない生活態度を確立せよ

インナーチャイルドを癒す前に、新規にインナーチャイルドを作らない生活態度を先に確立しないと、掃除しているそばから汚していくことになる。

(0)そのインナーチャイルドは本物ですか?

感情が起こるのは、比較や対比が発生した場合だけだと考えられる。

例えば、優しくしてくれた人が急に冷たくなったら、寂しさや怒りを感じるであろう。

しかし、最初から何もなければ、何も感じるわけがない。

優しかったお母さんが急に冷たくなった。

楽しかった家族が急に崩壊した。

このようにして比較や対比が起こってコントラストが感じられるときにだけ、感情が生起するのだと考えてよい。

高次元での楽しい楽しい生活も、毎日が楽しければ飽きるであろう。 そこにはコントラストがないのだ。

だからこそ地球に魅力を感じたのだった。

感情発生プロセスに、「比較や対比が起こってコントラストが感じられるときにだけ」という条件設定が絡んでいることが多い。 この視点は大事だと思う。

最初からお母さんがいない人が、お母さんのいない寂しさを感じるであろうか?  感じるわけがないのだよ。

「お母さんがいなくて寂しいわね」などという吹き込みをする大人の女(ババア)や大人の男(ジジイ)がいるから「ああ私は寂しいのか」と、そのように洗脳されてはいないであろうか? 

どう感じるかは、オノレが決めるから、大人の女(ババア)や大人の男(ジジイ)は黙ってろよ。 決定権は、ワシにあるんじゃ。 人の宇宙に口出しするな、大人の女(ババア)や大人の男(ジジイ)ども。

「お母さんがいなくて寂しいわね」など言われるたびに、「そんなこと感じてないのに、イヤだなぁ」という気持ちを抱いていた。 そんな子供たち、少年・少女たちも、多かったのだと思います。

あなたのインナーチャイルドは本物でしょうか? 

あなた本当に傷ついているのでしょうか? 

大人の女(ババア)や大人の男(ジジイ)から吹き込まれた「お母さんがいなくて寂しいわね」などという同情というか、感情誘導というか、余計な干渉があったから「自分は寂しいのだ」という自己暗示にかかっているだけなのではないか? 

「感情の田植え」をするなよ、大人の女(ババア)や大人の男(ジジイ)。

大人の女(ババア)や大人の男(ジジイ)が、わが子に「あの子は、お母さんがいなくてかわいそう」などという吹き込みをする。

そうすると、そんな子供たち、少年・少女たちが、母のない子に、いかにも「かわいそう」というビミョーな空気を出しながら接する。

これって、マイルドな差別とか、マイルドなイジメなんだよな。

「ふつう」に接するのが一番だっていうのに。

そうやって周囲から「かわいそう的に扱われた」せいで、「ああ私はかわいそうなのか」と、そのように洗脳されてはいないであろうか? 

周囲が勝手にあなたの感情を決めつけてしまい、その決めつけによって洗脳されて、その洗脳という結果に自分は翻弄されているのではないのか? 

よくよく考えてみてほしい。

あなたの感じた感情は、誤解や勘違いに基づく、必要のない感情だったということはないだろうか? 

最初からお母さんがいない人が、お母さんのいない寂しさを感じるであろうか?  感じるわけがないのだよ。

よその家庭と、自分の家庭を比較して、「うちには、どうしてお母さんがいないのか?」などと思い、比較や対比が起こってコントラストを感じた。 このときに、「世の中にはお母さんのいる家庭と、お母さんのいない家庭の二種類があって、私の家庭が後者なのだな」と単純に思えばいいだけなんだよ。

周囲の大人の女(ババア)や大人の男(ジジイ)、子供たち、少年・少女たちが、母のない子に「感情の田植え」をするから、共振が起こって、その感情が植え付けられた。

それはあなた自身に由来する感情体験ではなかった。 自分のものではないから、例えば、セントジャーメインのバイオレットフレームで焼けば、容易にクリアにすることができる。 あるいは、光子〔フォトン:キラキラフォトン〕で照らせば、容易にクリアにすることができる。

「ああなんだバカバカしい」。 そう言って笑い飛ばせるとき、すでに「マインドの思考がなした感情無視や感情抑圧によって、感じ切られることなく残っている感情」=「残存感情」=「インナーチャイルド」は解消されているのではないだろうか? 

大事なことは、癒やす必要すらない「問題事案」をでっち上げないことだ。

あなたの感情は、外部から来たニセモノの感情だった。 こういう構造があるのではないか? 

この視点から感情を整理していくと、けっこうバカバカしいものが多いと思う。

バカバカしくても、けっして見くびることなく、セントジャーメインのバイオレットフレームや光子〔フォトン:キラキラフォトン〕によって、漏れなく処置していけば、大丈夫だ。

また癒やすのに、必要以上の手間がかかるような複雑で迂遠なメソッドは、この期(ご)に及んでは、捨象(しゃしょう)してもよい。

itとかthisとかでゆっているので、不明瞭だけれども、結局、ビバリーがみなもと〔ソース〕に訊いたら、「インナーチャイルドは真実ではない」という答えだった。 次元上昇シフトはフレッシュ・スタートだ。何十年にもわたって人々が信じ込んできた「ゴミ」を取り除くときだ、などとビバリーはゆっている。 みなもと〔ソース〕に直接質問できなくても、Oリングやペンデュラムなどのボディチャネリングで、みなもと〔ソース〕の見解を確かめることはできる。

The "Inner Child" Theory - Is it accurate and beneficial? - YouTube

【シャスタ配信】前半➀全てが融合されていく時代。ホピ族だった時にとても縁のあった方と今世で再会☆ - YouTube

【シャスタ配信】後半② 直観・インスピレーション・あなたが導かれるものに出会うと自動的にDNAレベルでアクティベーションが起きます。自由にどんどん行きましょう! - YouTube

インナーチャイルド理論が、正しいかどうかは、それぞれの人の「正義」があるから、そこはおのおのに任せる。

大事なのは、インナーチャイルド理論が、私たちに利益をもたらすのか?  この点だけだ。

現象の捉え方を複雑化させ、浄化のプロセスを非効率化させる危険性も、インナーチャイルド理論には含まれていると思う。

結局、「マインドの思考がなした感情無視や感情抑圧によって、感じ切られることなく残っている感情」=「残存感情」=「インナーチャイルド」なのである。

「残存感情」を感じ切る、あるいは、セントジャーメインのバイオレットフレームなどの神聖な光線、あるいは、光子〔フォトン:キラキラフォトン〕で癒やすことによって、「残存感情」を解消してニュートラルに戻す。 これがインナーチャイルドの癒やしなのである。

「残存感情」を感じ切るのに、米国のヒーラーであるダン・マッキーニは「feel it fully for 30 seconds」と述べている。 結局、「残存感情」を感じ切るのに、1件あたり30秒しかかからない。 丁寧にやっても、本気で集中すれば、「残存感情」をかなり処理できる。

もちろん、大きな「残存感情」については、丁寧に、精緻に取り組むことも重要である。

他方で、対処すべきインナーチャイルドの多さに比して、私たちの浄化能力が低いとしたら、光子〔フォトン:キラキラフォトン〕などのやり方も採り入れたほうがよい。

ニューエイジなどの旧弊なスピリチュアル用語をぜんぶ撤廃して、量子論でシンプルに説明して、全体を整理し直した方が好ましいと思う。

現在活躍なさっているスピリチュアル・ティーチャーは、大半が淘汰される側であろう。

スピリチュアリズムは、もっとシンプルで、もっと庶民的なものだ。

最もシンプルで、最もパワフルだと自分が感じるメソッドを自由に選択するのが、現在という時期である。

いずれにしても、自分にしっくりくるメソッドを厳選して選択し、不要だと思ったら大胆に捨象してください。

次元上昇シフトの進展具合によって必要でなくなるメソッドも多くなります。 淘汰されるスピリチュアル・ティーチャーも多いことでしょう。 そのスピリチュアル・ティーチャーについても、淘汰されることが、本来の道に戻ること(所定のマス目に収まること)であり、そう考えると、すべてが祝福なのです。

大規模に、組織的に、商業的におこなわれているスピリチュアリズムは、すべて崩壊し、寺子屋的な姿になることでしょう。

それは生々流転・千変万化という宇宙の常であり、感傷に浸るべき対象ではありません。

(1)感情はハイヤーセルフからのサインであるから、いつも自分の感情に注意を払う

「世間の常識」「こうあるべし」というのを全部捨てて、次のような感情・感覚になるような対象に取り組むことが必要である。 次のような感情・感覚が得られている時、私たちはハイヤーセルフとつながっている。 つまりハイヤーセルフからOKサインが出たということが、次のような感情・感覚によって私たちに伝達されるのである。

――「安心、ホッとする、リラックスする、好きなことをする、無になる」(akikoSpiritualさん)。

――「恋ひ慕ふわよ〔こひしたふわよ:ここ地よい・かれる・しっくりする/すっきりする・たのしい・に落ちる・クワクする・よろこびを感じる〕」(並木良和さん)。

みなもと〔ソース〕の核になる志向は、拡大・発展・成長・進化・進歩である。

みなもと〔ソース〕は、この宇宙を一旦リセットして、別宇宙を作ることを決定した。

その方が、拡大・発展・成長・進化・進歩にとって有効だとみなもと〔ソース〕が判断したからである。

つまり私たちが存在するこの宇宙は、終了を迎える。 2022年から2032年の10年間のどこかの時点で、私たちの宇宙は一旦ブラックホールを通り、新たな宇宙空間が展開されるフィールドのホワイトホールから吐き出されることになる可能性が高いといわれている。

2022年から2032年の10年間のうち、いつそれが発生するのかについては、人口のうちどれだけの人たちが覚醒を決断したかによって大きく変動するので、予想することができない。

しかし大筋においては、2022年から2032年の10年間のどこかの時点で、宇宙の撤収と再展開(いわば宇宙の移行)が行われることが予定されている。

「宇宙の移行が行われる」「地球が5次元へと次元上昇シフトする」といった決定がなされるにあたっては、みなもと〔ソース〕の性質である「拡大・発展・成長・進化・進歩」という性質とは、反対の性質をもつ「好奇心を失い積極性を失いネガティブになってしまった人々」だけが感染する「ゾンビウィルス」のパンデミックがある。

私たちは天の川銀河と呼ばれる銀河系に住んでいる。

天の川銀河の中の太陽系の中にある地球という惑星に、私たちは住んでいる。

高次元バージョンの私自身を、ハイヤーセルフとか、ディバインセルフと呼んでいる。 このように一つの存在には、例えば、13次元までの別次元の存在というものが並行して存在している。

私たちの住んでいる天の川銀河には「別次元の天の川銀河」というものがある。

今から40年近く前の「未来」において、「別次元の天の川銀河」では、「好奇心を失い積極性を失いネガティブになってしまった人々」だけが感染する「ゾンビウィルス」のパンデミックがあった(並行現実なので現在も起こっている)。

2018/12/10 三人の会「オリオン大戦」ダイジェスト版 - YouTube

並木良和さん 京都講演会 書き起こし⑮〜統合の真実 | ソル・シーレ!

『覚醒への道|サアラ|徳間書店』のp.175にパンデミックの話が載っている

このパンデミックを阻止するために、宇宙全体を統合して、この統合された宇宙がブラックホールのトンネルを通って、別宇宙のフィールドのホワイトホールから現在の宇宙が再展開されることになっている。

この宇宙の引っ越しと同時に、3次元地球の閉鎖と、5次元地球の開始が同時に行われる。

移行先の新宇宙には、3次元地球は存在しない。 2020年春分の目醒めのゲート通過にあたって「目醒めない」という設定をした人は、移行先の新宇宙においては、3次元地球に類似した別の天体に移行することになっている。 つまり「目醒めない」という決断をすることは、地球という惑星とはお別れになることを意味する。

2020年春分の目醒めのゲート通過にあたって「目醒める」という設定をした人は、移行先の新宇宙において、5次元地球への移行にチャレンジする権利が与えられる。 つまり目醒めたからといって、5次元に次元上昇シフトできる保証はないのだ。

目醒めにはいくつもの段階があるらしく、2020年春分の目醒めのゲート通過にあたって「目醒める」という設定をした人の中にも、次元上昇シフトに失敗する人があるらしい。 次元上昇シフトの道は、けっして楽な道ではないということらしい。

また「目醒めることを決める」という内容にも、いくつもの段階があるらしい。 宇宙が求めているレベルの「目醒めることを決める」とは、「自分のすべてを失ったとしても目醒めることを選択するかどうか」という高度なものであるといわれている。

2018/12/10 三人の会「オリオン大戦」ダイジェスト版 - YouTube

それも当然である。 現在の宇宙がすべて撤収されるので、この宇宙に留まろうと思っても、留まることができない。 どちみち私たちは、新宇宙への移行にともない、すべてを失う運命なのである。 これはみなもと〔ソース〕が宇宙を移行すると決めたことに基づく運命なので、すでに決定しており、あらがいようのないことである。

ただし「目醒めない」という決定をした人、あるいは、5次元地球への次元上昇シフトに失敗した人も、3次元地球に類似した別の天体に移行できることが決まっているので、恐ろしい結果にはけっしてならない。

何も失うものはないのだから、5次元地球への移行試験にチャレンジしてみるのが面白いような気がする。

5次元地球への移行試験に一発合格なんて、かっこいいよね。 ってか、5次元地球への移行試験に一発合格するために、地球で何回も移行して準備してきたんだよ、私たちの多くは。 5次元地球への移行試験に挑戦して合格することが、生きている目的だったのよ、たぶん。

これから「目醒める」という決断を行い、現在、地球上の人間たちに対して行われている、高次からの強烈なサポートに素直に乗っかるようにすれば、5次元地球へのチャレンジコースに乗ることができる。 この波に乗っていこう。

「恋ひ慕ふわよ〔こひしたふわよ:ここ地よい・かれる・しっくりする/すっきりする・たのしい・に落ちる・クワクする・よろこびを感じる〕」(並木良和さん)が特に重視されている理由も理解できると思う。

これはゾンビウイルスに感染しないための防御なのである。

そもそもこのゾンビウイルスが発生したのは、私たちの集合意識が原因である。

ゾンビウイルスによって危機的状況を招くことまでしなければ、「好奇心を失い積極性を失いネガティブになってしまった人々」は、本気で改心しないのである。

好奇心を失い積極性を失いネガティブになってしまった状態。 この状態は、みなもと〔ソース〕の核になる志向である、拡大・発展・成長・進化・進歩といった属性とは正反対である。

この状況を正常化することが、みなもと〔ソース〕の意図であり、今回の宇宙の大移行をみなもと〔ソース〕が挙行する狙いである。

私たちはみなもと〔ソース〕の分け御霊である。 だから私たちの集合意識も、みなもと〔ソース〕の意図と共振して、ゾンビウイルスのパンデミックを招いたわけである。

ゾンビウイルスのパンデミックを私たちの集合意識が創造したことによって、宇宙全体が恐怖という部分で一致団結することができたのだった。 その恐怖から逃れるために、とくに異なる種族である宇宙存在どうしのコミュニケーションにまつわり、「科学技術の進展」「意識の進化」が急加速されたらしい。

しかし、この天の川銀河だけが、一致団結の輪に加わらなかった。

宇宙全体をいったん統合して、新宇宙へと移行するためには、天の川銀河も一致団結の輪に加わるようにする必要がある。 そのためには、地球の解放と次元上昇シフトが必要だということになった。

地球が5次元への次元上昇シフトを決意し、すでに達成したのは、こうした背景からだと考えられる。

地球が5次元への次元上昇シフトをすでに遂げているので、地球の住民である私たちも次元上昇シフトしなければ、5次元に暮らすことはできない。

地球の中でも、覚醒と次元上昇シフトのカギになるのが、日本と日本人ということらしい。

地図でも、「日本列島が世界の大陸のひな形になっている」ということが言われる。

日本列島って世界地図の縮図だって知ってた?? - NAVER まとめ

また天皇陛下は「地球の王」で、地球全体の責任を担っている。 令和時代の始まりは、地球の独立宣言だったそうで、今上天皇が地球独立の要になる。

そして天皇陛下は、日本人の集合意識の要でもある。 必然的に、日本人は地球独立の要としての役割が与えられている。

いわば独立運動、地球改革のカギを握っているのが天皇陛下と日本人であり、世界地図のひな形が日本列島にあり、日本人と日本列島の次元上昇シフトが、世界人類の次元上昇シフトと密接に関係している。

それは結局、天皇陛下と日本人が地球人の次元上昇シフトのカギであり、同時に、天の川銀河も一致団結の輪に加える動きのカギであり、同時に、宇宙統合のカギであり、同時に、新宇宙への大移行のカギになっている。

新宇宙への大移行が、2022年~2032年の間のいつかのタイミングで起こる。 移行時間は地球の時間に直して7~8時間ぐらいであり、その間、私たちは眠っている(意識がない)らしい。

知らない間に、ユニコーンが歩く美しい地球に移行していて、「ああ、ここは5次元地球らしいぞ」とかになるようだ。

そうなりたい場合には、2020年春分の目醒めのゲート通過にあたって「目醒める」というグループへのエントリーをしなければならない。

「目醒める」というグループへのエントリーが完了した人たちは、次元上昇シフトへ向けて、さらに統合ワークを続けて、周波数を上げていく流れに入る。

そして、2022年~2032年の間のいつかのタイミングで新宇宙への大移行が起こり、新宇宙の5次元地球への移行が完了する。

次元上昇シフトは甘くはない道らしいから、気を引き締めて、しかし深刻にならないように気をつけて、淡々とやっていくしかない。

「スピが金儲けをしたくて次元上昇シフトの話をでっち上げている」などということではない。

宇宙規模で、ガチにリアルにヤバい状況になっているから、「覚醒と次元上昇シフトを選ぶ」か、「眠り続けることを選ぶ」か、2020年の春分の日までにハッキリさせないといけないんだわ。

なお、バシャールが盛んに言っていたワクワク(エキサイトメント)というものも、恋ひ慕ふわよと同じ趣旨である。 恋ひ慕ふわよのほうが、より包括的で正確だと思う。

みなもと〔ソース〕の核になる志向は拡大・発展・成長・進化・進歩」にマッチした私たちの心のありようが恋ひ慕ふわよなのであった。

そして、みなもと〔ソース〕と直接ふれあっている私たちのハイヤーセルフからのOKサインが、私たちの感情(エモーション、イモウション)なのである。

恋ひ慕ふわよを感じる対象は、ハイヤーセルフから「GOサインが出ている」ということなのだ。 それは、ハイヤーセルフを介して、みなもと〔ソース〕が「やりなさい」「それを選択しなさい」というサインが送られているということなのである。

だから自分の感情・感覚に敏感になり、また自分の感情・感覚を高く評価し、厚く信頼する必要がある。 百万人がノーだと言っても、自分がイエスだと思えば、その考えを信じ切ることができるかどうかが問われている。 「世間の常識」「こうあるべし」というのを全部捨てる覚悟が問われている。

このように「世間の常識」「こうあるべし」というのを全部取っ払って、自分が感情を通じてハイヤーセルフから受け取っているOKサインを全面的に信頼し、それを貫き通すことを「わがままに生きる」と定義する。

「わがまま」とは、「わがあるがまま」=「私のありのまま」という意味である。

だから「わがままに生きる」とは、「すべての装飾を取り払った素の私」「私の本質部分」「私のエッセンスの部分」が命じるままに生きるということである。

あえて世間に対抗するとか、そのような外側を意識した意識状態ではない。

あくまでも自分の心を信じるという、「私の心の内側」と「それに基づく言動」との間の密なる関係を述べているにすぎない。

「わがままに生きる」とは、「自分軸をズラさないで、ブラさないで生きる」ということである。

「ハイヤーセルフとつながるにはどうしたらいいのでしょうか?」という質問に対しては、あなたが感じている感情そのものが、あなたに対するハイヤーセルフからの通信メッセージなのである、と答えるしかない。

あなたはすでにハイヤーセルフとつながっているのだ。

自分が嫌だなーと感じていることをいつまでも続けることは、「君のミッションはそちらの方向ではない」「これは君の魂の計画に沿った行動ではない」というハイヤーセルフからの通信メッセージを無視することを意味する。

しっくりこないなあ。 そう思ったらサクッとやめろ。 グズグズするんじゃないよ。

そのようにして自分の感情・感覚を研ぎ澄まし、自分の感情・感覚を信頼して、それだけを頼りに暗闇を突き進んでいく。

これからの生き方はそのような生き方になる。

他者に相談するようなものではない。

自分の胸に訊いてみな。

一人一宇宙。

あなたの宇宙は、あなたによってのみ創造される。

あなたの感情・感覚だけを頼りに、まさに手探り状態で進むしかない。

あなたを導くビーコンは、ハイヤーセルフから与えられる自分の感情・感覚しかない。

だから自分の感情・感覚を全面的に信頼するのである。

頭で考えるな。 感情と感覚を信頼することだ。

(2)「世間の常識」「こうあるべし」などによって感情が抑圧された時に、押し込められた感情が、心の中に不満をもった形で埋め込まれるのが、インナーチャイルドである

まず愛というものが母親・父親・祖父母、あるいは、恋人や配偶者といった、他者から受け取るものであるという前提・思い込みを捨て去らなければならない。

それは完全に依存心に巻き込まれた状態で考えているのである。

愛は私の内側の心の奥底のハイヤーセルフを通り抜け真我に到達し、さらに真我の向こうのみなもと〔ソース〕から来るものである。

もちろん愛に満ち満ちた高貴なる魂が近くを通ると、私たちはその愛の深さや愛の美しさに魅了される。 しかしそれもみなもと〔ソース〕に端を発する愛であり、同じものが私たちの内面にも存在する。

愛は他者に求めなくても、自分で内製できる製品なのである。

例えば、スピリチュアルな世界で、大天使とつながったといって喜んでる人が居るけれども、大天使も私たちが成長してくると突き放すようである。

それは冷たいのではなく、私たちに「自分に力があることを自覚しなさい」という意味で、そうしているのである。

同様にして、幼い頃に傷ついたとか母親が愛を注いでくれなかったとかグチグチいうんじゃないよ。

「愛情がお母さんからしか来ない」「愛情が配偶者からしか来ない」という前提が間違っているんじゃないの? 

つまり「お父さんがいて、お母さんがいて、愛情を注がれて」「配偶者がいて、愛情を注がれて」という思考モデルそのものが、刷り込みでしかない。 あなたは最初から1人で生まれてきて、1人で生活し、1人で死んでいくんだよ。 周囲の人々は、みんなあなたのドラマの脇役で、いわばあなた自身である。

すべての回路を短絡させれば、あなた自身があなた自身を愛せば、それだけで「終了」なんだよ。

また母親の無償の愛とかいうけれども、母親は母親で眠っているわけだから、母親は自己犠牲をして苦しみながら愛を注いでいたのかもしれない。

本当に喜びだけで愛を注いでいたのか?  あれは愛だったのか? 

子供思いの愛情深い母親であったとしても、その母親が自分軸から完全にずれまくっている場合もあったのではないか? 

お母さん、おしゃれして、旅行して、もっと旨い物食べなよ。

子供を半ばほったらかしにして、ランチとか旅行とかで楽しみまくっているお母さん。

そんなお母さんが、じつは自分軸で生きている、素敵なお母さんなんだよ。

そういう母親だったから、自分は寂しい思いをした?  うるせぇよ、甘えん坊め! 

自分は自分で、泥団子でも作って磨き込んでいけば、寂しかぁねぇよ。

自分が集中できる何事かを見つける能力がなかったから、つまり、自分が未熟だったから、お母さんを恨んだり、傷ついたとか何とか、グジグジ思っているだけさ。

冷たいお母さん。 そういうお母さんもいる。

そういうお母さんはお母さんで、愛が枯れ果てた人なんだよ。 それはお母さんの問題さ。 自分には関係がない。

そんなことより、キミはキミで、もっと自分を楽しみなよ。

愛は他者からしか来ないと思い込んでいると、他者を責めたり嫉妬したり、独り相撲で苦しみが発生するだけである。

「傷ついた、悲しかった、寂しかった」とかいう前に、愛はあなたの内側で自給自足できるのだというシステム構造を押さえておかなければならない。

自給自足できる愛というものを他者に求め、愛が来ない愛が来ないと騒ぎ立てている大馬鹿者はお前だ。

まずその自分の馬鹿さ加減をひしひしと感じ取ることが必要である。

これはしらけた視点ということではない。

宇宙の常識からすると、他者に愛を求めるということは、他者のエナジーを奪い取るというヴァンパイア行為なのである。 それは、こそ泥であり、ものすごく失礼なことだ。

だから例えば、大天使ミカエルに依存してばかりいると、大天使ミカエルだって助けないようになっていくんだよ。

自分が自分の力で自立しようという気のない人たちは、宇宙の常識に反しているし、宇宙デビューできないということになる。

愛はほかからやってくるという観念を捨てなさい。

愛はあなたの中に内在します。

大天使とか、プレアデスとか、シリウスとか、アルクトゥルスとか、ベガとか、いろいろな宇宙存在と触れ合って喜んでる人も多いけれども、彼らにけっして依存心を抱いてはならない。 依存は宇宙では失礼にあたります。 それは依存すると他者からエネルギーを奪い取ることになるからです。

エネルギー乞食は、やめましょう。

エネルギー泥棒。 宇宙の恥です。

エネルギー泥棒。 宇宙デビューできず。

エネルギー泥棒は、人様の畑からスイカを盗むスイカ泥棒と同じです。

エネルギー泥棒は犯罪者です。

いじいじグチグチしてないで、もっと自立してください。

そういった観点からインナーチャイルドというものを整理していくと、ほとんどのインナーチャイルドは、誤った前提に基づいて「傷ついた、悲しかった、寂しかった」とかいっていることが分かる。

確かに子供時代は自分が無力であり、愛が親からしか来ないというように誤解して生活していた。 それが大人になっても治らない人もかなり多い。

けれども現在の視点(周波数)からすると、「愛は自給自足可能である」という前提に基づいて、インナーチャイルドの気持ちを抱きしめてあげるとともに、インナーチャイルドたちに、真実の情報を送り届ける必要もあると考えられる。

確かにインナーチャイルドに寄り添って、インナーチャイルドの気持ちをノージャッジメントで受け止める必要もある。

確かにそれはそうだけれども、「愛は自給自足可能である」と知った現在の視点(周波数)からすると、いつまでも感傷に浸っている場合ではないということもいえる。

そこにも男性性と女性性の統合が必要である。

そうだね悲しかったねつらかったね頑張ったねと、そのように女性性の観点から受容するということも重要である。

その一方で男性性の観点から、あなたが感じたその感情は、どのような観念・信念・思い込みに基づいていますかと、自分に問いかけて、冷静な立場から、この感情を発生させたことが本当に愛や感謝の立場から妥当だといえるのかを考えてみる必要もあると思う。

この世界はまだまだデュアリティの強い世界であるから、女性性に偏ることもなく、男性性に偏ることもなく、両方とも合わせて、統合的な立場から対処することが大事だと考えられる。

インナーチャイルドの発生源は、「愛は外側からやってくるという誤解」にあると考えられる。

「愛は自分の内側にある」という気づきを得るところから、自己愛が始まる。

自己愛が強ければこそ、他者への愛、宇宙への愛が強まるものである。

それはすべてがフラクタルだからである。

自己愛すら強くない人間に、他者を愛することができるわけがない。

まず自己愛を強めよ。

これが「わがままに生きなければならない根拠」である。

わがままに生きていいのではない。

わがままに生きなければならないのである。

わがままとは、自己の内面への徹底的な集中である。

わがままとは、自分のハイヤーセルフから送られてくる感情・感覚に耳を研ぎ澄まし続ける、傾聴行為である。

ハイヤーセルフからの通信に傾聴したまま生活する。 それが、わがままに生きる、いいかえれば、自分軸で生きるということである。

意識を外側に向けないことが、わがままを貫くことなのである。

ちなみに、意識を外側に向けると、エネルギーが漏れて損をします。 内面に集中し続けることが、エネルギー漏れをなくす方法です。

わがままを貫いて生きることを、自分軸で生きると称する。

この態度で生活していけば、新たにインナーチャイルドを生むことはない。

インナーチャイルドは何も幼少期にだけ発生するわけではない。

大人になってからもインナーチャイルドは発生する。

インナーチャイルドは感情の自我だからである。

感情の自我は、年齢に関係なく存在し続ける。

また感情の自我が、ある感情を生じた。 その生じた感情をジャッジしてはならない。

怒りは怒りとして、恐怖は恐怖として、しっかりと感じ切ることが大事である。

けっして、ジャッジ、否定してはならない。

感情を失ってしまったら、瞬間移動などの能力に支障が出てくる。

必要だから感情というものがあるのである。

感情が発生してもとらわれずに、すぐに統合してニュートラルに戻すことができれば何ら問題はない。

感情を絶対に失ってはならない。

いいかえれば、感情の自我を絶対に抑圧してはならない。

つまりインナーチャイルド抑圧するなということだ。

インナーチャイルドは機嫌よくさせておけば私たちのやる気を増大させることになる。

感情はエネルギーである。

感情を平らかに保つことだけを目的にしていると、完全に無気力になり、ゾンビウイルスのパンデミックを呼ぶことになる。

感情が発生してもすぐにニュートラルに戻れるように、瞬間的に統合して自分軸に戻る練習をすればいいだけのことである。

高次の魂も皆そのようにしているらしい。

だからけっして感情の発生をジャッジしないでほしい。

感情豊かに生きなければならない。

怒りも悲しみも発生するに任せる。

例えば、「怒りが出てこなくなった」というのはある意味でパワーを失っていることである。

高い魂たちは、愛に基づいて怒った演技をしてくれることがあるという。

感情を失ってしまったら怒った演技をすることすらできない。

感情を消滅させてしまったら、ゼータレティキュリアン〔Zeta Reticulan〕 のようになってしまう。

私たちの遺伝子の中にも、ゼータレティキュリアン〔Zeta Reticulan〕 の遺伝子が入っているらしい。

Zeta Reticulum - Google 検索

The Zeta’s - FIFTY8

感情を否定しちゃ絶対にいけない。

感情を否定することは非常に危険なことである。


以上のように感情の抑圧を日常生活の中で行わないように準備しておいてから、インナーチャイルドのヒーリングを行ったほうが効率がよかろうと思う。

毎日インナーチャイルドを生産し続けているのに、インナーチャイルドの癒しを行っても、汚しながら掃除するようなものだと思う。

(3)インナーチャイルドは自己受容と自己愛の領域だ

インナーチャイルドというのは、誤解を与える言い方である。

インナーチャイルドが発生するのは幼少期には限定されていない。

感情が発生したにもかかわらず、その感情が無視された状態で放置されている。 あるいは、その感情を感じ尽くすことなく反応が途中で止まってしまった状態で放置されている。

いわば、私たちの意識の中が「残存感情というゴミが散らかった、ゴミ屋敷の状態になっている」。

この「ゴミ屋敷のゴミ」=「残存感情」のことをインナーチャイルドと呼んでいるだけである。

チャイルドという文言を使うから、おかしな誤解が生じてしまうのである。

インナーチャイルドは幼少期にのみ発生するわけではない。 幼少期も、子供時代も、青年期も、壮年期も、老年期も、人生のあらゆる時期にインナーチャイルドが発生する可能性がある。

だったらチャイルドなどという言葉は使ってはならない。

またチャイルドという言葉から、「母親を中心とした親からの愛が注がれなかったためにインナーチャイルドが発生した」というような「範囲が限定された誤解」が生じている感じもする。

しかもそこには、「愛は外側から注がれなければ満たされることがない」という誤った前提がある。

すべてが腐っている。

私たちはもともと愛そのものなのであるから、それを思い出して、愛を自分でまかない、その愛を自分自身に対して注げば、愛の問題は自己解決できる。

インナーチャイルドが発生した原因は、「あなた自身が愛そのものである件」を忘れてしまっている点にある。

インナーチャイルドの問題は、自己受容と自己愛の問題でしかない。

いずれにしてもインナーチャイルド理論は、あくまでも比喩の世界であり、この比喩の世界から、あらぬ誤解が生じて、事態を複雑化させ、解決への道筋が遠回りになってしまっていると感じられる。

「子供(インナーチャイルド:感情の自我)」「大人(インナーアダルト:理性の自我)」「お母さん」などは、あくまでも比喩だ。

比喩というものが狙った効果を発揮せず、むしろ誤解を与える要因になっていたとしたならば、その比喩を全部撤回して、すべて直接表現にするほうがシンプルで分かりやすい。 シンプルでわかりやすいということは、スピーディーであるということである。

覚醒とシフトを急がなければならない昨今において、下手な比喩によって誤解を生じていたのでは具合が悪い。

またインナーチャイルド、インナーアダルトといった用語は、比喩であるとともに、パラフレージングである。 パラフレージングとは、言い換え表現のことである。

言い換え表現が多ければ多いほど、事態が複雑化して理解が困難になる。

一つの対象は、一つの名称によって整理されるのが最もシンプルでわかりやすい。

一つの対象に、余計な別名を与えるから、混乱と誤解が生じてしまうのである。

別名は、好きではない。

例えば、キリストといったり、サナンダといったり、ニギハヤヒといったり、いろいろな別名があるから混乱するんだよ。

マテオリッチといったり、利瑪竇といったりする。

両方覚える意味あんのか? と。

名前は1つに統一しろよ、と。

ふざけんな、と。

こうした発想に立てば、インナーチャイルド理論というものは捨てちゃったほうがすっきりするんだよ。

したがってインナーチャイルド理論は、究極的に必要がなく、いわば有害無益だという見解に私は達した。

マインドによる思考が、「残存感情」を生んできた。

マインドに全く悪気はなく、マインドは私たちを守ろうと思って感情を抑圧したのである。

具体的には、「自分自身を保護するために、感情を感じる心の回路を閉じてしまっていた」「自分自身を保護するため、ここであからさまに感情を表現するのは控えておこうということで、感情を抑圧してしまった」「感情を我慢することが美徳であるという『こうあるべし』の刷り込みによって、感情を我慢し、感情抑圧してきた」などの背景があったのだと考えられる。

インナーチャイルドを癒すには

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インナーチャイルドは光子〔フォトン:キラキラフォトン〕で癒やそう

インナーチャイルドは大変多いので、特に大きくて重要なインナーチャイルドはしっかりと感じ切って、丁寧にヒーリングする必要があるとは思うけれども、小さなインナーチャイルドについては、黄金の光を浴びせるなどして、効率的に処理していたほうがよいと思う。

不安や不満を光で包む「この世を天国にするワーク」シェアします♡ - YouTube

 
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