「教育」というと「児童・生徒」の意見をきかないで先生方が自分に都合のいいように物事を決めてしまう

植物は低級で、人間が高級だと勘違いをして、植物をいじめる農業がおこなわれています。

植物は植物で、人権があるのですよ。 そして植物には、人間にない能力があるのです。 だから植物から教えを請う必要があるわけです。

こういう感覚がわからないんですよ、「イヌ・サルの遺伝子」が活性化されている精神状態では。

児童・生徒のほうが正しい情報や正しい意見をいうと、先生がプライドをつぶされて怒り出すでしょ?

その精神状態で児童・生徒の前に立つなよ。

上下や強弱で物事を考えるから、循環しないんだってことだ。

循環しなければ調和しない。

「しつけ」「指導」「ルール」が有害無益だということを周知させることだね。

「児童・生徒は未熟で何もわかっていない」「大人が教えてあげなければ児童・生徒は何もわからない」という間違った前提を

「イヌ・サルの遺伝子」が活性化されている大人たちは信じ込んでいるのです。

学習をおこなう主権は、あくまでも児童・生徒にある。 「イヌ・サルの遺伝子」が活性化されている精神状態では、このことが理解できないでしょう。

成文法があるとモラルハザードが起きる

「仏典にはこう書いてある」とか、 「聖書にはこう書いてある」とか、 「戒律はこうなっているから、あなたは戒律を破ったので破門だ」とか、 そういう「明文化されたルール」があると、「ルールが複雑になってくる」し、「ルールを知悉した専門バカ」が登場することになる。

そうして「そのルールだけ守っときゃいいんだろ」的な、物事をなめた発想に陥る人たちが多くなる。

他者が見ていないと犯罪行為に走る人ルールの裏をかいて、悪事をなすバカも出てくる。

成文法、言語による規定というのは、やめたほうがいい。

結局、「純粋な愛」や「内心に構築された良識」を動的に運用することで、その場、その場で、適切に対処してゆけばいいのだと思う。

遅刻取締のためなら「校門の鉄製の門扉」で生徒の頭をつぶしてもいいのか?

90年 神戸高塚高校 校門圧死事件2 - YouTube

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神戸高塚高校校門圧死事件 - Google 検索

「校則を守らせることが正義」という「正義」を笠に着て、その「正義」を隠れ蓑にしながら、実際には「鬱憤晴らし」や「いじめ」をやってるんだよね。

税務署員は先輩から徹底的にイビられる

例えば、税務署員による税務調査、あるいは、警察の交通取締とかで、こういうことがある。

とっても暗い話だけど、実際の話だからね。 ちょっと書いておきます。

税務署員というのは、公務員の中で、いちばん「誰もやりたくない仕事」なんだよね。

「学歴コンプの鬱憤晴らしのようにして、納税者をいじめる」的なことを見込んで、税務署は、わざわざ高卒で学歴コンプをもっている人を採用するんだってさ。

いわば「公務員の底辺」が「税務署員」なんだよね。 これは税務署員をディスってるとか、そういうことではなく、税務署の位置づけを、そういうふうにしているのよ、中央省庁が。

それで「公務員の底辺」が「鬱憤晴らしのために、意地の悪い税務調査をおこなう」というやり方になっている。

税務署員の人を知ってるけど、かなり先輩からイビられるらしいよ。 つまり税務署員の中でも、上から下へのハラスメントが横行している。

その延長線上に、税務署員から納税者に対する「税務調査」という名のハラスメントがおこなわれる。

こういうことになっているんだよね。

こうやって吸い上げられた税金は、どこに行くのかというと、闇の勢力に協力している人たちのところに回る。

中曽根大勲位とか、森喜朗元首相とかね。 安倍晋三首相もそうだよね。

税金は正当には使われていない。 闇の勢力の協力者が私服を肥やしている。

警察官は先輩から徹底的にイビられる

交通取締もそうでしょ?

警察官として交通取締をやっても、それは気分のいいものではない。

陰に隠れていて、事故が起こる蓋然性もないのに、重箱の隅を楊枝でほじくるようにして、交通取締をしているわけでしょ?

検挙件数のノルマ、罰金のノルマがあって、ノルマ達成のために、かなり理不尽な交通取締をやっている。

そして、警察官になる人たちは、たいてい頭がいいほうではない。

ってか、採用のプロセスからしておかしくて、親族・親類が警察官・消防士だと、確実に採用されるとか、かなり情実採用の風潮が強い、特殊な公務員なんだよ、警察は。

警察官も、いわば「公務員の底辺」だということなんだね。

ご存じのように、警察内部でも、上から下へのハラスメントが横行している。

拳銃で上司を撃った若い警察官がいたでしょ?

拳銃で撃たれるぐらいのイジメをやってるんだよ、警察官どうしで。

大阪府警の警官が、泥酔者を集団暴行して殺していますね。 これは殺人事件ですよ。

[体感治安ワースト1]大阪府警「死の連行」パトカーに押し込まれた泥酔男が死亡[人殺し警察]

「性の喜びおじさん」も、取り押さえるかに見せかけて、圧死させられています。 これも殺人事件ですよ。

【確定】性の悦びおじさん、車内で暴れ乗客に取り押さえられ死亡【ノエル氏逮捕】 - NAVER まとめ

「正義」を断行するフリをして、人間としてなしてはならない一線を越えた人たちが、ここにいます。

「法の執行」にかこつけて「法の執行者」が弱者をイビる構図

「校門の引き戸式の鉄門扉で生徒の頭をつぶした教師」も「税務署員」も「警察官」も、「法の執行」にかこつけて「法の執行者」が弱者をイビる構図の主役だよね?

「校門の引き戸式の鉄門扉で生徒の頭をつぶした教師」「税務署員」「警察官」に何が欠けているのかというと、「内心に構築された良識」に照らして行動する習慣だよ。

ちなみに、米軍はグアムに撤退したがっているんだね。 「辺野古への移転」というのは、建設利権をむさぼりたいヤクザ勢力がいて、彼らが「米軍の威を借る狐」を演じて、いかにも「防衛問題」であるかのように見せかけて、実際には、税金を懐に入れたいだけ。

辺野古 海上保安庁 - Google 検索

結局、「校則」だの「通達」だの「条例」だの「法律」だの、そういう「外側のルール」を「無慈悲に執行する」ことを命ぜられている。

こういう非人間的な仕事が、「校門の引き戸式の鉄門扉で生徒の頭をつぶした教師」「税務署員」「警察官」なんだわさ。

「公務員教師」「税務署員」「警察官」になろうという人たちは、この職業に就こうと思っている時点で、「自分の安定」を中心に物事を考える人たちなんだよ。

いいかえれば、「他者のことはどうなってもかまわないから、私だけ助けてくれ」的な心的態度の人が多い。

つまり公務員志向の高校生・大学生って、最初から「自分で生きる気力」がないわけ。

公務員をディスっているとか、そういうことではない。

「寄らば大樹の陰」の発想が強くて、「使われる立場」が「合っている」人たちなのよ、公務員志向の高校生・大学生は。

自営業とかには向いていない。

それで、この公務員志向の人たちの特徴を考えてみたとき、「外側のルール」を「無慈悲に執行する」ことを、潜在的に望んでいるんだよね。

自分の良心に照らして、その場で考えて対処していくことが苦手。

「決められたルール」「外側のルール」に沿って、それを「無慈悲に執行する」ことしかできないタイプ。

そういうタイプが、公務員になりたがるんだよ。

これは企業のお客様相談室みたいなところに電話しても、わかるよ。 「公務員タイプで、応用のきかない人」が多い。 彼らも「使われる側」にしか向かないタイプなんだよね。

「ニュートラルタイプ」=「独立個人」

だったら「使う側が偉い」のかというと、そうでもない。

リーダーになりたがる人も、結局、子分への依存症なんだよ。

例えば、ジャイアンが成り立っているのは、スネ夫やのび太がいるからなんだ。

スネ夫やのび太やしずかちゃんがいなければ、ジャイアンのリサイタルは開催できない。

結局、どういう状態がいいのかというと、独りで独立しているタイプで、必要ならば、他の人たちとコラボできる感じの人。

こういうふうに、「使われる側」でも「使う側」でもない、「独立した自由人タイプ」で「必要とあらばチームプレーができるタイプ」が、ニュートラルなんだよね。

それで、ニュートラルタイプの人が、いちばん強いんだよ、結局。

ニュートラルタイプの人を「独立個人」とよぶことがある。

結局、「お互いが独立個人として認め合い、尊敬し合い、尊重し合いながらも、協力し合うことができるような、交わりは淡いけれども、高度な関係性を築くことができる、いわば意識の高い階層」が、いちばん強い。

教育がほんらい目指すところって、そこだろ?

「誰からも支配されない」「誰をも支配しない」というのが、ニュートラルなんだよ。

こういう階層は、馴れ合わない、甘え合わない、もたれ合わない、過度に濃密な関係をもたない。

だから争いが起こらないんだね。

このニュートラルな状態を保つためには、けっこうエネルギーがいるし、意識が高度に発達していなければならない。

独立していて、自由人で、サラッとしたタイプ。 このニュートラルなタイプが増えれば増えるほど、世の中は「よくなる」んだよ。 民度が上がるってことだわな。

逆に、「社会を牛耳っている脂ぎったジジイ/ババアども」と「彼らの支配に屈している愚かな大衆」は、「ニュートラル状態」をまだ獲得できていない人たちなんだ。

「誰かから支配・搾取を受ける」「誰かを支配・搾取する」というのは、馴れ合っている、甘え合っている、もたれ合っている、過度に濃密な関係をもっているんだと思う。

これが、どういうことなのかというと、熱エネルギーで考える。

熱エネルギーが高いほど、分子間の距離が大きくなるでしょ?

つまりエネルギーを多くもっていると、個々人の関係性が「馴れ合わない、甘え合わない、もたれ合わない、過度に濃密な関係をもたない」という淡い関係性になってゆく。

それと同時に、岩石や金属や蝋やプラスチックのような物質は、熱を加えると可塑性が出てくる。

「鉄を熱して、農具をつくる」とか、「お湯で柔らかくなるねんどで、動物をつくる」とか、そういうことだよ、「可塑性が高い」というのは。

人間は年を取ると、「学習できない」「変われない」という状態に至る。 どうして?

熱エネルギーが低くなるから、精神に可塑性がなくなるんだね。 年老いるとは、精神の熱エネルギーが低くなり、精神が可塑性を失うことをいう。

「社会を牛耳っている脂ぎったジジイ/ババアども」と「彼らの支配に屈している愚かな大衆」は、熱エネルギーが低いから、「変わろう」としても「不可能」なんだよ。 これを「可塑性が失われた状態」という。

鉄は熱してこそ、形を変えることができるのだ。 「成長」とは、「可塑性のある状態」で「変容する」ということ。

悩み・苦しみは、精神をプラズマ状態にする。

悩み・苦しみによって、精神が多少おかしくなってくると、熱エネルギーが高くなり、変容しやすくなる。

青春の悩みとは、そういうふうに「変容を起こすためにある」んだよね。

自分の容姿について、恋愛について、進路や受験について、イジメ/ぼっちなど人間関係について。

こういう悩み・苦しみは精神をプラズマ状態にして変容するために発生する。

年を取ると、あんまり悩まなくなるんだよ。

年を取ると、たしかに、生老病死の「老病死」という苦しみはあるけれども、青春の悩み・苦しみのようなものは起こりづらい。

熱を失った鉄は、頑迷固陋・意固地なジジイ/ババアなんだね。

じゃあ、「世の中がよくならない」のは、どうして?

熱エネルギーを失い、頑迷固陋・意固地になったジジイ/ババアだけでなく、同じく中年の男性・女性、同じく若い男性・女性。

これら、エネルギー状態の低い頑迷固陋・意固地になった人たちが、「学習できない」「変われない」という状態だからこそ、「世の中がよくならない」んだよね。

「エネルギー不足で可塑性を失った人間」が多いから、「学習できない」「変われない」という状態になっている。 これが「世の中が変わらない」という現象の本質なんだ。

原因は、社会を構成するメンバーのエネルギー状態にある。 安倍が悪いとか、そういうことでもないんだよね。 「独立個人」が世の中の多数派を占めれば、安倍なんて簡単に排除できるから。

究極的には、エネルギーを高めれば、世の中が変わる。

いいかえれば、「ニュートラル状態」を獲得した「独立個人」が増えれば増えるほど、「世の中がよくなる」わけよ。

頑迷固陋・意固地になって、旧い体制にしがみつく人たちが多数派を占めていると、「世の中がよくならない」んだよね。

大事なのは、「旧い体制にしがみつく原因」である「貧困を解消すること」だよ 。 つまり、生活してゆくのに、旧い体制にしがみつく必要がなくなるようにすることが大事。

それとともに、「ニュートラルタイプ」=「独立個人」には、「しつけ」「指導」「ルール」が有害無益だということを周知させることだね。


「しつけ」「指導」「ルール」を「善なること」だと信じ込んでいる「頑迷固陋・意固地になって、旧い体制にしがみつく人たち」が多いよ。 若くても、そういう人がたくさんいる。

結局のところ、棲み分けになってしまうよね。

「ニュートラルタイプ」=「独立個人」には、それ専用の地域を設けて、そこに集住する。

小規模なポリスというか、藩というか、小王国というか、そういう感じのコミュニティを形成して、意識状態に応じて棲み分けるわけさ。

理不尽な職務質問をする警察官がうろついている東京都内なんて、住みにくいだけだろ?

そう思う人たちは、東京を出て、警察官など意識水準の低い人たちがいないポリスに入る。

こういったプロセスで、「しつけ」「指導」「ルール」「暴力」「イジメ」「ハラスメント」などを好む階層は、DQNポリス(DQNコミュニティ)で、仲良くやんなよ。

私はそういうポリス(コミュニティ)が嫌いだから、近づかないよ。

理不尽な交通取締をする警察官がうろついている路上なんて、住みにくいだけだろ?

だからみんな、自動車に乗らなくなるんだね。 若者が自動車離れするのは、路上にDQNが多いからだよ。 警察もDQNだよ。

こういう階層と関わりたくなければ、自動車やバイクに乗らないことだよね。 だったら、都市に住むしかない。 これが1つの答えなんだ。

意識レベルごと、エネルギーレベルごとに棲み分ける。

同好の士が集まって、ポリス(コミュニティ)を形成していく。

そういう棲み分けが大事なんだね。

律法主義者

自分も高校で、倫理で学んだはずなのに、すっかり忘れていた。

私がこのところ思っていることは、「イエスが律法主義者を嫌った」というようなことだったのだ。

マニュアル通りにしか動けない、残念な人たちをたくさん見てきた。

闇の勢力の手下が、法律で人々の言動を束縛しようとしている。

こういうのは、もうたくさんだよ。

世直しの第一歩は成文法の全廃

結局、「純粋な愛」や「内心に構築された良識」を動的に運用することで、その場、その場で、適切に対処してゆけばいいのだと思う。

「ちゃんとルールを決めないと」というのは、民度の低い地域では、そうなんだと思う。

ハロウィンで渋谷のスクランブル交差点に繰り出す人たちは、「民度を引き下げている階層」だよね?  彼らはぶっちゃけ、「教育がインコンプリートで終わってしまった階層」なのだと思う。

これは他者をバカにしようとか、そういうことではなく、現実を冷静に見ているだけなのだということを理解してほしい。

ハロウィンで渋谷のスクランブル交差点に繰り出す人たちに釣り合っているのは、警察官とか、機動隊とか、DQNとか、そういう人たちなのだと思うよ、ぶっちゃけ。 同類だもの。

渋谷のスクランブル交差点に繰り出す|どうしてこうなった 彼らはイヌ・サルの遺伝子が活性化した、エネルギーの低いタイプです。 彼らは「集団で狩りをするときの興奮状態」で「理性を失う」わけです。 彼らは「上下関係で支えられた過度に近しい人間関係を求める」 「彼らと『仲良くする』と彼らの頭の中で必ずどこかの序列に私を組み込んでいる」 「彼らと『仲良くする』と『屈した』と勘違いしてマウンティングしてくる」 「彼らは集団化すると気が大きくなる」 「彼らは『強力なリーダーシップをもったカリスマ』を求めている」 「彼らはすぐに誰かを『神』として崇拝したがる」 「彼らは知性やモラルが低い」。

「彼らは序列の中で序列を上げることが好きだ」 「彼らには、序列制度の外側に出て、独立個人として生きるだけのエネルギー、知性・モラル、能力がない」 「だから彼らは常に集団に属している」。

この階層には、「しつけ」「指導」「ルール」がないとダメなんだよね。

他方、「しつけ」「指導」「ルール」を要しない、いや、それらが害になるような階層がある。 こちらは、「民度を引き上げている階層」。

この2つの階層を考えたとき、「同じやり方で教育をする」のは、どう考えてもおかしいんだよね。


家庭や学校で、「しつけ」「指導」「ルール」を振りかざして育てられると、律法主義者になってしまう。 結局、陰日向のある子、いいかえれば、犯罪者予備軍になるんだよ。

というのも、「しつけ」「指導」「ルール」に従わせるプロセスが、叱責、脅し、暴力などの「力の道」だからね。

そこには「本人が納得するまでの時間的な猶予」とか「『腑に落ちるプロセス』『納得のプロセス』」がないから、恐怖や反発心や復讐心しか残らない。

「大阪府警の警察官が凶暴で、酔っ払いを集団で殺す」という暴挙に出る原因がわかるでしょ?

彼らはふだん、先輩からやられたことを、その泥酔者にぶつけて、集団で殺人を犯したんだよ。 しかも証拠隠滅まで図っている。

警察に、どういう意識レベルの魂が集まるか、わかるよね? 「しつけ」「指導」「ルール」で育った「意識レベルの低い両親」の家庭で育つと、警察官を志望する子供が生まれます。 悲惨だよ、これは。

「しつけ」「指導」「ルール」による抑圧の連鎖だからね。

「しつけ」「指導」「ルール」で育った「意識レベルの低い『先輩たち』」は、ご自身が「意識レベルの低い階層」に属していることに気づかない。

世界から暴力や戦争がなくならないのは、家庭で「しつけ」「指導」「ルール」がおこなわれているからという部分が大きい。 「原因は自分にあったのだ」という、寓話によくある結末。

親、教師、大人として、「しつけ」「指導」「ルール」が必要だと信じ込んでいる時点で、「意識レベルの低い階層」に属しているんだよ。

「しつけ」「指導」「ルール」というのは、動物園で動物を育てるようなやり方。

「しつけ」「指導」「ルール」というのは、ハウス栽培で植物を育てるようなやり方。

失敗しながら、自力で立ち直って進んでいくのが、野生動物・野生種の植物の生き方。

「内発的な生き方」というのは、野生動物・野生種の植物の生き方を選択するということです。

「民度を引き上げている階層」は放っておいてほしい

「しつけ」「指導」「ルール」が好きな階層、いいかえれば、「民度を引き下げている階層」は、そのグループとして、「しつけ」「指導」「ルール」を使いながら教育を展開すればいい。

私はその階層に属したくない。

この階層は、自然状態で放っておけば、それぞれの魂が、自分に最も合っている道を勝手に選ぶから、とにかく放っておくこと。

この階層よりも、意識レベルの低い「先輩たち」が余計な手出しをすると、軋轢が生まれて、結果が悪くなるだけ。

意識レベルの低い「先輩たち」には、それがわかっていないから、意識レベルの低い「先輩たち」は、そういう階層を「素直じゃない」「かわいくない」と思うんだよ。

年齢じゃないんだよね。 若くても意識レベルの高い人はいくらでもいる。

「1人1人が幸せになること」が「世の中全体が幸せになること」

「1人1人が幸せになる」ためには「独立個人である必要がある」

人間どうしが、過剰に近しい間柄になることは、お互いが依存的になり、よくない。

個々人がある程度、独立的である必要がある。

つまり淡い付き合いにする。

そうでないと「他者を犠牲にしながら自分の幸福だけを追求していく」とか、「誰かのために自分を犠牲にする」とか、「お互いが犠牲になり合う関係性に陥る」とか、そういうことになる。

最初は寂しくても、1人1人が独立して、1人1人がその「専用レーン」を独りで歩んでいったほうが、全体として調和がとれる。

だいいち「1人1人が幸せになる」ためには、「私の幸せって何?」を「自己決定」できる能力・状況が必要だろ?

こういうふうなとき、私は安らぎと喜びと幸せを感じる。 このビジョンがしっかりしていないと、「1人1人が幸せになる」という状況にはならない。

自分の「安らぎ」「喜び」「幸せ」は、自分自身で見つけるしかない。

そのためには、「誰々がこうしてくれたら幸せ」といった、他者依存的な「安らぎ」「喜び」「幸せ」を追求しないことだ。

他者の動向によって一喜一憂させられるようでは、それは安定な「安らぎ」「喜び」「幸せ」ではない。

そういうものを追求しているかぎり、「世の中全体が幸せになること」はない。

「安倍政権が滅んでくれたら幸せなのに」とか、そういうことばっかり考えていても仕方がない。

あなたご自身が、あなたの幸せを追求することが大事なんだよ。

「子供が一流大学に合格してくれたら幸せ」とか思っている親御さんは、子供にプレッシャーをかけて、子供をダメにしているよ。

放っておけよ。 放っておいてあげなさいよ。

放っておくことは、冷たいことじゃないんだよ。

「放っておけない」というのは、「他者のレーンに割り込んだ」ということ。 そこで衝突を起こしたら、割り込んだあなたが悪いんだから、すぐ引き下がれよ。

「ああしてやったのに」「こうしてやったのに」といったような、見返りを求める奉仕だったら、するなよ。

それは結局、自己との対話を始める必要があるということだ。


「他者が幸せになればいい」の「幸せ」が、「自分の考える幸せ」だったら、押し付けになる。 これに関係したトラブルが多い。

つまり「よかれと思って」という言い訳を用意しておいて、他者の人生に割って入るようなことをする。 これによって、衝突が起こるわけだ。


「子供が幸せになると思って小学受験や中学受験をさせた」という親御さん。

こういう親御さんは、本当にお子さんの意見を酌み取って、そういう決定をなしたのだろうか?

判断能力がない子供に、自分の理想を押し付けてはいないだろうか?

子供の人生に憑依(ひょうい)して生きる親はみじめだ。

つまり「何が幸福か」を決めることができるのは、自分の人生を生きている本人だけなんだから、放っておいてあげよう。

そうして、ご両親は、それぞれの人生の目的に沿って、自分を生きてください。

自分自身の人生目標にたいして、真摯に向き合っていないから、我が子という他者に余計なお節介をするようになるんだね。

究極的には、自分の人生に望みがなくなってるから、子供の人生をのぞき見して、あわよくば介入しようと。

それって、惨めだよ、究極的に。

夫婦でも、親子でも、「馴れ合う」「甘え合う」「もたれ合う」「過度に濃密な関係になる」というのは、避けるべきでしょう。 そういう「ズルズルの関係」になると「他者を犠牲にしながら自分の幸福だけを追求していく」とか、「誰かのために自分を犠牲にする」とか、「お互いが犠牲になり合う関係性に陥る」とか、そういう不健全で長続きしない「不調和な状態」に陥ります。

それぞれの魂には、自分自身の人生があります。

「ズルズルの関係」を求めてくる「バンパイヤー体質の人(他者の愛情やエネルギーを吸う人)」「寂しがりで自立心のない人」「かまちょ」などは、時間泥棒です。 もちろん、エネルギーも泥棒します。

「バンパイヤー体質の人(他者の愛情やエネルギーを吸う人)」「寂しがりで自立心のない人」「かまちょ」などを相手にしていると、「私たち自身の人生」を生きるための「時間的余裕」「エネルギー」が奪われます。

生徒であるキミのご両親は、どうよ?

「バンパイヤー体質の人(他者の愛情やエネルギーを吸う人)」「寂しがりで自立心のない人」「かまちょ」じゃないかい?

もたれかかってくる人から離れる

生徒であるキミのご両親が、生徒であるキミの人生を勝手に決めたりするような人であった場合、いつか決別の日が来るんだよ。

「両親から養ってもらっている」という弱みから、親のいいなりになる。 こういう生徒が多い。

あと「未成年だから親が保護する」とか、そういうもっともらしい言い訳もある。 しかし実際には、「両親・祖父母の思い残し」を、生徒であるキミに託したりすることが多い。 要は、キミの人生を、親・じいちゃん・ばあちゃんが乗っ取るわけだよ。

たとえ未成年のキミであっても、究極的には、キミ自身の人生なんだから、自分が「いい」と思わない進路には進まないことだよね。

 
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