これは自分のメモです

心が外界に投影されてこの世の現象が起こっている|現象が発生する原因は心にある

この世の現象は、私たち「この世の参加者」の心が投影された「立体映画」である。

自分自身も、現象をつくる原因者の1人になっている。

「世の中を変える」というとき、原因たる「自分の心」に変化がなければ、世の中が変わるわけがない。

「世の中を変えたい」という人は、自分を変える努力から逃げていることが多い。 私もその1人である。

いまの「世の中」は、放っておいても瓦解する。 心配ない。

だから、「自分自身が新しい世の中で何をしたいのか」だけにフォーカスして、政治とか世界情勢とか、そういうことは、もう、いいかな、と。

そして、このサイトで取り扱っている、受験情報みたいなものも、もうオワコンだし、このサイトの更新の「勉強情報の部分」については、あまりやる気が起きない。

受験勉強のやり方は、受験勉強に興味がある人にお任せしたい。

私は「受験のための勉強」でない、素朴な読み書き算盤には興味はあっても、受験でどうやったら有利だとか、そういうことは、もう「知っても意味がない」と思っているのです。

それは「世の中の仕組みが、もうすぐ変わる」からです。

現象に操作・制御を加えても心に反映される確率は低い

例えば、スポーツ、セックス、スクリーンで、人間を愚かに保つ洗脳運動が、闇の勢力によっておこなわれてきた。

けれども、覚醒を目指す人たちは増えつつある。

つまり現象に操作・制御を加えても、個々の魂の心に、根本的な変化を加えるまでには至らない。

あるとき、「あほくさ」と気づいてしまうものなのである。

「指導」なども「現象に操作・制御を加える行為」なので「害悪だけを残して徒労に終わる」のがオチ

犯罪に至りそうになる自分を思い留まらせる、「最後の砦(とりで)」は、自分の心にある「善の仕組み」である。

心にある「善の仕組み」を利用して、自分をコントロールする系統は、自律的な系統である。

つまり「精神の自律系」がトレーニングされていること。 これこそが、犯罪を実行するに至らぬための「最後の砦」になる。

つまり「自分で考える子」を育てる。


怪我や病気で入院していた人がリハビリをする。

「介助のしすぎは、リハビリの妨げになる」ということがあります。

介護においても、「介助のしすぎは、本人の体力の衰えを加速する」ということがあります。

助けすぎると、相手をスポイル(ダメにして)してしまう。

筋肉にしても、骨にしても、ある程度の負荷を加えることによって刺激を受け、その刺激がもとになって、筋肉や骨が発達するわけです。

「本人の受ける負荷」が大事なのです。

助けすぎると、「本人の受ける負荷」が減らされることによって、事が成就しなくなるのです。

この感覚がわかるでしょうか? 

「指導」も、この「介助のしすぎ」と同じなのですよ。

「本人がうまくいかなくて思い悩む」「精神や頭脳や身体に負荷がかかっている」をという状態が、「高温高圧でプラズマ状態になっている」ような感じなのです。 このとき「変容」「成長」が起こるわけなのです。

「指導」されると、チェインバー(chamber:房=ぼう)の「圧力」と「熱」が下がるんですよ。

「指導」されると、「房(チェインバー)」に穴が開くようにして、気が抜ける。 気が抜けると「圧力」が下がり、「圧力」が下がると「熱」が下がるんですよ

「指導」とよばれる「外側から入るチャチャ」のせいで、チェインバーの「圧力」と「熱」が下がるから、プラズマ状態にならず、変容が発生しなくなる。 これが「学習/成長の失敗」の本質です。

本人のチェインバーは、本人だけが操作・制御することができるので、外側からチャチャを入れてはなりません、絶対に。


本人が自律的にチェインバーの「圧力」「熱」を上昇させている時期は、放っておきましょう。 反抗期とか、受験期とか、進路に悩んでニート状態のときとか。

外部から何か刺激を加えると、エンジンのシリンダーに穴を開けることになるため、せっかくの「プラズマ状態」が「白ける」んだよ。 気が抜けて、ぜんぶブチ壊しになる。


「リハビリを要する人」「介護を受ける人」の自律的な営み(精神・身体ともに)を阻害するような、過剰な助けを入れてしまう。 これが、「リハビリ」や「介護」を失敗させるのです。

同様にして、「教育される側」に「指導」ばかりしていると、その魂たちの自律的な営み(精神・身体ともに)が阻害され、他律的な思考回路しかなくなってしまいます。 飼い慣らされた「畜」ですわ。

「畜」の再生産をするのが、「指導」なのです。

「指導」をしたがる人は「畜」です。

「畜」というのは、他律的な思考回路・認知系統が強く発達しており、「内心の善の仕組みに従って判断する」という自律的な思考回路・認知系統が衰弱している状態の人々です。

大事なことなので繰り返します。 「指導」をしたがる人は「畜」です。

つまり「畜」が「畜」を再生産していく「畜の拡大再生産システム」が、学校であり、刑務所であり、自衛隊であり、警察学校であり、消防学校であり、家庭であり、会社であり、役所であり……。

この「畜」のグループから抜け出して、自分自身をしかっかりと立て直すために不登校になる。 これはアリですよ。

「社会のルール」に過剰に誠実さを示しても、「社会のルール」が自分を護ってくれることは、絶対にありません。

「社会」というものは、テキトウにあしらっておくべき「クソ溜め」のようなところですから、社会に対する「過剰なる誠実さ」を捨て去りましょう。

どうせ「社会」から裏切られるんだから、テメェのやりてぇことヤレや! 少年!

そうやって切り開いていった人たちが、YouTubeの世界でも、アニメの世界でも、音楽の世界でも、大輪の花を咲かせているぞ。

学校の先生の多くも「畜」です。

先生自身が、公務員をやめて、「自分の才覚で生きていく道」へ飛び込めない。 だから「公務員を続けながら、自殺してしまう先生」がいるんだよ。

都道府県庁の教育委員会が腐ってるからね。

この腐敗を改革できるわけがないのよ。

リフォームするから、むしろ手間がかかる。

旧家屋を全面解体して、更地からつくり直すんだよ。

「改革」とは、「全面的破壊と再創造」を短く表現したものだよ。


私の父親は、算盤の珠を取り出して、手相を自分で掘っていました。

つまり手のひらに算盤の珠を強く押し付けて、手相を変えようとしていました。

バカだね。

その人の心の状態、積んだ善行に応じて、手相が変わってくるわけなのよ。

手相を偽造しても、運気が上がることはございません。

「世の中を変えようと運動すること」は、この「手相の偽造」のようなことで、甲斐なきことです。

解散するSEALDsの足跡を総括したら凄まじいことになっていた話 - Togetter

「指導」も、この「手相の偽造」のようなことで、甲斐なきことです。

結局、「教育される側」の心に自律的な「学ぶ心」や「善の仕組み」などが構築されることが先決問題なのであって、「勉強を強制する」とか「悪事を罰する」とかしても、マイナスになるだけなんだよ。

自助〔self-help〕

結局、学校や刑務所や精神病院では、自助を助ける(to help self-help)ということがおこなわれていない。

学習やリハビリや介護などにおいては、あくまでも本人が主体である。 この本人が主体であり、本人の主権が最大限に重んじられる。 この前提を守らなければ、すべてが瓦解してしまう。

例えば、子供の夏休みの宿題を、親が手伝ってやるのは、善か悪か? 

悪ですね。

宿題をサボって、どうにもならなくなって、泣く経験というものも、本人にとっては、大きな学び・気づきです。

こういう失敗を「事前に回避するような小細工」をしちゃいけないんですよ。

失敗から学び・気づきを得る。 これが魂の記録になる(アカシック・レコードに記録されてゆく)。

これが大事なのですから、失敗を恐れたり、失敗を叱りつけたり、失敗したからといって冷たくあしらうようなことのないようにする必要があります。


私たちの精神にとって重要なのは、自律的な精神・身体リズムの取り戻しです。 「社会に振り回されて生きてきた」こと自体が、異常だったわけです。

学校生活における、休み時間以外は「オシッコしちゃいけない」「ウンコしちゃいけない」とかっていうリズムの強要は、異常だよね?

ウンコは出したいときに出すもんだよ。

「アッ、出ちゃった」というのは、誰にでもある。

どうして、学校にシャワーと洗濯機がないの?

どうして、学校でウンコするといじめられるの?

ぜんぶ都道府県の教育委員会が悪いわけだし、文科省が悪いんですよ。


自助を根本とする。

これは、「本人の自律的な部分を、あくまでも大事にする」ということです。

「自己責任を問う」のであれば「自由が与えられるべき」です。

「自由が与えられる」のであれば「あとは自己責任の問題となる」のは当然です。

人生そのものが、デフォルトで「自己責任の問題」なのに、学校教育や会社や役所で「自由を奪い取られている」というのは、おかしいわけですよ。

結局、雇用という形態そのものが異常なの。

みんながフリーランスになって、プロジェクトごとに、参加・不参加を決定していけばいい。

そうすると、相性のよいグループが自然に形成されていきますから。


自律的な部分を鍛えることなしに「指導」に忠実になっても、他律的な人格になってしまうだけで、その結果は最悪です。

例えば、刑務所から出ても再犯に至る元受刑者が多い。

「指導」に忠実になっても、他律的な人間であれば、誰かに見られていないと、すぐ犯罪に走る。

また逆に、自立性が要求される「娑婆(しゃば)」の風が性(しょう)に合わなくなるから、意図的に再犯する。 刑務所のほうがラクな精神になってしまう。

この再犯を繰り返す、甘えた犯罪者こそ、「畜」の本質なんだよね。

学校教育では、この「畜」が量産される。

したがって、児童・生徒も「フリーランス状態」、いいかえれば、いわば「てんでんこ状態」になって、学習をするようにする必要がある。

そのためには、「学校」「塾・予備校」など「指導者のいる場所」へ行かなくても勉強ができる仕組みをつくる必要がある。

それが、インターネットを活用した、「自学自習システム」なのだと思うわけです。


「指導」などは、それらを受ける側の内心をEDITするのではなく、言動という「表象」だけを制御しようという「見せるためのうわっつらの努力」なんだよ。

そして「指導」なども「現象に操作・制御を加える行為」なので「害悪だけを残して徒労に終わる」のがオチなんだね。

つまりスクリーンに映った「虚像」を操作・制御を加えても、映写フィルム本体には、何の影響も与えることはできない。

映写フィルム本体をEDITしないと、根本解決にはならない。

そして、映写フィルム本体をEDITする権限があるのは、本人だけ。

本人独自の房=チェインバーで「圧力」「熱」が自律的に高まって、そこでプラズマ状態が起こって「変容」が発生することにより、映写フィルム本体がEDITされる。

本人のチェインバーで「圧力」「熱」が上昇しているときに、外部からチャチャをぜったいに入れない。 必要のない「指導」が、プラズマ状態からの「変容」を白けさせるから。

世の中を変えようとして「運動」を起こす人は大衆に「指導」をする人である

「指導」をしても、結果はむなしいものだということが、受刑者の出所後の再犯率の高さから、わかると思います。

「世の中を変えるため」に「ムーブメントを起こそう」という人は、大衆に「指導」をしようとしているのです。 それは、ムダだから、やめといたほうがいい。

「大群の先頭をゆく数匹の行動につられて行動する鳥類、魚類、昆虫の大群」のようにして、人間社会で「ムーブメント」が起こったとしても、それは一過性に終わるよ。

この「ムーブメント」にカンタンに乗っかった人たちは、外発的・他律的な要因で動いてしまう人たちだから、ムーブメントの熱が冷めれば、彼らも蜘蛛の子を散らすようにいなくなります。

「誰かの行動につられて行動するタイプの人間」が「ムーブメント」に加わっても、最終的には、あんまり頼りにならない。

そして「外発的・他律的な要因で動いてしまう人たち」の心のクセは、多くのケースにおいて、治りませんね。

結局、「世の中が変わる」というのは、「内発的・自律的に『そう思う』タイプの人」を100年・200年かけて、少しずつ増やしていった先にある現象なのだと思います。

「古い価値観に縛られている世代」は、一生涯、そのままであることが多い。 「古い価値観に縛られている世代」とは、「変わらない世の中」そのものなのです。

「古い価値観に縛られている世代」が死亡して影響力を失うこと。 これが「世の中が変わる」のに、最も効果的な現象なのだと思うわけです。

ですので、「世の中が変わる」のには、100年・200年とかかるわけです。

 
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