ゆきんこの勉強法 | 自修人

unchain yourselves

05 May 2020

水循環と熱循環から環境修復を計画する

「地球環境の破壊それ自体」も問題だけれども「地球という相手を思いやる気持ちが失われている点」こそが日本人が忘れている「本質的な部分」なのかもしれない

「未成熟さ」=「至らなさ」と「依存心」はコインのウラとオモテである。

「地球環境の破壊」は、「地球(ガイア)の寛容さに甘えて、どこまででも、いつまででも、奪い尽くす」という「依存心」のあらわれである。

その「依存心」は、「未成熟さ」=「至らなさ」の言い換え表現にほかならない。

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compassionの意味・使い方|英辞郎 on the WEB:アルク

compassionコンパッションは、「〔救いたいと願う深い〕思いやり、慈悲心」などと和訳される。

英語には促音そくおん(「まって」「こって」「きって」などの「っ」で表現される音)がないので、「コンパション」というのが近いと思う。

compassionというのは、「相手とともに、一緒に感じる」というイメージであり、そこからいろいろな意味が派生しているのだと思う。

compassionは、たぶん「対象がもつ感情や意識への共鳴・共振・同調などの[同期]」を意味するのだと思う。

HSP(Highly Sensitive Person)は、相手が抱いている感情や意識への共鳴力が強いので、相手の感情や意識が転写されてしまう人のカテゴリーである。

HSPは「compassionの能力がきわめて高い」という、1つの「天賦の才」を与えられた人である。

HSPであるご本人は苦しみだらけの地球生活だったのかもしれないけれども、今後の4次元地球では、ラクになると思う。

これに対して私たちは、これまでは、「地球(ガイア)の寛容さに甘えて、どこまででも、いつまででも、奪い尽くす」という「compassionを退化させた状態」に留まっていた。

私たちは、地球に対するcompassionを欠いた状態、いいかえれば、地球におんぶにだっこの「甘えきった状態」であったのだ。

私たちは地球への「依存心」を捨てて、地球へのcompassionを取り戻す必要がある。


1つには、自然を楽しむことである。

自然がどれだけ精緻なシステムであるのか。

これを感じ取るために、自然に触れることが大切だと思う。

つまり「対象を理解するためには、対象を観察することが必要」なのである。

例えば、「自然を理解するためには、自然を観察することが必要」なのである。

例えば、「自分自身を理解するためには、自分自身を観察する(内観する)ことが必要」なのである。

例えば、「相手を理解するためには、相手を観察する(内観する)ことが必要」なのである。

とにかく、私たちには「対象を観察し、深く理解する」というプロセスが欠けている。

ただし、自然を観察する場合、自然の中に分け入りすぎている状態は、少しずつ解消してゆかねばならないと思う。

例えば、立山黒部アルペンルートは、自然の状態に戻す必要があると思う。

立山黒部アルペンルート - Google 検索

お金の観点からすると、大きな観光資源である立山黒部アルペンルートを、自然の状態に戻すなど、考えられないことだろう。

しかし、山は人間が分け入ってはならない領域だと、私は思っている。

だから富士山への登山なども、やめたほうがいいと思う。

自然に触れるというのは、地球の水、鉱物、動物、植物、昆虫などに触れることを意味する。

ただし「自然に対する崇敬の念を忘れず、自然に対するcompassionを基調とし、邪魔しない、破壊しないという実践を伴うこと」が大切だと思う。

自然に触れ、「自然がこれだけ精密につくられているのだ」ということを知れば、「自然に対する崇敬の念やcompassionを土台としながら、邪魔しない、破壊しないという実践をすること」はできると思う。


軽いいさかいも、戦争も、compassionを土台としていないところに生まれる。

この場合のcompassionとは、「相手の身になって考える」ということであろう。

もちろん、それは「相手のいいなりになる」ということではない。

相手を感じ取り、理解するということである。

私たちは地球を感じ取り、地球を理解することをおこたってきた。

大学入試の理科では、物理・化学が重んじられ、生物・地学は軽んじられてきた。

これは「自然破壊を推し進め、人間の科学力によって自然を制圧する」といった、近代科学への信仰の悪影響から、そうなっているのかもしれない。

三省堂などは、生物の検定済教科書から撤退してしまった。

じつは生物教科書は三省堂のがいちばんよかったのである。

自然は妖精さんたちが一所懸命につくっているんだ。

そういうことを学び、それに対してcompassionがもてる自分を取り戻そう。

それが日本人の和の心の根底にあるものだ。

自然を崇敬し、自然に対してcompassionを抱く。

自然とともに歩む。

その大切さを思い出し、そういう心を取り戻しなさいと、天照大御神あまてらすおおみかみをはじめとする「日本の神々」は私たちに呼びかけているのだと思う。

もともと日本人の遺伝子の中には、そういうことを感じ取る遺伝子が入っている。 その遺伝子をONにするべきタイミングが、いまなのだと思う。

「人間がエコシステムを破壊したことによって宿主を失った新型コロナウイルスが、新たな宿主としての人間に警告を与えている」という捉え方がある

新型コロナウイルスは、いろいろなプレゼントを運んできたのだけれども、その1つが、エコシステム(生態系せいたいけい)を回復せよ、という緊急指令を人間に対して知らせるためである。

人間がエコシステムの破壊をやめずに、このままの大量生産・大量消費を続けていくと、大きな自然災害が起こることになっていると私は感じる。

それは「地球の免疫システムが発動される」ことを意味する。

毒の入った食物、あるいは、ばい菌の繁殖した食物を食べると、私たちは激しい下痢を起こす。

その「下痢を起こす」ことに相当する地球の自浄作用が、台風、大雨と洪水、地震と津波、火山噴火、陸地の沈降と隆起などであろうと思う。

新型コロナウイルスは、「このままだと激しい下痢を起こします」という予告であろうと思う。

そのあたりは、地球の声にセンシティブになって、コンパッションを発揮しなければならない。

これまでの私たちは、あまりにも鈍感で横暴で傲慢だったんだよ。

もっと地球の声、自然の声に耳を傾けて、地球とともに、自然とともに歩む姿勢を取り戻す必要がある。

それが私たちのスピリチュアルな成長ともリンクしているのだと思う。

春から秋にかけて「地球の体温が上がりすぎているから、私を冷やしてください」と地球が言っているように思える

コンクリートの建造物が地上に多すぎると、コンクリートの建造物が蓄熱体であるから「夜になっても暑さが収まらない」という気象条件を生み出す。

都市部をサーモグラフィーで観察すると、たぶんオレンジ色の部分、赤い部分が多いことだろうと思う。

都市部では、ビルや道路やコンクリート塀などのコンクリート建造物が熱をもったまま明け方を迎え、日の出ととももに、ふたたび、それらのコンクリート建造物が日照によって加熱されていく。

この繰り返しにより、都市部では雨が降らないかぎり、コンクリート建造物のせいで、暑さが残り続けることになる。

そのため都市部では、クーラーを回しっぱなしにしないと暮らしていけない状態になっている。


「コンクリート建造物が蓄熱体である」ことも重大な意味をもつけれども、さらに「コンクリートやアスファルトが地表を覆っている」という状態が、 「水分が地面から蒸発するときの気化熱によって、地面から熱が取り除かれ、冷やされる」という作用を邪魔している。

「気化熱によって地表を冷やす」という状態を早く取り戻す必要がある。

そのためには、都市部に集中しすぎた人口を、少しずつ分散させていく必要があると思う。


そして、「コンクリートやアスファルトが地表を覆っている」という状態は、そこに生命が活動するすべてのチャンスを奪い取っている。

「単に緑化すればいい」ということではなく、とりあえずコンクリートやアスファルトを取り除いて、土をオモテに出してくれ、ということだろうと思う。

どうすればいいのかというと、石神井公園のような場所を人工的につくって、それを広げていくのである。 それは、大きな池があり、木々が生い茂り、カワセミが来るようなところである。

石神井公園 - Google 検索

とにかく、都市部には「水場」というか「池」が必要だと思う。 池の水によって、周囲に草木が茂り、池に野鳥や昆虫や魚が集まる。

そのような小さなバイオームを、少しずつ増やしていき、その面積をジリジリと増やしていくのがいいと思う。

最初は人工的にこしらえたバイオームでもいい、やがてそれが、本物の自然になっていく。

つまり土木工事を人間がやって、マクロな構造ができあがれば、あとは妖精さんたちが細かい点をやってくれると思う。


石神井公園から石神井川が始まっているようだ。

石神井川のほとりには、コウモリがたくさん住んでいる。

護岸工事された川でも、川があるとそこに虫が発生し、虫が発生するとコウモリが出る。

石神井川をたどっていくと豊島園(閉園するらしい)の横を通って、城北中央公園のほうまで石神井川は通じている。

城北中央公園もまた、都内では珍しい、自然環境が残っている公園である。

私は氷川台のあたりで池袋方面へ右折して、[要町かなめちょう]のBOOK OFFに立ち寄ってから、さらに池袋のジュンク堂まで行っていた。 瀬戸弘司が住んでいたアパートの横あたり(坂道)を下って、[要町]の交差点付近にあるBOOK OFFに立ち寄る。 このBOOK OFFでは、ピーター・フランクルさんを見かけたことがあるよ。

数々のルートを試したけれども、じつは西武池袋線に沿って、目白経由で池袋まで行くのが、最もラクなのだということがわかった。 [富士見台]ないし[中村橋]から、ほとんど坂道を通らずに[池袋]まで行けるのである。

[富士見台]ないし[中村橋]から[要町]に立ち寄るには、[江古田]の日大芸術学部の手前で左折して[千川]を目指すのがよい。

新しい地球では、もっと自然が多い状態で、「自転車でどこまででも行ける村」をつくりたい。

自転車ならエコでしょ?  そして電動自転車も可能でしょ? 

そして、池や湖を人間がこしらえて、サギや白鳥やカワセミなどがたくさん立ち寄る場所を、あちこちにつくっていこう。

そういう場所に神社を新しく建てよう。

地表が「水を通さない素材」で覆われていると気化熱によって地表が冷却される作用が失われる

地表を「水を通さない素材」で覆うのをやめよう。

それには、アスファルト舗装から、砂地にブロックを敷き詰めていく、あの舗道のような道路にする。

そういう道路は、四輪車が走るとすぐダメになるので、二輪車しか走れない道路を急激に増やして、四輪車の利用を控えるようにする。

おもに自動車(四輪車)の発達によって、中山間地域・辺境地まで村や町が広がった。

しかし日本は人口減少プロセスに入っており、中山間地域・辺境地のあちこちがゴーストタウン化しつつある。

「辺境地がゴーストタウン化しつつある現象」がとくに顕著なのは北海道だろう。

JR四国に次いで経営的に危険なのがJR北海道かもしれない。

「JR旅客6社の経営動向」調査 : 東京商工リサーチ

北海道は、遠くの町へは飛行機で行かないといけないぐらい、町と町とが離れている。 そこを高速道路で結んでも、どうなのかと思う。

もともと北海道はアイヌ民族とコロポックルの土地なので、松前藩ができる以前の状態に戻す。

つまり北海道をアイヌ民族とコロポックルに返還するのが筋であろう。

その前に、鉄道網や高速道路網など、自然によくない影響を与え、かつ、経営的に成立しがたいものは、国費を投じて自然状態に戻していく必要があろうかと思う。

四輪車両をどこにでも走らせる交通システムを改める

原油の消費量を大きく下げる

原油は地球の血液なので、使いすぎている現在の状況は「異常」である。

飛行機を減らす

利便性を求めればきりがない。

飛行機を減らすためには、「飛行機から船で移動できるようなライン」を拡充する必要がある。

海外から関西国際空港に着いたら、そこからフェリーで横浜港や東京港まで一晩かけて移動する。

関西国際空港から羽田まで、また飛行機を使うという考え方を改めたほうがいいと思う。

船を活用することによって、あまり多くの原油を消費せずに、利便性の高い生活を維持することはできるように思う。

四輪自動車を減らす

地方では少なくとも軽自動車を1人1台所有していることが多い。

それは通勤の関係からである。

地方では、自動車で通勤するのが当たり前になっているけれども、この状況は、子供とお年寄りに不便な街づくりに通じる部分がある。

つまり自動車がなければ生活できないように、会社もホームセンターもスーパーマーケットも、あちこちに散在している。 地方では、そんな状況であることが多い。

この生活スタイルを改めよう。

地方は地方で、地方都市に集住して、あんまり郊外のほうまで住むのは、禁止したほうがいいと思う。

なにせ人口減少プロセスに入っているのであるから、あんまり郊外、あんまり山奥というのは、行政も民間も、カバーしきれない。

あんまり郊外、あんまり山奥は、どんどん封鎖して、山に戻す動きを始める必要がある。

自転車・バイクを優先させる交通システムに切り替える

1人が乗るのに、大きな面積を使うのが四輪自動車である。

四輪自動車だから渋滞が発生するのだ。

子供用自転車で走れない道ばかり

子供用自転車で町をサイクリングできる。

そんな町にする必要がある。

車重に対して累進的に課税し、重たい四輪車をできるだけ減らす工夫に切り替えよう

高速道路料金を長距離利用に対して累進的に増額し、高速道路を長距離で利用すると大きく損失を招く構造にしよう

現在の高速道路網は、「整備できないぐらい赤字の区間」が多い。

大型トラックが多すぎて、高速道路の路面が劣化して、ガタガタになっている。

それは高速バスに乗って感じた。

船舶による輸送の充実

過剰に都市化した地域を縮小しよう