解釈アルゴリズムのアップデート

なしたことの報い(むくい)が返ってくる。 これを「カルマの清算」とよんだりする。

よい行い(振動数を上げる結果になる行い)の報いが返ってくることは「喜び」である。

悪い行い(振動数を下げる結果になる行い)の報いが返ってくることは「苦しみ」である。

悪い行いをなす根本的な原因を断ち切る必要がある。

いくら「カルマの清算」をおこなっても、また悪い行いを繰り返すようでは、堂々巡りである。


「カルマ」は、「魂(たましい)の思い癖(おもいぐせ)」という定義でも知られる。

「思い方」「考え方」の癖がネガティブ(振動数を下げる結果をもたらすありさま)だから、そのネガティブな「思い方」「考え方」の結果として悪い行いをするようになるのだ。

思考、言葉、行為は、三角形の頂点のような循環構造になっている。

つまり「思考 ←→ 言葉 ←→ 行為 ←→ 思考」というつながりである。

書き出すと、以下のようになると思う。
【巡行】:
「崇高な 思考が、崇高な 言葉をつくる」「下劣な 思考が、下劣な 言葉をつくる」
「崇高な 言葉が、崇高な 行動をつくる」「下劣な 言葉が、下劣な 行動をつくる」
「崇高な 行動が、崇高な 思考をつくる」「下劣な 行動が、下劣な 思考をつくる」
【逆行】:
「崇高な 思考が、崇高な 行動をつくる」「下劣な 思考が、下劣な 行動をつくる」
「崇高な 行動が、崇高な 言葉をつくる」「下劣な 行動が、下劣な 言葉をつくる」
「崇高な 言葉が、崇高な 思考をつくる」「下劣な 言葉が、下劣な 思考をつくる」

書き出すと、以下のようになると思う。
【巡行】:
「波動を上げる 思考が、波動を上げる 言葉をつくる」「波動を下げる 思考が、波動を下げる 言葉をつくる」
「波動を上げる 言葉が、波動を上げる 行動をつくる」「波動を下げる 言葉が、波動を下げる 行動をつくる」
「波動を上げる 行動が、波動を上げる 思考をつくる」「波動を下げる 行動が、波動を下げる 思考をつくる」
【逆行】:
「波動を上げる 思考が、波動を上げる 行動をつくる」「波動を下げる 思考が、波動を下げる 行動をつくる」
「波動を上げる 行動が、波動を上げる 言葉をつくる」「波動を下げる 行動が、波動を下げる 言葉をつくる」
「波動を上げる 言葉が、波動を上げる 思考をつくる」「波動を下げる 言葉が、波動を下げる 思考をつくる」

例えば、映画やドラマでの共演から結婚したカップルも多い。 つまり「最初は演技であっても、それが現実・本気になる」ということ。 これは「かたちから入る」ということでもある。

平原に雨が降り、雨水が少しでも低い場所を求めて、平原をさまよう。

その結果として、最初は浅くて細長い溝が、雨水によって作られるだけであった。

その浅くて細長い溝が、平原を削り込んでいくことで、やがて大きな川になる。

そうやって、「川という専門職」がつくられていくだけなのである。

最初は演技でも、「川になるであろうラインに、少しだけ筋をつける」ことである。 やがて川の部分が水で掘られて、ホンモノの川になってゆくから、大丈夫だ。

ネガティブな「思考・言葉・行動」の結果として、「思考・言葉・行動」がネガティブな方面で共鳴・共振を起こして、ハウリング状態になっている。 このハウリング状態を長らく続けた結果、エーテル体にエネルギーの滞留箇所が出てくる。 これが、精神の病、肉体の病の根本原因らしい。

「エーテル体にエネルギーの滞留箇所が発生」 → 「その『詰まり』によってエネルギー循環が阻害され、機能不全におちいる」 → 「精神を病む/身体を病む」。

結局、宇宙は回転・循環であり、回転・循環が周期をともなうために「波動」が生じる。

回転・循環が高速であることが「高波動」であり、そちらに「すこやかさ」=「光」がある。

回転・循環を邪魔する、停止させるようなことをすると「病み」=「闇」の状態になる。

結局、回転・循環を阻害するブレーキになっている部分(滞留箇所、律速段階、ボトルネック……)を発見し、そのブレーキが生じる元となる「思い方」「考え方」を客観的に見る必要があるのだ。

病気を治すだけなら、ブレーキになっている部分を発見して、光を当てて治せばいいらしい。

けれども、ブレーキになっている部分を作った原因である「思い方」「考え方」をデバッグ(プログラムのバグを取り去ること)しないかぎり、また繰り返しになるだけ。

「思い方」「考え方」を変えるためには、個人個人が「勉強/学習/訓練」するしかない。 それは、自分の考え方を書き出して、書き出した内容を客観的に見て、どう変更すればいいのかを考え、その「思い方」「考え方」をするように「思考の習慣を実際に改める」ことが大事である。

「思い方」「考え方」のクセは、平原のある箇所に雨が降り、雨が流れる溝が少しずつ削れていくような感じで、長年にわたって形成されたものである。 だから「思い方」「考え方」を一朝一夕(いっちょういっせき)に変えることはできない。

つまり難しいのである。 難しいけれども、それはシナプスのつなぎ替えなので、訓練と回数しだいで、どうにでもなる。 スポーツのフォーム矯正みたいなものである。

これはまさしく「勉強/学習/訓練」の世界であり、いわゆる勉強にも、スポーツにも、楽器や舞踊などの芸事にも、絵画などのアートにも、文章執筆にも、この「シナプスのつなぎ替えである」ということが妥当する。

トレーニングを繰り返す、根気と根性の世界。

自分の「思い方」「考え方」をノートに書き出して、こう解釈し直そうという案を書き足していく。

この地道なやり方は、精神の病巣をピンポイントで書き換えていくものなので、曖昧な自己啓発セミナーなどとは桁違いに効果があると思う。

すべての現象について、それを「喜び」「感謝」として感じ取る「思い方」「考え方」を組み立てていく。 現象を解釈するアルゴリズムを、書き換えてしまうのである。 それも慣れてくれば、流れ作業になる。

スピリチュアルの世界では、「考える」ことを悪と見なして、「左脳型はダメ、右脳型に切り替えないと」という風潮がある。

この「左脳をやっつけろ」的な発想には、私自身、少なからぬ抵抗がある。

右脳も左脳も、両方必要だと思う。

「女性エネルギーの時代」「女神エネルギーの時代」といわれるけれども、男性性が必要でなくなるわけではない。

すべての現象を「喜び」「感謝」として感じ取る「思い方」「考え方」に設計変更する。

これは、やってみようと思う。

その結果として、すべてが「喜び」「感謝」という歓喜状態になるだろうと思う。

そのとき、エーテル体に変化がしょうじて、どういう具合なのか、DNAまで書き換えられてしまうらしい。

「思考の変容」が「身体という物質の変容」にまで影響を与える。

そうすると、波動が上昇して、そのままウワーッと上昇してしまうのではないか? 

その上昇の形態の1つとして、「遺伝子が12本になる」という身体的な変容があるらしい。

物事を解釈するときの「思い方」「考え方」を再構築することが、カルマ(魂の思い癖)を断ち切ることになる。

以上が、解釈アルゴリズムのアップデートである。

要は、物事を解釈するときのアルゴリズムについて、「何でも悪く解釈するありさま」(ネガティビティ:negativity)の除去というデバッグをおこなうのである。

そのデバッグのやり方は、「すべてを『喜び』『感謝』として解釈するための思考プロセスで上書きしていく」というやり方である。

宇宙には愛しか存在しない。 すべては愛につながっている。 したがって、「それを愛だと捉えられないときは、自分の思考プロセスが、どこかネガティブなのである」という考え方になる。

細かいことは考えずに、方位磁針が指し示す「北」へ向かえば、やがて北極付近には到達する。

それと同様に、「すべてを『喜び』『感謝』として解釈する」という方向性でゴニョゴニョやっていれば、知らぬ間に振動数が上がっているのだと思う。 細かいことを考えずに、「すべてを『喜び』『感謝』として解釈する」ように、「思い方」「考え方」を変えるだけなのだ。 それには、ノートとペンと、書かれた内容の実践+反復だけである。 何事も定着させるためには、反復練習しかない。

秘訣3:心も身体も喜びで満たし続ける
若返りの3つ目の秘訣は、「心も身体も喜びで満たし続けること」です。これを実践することで、「望み」を抱いて、アイドリング状態になったエネルギーを、さらに完全に走らせます!
完全に走り出すと、老化の要因でもある、エーテル体の滞ったエネルギーはなくなり、それにより、ネガティブな感情エネルギーの着ぐるみがなくなって、本来の自分が表へでてくるのです。
本来の自分は、そもそも年をとりません。若いままです。
しかし、これを実現させるには、自分自身を喜びで満たし続ける必要があります。私たちは、ほとんどの人が、「喜びで満たし続ける」ということは、やっていないと思います。
人は、フラットな状態、自然体な状態は、無意識な状態になっています。私たちが無意識なとき、実は、この世界は、誰もがネガティブに傾いているのです。1日のうちに、幸せを感じるときはあっても、「幸せで満たし続ける」というのは、意識的にやらなければできないことです。意識的にやっても、今のところ、なかなか難しく感じることかもしれません。^^
私たちはどの様な状況であっても、物事の受け取り方次第で、自分自身が喜びを選択していくことができます。それが、喜びのエネルギーを「生産する」ということでもあるのです。
喜びのエネルギーを、自分の周りに創り続けて、生産し続けることで、エーテル体よりも、さらに上のエネルギーの層にリンクしていきます。
さらに上のエネルギーの層にリンクするということは、実はそこは、老いも、病気も存在していない領域なのです。
つまり、望むことによって、身体やエーテル体全体に停滞している、ネガティブエネルギーに揺らぎを起こして、次に、喜びエネルギーを感じることで、振動数を上げながら、ネガティブエネルギーを、高い周波数のエネルギーに書き換えることをしていきます。
身体や、エーテル体に滞った、ネガティブエネルギーを、根気よく書き換えをしていくことで、データの書き換えも始まります。
そのデータとは、DNAの書き換えです。DNAを書き換えて、眠っていた残りの10本のDNAを作動させ、12本のDNAを活性化させていくことで、人間としても、新モデルとなっていくわけです。そうなると、若返りどころではなく、さらにいろいろな能力や、状態が開花していくことでしょう。

引用元: 若返りの秘密、DNA変容の謎を解く!若さを保つ3つの秘訣


「魂(たましい)の思い癖(おもいぐせ)」を直すのは、日記などを書いて、自分の思考プロセスを「見える化」することから始まるのだと思う。

原始的だけれども、ど直球の方法であり、自分の考え方を文章によって確認し、文章を書き換えることで、自分の考え方を変えていく。

この地道な作業は、きっと「最初は苦しくて進まないだろうけれども、やがて速くラクに進む」ような感じになろうかと思われる。

たぶん、この日記とその書き換え方式が、2本の遺伝子を12本の遺伝子に変容させるカギの1つになるのではないか? 

廃用性萎縮で学習回路が消失しているケース

何らかのアドバイスを「自分の糧(かて)」にできる人は、エネルギーが有り余っており、何か自分の肥やしになるものはないか、探し回っている。

「エネルギーが高い」とは、「回転・循環の周期が短い」ということである。 それは「振動数が高い」ことを意味する。

そういう人は、たとえ意地悪や自己顕示欲でアドバイスしてくる上司や先輩の言葉からも、何事かを学び取ってしまう。

要は解釈アルゴリズムが「学習向きにチューンナップされている」のである。


他方、「大きなお世話」などといって拒絶する思考パターンに飛びつく人は、解釈アルゴリズムが「学習を拒絶するようにチューンナップされている」のである。

こうしたチューンナップは、あの世で計画して「持って生まれてた性質」となっているケースも多い。

しかし、幼少期から子供時代にかけて、何らかの原因によって、この世で「学習を拒絶するようにチューンナップされている」ことも大いに考えられる。

精神が幼い。

いつまでたっても成長しない。

心において大人になりきれていない。

そして、何よりも、頭がちょっと弱い。

原因は、すべて同じ点にある。

エネルギー不足なのだ。

したがって、エネルギーが戻れば、見違えるように成長し、頭も良くなる。

だから「エネルギー不足による精神の発達の後れ、あるいは、知的能力の発達の後れ」については、「一生涯、そのままということではない」のだと、希望をもっていただきたい。


アドバイスしてくる上司や先輩の言葉に、いちいちネガティブに反応してしまうのは、なぜか? 

それは「回転・循環の周期が長い」=「単位時間あたりの回転数が少ない」ので、他人からの刺激によって「自分軸が容易にブレてしまう」からである。

それは「ゆっくり回転しているコマ」がカンタンによろけるのと同じ理屈だ。

逆に、コマが高速回転していれば、ジャイロ効果によって、同じ姿勢を保ち続けることができる。 これが「自分軸がブレない状態」である。

自分のなしていることに他者から口出し(アドバイス)をされて、すぐにカッとくるタイプは、コマが低速回転しているので、カンタンに軸がブレる、カンタンによろける。 だから、自分を護るために、怒りで反発するしかないのだ。

どうすればいいのかというと、「エネルギー漏れ」を断ち切ることある。

「ゲームにふける」「動画コンテンツの視聴にふける」「マンガにふける」「食欲の解消にふける」「性欲の解消にふける」などといった、アディクション(addiction)から脱却することによって、「エネルギー漏れ」を断ち切る。

エネルギー不足の人は、どこかで漏らしていることが多い。

あるいは、ネガティブな思考パターンが定着してしまい、エーテル体に滞りが定着したことによって、現状ではエネルギーが循環しにくい状態なのかもしれない。

いすれにしても、エネルギーとその循環を意識して、解決策を探していくことになる。

それから、エネルギー不足には、「自分なんてダメだ」という自己否定が関わっていることが多い。

「どうせ自分なんてダメだ」と思っている人ほど、「他者に身も蓋もない辛辣なことを言い放つ」という傾向がある。

そういう物言いをするのは、「すべてを引き下げたい/引きずり下ろしたい」と思っているからだろう。

結局、自分が底辺に位置しているので、みんなも底辺に引きずり下ろしたいのだと思う。

しかし実際には、自分だけが底辺にいるのであって、自分がけなした人たちは、その人たちそれぞれの高さ/ポジションに、相変わらす存在し続けるだけである。

口でいくらけなしても、相手のポジションが下がることはない。

誰かの思考や行動について、「どうして、その思考パターンや行動パターンがダメなのか」を分析するのなら話はわかる。

「あの人のこういうところを、こうしたほうがもっとよくなる」とか。

そうではなく、「あの人はダメだ」という結論を導くために、「あの人の悪い点を探し回る」ようなことでは、自分が波動を下げて、底辺のさらに下に落ちるだけである。

ネガティブな人は「相手に謝らせ、相手を平伏させる」ことを欲している

「クレーマー」 「ハラスメントをする人」 「電車の中など街でいさかいを起こす人」 「あおり運転などの交通トラブルを起こす人」 「SNSなどでしつこいアンチ・コメントをする人」 などなどの人たちには、みな「ネガティブ」であり、「相手に謝罪させ、相手を平服させる機会を虎視眈々(こしたんたん)と狙っている」ということに気づいた。

逆に、取り締まりなどをおこなっていると、性格が「ネガティブ」になり、「相手に謝罪させ、相手を平服させる機会を虎視眈々と狙うような人格」が作られる。

例えば、警察官は「市民を犯人扱いする」という悪癖を身につけてしまいがちになる。

また警察学校、あるいは、警察署は、パワハラの温床であり、きわめて抑圧的な環境にあると思われる。

その抑圧が、市民に対する嫌がらせのような職務質問をすることにつながっているのだと思う。

そもそも、警察官を志望する人は、「権利を行使することによって相手に謝罪させ、相手を平服させる快感を得たい」という動機をもっていることも多かろうと推測される。

私はこの警察官という人種と縁をしょうじさせたくないので、自動車を運転しようとは思わないし、東京へ出かけようとは思わない。

東京は警察官による職務質問のマナーがきわめて悪い街になってしまったようだ。 市民の人権を無視した、異常な職務質問がおこなわれている。


最近、iPhoneを持っているだけの黒人に向けて、iPhoneを武器だと誤認して、異様な数の弾丸を撃ち込んだアメリカの警官について、報道されていた。

この警官は「自分の思う通りに動かない犯人に対する憎しみ」「黒人への憎しみ」を抱いていたのであろう。

そうでなければ、必要以上の射撃を容疑者に対しておこなうことは、なかったと思う。


老人や乳幼児を虐待する人がいる。

「圧倒的に弱い人」に対しては、攻撃する気持ちは起こらないと思うのだけれども、幼児に熱湯をかけたり、老人を突き落としたりする人もいる。

これも「相手に謝罪させ、相手を平服させる」ことによって「復讐心を満たしたい」という、じつに身勝手でネガティブな欲求が背景にあるのだと思う。

こうした陰惨な事件・事故についても、結局、それをおこなう人の「思い方」「考え方」のクセから発生しているわけである。

さて、刑務所に入って、その「思い方」「考え方」のクセが書き改められるか?  デバッグされるか? 

それは望めないだろう。

刑務所こそは弱肉強食の「力の世界」だからだ。

「力の世界」で負け組になった人が、その不満を晴らすために、「圧倒的に弱い人」をはけ口にした犯罪を犯す。

こうして犯罪が起こっているわけなのだから、「上下関係の世界」「力の世界」で更生できるはずがないのだ。

小さきか弱き者を見たとき、「護ってあげたい」とは思わず、「攻撃したい」としか考えられない人。 それがネガティブな人なのである。

要は、ネガティブな人には、「与えること」を極度に惜しむ気持ちがあるらしいのだ。

そうなのだ。

「与えずに奪うだけ」であることが、「ネガティブさの本質」「闇の本質」「病みの本質」なのである。

「相手に謝罪させ、相手を平服させる」という行為も、「私を承認せよ」というふうに、相手に対して強圧的に承認を迫る行為なのである。 「承認を奪い取りたい」ということが、「相手に謝罪させ、相手を平服させる」という行為の本質なのだ。

愛情もそうである。 相手から愛されることばかりを望み、けっして相手を愛そうとはしない。 愛情というエネルギーの出し惜しみである。

そのようにして、何でも奪い取り、与えない繰り返しによって、エナジーバンパイアになってしまうのである。

エナジーバンパイアからの脱却は、困難を極めるだろうけれども、要は「与える喜び」を知ることで解決するのだと思う。

最初は見返りを求めてもよいから、奉仕をする。

奉仕をして感謝されることに喜びを見いだす。

そのうち、奉仕しているつもりもなくなり、自分がやりたいからやっているのに、なぜか誰かのお役に立ってしまうという状態になると思う。

それが5次元の世界なのだろう。

「思い方」「考え方」を変えることこそが革命なのである。

政体が変わっても、世の中は変わらない。

世の中が変わるためには、人々の「思い方」「考え方」が変わらなきゃいけない。

「こう考えたらうまくいった」という思考パターンを綴った「トレーングブック」を執筆して発表したり、その内容をブログで無料公開したりすることも素晴らしいと思う。

人を感動させ、「思い方」「考え方」まで変えさせるような、音楽や映画や小説やコミックや絵画などなどをつくるのもいい。

とにかく、「思い方」「考え方」を変える、精神革命の助けになる活動をすることが、いちばん求められていることであるような気がする。


それで、以上で述べたようなネガティブな波動こそは、「闇の勢力」と「闇の勢力のバックにいるネガティブな宇宙存在」のエネルギー源になっているらしい。

マスコミで陰惨な刑事事件が報道されるのも、「恐怖・怒りなどのネガティブな波動」によって、視聴者をネガティブにさせたいからである。

テレビで陰惨な事件が報道され、多くの視聴者が「胸くそ悪い思い」をしたとき、その共鳴・共振によって、「闇の勢力」と「闇の勢力のバックにいるネガティブな宇宙存在」が活気づくのである。

こうしたことを狙いとしているので、NHKにおいても、陰惨な事件をわざわざ報道するわけである。

公共放送だったら、「国会での審議の流れをダイジェストにする」など、投票行動を助けるための情報だけを詳しく報道していればよいのである。

公共放送であるNHKが、1つ1つの刑事事件まで報道するのはおかしい。 そういう分野は、民間放送のタブロイド紙的な番組で採り上げるだけでよいのである。


「ネガティブ」で攻撃性の高い人たちは、「怒りをぶちまけることによって、相手に謝罪させたい、相手を平伏させたい」という、不自然な欲求をもっている。

「ネガティブ」で攻撃性の高い人たちは、心に傷を負っており、その傷を癒す方法が、誰か別の関係ない人に「報復(ほうふく)」することだと勘違いしているのである。

「先輩からいじめられたうらみを、後輩をいじめることで晴らす」的な? 

そういう異常な人間心理が、地球上に渦巻いている。

それは学校のクラスにもあるし、会社にもあるし、警察にもあるし、自衛隊にもあるし、中央省庁の官僚の世界にもある。

もちろん、こういうふうに「自分が受けた苦しみ」を「別の他者に対してぶつける」という行為は、その報いを必ず受けることになる。 なしたことが返ってくる。

返ってきたら、その「自分が受けた苦しみ」を「別の他者に対してぶつける」ことによって、いくらでもダークサイドに転落していくことができる。

このようにして、波動を下げることが、闇の勢力の狙いなのである。


「ネガティブ」で攻撃性の高い人たちは、もともと怒りのはけ口を求めているのであり、怒りは最初から「ある」のだ。

つまり状況によって怒りが新規にしょうじるわけではなく、「怒りをぶちまけたい気分」が先に存在していて、その怒りをぶちまける機会を求めて、彼ら・彼女らは、あちこちを徘徊するのである。

「警察官の異常な職務質問」「交通警察官の異常な交通取締」などに、その「怒りをぶちまけたい気分」を強く感じる。

こうした状況が「異常なこと」だと、誰もが気づいているのに、今のところ、止めようがない。

心に傷を癒すためには、「思い方」「考え方」を1つ1つ修正していくしかない。

それは、情報収集と情報整理という、事務員的な作業になる。

心の癒やしは、ヒーラーによってもたらされることはない。

一時しのぎになるだけで、むしろヒーリング依存症になるから、ヒーラーのところへは行かないことである。

「思い方」「考え方」を1つ1つ修正していくのが根本治癒への唯一の道だと考えられる。

こういう事務員みたいなことが嫌いな人も多いので、そういう場合には、音楽とか、映画とか、アニメとか、コミックとか、そういうもので、「思い方」「考え方」が変わるような作品をつくっていくことになるでしょう。

そういうクリエイターが集まるウェブサイト、あるいは、ビル、あるいは、村というものを、私は作ってみたい。

 
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