「闇の勢力がマスコミを通じてこの世をコントロールしているやり方」を知る

外界からある刺激を受けたとき、私たちのマインドに、ある思考が起こる。 刺激を受けると、何事かを思ってしまう。

その思考を何度も繰り返す(反芻する)うちに、それが「常用思考パターン」=「思いグセ」になって潜在意識に根付いてしまう。

この「固化した油汚れ」のように潜在意識の各所にへばりついた「常用思考パターン」=「思いグセ」を信念という。

信念とは、最も使いやすい「検索上位」に登録されている「いつもの思考パターン」=「常用思考パターン」=「思いグセ」である。


信念はジャッジメント(決めつけて断罪する精神作用や言動)の原因になるので、無力化する必要がある。

例えば、「夏は終わった」という一言から、ある人は夏が終わった寂しさを感じ、またある人は、暑さが去った安堵感を感じる。

「夏は終わった」という言葉に対して「そんなに寂しいこと言うなよ」「そんなこと言わないでくれよ」と反応する人は明らかにジャッジしている。

それは「夏が続いた方が好ましい」という決めつけ、いいかえれば、「夏が続いてほしいという個人的な願い」である。

夏が暑くて大嫌い。 夏が終わることをうれしく思っている。 そんな人が「夏は終わった」という言葉を聞けば、「嬉しいな」と感じるだろう。

「夏は終わった」という事実は中立的である。 この事実に対して、自分の価値判断をもとに、「いい」だの「悪い」だのと断ずることがジャッジメントである。

平和的な雰囲気の中で、感想を述べ合うことは問題ない。 しかし、異なる価値判断を持つ者の間で、お互いにジャッジし合ったとすれば、必ずトラブルになる。

またジャッジメントが自分自身を苦しめることが多い。

例えば、ある大学に合格しなかったことを以て悲しみであるとジャッジする。

しかしその大学に合格しなかったことが、後の幸せに通じる場合もある。

振り返ってみれば、その大学に合格しなかったから、これだけの大きな幸福を手にすることができたのだ。

こういったケースでは、大学に合格しなかった時点で、その良し悪しを断定することは、百害あって一利なしである。

ジャッジすること、つまりジャッジメントは不幸をもたらす。

もっと柔軟に物事を解釈する。

どちら側からでも、柔軟に解釈し、考えることができれば、問題・不具合は起こらない。

つまり「物事の解釈・とらえ方」と「それに付随する思考」を柔軟にする。

観自在な状態、柔構造を保っておく。

そして、一時が万事、固定的に捉え、固定的に思考することが、問題・不具合の原因、苦しみの原因になっているのだ。

したがって、ジャッジしてしまう原因である信念を、1つ1つ取り外していく必要がある。

たしかに、「瞑想を通じたヒーリング」によって「感情ブロックを取り外す」ことも大事だけれども、その感情ブロックをもたらしたジャッジメント、さらにはそんなジャッジメントをもたらした信念にまでさかのぼって、信念という原因体に手を加えなければ、同じような外的刺激に対して、また同じ感情が発生するだろう。

根本原因を改善するためには、「瞑想を通じたヒーリング」によって「感情ブロックを取り外す」と同時に、「その感情が発生する大本である、特定の信念(ジャッジメントのもと)にまで立ち返る必要が、必ずある。

外側の世界にとらわれるのではなく、静かな生活の中で、「自分の波動を下げている感情(怒り、憎しみ、嫉妬など)」を発生させる、特定の信念を重点的にケアしなければならない。 具体的には、インナーチャイルドのケアなど。

信念を取り外したり、信念からの悪影響を受けないようにしたりするためには、次のことを行うとよい。

(1)その信念に執着し、囚われている自分を発見・認識することによって、その信念への執着、囚われを無力化する。 「そんな自分を発見・認識する」ことを通じて「自分が帯びているクセ」を俯瞰できるようになった時点で、1つ波動(≒視点)が上がったことになる。 自分のプレイを常にBird’s Eyeから見るように習慣づけると、プレイは上達しやすい。

(2)その信念の反対の信念を採り入れることによって、その信念への執着、囚われを無力化する。 車輪の重量バランスをとることを「ホイールバランスをとる」という。 高速回転する車輪は、重量の偏りがあっては、回転がスムーズでなくなる。 これを避けるために重量の足りない部分にオモリを貼り付ける。 こうやってホイールバランスをとる。 つまり「反対の立場を知り、学び取ることによって、反対の立場に立ってものを考える技術を身につける」ということ。 輪廻転生における学びは、これに基づくことが多い。

例えば、ある生で「殺す側」を経験したら、別の生で「殺される側」を経験するなど。 そのとき、同じ魂のペアが、「殺す側」と「殺される側」を、生を変えて、代わり番こにやるなど。 人間、誰しも、長い輪廻転生の中で、殺人を犯している。 殺人を犯したら地獄に落ちる?  そんなわけはない。 「殺す側」と「殺される側」を、生を変えて、代わり番こにやるなどの連携プレイができることから、それがわかる。

殺すのも殺されるのも、「経験を通じての学び」のため。 すべての現実は、幻影・幻想でしかない。

悪事をなしたことのない魂が「よい神」になるのではない。 あらゆる経験を積んだ魂が「よい神」になるのだ。 例えば、闇の勢力に指示を出しているルシフェルも、大天使である。 「光のある状態」=「光」と「光のない状態」=「闇」とが両方とも揃って初めて、このデュアリティの世界を経験することができたのである。 ルシフェルも当然、ソース(みなもと)の命令によって闇の役割を演じてきたのである。 この次元上昇の中で、私たちはどこかの場面で、闇の役割を演じてきた人たちを「許す」という「許しのテスト」を受けることになる。「許しのテスト」に合格するためには、「ルシフェル」ですらソースの命令によって動いてるのだという「全体の構造」を把握しておく必要があるのだ。

私たちが生きている(生まれ変わりを繰り返している)のは、「経験を通じての学び」を進めていくためである。


闇の勢力が「教育」やテレビ・ラジオといった「放送」、文字媒体を含めたマスコミ「報道全般」を通じて私たちに刷り込んでいるのが、信念や信念体系である。

信念体系というのは、細かな信念の使われ方がパターン化され、大きなまとまりをもつ場合をいう。

コンピュータのコマンドを組み合わせて一連の操作をにしたものをマクロという。 このとき、コマンドは信念であり、マクロは信念体系である。

闇の勢力が私たちに与えてきた「教育」「放送」「報道全般」が、私たちの信念や信念体系をどのように作り上げてきたのか。 それを知らないと、「このマトリックスを抜け出す意欲」すら起こらないだろう。

私たちは「マトリックス」と呼ばれる仮想現実を生きている。

マトリックスは、闇の勢力を上から操っている宇宙存在(神とか天使とか悪魔と呼ばれる存在)が地球上に作った仕組みである。

それをマトリックスと呼ぶかどうかは別として、この次元だけでなく、高い次元においても、「現実」というものは「投影された幻影・幻想」にすぎない。

「現実」というものは、自分が発した波動が投影された「仮想現実」である。

ガチのリアルの「現実」というものは存在せず、「現実」はすべて「投影された幻影・幻想」にすぎない。


この世のすべては周期運動であり、周期は周波数である。

周期とは波であるから、「この世のすべては波動である」ということになる。

思考にも、感情にも、あるいは、その他の精神作用全般にも、波動がある。

この波動が、現実を作っている。

私たちの「信念(思考)」にも波動がある。

この波動が、現実を作っている。

私たちの「信念(思考)から生まれる感情」にも波動がある。

この波動が、現実を作っている。

思考の波動よりも、感情の波動の方が強い影響力をもっている。

私たちの現実が芳しくないとしたら、その現実が作られる前の3カ月ないし1週間前に、ネガティブな感情を発したからだろう。

つまり宇宙に波動を投げてから、その波動が現実となって反射してくるまでには、3カ月ないし1週間程度のタイムラグがある。

ただしこの3カ月ないし1週間程度のタイムラグの数値は、変動する。

地球という場の波動が高くなれば、波動を宇宙に投げてから具現化されるまでの時間が非常に短くなる。

現在がまさにこの状況であり、日々地球の波動は高まっている。したがって、波動を宇宙に投げてから具現化されるまでの時間が非常に短い。

心の引っかかり、つまりブロックが多ければ多いほど、波動を宇宙に投げてから、それが具現化されるまでの時間は長くなる。

つまり引き寄せの法則が通用しない場面というのは、こういう場面である。

心にブロックの多い人が、自分の願いを宇宙に投げても、それがなかなか叶わない。

叶わないので、我慢できずに「叶わないじゃないか」というジャッジメントを発生させる。

それによって「叶わない」という新たな波動が、宇宙に投げられる。 その結果として「叶わない」という「正しい結果」が返ってくる。

引き寄せの法則がうまくいかない人は、このトラップにはまっている。


「思考があまり現実化しない」ことからわかるように、現象発生(現象投影)の大筋を決めるのは、「信念(思考)から生まれる感情」である。

つまり「思考がもたらす影響力」と比較すると「感情のもたらす影響力」は、かなり大きい。


感情は思考によって発生する。

外界からある刺激を受けたとき、信念の作用によって、特定の感情が発生する。

例えば、礼儀を重んじるべきであるという信念を抱いている人がいる。その人に、礼儀を欠く行為をなした場合、その人は信念を通じて「失礼だな」「私を何だと思っているのか」という怒りを感じる。

もしもその人が礼儀など知らなければ、他者から礼儀を欠いた態度を取られても、失礼とは感じないだろう。

「礼儀正しくすることは正しい」という信念があるから、礼を失した態度をとる対象に対して怒りなどの感情がわき起こるのだ。

怒りのトリガーになっているのは、「礼儀正しくすることは正しい」「礼儀を欠いた行為を行う人は叱責されるのも当然である」などのジャッジメントである。

信念からジャッジメントが発生して、感情がわき起こる。 この一連の反応は、反射神経レベルの「一瞬のこと」である。 それは条件反射である。


信念が発生するのは、繰り返しそのことを思考したからである。

信念から感情が発生し、感情によって現実が作られる

したがって、大衆の集合意識を利用して、現実を思ったように創造しようと思ったら、こうするのだ。

(1)初めに、ある思考パターンの情報を、何度も何度も繰り返し与えることによって、相手の潜在意識に刷り込む(相手に信念を形成させる)。 テレビ・コマーシャルで、特定のメッセージを何度も何度も繰り返すのは、このためである。 あるいは、ニュース、ワイドショーにおいて同じ報道を何度も何度も繰り返すのは、このためである。

(2)次に、相手の「刷り込まれた信念」を刺激するような情報を繰り返し与えて、特定の感情を何度も発生させる。 特定の波動を集合意識が発することによって、宇宙に対して、強烈なオーダーが発せられることになる。

例えば、京アニの事案にまつわり、マスコミがわざわざ被害者の実名報道を行うことによって、民衆に怒りや悲しみといった感情を起こさせていた。 それによって、怒りや悲しみの波動が、民衆の集合意識から発せられることとなる。 これによって、怒りや悲しみの波動に見合った現実がマニフェスト(顕現化・具現化・現象化・現実化)される。

結局、世の中がこれほど辛気(しんき)臭いのは、マスコミによって、私たちが知らぬ間に辛気臭い波動を発するかたちにマインド・コントロールされているからである。

マスコミが私たちの感情をコントロールし、この感情から発せられた波動が、その後の現実を作っていく。 この悪循環を断ち切るためには、テレビを捨てて、NHKをぶっ壊す! 

私たちの意識をテレビが利用することによって、生きづらい世の中をマニフェストするように仕向けられているのだ。

ちなみに、私は2005~2006年頃から、テレビをもたない生活をしている。 放送を受信する機器は、ラジオしかない。 だからラジオの話をする。

例えば、NHKラジオ第一放送の夜7時のニュースがある。 このニュースのトップは、必ずと言っていいほど、殺人事件などの陰惨な事件である。

NHK のアナウンサーは、いつからこんな声色を使うようになったのだろうか?  ニュースが芝居がかっていて、気持ち悪い。 そしてサブい。

この夜7時のニュースには、日替わりで二人の女性アナウンサーが出てくる。 そのうちの一人がものすごく陰惨な読み方をする。 私は彼女を陰惨なめ子と呼んでいる。

京アニの被害者実名報道にまつわり、怒りの波動・悲しみの波動を集合意識が発生させた結果、その怒りの波動・悲しみの波動に見合った現実が作られる(投影される)。

マスコミの狙いはそこにある。

ニュース、ワイドショーの話題の選び方をよく観察して欲しい。 必ず「陰惨事案」が報道され、「陰惨なめ子」「陰惨なめ男」たちが陰惨な顔で、陰惨な声色で語り合っているから。 テレビ、きんもっ! 

この「マスコミを通じてルシフェルが使っているテクニック」は、普遍的なものである。 このテクニックをマニフェステーション(顕現化・具現化・現象化・現実化)という。

大天使ルシフェルが、私たちに大きなヒントを与えてくれている。

それは、この世に地上天国を現出させるためには、マスコミが使っているマニフェステーションのテクニックを、「いいふうに転換する」かたちで応用することだ。

マニフェステーションのテクニックを使えば、この世に地獄を具現化させることもできるし、この世に天国を具現化させることもできる。


結局、マスコミは私たちの集合意識をハイジャック(拝借)することによって、世の中の現実をコントロールしてるだけ。

主なテクニックは「繰り返し」「反復」「反芻」である。

「刷り込み」も「刷り込んだ観念による感情の発生」も、「繰り返し」「反復」「反芻」に集約される。

「同じ思考」「同じ感情」を何度も私たちの心に発生させることによって、私たちの潜在意識に、それらを浸透させる。

マスコミが、ある情報を流すと、その潜在意識の信念を通じて、私たちのマインドに存在する理性(思考)や感情が、波動を発生させる。 とくに感情が揺さぶられて、強い波動を発生させる。

しかもこの強い波動が、集合意識レベルで強い波動を発生させることにより、その「集合意識レベルの強い波動」が現実の大筋をつくる。

NHKをはじめとするマスコミが、東南海地震を起こそうとしていることに気づいて欲しい。 実際には「ちきゅう」という掘削船が海底に小型核爆弾を仕掛けて、プレート型の振動を誘発する準備が整っていると思う。 それに加えて、集合意識レベルで「起こる」とか「恐怖と不安」とかの波動を出せば、実際、起こってしまう。

自然災害を軽微なものに留める(大難を小難に)ためには、私たちが集合意識レベルで波動を整えることが大事。

また波動が上がれば、低波動の悲惨な現実は起こらない。

したがって、「私たち1人1人が、マスコミとの縁を断ち切り、波動を整えながら、波動を上げていく」ことが「大難を小難に」を実現する道だ。

それには、自分が心から楽しいと思えることに集中・没頭し、いつも心地よい状態を保つこと。 マスコミのネガティブな情報をけっして採り入れないことが大事。

例えば、「世の中は不景気で閉塞感に満ち満ちている」というウソの情報を流すと、私たちの週報意識は低い波動にとどまり、あまり喜ばしくない現実が投影される。 マインド・コントロールによって、現実もコントロールされている。

この現象が、今のところは集合意識レベルで発生しているので、マスコミは現象を好きなように動かしているだけ。

これを防止する方法は簡単。

まずこの構造に気づくこと。 気づくことによって、もはやその手法は使えなくなる。 ネタバレさせて白けさせると、集合意識レベルでも、マスコミから騙されなくなる。

そしてカンタンなのは、テレビとラジオを捨てることだね。 とくにNHKのニュースをカットする。 テレビを捨てて受信契約を終了させることによって、NHKの資金源が絶たれて、NHKは消滅する。

意図的にぶっ壊さなくてもいい。 NHKを選択しない自由を行使するだけ。 つまりテレビを捨て、受信契約を終了させる。

それによってNHKも民放もテレビが見られない状態にする。

それが、マスコミによるマニフェステーションを阻止する方法。

さらに新聞の定期購読をやめて、新聞社をぶっ壊す。

文春砲? 週刊文春? 読んでないよ、そんな資源ゴミ。

週刊誌なんて、テレビで紹介しなければ、誰も読んでないよ。

文藝春秋社ってCIAの御用メディアだから、誰も本気にしていないよ。 文藝春秋社の記者だった立花隆氏は田中角栄という巨悪をペンの力で駆逐したのではなく、CIAによる工作に加担させられただけ。 彼は闇の勢力のパペットだよ。

週刊誌・雑誌を捨てる。

世論を形成するのは、私たち自身だ。

ラジオは防災用として確保するけれども、しょっちゅう聞くのはやめる。

とくにNHKのニュースは聞かない。 陰惨なニュースばっかりトップにもってくるから。

マスコミメディアというものを遠ざければ、彼らのコントロールは簡単に停止させることができる。

最も効くのは、テレビを捨てるってヤツやな。

NHKも民放も、干していいよ、テレビは。

闇の勢力の脆弱性の最大のものってわかるかい? 

それは、私たちが「選択」しなければ、「闇の勢力の影響を簡単に取り除くことができる」っていう点。

「選択」しないことによって干す。 干して枯らす(ホセ・カレーラス)。

ホセ・カレーラス ザ・シンフォニーホール公演 プロモーションビデオ - YouTube

まずは既存メディアであるテレビと新聞から干していって、次はFacebookとInstagramを干す。

FacebookとInstagramのトップであるザッカーバーグ氏は、デイビッド・ロックフェラーの息子さん。 FacebookとInstagramは、闇の勢力そのもの。 干しちまいな。

あとLINEを干す。

YouTubeとTwitterはある程度まで利用して、最終的には干す。

そんなの私たちの「選択」しだいで自由になるよ。

主導権は私たちにある。

 
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