「コミュ力」はそこまで大事じゃない

「コミュ力(こみゅりょく)」=「コミュニケーション能力」の高い人というのは、結局、「表面的な部分」以外はスッカスカであることも多いんだよね。

一定のエネルギーがあって、そのエネルギーを「外界に向ける」のが「外向的」=「陽キャ」ってこと。

一定のエネルギーがあって、そのエネルギーを「内面に向ける」のが「内向的」=「陰キャ」ってこと。

大事なのは「一定のエネルギー」が多いから少ないか、それと「エネルギーを光=善に向ける」か「エネルギーを闇=悪に向けるか」というエネルギーの「使い途」の問題だと思う。

「陰キャ」でも「エネルギーが膨大」だと、偉大な創造を成し遂げたりする。

それは「膨大なエネルギーを内面における創作にぜんぶ投入してしまう」ということ。

「陽キャ」でも「エネルギーが少ない」と、単なるお調子者で終わる。

「コミュ力」ってのは、最近になってできた用語で、「陽キャ」だけに価値があるという偏見に基づく用語だと思う。

例えば、「膨大なエネルギーをもつ陰キャ」に対しても「コミュ力なし」とかいう低評価がくだる場合がある。

とくに評価者がバカである場合とか、評価者の感性が鈍いと、そういう理不尽な評価が付く。

それでさぁ、よくあることだけれども、「自分よりも高いビルの高さは目測ではわからない」というのがある。

つまり評価者が小物だと、評価すべき対象が、評価者よりもはるかに大きなポテンシャルを持っている場合、見抜くことができないんだよね。

「天才の卵」に対して、「バカ」「能なし」などの低評価を下す評価者がいるんだよ。

例えば、学校の先生、部活動の顧問、職場の上司などが、「愚かな小物」である場合に、そういうことが起こりがち。

だから、「誰かが誰かを評価する」というシステムは、うまく機能しないんだよね。


「コミュ力」がなくても、「長い時間の観察」を経れば、その人の本質というのは、知れ渡るんだ。

だから「コミュ力」を鍛えようとか、そういう薄っぺらいことばっか考えてないで、実力をつけてほしいと思う。

「コミュ力おばけ」を自任していた女性YouTuberがいる。 カナダに留学していた「きらーん。」という人だよ。 有名なYouTuberとコラボして、急激に再生数を伸ばしたけれども、炎上して活動休止に追い込まれ、現在は細々と投稿している感じになっている。

私は彼女から、「誠(まこと)」を欠いた言動から、すべてが崩壊するのだという学びを得た。


結局、「エネルギーの強さ」と「そのエネルギーを光=善に向ける精神(善良さの度合い)」の2つだけが大事なんだよね。

「エネルギーを外界に向けるパーソナリティ(陽キャ)」「エネルギーを内面に向けるパーソナリティ(陰キャ)」というのは、「お金(というエネルギー)を何に使うか」というのと同じで、それは好き好きであり、価値の高い・低いではない。

だけど「創造」という行為が内面的なので、「エネルギーを外界に向けるパーソナリティ(陽キャ)」では、「創造」の世界では、一流にはなれないと思う。

「コミュ力」があっても、エネルギーが弱く、闇=悪に意識が向かう人は、「こそ泥」「詐欺師」「人たらし」だよ。 「アパレルショップのカリスマ店員(姐さん)」とか「中古車販売業で売上高の高い元ヤンキー」とかも、この部類だと思う。

この系統のDQNに特有の「匂い」ってわかるかい?  「コミュ力」があっても善良さを欠いているし、スケールが小さい(エネルギーが弱い)。

そして、究極的なことをいえば、「善良さへの強い意志」≒「誠を貫く意志」というものがない人は、最終的に、脱落するんだよね。

エネルギーが低くても、道を踏み外さなければ、長距離走で勝ち残る。 そんな感じだと思う。


輝きは短期間で終わる。

「輝くこと」を自己目的にせず、「一生それを続けていける自信のある道を、若いうちから深掘りしていく」ことが大事なんじゃないかと思う。

スポーツには気をつけてね。

スポーツは一生は続けていけないから。

小学校で「スポーツが得意」で輝いていた子が、中学校でも部活動で活躍して、スポーツ推薦で私立のスポーツ高校(低偏差値)に入った。 そして、スポーツの世界で、あまりパッとしなかった。 その結果は悲惨なんだ。

私立高校ってのは、完全に「ゼニ儲け」しか考えてないから、スポーツのできそうな中学生をたくさん拾うんだよね。 それを「高く評価された」と勘違いするバカが、「中学校でも部活動で活躍してきた生徒」なんだけど、「スポーツ漬けで頭が空っぽ」だと悲惨な人生になるよ。

日本には「学業成績の悪い者が、スポーツの部活動で活動することを制限する」という制度が発達していない。

だから「高校時代はスポーツ漬けで、小学生の漢字や算数もわからないで、大学まで進学した人」とかも多いんだ。

そういうことを助長し、そういうシステムの中で成り立っているのが、日本大学とか、東海大学とか、中京大学などなどの 「スポーツの強い系属校(中学校・高等学校など)」をもつ、低偏差値の「スポーツの強い私立大学」なんだと思う。

この仕組みが、日本人の平均学力や民度を、ある意味、下げているんだよ。

こういう「スポーツしか取り柄のないアホ大学とその系属校(中学校・高等学校など)」というシステムを「テレビ放映されるスポーツ番組が支える」という構図も、「スポーツ、セックス、スクリーンの3Sで人間をバカな状態にする」という闇の勢力の策略の一環だからね。

「テレビ放映されるスポーツ番組が支える」というのは、NHKの甲子園、大相撲などが代表的だよ。

学校教育には「協調性のある陽キャのバカ」が「正しい」という前提がある

「協調性のある陽キャのバカ」には創造性が欠如している。

「協調性のある陽キャのバカ」が、すぐれた文学、すぐれた音楽、すぐれた芸術、すぐれたマンガ、すぐれたアニメ等々を生み出した例を、私は知らない。

すぐれた文学、すぐれた音楽、すぐれた芸術、すぐれたマンガ、すぐれたアニメ等々を生み出した「創造性の高い人」は、「陰キャでかしこい」と相場が決まっている。

例えば、関西の(元)芸人さんでは、上岡龍太郎師匠とかが、そういうタイプだと思う。

「協調性のある陽キャのバカ」というのは、「イヌ・サルの遺伝子」が活性化していて、「支配・被支配」「君臨と服従」といった、上下関係の連鎖になじみやすいパーソナリティなのだ。

これもアヌンナキが人間に仕込んだ「遺伝子操作」の1つなのだと思う。

中学・高校でいえば、「運動部の部活動のにおける先輩・後輩の関係」が得意なタイプが「協調性のある陽キャのバカ」だ。


「イヌ・サルの遺伝子」が活性化していて、「徒党を組む」=「グループ化」するという人口、いいかえれば、「協調性のある陽キャのバカ」の人口が、クラスの8割程度だよな。

学校、企業、いや、闇の勢力が大衆に求めているのは、この8割を占めるキャラなんだよね。

つまり、アヌンナキが私たちの遺伝子をいじくった結果として、パーソナリティに影響している部分があるとすれば、「協調性のある陽キャのバカ」というのが、その1つだと思う。

統治されやすいんだよ、「協調性のある陽キャのバカ」は。


フランス(パリ周辺など北部の都市部)なんかでは、「協調性のある陽キャのバカ」は、完全にバカにされるらしいよ。

つまりパリ周辺には、知的だけれども偏屈で「自分の意見」をしっかりもっている人が多い。

これは教育のたまものなんだよ。

GHQが入ってきてから、日本人から、欧米の支配、ロックフェラーやロスチャイルドに徹底的に抵抗する気概が失われた。

学校給食を通じて日本人に米を食べさせないようにしたり、歯磨き粉にフッ素を入れたり、グルタミン酸ナトリウムなどの神経毒を食品添加物として認可したりした。 また女性ホルモン様物質が食品に混入するように仕向けてきた。

こういう食を通じての攻撃、あるいは、ケミカルな攻撃というのも、日本人から尻子玉が抜かれた原因になったんだよね。

その一方で、日本人から尻子玉が抜かれた原因として大きいのは小学校・中学校での教育だよね。

小学校・中学校では、「誰かに怒られないように、外部に基準を置く」という「しつけ」がなされる。

小学校・中学校は、勉強しに行く場ではないよ。 「意識を外側へ向けさせる」=「人間をダメにする」ために小学校・中学校があるんだよ。


小学教諭・中学校教諭の免許しか取れない階層ってのは、大学もレベルが低いわけ、ぶっちゃけ。

小学校の先生、中学校の先生は、いま振り返ると、バカばっかりだったと思う。

これは「人を見下す」とか、そういうことではなく、「大人の中でも、レベルの低い人」が教職に就いている、という印象は、やはり強く受けていたよ、子供の頃から。

キミも、小学校の5年生ぐらいから、学校でやってることについて「アホくさ」って思わなかった?  そして、「先生がアホに見えた」ってこと、なかった? 


小学校の先生、中学校の先生は、バカばっかりだよ、実際。

「どんなに暑くても、学校に水筒を持ってきてはいけない」とか、そういう「大人がちょっと考えれば、バカらしくてやってられないようなこと」でも、平気でやるだろ?  それは、バカだからだよ。

もちろん、そうでない先生方もおられますけれども。

とくに、中学校で「部活動に属さないことを禁ずる」とか、「内申書で生徒を縛り付けて脅す」とか、そういう刑務所みたいな「教育」をやってるだろ? 

これによって、人間の生きる力が奪われるんだね。

いわゆる「尻子玉が抜かれる」ってやつだよ。

闇の勢力って、そういうの、好きでしょ? 

底辺高校とか、DQNのグループとか、警察の取り調べや代用監獄でも、自衛隊でも、軍隊でも、警察学校でも、刑務所でも、新人いびりとかあるじゃんよ? 

イビって精神を参らせて、支配するみたいなのがさぁ。

アレって、闇の勢力の本質そのものなんだね。

その闇の勢力の本質のエッセンスを盛り込んだのが、刑務所(法務省のいびり文化)、精神病院(厚労省のいびり文化)、学校教育(文科省のいびり文化)なんだね。

刑務所、精神病院、学校教育では、人権侵害がおこなわれていて、その人権侵害の内容は、闇の勢力の本質そのものなんだ。

「日本人は民度が高い」とか、寝ぼけたこと考えるなよ。

刑務所、精神病院、学校教育をよく観察しろよ。

刑務官、精神病院の医師、教職員は、人権侵害を仕事にしているようなもんだ。

だから、「学校が好き」とかいってる生徒は、頭が狂ってるんだよ、洗脳されちゃって。

「学校が苦しい」ってのが当たり前なんだね。

学校が楽しいってヤツは、大人になってから、かなり苦労すると思うよ。


学校では、「外側の基準」に沿って生きさせられる。

「自分の内心から発せられる声を黙殺する」という訓練をさせられるんだよね。

それで、キミのご両親もたぶんそうだけど、レールからちょっと外れると、恐怖心によって、あわてて強圧的に「レールに戻させよう」とするんだよね。

例えば、キミが不登校になったら、学校へ無理やり行かせるとか。

そういうのも、キミのご両親が未経験で、未熟で、バカだからなんだね。

キミはキミで、学校や先生や親の思ったようなキャラを演じているうちに、それが「自分の本キャラ」だと勘違いするようになる。

それに染まり切って一生を終える人も多いよ。

だけど、「現代の社会に適合できている」っていうのは、多かれ少なかれ、「自分にウソをついて、『演じて』生きている」んだと思う。

それを「大人になった」と称するようだけれども、そういう意味において「大人になった」人間は、企業や役所に勤める人間(=畜としての人間)としては使えるけれども、独立個人として、独りで何かをやる人間には、けっしてなれない。

それは「自己との対話」という回路を無力化させて、自分自身を騙しているから。

「社会に適合するような、偽キャラを本キャラだと錯覚する」ようなかたちに、自分で自分を洗脳している。

無理して陽キャを演じるとかね。

そういう人間は、クリエイションの世界では活躍できないんだ。 「自分とつながっていない」からだよ。


「イヌ・サルの遺伝子が活性化した、協調性のある陽キャのバカ」というのは、「自分とつながっていない」んだよ。

そして、「イヌ・サルの遺伝子が活性化した、協調性のある陽キャのバカ」というのは、軍隊を形成するときに都合がいい。

現代の企業、役所というのは、すべて軍隊をモデルにつくられているんだね。

その構成メンバーは、「イヌ・サルの遺伝子が活性化した、協調性のある陽キャのバカ」である必要がある。

例えば、吉本興業の先輩・後輩の人間関係って、「イヌ・サルの遺伝子が活性化した、協調性のある陽キャのバカ」を求めているんだわ。

それは、部活動の先輩・後輩の関係だよな? 

それは、会社の上司・部下の関係だよな? 

それは、イヌやサルの社会の上下関係だよな? 

こういう人間関係がキショいっていう人たちが、少数派だけど、存在するんだよね。

イヌやサルの社会の上下関係に適合するように、私たちの遺伝子は、アヌンナキによって遺伝子操作されているわけだし、学校生活、とりわけ部活動を通じて、教育によって、イヌ・サルの遺伝子が刺激されるように、社会がつくられているんだよ。

とくに日本の社会は、イヌやサルの社会の上下関係を、同調圧力によって、万人に強要してくるようなところがある。 まだまだ、日本は民度が低いんだわ。 フランスやドイツを見習わないといけない部分が、かなりある。


イヌやサルの社会の上下関係が厳しいのは、ヤクザの世界だろ? 

ヤクザの世界と同じ波動領域にあるのが、スポーツの世界だよな? 

そして、警察・消防・自衛隊も、ヤクザの世界と同じ波動領域にある。

この感覚がわかりますか? 

もちろん、彼らにも長所はあります。

「ほんらいの日本」を取り戻すためには、闇の勢力との武力による戦いも必要になってくる。

だけれども、ヤクザ、スポーツ、警察・消防・自衛隊の世界に、知的な人が多いだろうか? 

もちろん、幹部クラスは別だけれども、アホの割合が多いことは否定できないだろう。

ここでいう「アホ」とは、「イヌ・サルの遺伝子が活性化した、協調性のある陽キャのバカ」のことをいう。

ヤクザ、スポーツ、警察・消防・自衛隊の世界を構成している、いわゆるDQN階層というものは、みんな「イヌ・サルの遺伝子が活性化した、協調性のある陽キャのバカ」に属している。

この階層が多数派を占めているようでは、新しい平和な地球に移行することは困難だと思う。

もう少し、「個」を大切にする精神、静寂と自由を愛する精神を培っていく必要があると思う。

キミたちには、人口の8割を占める「イヌ・サルの遺伝子が活性化した、協調性のある陽キャのバカ」に、なってほしくはない。

学校教育になじむと創造性が欠如するようになる! 

協調性ってのは、「他者依存」の言い換え表現なんだわ。

いつも「相手からどう思われるか」という「ウケ狙い」で行動すること。 これが協調性の背景にある思想なんだ。

つまり他者の顔色を窺って、自分の言動を決定する。 この思考回路が、協調性の基本なんだわ。

結局、誰かの機嫌を損ねないように「忖度(そんたく)」して生きる。 それが協調性の根底にある心的態度だわな。


ADHDについて、「病気」みたいに扱うってことは、学校や社会が「イヌ・サルの遺伝子が活性化した、協調性のある陽キャのバカ」を無意識のうちに「絶対の善」だと定義している証拠になるわな。

それで、学校において、協調性が教え込まれるのは、そのほうが「軍隊をモデルとした組織」、例えば、会社、例えば、役所などが、その構成メンバーを統治するのに都合がいいから。 ただそれだけだよ。

いいかえれば、闇の勢力の性質そのものが、「他者依存的」なんだね。

支配したくてしょうがない。

しかし、本当の幸せは、「自分ひとりがそこにいて、ただただ幸せ」という状態の中にしかない。

「相手がどうこうしてくれて幸せ」という「幸せ」は、すぐ壊れるよ。

闇の勢力のバカどもにもいっておく。

人類を支配したって、オマイラの幸せは来ない。

もうちょっと独立心・自立心をもてよ、闇の勢力は。

それから、恋愛というのは、「自分自身との合一」の代用でしかないらしいよ。

つまり恋愛というのは、「ツインソウルとの再会」の疑似体験でしかないらしく、「ツインソウルとの再会」というのは、結局、「自分自身との合一」でしかないらしい。

「自分自身との合一」とは、「自分を完全に肯定できる状態」になり、「自分ひとりがそこにいて、ただただ幸せ」という状態になることらしい。

恋愛や結婚に幸せを求めている段階で、「根本的に間違っている」のだということらしい。

もちろん、他の見方もあるから、こういう考え方だけに偏るのもアレだと思うけど。

基本的には、「自分ひとりがそこにいて、ただただ幸せ」という状態の人たちが寄り集うことでしか、理想社会は実現できないと思いますよ。

「誰かを支配したい」「誰かに支配されたい」と思っている人たちが人口の8割を占めているからこそ、闇の勢力が活躍できるわけです。

創造には静寂が必要

創造には静寂が必要なんだね。

いいかえれば、創造には孤独が必須なんだよ。

孤独とは、自由ということだ。

人間関係や協調性といった、バックグラウンドで走る重たいソフトを抱えたままでは、創造に対して、フルパワーを傾注することができないんだよ。

人間関係や協調性といった、「社会とのインターフェイス」を断ち切ると、内面から湧き上がってくる思いに集中しやすくなる。

じつは、創造性の源泉は、その「内面から湧き上がってくる思い」なんだよ。

これを掘り起こすためには、静寂が必要。

つまり、「ヒマな時間をたっぷりと」や「社会とのインターフェイスが断ち切られた状態」が必要なんだね。

じつは「大学へ進学する」とは、その「ヒマな時間をたっぷりと」や「社会とのインターフェイスが断ち切られた状態」の両方をゲットするためなんだ。

大学でバイトしたり、サークルに入ったりするのは、完全にバカだと思う。

「大学時代」は、世間と隔絶された状態で、研究に没頭したり、大学図書館で膨大な本を読みまくったりするための時間なんだわ。

大学では、「自己との知的な対話」の回路を開くんだわな。

あるいは、フリーターやニート、引きこもりといった生活状態も、その「ヒマな時間をたっぷりと」や「社会とのインターフェイスが断ち切られた状態」の両方をゲットするためなんだ。

例えば、難しい数学の定理を証明しようと思ったら、「内面から湧き上がってくる思いに集中しやすくする」ために、「時間的余裕」と「人間関係や協調性といった外的ノイズ」から隔絶されることが必要なんだね。

「難しい数学の定理を証明する行為」だけでなく、あらゆる創造的行為には、「時間」と「自由」が必要なんだよ。

孤独とは、「時間」と「自由」がふんだんに与えられた、「創造物を最も育みやすい状態」なんだ。

そして、その「創造物のありよう」が「あなた独自の個性」であって、それが「生まれてくる前に約束してきた、この世で果たすべきお役目」と密接に関係している。

つまり、学校へ行かないほうが「自分のお役目」に気づきやすいんだよ。

昔の文学者の多くは、幼少期に結核だったりして病弱だった。

どうして偉大な文学者になれたのか、わかるでしょ? 

病気が孤独(「時間」+「自由」)という素晴らしいプレゼントを与えてくれたからだよ。

病気による孤独が、文学的才能を育む素地になっているわけ。

創造性と孤独は、セットなんだよね。

学校は「群れる愚かな大衆」=「協調性のある陽キャのバカ」をつくるために教育をしている

学校教育は「群れる愚かな大衆」=「協調性のある陽キャのバカ」をつくるために教育をしている。

だから、学校に合わない人は、無理に合わせないで、「クリエイティブな陰キャ」を目指すのがいいと思う。

内申書なんて、まぁ、ドウデモイイんだよ。

中学校の先生なんて、どうせバカなんだから、バカが付けた評価なんて、気にしたって意味がない。

大学入試で勝つためには、数学・英語・理科の3科目を独学でやっておきゃ大丈夫だよ。

おバカな工業高校、商業高校に入っちゃっても、数学・英語・理科の3科目を独学でやっておきゃ、大学入試で大逆転ができる。

いや大逆転しなくても、そこそこの大学の理系学部だったら、理系である限り、就職や再就職には困らないよ。

早稲田とか慶応の文系とかを目指している人も多いけれども、再就職のとき爆死するから、それを織り込んで進路を選択してくださいよ。 私は、どうなっても知らんよ。

中学生のキミは、内申書に反発するわけでもなく、内申書に迎合するわけでもなく、自分の時間を大切にして、ひたすら自分の内面を耕してください。

だから、ぼっちというのは、「クリエイティブな陰キャ」に向いているわけだから、学生時代が終わってから「全盛期」を迎える予定なんですね。

ぼっちを楽しみ、アニメでも、フィギュアでも、自作パソコンでも、作曲でも、あなた「文化」を育んでくださいね。

 
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