[もくじ]を見るor閉じる

世の中には、いろいろな考え方があるので、これから述べる私の考え方が合わなければ、この考え方は却下してください

ここで述べていることは、あくまでも私の私見にすぎません。

[そこへ通って学んでも〈稼げるスキル〉が身につかない大学]は[大学]ではなく[犬学]または[太学]です

[大学]という文字には、バカには見えない[点]が付いていることがございます。

よく目をこすって凝視してください。 [大]の文字のどこか点が付いているかもしれませんよ。

大学には2種類あると思われ、1つは[大学]、もう1つは[犬学]または[太学]といった、[大学とは似て非なるもの]です。

[奨学金を借りてまでして行く価値の大学]≒[収入の増分によって奨学金を返済できる見込みが立つ大学]は、[手に職をつけることができる大学][職業訓練校としての大学]だけであろうと思います。

[借金するときは、返済できるか否かの見込みが立つか否か]が大切です。 つまり、[ペイするか・ペイしないか]を見極めてから、そこへ進学するか否かを決める必要があります。

早慶上智といえども、文系学部〔社会科学系+人文科学系〕に奨学金を借りてまでして行くのはバカです。 [文系]=[社会科学系+人文科学系]の大学を出ただけでは、世間でお金を稼ぐためのスキルなど、何も身につかないので、そこから間接的に、奨学金が返済できなくなることが見えているからです。

大まかに見て、[文系学部]=[社会科学系+人文科学系]は、大学のようでありながら、大学ではありません。

[文系学部]=[社会科学系+人文科学系]というのは、[犬学]または[太学]に属しており、そこを卒業しても、大学を卒業しただけの実質的な価値はありません。

理系でも、[医学部医学科][医学部看護学科][医療系学部]などに人気が集中しているのは、それらが[手に職をつけることができる大学][職業訓練校としての大学]だからです。

しかし、私立大学の[医学部医学科]だったら、学費+強制寄付金と、生涯年収を比べると、収支がマイナスになります。

医師になってペイする[医学部医学科]は、[国公立大学][防衛医科大学校][自治医科大学・産業医科大学といった特殊な私立大学]など、学費が安い[医学部医学科]だけだろうと思います。

それプラス、医師の世界はDSの直轄地であるため、生物化学兵器だとわかっているワクチンを、国民に接種するなど、殺害工作に協力させられる側面があり、精神を病んでいきます。

DSが滅亡して、医師の世界が正常化されるまでは、医師はオススメできません。

多くの医師・看護師が、コロナワクチン接種を他者に対して行なった結果、間接的に殺人者になりつつあります。

多くの医師・看護師は、PCR検査キットに、最初から[陽性綿棒]と[陰性綿棒]とがあり、被験者〔検査を受ける人〕にくじ引きをさせていることを承知しています。

それでPCR検査で運悪く陽性になった人は、コロナワクチン接種を受けさせられ、結果として死んだり、重篤な病状におちいったりしています。

医師・看護師は、傷害罪・殺人罪に問われてもおかしくない状況に対して、騒擾を起こすこともなく、淡々とおとなしく殺人行為であるコロナワクチン接種を行なってきたのです。

そして、他者にコロナワクチン接種を行なった医師・看護師も、自身がコロナワクチン接種を受けて、結果として死んだり、重篤な病状におちいったりしています。

そんなコロナワクチン接種を誰が考え出したの? 

それは悪魔的な宇宙人です。

医療の世界は、悪魔的な宇宙人の手下であるDSの直轄地ですから、ここの闇はドン深です。

偏差値だけで[医学部医学科]を選んだ人たちは、悪魔の手下にされていきます。

医師・看護師は、傷害罪・殺人罪にかんする、犯罪者予備軍でもあります。

人の健康・生死にかかわる仕事には、そういう厳しい側面があるのです。

高校・大学・教育産業の関係者は全員詐欺師|オマエは詐欺師に洗脳された間抜けな人間だ! 

17歳・18歳の段階では、[アイツより高い偏差値の大学に合格してやる]などという、愚かな世界観で進路を選びますけれども、それでは爆死確定です。

[文系学部]の世界における序列として、[早慶上智の上に東大・京大があり、早慶上智の下にGMARCHや東京理科大がある]という序列があるようです。

しかし実際には、[偏差値が高いから食っていける][偏差値が低いから食っていけない]というふうにはなっていません

[食っていける][食っていけない]は[業界の選定][職種の選定]でその大筋が決まるのであって、このことは偏差値とは別です。

  • [偏差値が高い]から[食っていける]
  • [偏差値が低い]から[食っていけない]

17歳・18歳のみなさんに、以上のように思い込ませているのは、高校・大学・教育産業の関係者たちです。

17歳・18歳のみなさんのご両親もまた、みなさんに、以上のように思い込ませていることでしょう。

この価値観が崩壊すると、大人の事情として困るわけです。

したがって、文系へ進学しても、ろくな結果にならないことを大人たちは知っているのだけれども、17歳・18歳のみなさんには、大人たちは黙っているわけですね。 なぜかというと、大人である高校・大学・教育産業の関係者たちが、食っていけなくなるからです。

このシステムを解体するためには、文部科学省に入り込んでいる在日勢力を一掃し、古文・漢文、日本史・世界史を必修科目からはずし、JavaScriptとGo言語を数学の一部に取り込んで必修とすることです。

AIの発達によってITエンジニアは不要のものとなるでしょうけれども、自分なりに何らかの小さなプログラムを組んで、日々の事務処理や計算などをラクにするために、JavaScriptとGo言語などは知っておいたほうがいいのです。

文系は、新卒では就職できますけれども、文系が就職できるのは、たいていがブラック企業であり、そのブラック企業をやめると、何のスキルもないので、再就職で困るわけです。

文系で何の技能もなければ、独立開業は無理ですし、再就職で困る。 これが、文系が危険である、ということの本質です。

そもそも文系というのは、何らかの財・サービスを販売している企業の営業職・事務職として雇われることが大半です。

結局、儲かっている企業の営業職・事務職として雇われることぐらいしか、文系に残された職種はない、ということなのです。

もちろん、営業職・事務職がなければ、企業は成り立たないのですけれども、IcT・AIの発達によって、営業職・事務職は必要でなくなっていきます。

ということは、文系出身で営業職・事務職として就職しても、将来は解雇されることが、現時点ですでにわかっているのですね。

こういう道へ進むのは、とても危険なのです。

[何らかの財・サービスを販売する]というところに、その企業のコアコンピタンス〔他社には真似のできない核=コアとなる能力〕が深く関係しています。

[何らかの財・サービス]の多くが、テクニカルな領域、いいかえれば、理系的な領域、具体的には、実用新案や特許などの知財に関連していると考えていいでしょう。 この領域に携わることができるのは、理系の出身者ぐらいでしょう。

例えば、ミラーレスカメラを販売する会社があったとして、経営が傾いてきたので、従業員を削減する必要に迫られたとします。 そのようなとき、文系の出身者というのは、どうなるでしょうか?  それを考えていくと、文系出身だと、身の危険をいつも感じながら会社生活を送らざるを得ないのだとわかるでしょう。

例えば、ミラーレスカメラの市場では、PanasonicのLUMIX、あるいは、Nikonというのは、どちらかというと負け組に分類されます。

まずLUMIXは完全に本業であるミラーレスカメラでの勝負を諦めてしまい、Leica〔ライカ〕のボディをつくるOEMメーカーになりつつあります。

LUMIXのミラーレスカメラは、AF〔Auto Focus〕がコントラスト式で遅いため、写真撮影、とりわけ動体の写真撮影には向きません。

こうしたダメなAuto Focusを放置しているのは、Leicaがマニュアルフォーカスだからなのでしょう。

LUMIXという会社が、Leicaにぶら下がって生きることに甘んじる決断をしたので、Auto Focusがダメでもいいのだと、そのように諦めた感じなのです。

もちろん、技術的な内情はどうだかわかりません。

ミラーレスカメラの最大のポイントは[イメージセンサーが撮像面と合焦検知面を兼用しているのでジャスピンが容易に得られる点]なのですけれども、これがイメージセンサーの温度上昇を招くであろうことは、私も理解できます。

LUMIXのミラーレスカメラが、[コントラスト+像面位相差]のハイブリッドAuto Focusを採用していないがために、Auto Focusが遅くて迷いがちである。

その反面、LUMIXのミラーレスカメラは、熱停止に至るリスクはきわめて少ない。

そこから推察されるのは、イメージセンサーに[像面位相差のセンサー]を埋め込むと、イメージセンサーが過熱しやすいであろう、ということです。

イメージセンサーの温度上昇が熱停止を生む主因の1つであり、イメージセンサーに[像面位相差のセンサー]を埋め込むと、イメージセンサーが過熱しやすいと仮定します。

そうだとしたら、イメージセンサーに[像面位相差のセンサー]を埋め込むことを、かたくなに拒否し続けてきたLUMIXの態度も納得できますけれども、それは技術者としての立場です。

消費者からすると、SONYやCanonのミラーレスカメラが、[コントラスト+像面位相差]のハイブリッドAuto Focusを採用して、爆速のAuto Focusを実現しているのを見ると、LUMIXのうんこAuto Focusが、まったくクソに見えてくるわけです。

またイメージセンサーが温度上昇しすぎると、撮影した動画・写真の色がおかしくなるんですよ。 色かぶりするんです。 しかも、温度上昇が、イメージセンサーのすべての領域で均等になるかどうかは、実験してみなければわからない。

均等に色かぶりするのだとしたら、後処理で均等に補正すれば済む話ですけれども、領域によって温度ムラができると、これを補正するのはやっかいです。 イメージセンサーに温度センサーまで、散在的に埋め込む?  それは現実的ではありません。

とにかく、LUMIXのカメラで思うことは、[色彩が整うこと]だけに注目して、[合焦する]という[色彩以前の大問題]を無視しているので、そこが消費者から嫌われて、もはやマイクロフォーサーズやLマウントには、魅力を見いだしていない消費者が多い状態が固定されているのです。

動画なら、SONY・Canon・FUJIFILMからの三者択一でしょう。

実際、実用面からすると、LUMIX程度のAuto Focus性能では、写真での動体撮影は無理です。 ということは、動画での動体撮影も無理です。

つまり[LUMIXのミラーレスカメラで動画を撮る]となったら、動きの少ない被写体、かつ、被写体が意のままになる、映画やCM〔コマーシャルメッセージ〕やPV〔プロモーションビデオ〕などといった撮影スタイルを用意しなければならない。

YouTubeにアップロードする[外出時のジンバルを使った歩き撮り]とか、ドキュメンタリーとか、スポーツ撮影などは、LUMIXでは難しいわけですよ。

結局、LUMIXのミラーレスカメラは、[コントラスト+像面位相差]のハイブリッドAuto Focusを採用していないがために、[イメージセンサーが撮像面と合焦検知面を兼用しているのでジャスピンが容易に得られる点]という、ミラーレスカメラの最大の利点をもっていないのです。

どうしてミラーレスカメラなのかというと、ジャスピンが簡単に得られるからです。 しかし、動画も写真も、ジャスピンが実現できないのが、LUMIXのミラーレスカメラなのです。

LUMIXとしては、動画での熱停止を防止し、イメージセンサーの加熱による色彩の劣化を防止し、[像面位相差のセンサー]を埋め込むことによる画素欠損を避けるために、[コントラスト+像面位相差]のハイブリッドAuto Focusを採用していないのかもしれません。

ただし、LUMIXはAuto Focusがダメなため、動き回る子供も、動物も、野鳥も、鉄道も、飛行機も、撮れないでしょ?  しかも動画機というのは、動く被写体が撮れてナンボでしょ? 

写真のように、あまり動かない被写体の動画を、美しい色彩・高い解像感・キレのあるエッジで撮ったとしても、[それって、動画である必然性はありますか?][それはホンマに動画ですか?]と問い返したい。

それやったら、FUJIFILMの1億画素の中判で撮影した写真を、動画編集によってティルト/パン〔視線の垂直/水平移動〕しながら音楽を流したって、いっしょヤンケ?  どないや? 

ちなみに、[自称ビデオグラファー]が作った、音楽に合わせて激しくカット割りしていく映像作品に、私たちは嫌気がさしています。 あれって、ミュージックビデオ〔MV〕だから成立する手法なわけであって、ふつうの映像作品まで、ミュージックビデオ風だと疲れるだけなんです。 見たい映像、見たいシーンをゆっくり見せてくれないんですよ、あの手の映像作品は。 [自称ビデオグラファー]の自己満足の世界ですね、あの手の動画作品は。

ちなみに、[自称ビデオグラファー]が作った、[過剰にカラーグレーディングされた、【変色動画】]にかんしても、私たちは嫌気がさしています。 オールドレンズを使った、フレア/ゴーストだらけ、渦巻きボケだらけのローファイ写真/ローファイ動画にかんしても同様に、私たちは嫌気がさしています。

おせち料理を毎日、食べたいでしょうか?  毎日のお食事は、味が薄いけれども、食べていて飽きない、何の変哲もない食事です。 つまりテレビで採用されているRec.709という規格から、大きくはずれた色彩をもつ動画というのは、[テレビという日常からかけ離れている]という意味においては、最初は目を惹きますけれども、やがて飽きられます。 おせち料理ばかり食ってたら、お茶漬けが欲しくなるってぇもんですよ。

(1)フレーム周波数 : 30 Hz
(2)フィールド周波数 : 60 Hz
(3)水平周波数 : 15.75 kHz(30 × 525)
(4)総走査線数 : 525 本
(5)有効走査線数 : 480 ~ 485 本
また NTSC では,さらに次のようなパラメータを定めています.
(6)音声副搬送 : 4.5 MHz(コラム 1 参照)

引用元: ビデオ信号の基礎とその操作方法 - 36241_VIDEO.pdf

映画とかドラマといったものは、Rec.709だって成立するわけです。 [寺内貫太郎一家][高原へいらっしゃい][北の国から][渡る世間は鬼ばかり]など、名作といわれるテレビドラマは、たぶんRec.709の

日本が採用したアナログテレビの映像規格は、4:3の30iで走査線は525本でした。 アナログテレビを近接した距離で視聴するには、14型程度の小型テレビが限界で、それ以上、大画面にしても、画素が粗くて見づらくなるだけでした。 ブラウン管のパーソナルテレビは、14型で1万円前後でした。

そういう、低規格の視聴環境であっても、[寺内貫太郎一家][高原へいらっしゃい][北の国から][渡る世間は鬼ばかり]など、名作といわれるテレビドラマを視聴して感動していたわけです。 色彩も、Rec.709か、それに近いものでしょう。

結局、[過剰にカラーグレーディングされた、【変色動画】]というのは、[自称ビデオグラファー]の自己満足の世界でしかありません。 偏見かもしれないですけれども、LUMIXというのは、ああいう【変色動画】を目指す人が好む傾向があるんですよ。 [カラーグレーディングで色を追い込む]とか言っちゃってさぁ。

映像を通して何を伝えたいのかを言語化することができない人が、伝えるべきメッセージがないため、【変色動画】をつくって、映像美でごまかすわけでしょ? 

写真だって同じですよ。

言語化できるような、[受け手が読み解くべき内容]をもつ動画・写真であれば、【変色動画】【変色写真】に依存する必要はねぇってこったよなぁ?  どうだい? 

つまり自分の作品を【モノクロ動画】【モノクロ写真】に変換したとき、それでも[受け手が読み解くべき内容]が残っているのか? いないのか? 

【変色動画】【変色写真】というのは、[受け手が読み解くべき内容]がない、[意味なし動画][意味なし写真]だから、[色が][ディテールが]といった、ドウデモイイ細かいことにこだわっているんじゃないの? 

そういう撮影者には、たぶんメッセージ〔伝えるべき言葉〕、アティテュード〔生きる姿勢〕をもたない人なのですよ。 そういう人が動画や写真を撮っても、意味ないでしょ? 

例えば、[内容のないことを、マーカーや色ペンをたくさん使ってキレイにノートにまとめる][ノートのところどころに、くまちゃんの絵が描いてある]といった感じのことが、【変色動画】【変色写真】【インスタ映え写真】とかの世界ではないのか? ということです。

もちろん、色彩にもメッセージはあるでしょう。 しかし、粋も過ぎれば無粋になる、といったような感じがしますよ。

LUMIXが想定している、写真の延長線上のような動きの少ない被写体の動画で[映像美]を実現したとて、それに何の価値があるの? 

動画機というのは、動く被写体が撮れてナンボでしょ? 

被写体が激しく動くと、ピントが合わないから、躍動感のある動画が撮れない、そのような動画機をLUMIXは出している。 どこかが大きくズレているんじゃないんですか? 

LUMIXという会社を存続させることが先決問題であるとしたら、市場の声を聞き入れ、[コントラスト+像面位相差]のハイブリッドAuto Focusをとりあえずは採用して、ひとなみのAuto Focus性能を手に入れることです。

イメージセンサーに[像面位相差のセンサー]を埋め込むことによる[過熱問題]や[画素欠損]には、いったん目をつぶり、とりあえずAuto Focusをまともにしないと、動く被写体が撮れない。 こちらのほうが、現実問題として痛いのですよ。

LUMIXの開発責任者のエゴや見当違いの思い込みから、市場の声という現実問題を直視しないで、独善的でわけのわからない映像美だけを追求した結果、LUMIXは負け組になってしまったわけです。 DC-GH6では、Auto Focusが改善されているらしいですけれども、そこが問題なのではなく、いつまでたってもCanonやSONYの素速いAuto Focus並みになっておらず、常に負け続けている、という部分が問題なのです。

LUMIXがとくに動画のAuto Focusについて、CanonやSONYに対して、常に比較劣位であり続けていること。 万年、負けていること。 [負けている]とは、選ばれない、つまり、売れないということです。 そこが問題の核心部分なのです。

[画素欠損の有無]よりも[レンズの解像度の高さと収差の少なさ]のほうが、映像美に与える影響としては、効き目があることが広く知られています。

例えば、低画素のSONY FX3でも、レンズの解像度さえ高ければ、[拡大しなければキレのある映像に見える]わけです。

イメージセンサーは多少ボロくても、レンズにキレがあれば、それなりに見栄えのする画質になるものです。

しかし、イメージセンサーが優秀でも、レンズがダメならば、ダメな動画・写真しか撮れません。

画質を最も大きく左右するのは、イメージセンサーではなく、レンズなんです。

そこから、[画素欠損をなくすために、イメージセンサー上に像面位相差センサーを埋め込まない]という判断は、そもそもが、見当違いという部分をもっているのだと思います。

そもそも、[8K→4K][6K→4K]などといったように、オーバーサンプリングした映像を、演算によってダウンコンバートするのですから、原初データに画素欠損があったとしても、ダウンコンバートのプロセスで演算によって補間してしまえば、実質的に画素欠損はなかったことにできますよ。 補間による偽色とモアレ?  それはデジタル処理でうまくごまかせばいいんです、SONYみたいに。

つまり、そもそも[画素欠損]をメインの理由としてイメージセンサーに[像面位相差のセンサー]を埋め込むことを拒否する理由がない、ということなのです。

それでは、イメージセンサーに[像面位相差のセンサー]を埋め込むことを拒否する理由のメインが[過熱問題]だったと仮定しましょう。

[像面位相差のセンサー]が熱源となって、熱停止を生みやすいので、LUMIXが[像面位相差のセンサー]を嫌っている、という意味です。

それでも、近頃のLUMIXのミラーレスカメラには、冷却ファンを入れているので、そこまで熱停止を心配する必要もないでしょう。

そんなに熱停止が問題なら、1型ぐらいにイメージセンサーを小さくしたほうが実利的です。

そもそも動画で何が気になるのかというと、被写界深度が浅い場合には、ピントが動いて、ピンボケから合焦する過程が動画に記録されてしまう点です。 これを避けるためには、イメージセンサーを小さくして、そもそもの光学的な被写界深度を深くしておくしかありません。

結局、動画が4K程度までの解像度なら、動画フォーマットに最も合っているイメージセンサーは、1型なんですよ。 現在、業務用のビデオカムの主流をなしているのが、1型です。

フルフレームだと、被写界深度を深く取るためにアイリスを絞りすぎるとISO感度が上がって、動画がザラザラになります。

APS-Cになると、被写界深度を深く取るためにアイリスを絞りすぎてISO感度が上がり動画がザラザラになる度合いが減ります。 暗所耐性がそこそこ強いので、昼間にシャドー部分に暗所ノイズがのることは、ギリギリ回避できるぐらいだと思います。

マイクロフォーサーズになると、そもそも被写界深度が深いので、そんなに絞る必要がなく、[アイリスを絞りすぎてISO感度が上がり動画がザラザラになる]ということがありません。 ただし、暗所耐性が弱くなり、昼間でもシャドー部分に暗所ノイズがのります。

1型になると、そもそも被写界深度がとても深いので、そんなに絞る必要がなく、[アイリスを絞りすぎてISO感度が上がり動画がザラザラになる]ということが皆無です。 ただし、暗所耐性がとても弱くなり、昼間でもシャドー部分に暗所ノイズがのります。

動画機というものは、写真機とは異なり、ある程度、光学的に被写界深度が深いことが好ましく、フルフレームでは、被写界深度が浅すぎます。

  • フルフレームは写真用フォーマット
  • Super 35mm/APS-Cは動画用フォーマット

ということは、動画用としては、Super 35mm/APS-Cが、最適解なのかもしれません〔上記の箇条書き〕。

実際、シネマ用レンズの多くは、Super 35mm/APS-Cに向けてつくられています。

また実際、多くの動画向けミラーレスカメラが、フルフレーム機であったとしても、APS-Cモードをもっており、4K60pの動画が[クロップファクター1倍〔ノンクロップ〕]で撮影できるのは、APS-Cモードに限定されているミラーレスカメラも多いです。

フルフレーム向けのシネマ用レンズは、高額すぎて購入できませんし、重量がありすぎて、すべての撮影機材を大型化する必要があります。 [撮影機材を大型化する]とは、機動性が低くなることを意味します。 つまり、撮影場所も制約されますので、そのことが映像作品の内容にまで影響が及ぶことでしょう。

シネマ用レンズの望遠レンズを考慮に入れたとき、フルフレーム機で動画・映画を撮ろうとすることそれ自体が、素人には無謀なことだと悟るべきです。

シネマ用レンズの望遠レンズの大きさ、重さは、スチル用のそれの比ではないぐらい、巨大であり重量級です。

Super 35mm/APS-Cは、フルフレームと比べて、暗所耐性が低いのは事実です。 そういう場合には、スチル用でもいいから、フルフレーム向けのレンズにフォーカルレデューサーをかまして明るさを稼ぐことで、見かけ上のF値を下げてやればいいのですよ。

[暗所耐性を高めるためにイメージセンサーをフルフレームにする]というのは、愚策だと思います。

動画にとって大切な要素である手ぶれ補正も、フルフレームよりも、Super 35mm/APS-Cぐらいのほうが、イメージセンサーユニットが軽量なので、センサーシフトも軽快に行なえるでしょう。

フルフレームになると、ピント面が薄すぎて〔≒被写界深度が浅すぎて〕、8Kになど高画素になってくると、ピントがズレていると目立ちます。

  • 同じフルフレームでも、低画素だと、ピントがズレているのが目立ちません。
  • 同じフルフレームでも、高画素だと、ピントがズレているのが目立ちます。

フルフレームで8K動画となると、ピントが動いて、ピンボケから合焦する過程が動画に記録されてしまう点が、とても目立つようになります。 そういう神経質な動画は、見ている側も気になりますので、心地よくありません。

こうしたケースでは、人間の肉眼でフォーカスを合わせるのは難しいわけです。 優秀なAuto Focusが必要です。

LUMIXのミラーレスカメラだと、結局、Auto Focusが使い物にならないので、マニュアルフォーカスで動画撮影をせざるを得ません。

または、LUMIXのミラーレスカメラだと、被写体に静止してもらい、その状態でシャッターボタンを半押ししてAuto Focusをきかせ、そこでピントを固定してから録画ボタンを押す、という方式をとります。

こういう方式で撮影できるのは、被写体に対して撮影者の注文が届くような、そのような被写体だけであり、動き回る子供も、動物も、野鳥も、鉄道も、飛行機も、撮りづらいのが現実です。 LUMIXのミラーレスカメラは、現実を記録する用途には向かないわけですよ。

LUMIXは、こういうやり方で8K動画時代にも通用すると思っているのでしょうか? 

LUMIXは、[フルフレームでの8K動画時代にも、人間がマニュアルフォーカスで合焦させる]という未来を思い描いているのでしょうか?  そうではないでしょうね。

8K動画の場合、[コントラスト+像面位相差]のハイブリッドAuto Focusを採用しなければ、しっかり合焦した、安定した動画撮影は無理だと私は思います。

SONYやCanonは、Auto Focusの問題はすでにあらかたクリアしてしまい、あとは[イメージセンサーの読み出し速度不足]や[画像処理エンジンのパワー不足]による動画撮影時のこんにゃく現象を低減させる段階に入っています。

そして、SONYは[動画撮影時のこんにゃく現象]や[フォーカスブリージング]も克服しているので、現在のところ、ミラーレスカメラでの動画撮影なら、いちおうSONY一択です。 ただし、SONY機が吐き出すデータは、誰もが[グレーディング耐性が低い]=[パラメーターをいじることができる幅が小さい]と不満をぶちまけています。

FUJIFILMとLUMIXは、[グレーディング耐性が高い]=[パラメーターをいじることができる幅が大きい]という話は、聞いています。

Canonは、わかりません。 でも、写真と同じぐらいだとしたら、Canonの動画データも、[グレーディング耐性が高い]=[パラメーターをいじることができる幅が大きい]ことが予想されます。

そして、シネマレンズのラインナップが充実しているのが、FUJIFILMとCanonなので、映画を考えている場合には、SONYではなく、FUJIFILMまたはCanonからに二者択一になるでしょう。

このようにして、市場は競争する場なので、常に他社との比較のうえで、優位・劣位が決まってくるわけです。 Panasonicが採用しているLマウントに、シネマ用レンズは、まだないと思います。 DJIもLマウントアライアンスに加わったので、これからシネマ用レンズ設計をするのでしょう。

とにかく、LUMIXは動画Auto Focusが頼りないから、素人には扱いづらい。 そうした雰囲気から、一般の消費者〔プロでない人〕はLUMIXを離れてSONYやFUJIFILMに向かいました。 LUMIXは、動画しか撮らない人、とりわけ、色彩にこだわる映像制作会社のための、じつにマイナーなカメラになってしまったのです。

Panasonic LUMIX DC-GH6にかんしては、[コントラスト式]+[像面位相差式]の[ハイブリッドAF]を搭載するであろうと、多くのLUMIXファンが期待していましたけれども、それは裏切られました。

DC-GH6は[コントラスト式]のAuto Focusなのです。 結果として、DC-GH6は、SONYのコンパクトデジカメであるDSC-RX100M7よりもAuto Focusが劣る、ダメなカメラだという評価になってしまったのです。

レンズ交換式でボディだけで25万円以上するカメラがコンデジにAuto Focusで負ける?  ふざけんなよ! と多くの消費者が憤慨しました。

このことは、DC-GH6だけでなく、LUMIXのフルフレーム機であるSシリーズにおいても、今後とも[コントラスト式]のAuto Focusを継続するのだという[暗澹たる未来]を予想させました。

そして、OLYMPUSがOM SYSTEMとなり、OM SYSTEMのカメラは、いわば登山家が過酷な環境の中で山岳写真などを撮るための[ヘビーデューティー用途の写真機]に特化するかたちになったのでした。 これにより、OM SYSTEMのカメラは[小型軽量さを保つ]ことが至上命題となり、動画の長回しについては、まったく期待できなくなりました。 ミラーレス機で動画に期待できないとなれば、[ハッキリいって表舞台から去った]ということになります。

こうなってくると、マイクロフォーサーズそのものが盛り下がっていくので、LUMIXのGHシリーズが再び盛り上がることも難しいでしょう。

ただしマイクロフォーサーズは、被写界深度が深いため、小物の物撮りにおいては、マイクロフォーサーズを使ったほうが明らかに有利です。 ジュエリー、腕時計、小物類などの商品写真を数多く撮る場合はとくに、マイクロフォーサーズ一択だといえるでしょう。

[フォーカスブラケット+深度合成]というのは、合成のプロセスで[画像欠損]が起こったり、[ボケを消すことができずに、それがニジミとして残存する現象]が起こったりして、写真が破綻する確率が高いため、実戦投入は危険です。

マイクロフォーサーズというフォーマットを選択することによって、光学的に被写界深度が深い状態を得ながら、照明をかなり明るくして、絞りを絞ることで、奥までピントを合わせるように撮影するのが、商品写真としては安全です。

こういう場面では、OM SYSTEMの小型のボディ〔動画性能を捨て去って写真撮影に特化したので小型である〕が生きます。 ただし、こういう用途で写真を量産する人は、写真を撮る人のうち少数派ですから、やっぱり動画が長回しできないとイヤだとか、そういうのはあると思います。

例えば、ブライダル撮影をワンオペで行なうには、焦点距離の異なるレンズを取り付けたカメラを、最低でも2台たずさえて動き回ります。 このとき、スチル用カメラとムービー用カメラを別々に用意することは、考えられません。

こうした場合、LUMIXのミラーレスカメラは選ばれません。 それはLUMIXのミラーレスカメラのAuto Focusが低性能であるため、撮影機会が1回しかないクルーシャルな場面では、まったく頼りにならないからです。

撮影機会が1回しかないクルーシャルな場面において信頼されないクソAuto Focusを搭載しているのがLUMIXのミラーレスカメラです。 LUMIXのミラーレスカメラは、カメラに最も強く求められている要素が欠落した、クソカメラです。

ミラーレスカメラのどの点が画期的なのかというと、イメージセンサー上にフォーカスセンサーを散在させることによって、イメージセンサーという撮像面そのもので合焦・非合焦をセンシングすることができる点なのです。 結果として、ミラーレスカメラのほうが、一眼レフよりも、ジャスピン〔フォーカスが寸分の狂いもなく合った状態〕が簡単に得られるのです。

例えば、EFマウント〔Canon〕のレンズを使っても、一眼レフであるEOS 5D Mark Ⅳを使ったのでは、レンズによって、前ピン・後ピン〔フォーカスセンサーが合焦したと判断しても、実際のピント面が前または後ろにズレる現象〕があるようです。

一眼レフでは、イメージセンサー上にフォーカスセンサーがあるのではなく、カメラボディにフォーカスセンサーを別立てで取り付けているだけなのですね。 そうすると、[フォーカスセンサーが合焦していると感知したこと]と[イメージセンサー上で合焦していること]との間には必ず誤差・ズレが起こるので、一眼レフでは、合焦・非合焦は、撮影した写真を見るまでわからないわけです。

ところが、EFマウントのレンズを、アダプターを介して、ミラーレスカメラであるEOS Rシリーズに取り付けて撮影すると、ピントがビシッと合った写真が撮れたりします。 つまり、ミラーレスカメラのほうが、ジャスピンが得やすい。 ミラーレスカメラの場合、撮像面=センシング面ですから、合焦・非合焦を判定する誤差がゼロなのです。 結局、ミラーレスカメラのスゴさは、寸分の狂いもなく合焦する点なのです。

いいかえれば、ミラーレスカメラでは、Auto Focusの機能を磨き上げることによって、ピンボケ写真が理論上、激減するわけです。 実際、SONYとCanonは、それをなしとげました。 NikonとFUJIFILMは、SONYとCanonに準ずる程度までには、改善されてきました。

これら、SONY・Canon・Nikon・FUJIFILMは、[コントラスト式+像面位相差式]のハイブリッドAFを採用していますから、合焦が素速いのです。

ところが、LUMIXの場合、まだ[コントラスト式]に固執しているので、合焦において迷うし、遅いうえ、いったんAuto Focusが迷ったら、何十秒も戻ってこないことがあるわけです。 ミラーレスカメラの時代にあって、このAuto Focus性能では、まったくお話になりません。 そして実際、LUMIXのミラーレスカメラは、一部の映像業界関係者にだけは支持されているものの、一般ウケしないので、市場では完全なる敗北者となっているわけです。 何よりも、Auto Focusがクソだという点で、LUMIXはカメラマニアたちから、愛想を尽かされています。 LUMIXに対する信頼は裏切られましたので、もう何をやっても、取り戻せないでしょう。

時々刻々変化する被写体を確実に撮影する必要がある、つまり一発勝負のとき、LUMIXのミラーレスカメラは選ばれません。

一発勝負のときは、Auto Focusが速くて正確であり、連写がきくことが第一条件ですから、選ばれるカメラとしては、[Canon EOS R3][Canon EOS-1D X Mark Ⅲ][Nikon Z 9][Nikon D6][Nikon D850][SONY α1]あたりでしょう。 そのようにして、記録写真がピンボケなしに撮れる条件が整っているカメラの中から、動画も撮れるカメラが選ばれていく。 これが、ブライダル、七五三、学校行事、企業行事などの記念写真・記念動画を受注する業者が、カメラを選択する方法だと思います。

LUMIXは上層部の判断がクソなので、勝負に負けたわけです。 LUMIXのエンジニアは、他者へ転職したほうがいいです。 というように、理系だと転職できるわけです。

像面位相差式のイメージセンサーを採用すると、フォーカス検知用のセンサー素子を、イメージセンサーのところどころに挿入する必要があります。 このとき、フォーカス検知用のセンサー素子を埋め込んだ部分は、撮像をつくるための画素がない〔画素欠損の〕状態になってしまうため、そこは周囲の画像から演算で類推して補間します。 こうして得られた写真は、きめ細やかさにやや欠けます。

ですので、LUMIXのミラーレスカメラで撮った写真・動画には、独特のなめらかさがあります。 しかしその一方で、LUMIXのミラーレスカメラは、オートフォーカスが完全にダメダメで、結局はマニュアルフォーカスにするのがいちばん手っ取り早い、ということになるわけです。

以上のことから、LUMIXのミラーレスカメラを使ってワンオペで動画を撮る人は、フォーカスを固定して使っているのです。 これは、じっくりと撮影できる場合には向きますけれども、撮影機械が1回しかない、記録写真・記録動画、ドキュメンタリー、ニュースなどには向きません。

そうした結果として、LUMIXのミラーレスカメラは、ごく一部の映像制作会社が採用するだけになっている印象なのです。 LUMIXのミラーレスカメラは、ほんとうに売れていません。 これでは、会社が傾きます。

LUMIX20周年、中身は良いのになぜ売れない? | Amazing Graph|アメイジンググラフ

Nikonも上層部の判断がクソなので、勝負に負けたわけです。

Nikonは、レンズだけが突出してスゴいのだけれども、イメージセンサーの読み出し速度が遅いため、動画ではこんにゃく現象が起こりがちです。

[Z 9]というNikonのフラッグシップ機は、メカシャッターレスであり、電子シャッターのみでスチル〔写真〕も撮影しますので、構造としてはビデオカメラと同じです。

このように、ミラーレスカメラというのは、基本的にはビデオカメラですので、ミラーレスカメラは動画が撮れて当たり前、動画が撮れてナンボなのですね。

しかしNikonのカメラは、ソフトウェア的にクソ仕様の部分も多く、UIの設計者がバカであることがありありとわかります。

このバカというのは、例えば、他社のミラーレスカメラを研究していないのですよ。 LUMIXのUI、CanonのUIがすぐれているのを、Nikonのエンジニアは研究しないでカメラをつくっている。 [他社製品をベンチマークしないで製品作りをしている]という伝統がNikonにはあるので、ここが完全にバカ。 こういうやり方では負けるにきまってんじゃんよ。

Nikonというのは、湾岸戦争のとき、パッキンが甘くて、細かい砂がボディやレンズに入り込んだので評判を落とした過去があります。 この湾岸戦争のときCanon EOSは、パッキンをしかりしていたので、細かい砂がボディやレンズに入り込むのを防ぐことができたわけです。 ここでNikonはやらかしています。

Nikonというのは、一眼レフ時代に、[テザー撮影がやりにくい]というユーザーからの指摘を無視し続けたせいで、スタジオ撮影が多いプロフォトグラファーが、こぞってCanonに流れた、という過去をもっています。 ここでNikonはやらかしています。

例えば、[Z 9]というNikonのフラッグシップ機の価格は、かなり低く設定されており、安いがゆえに売れている、という側面があります。

ただし、Zマウント〔Nikon〕のレンズは、きわめてシャープな撮像を写し出すのだけれども、かなり高価であり、[Z 9]のボディが多少安くても、NIKKORレンズが高価なので、トータルでは、かなり高い買い物になります。

現在、ミラーレスカメラの市場は、SONYとCanonが主導権争いをしており、FUJIFILMが躍進して第三位という印象になっています。

Nikonは動画が弱いという印象がユーザーに染みついてしまい、いまさらどんなにいいカメラを投入したとて、すでにユーザーがマウントの選択を終えた状態なので、[It’s too late.〔遅かりし〕]という状況です。

スタジオで人物撮影中心のカメラマンはCanonを使うでしょう。 それは、Canonを使うと、人肌が実物よりもキレイに撮れるからです。

そして、動画中心ならSONYでしょう。

APS-Cフォーマットで、システムをコンパクトにしたい場合にはFUJIFILMでしょう。

Nikonは、風景写真や機械などを撮影するのに向きますけれども、残念ながら人肌表現についてはCanonのほうがうまいため、人物撮影には、あまり向きません。 Nikonの周辺画質のクリアさ、収差の少なさは、Canonのそれらに比べると、格段に優秀ですけれども、それが生かせるのは風景写真、文化財の記録写真などにおいてのみでしょう。

ということは、街の写真館において、Nikonを選択する人は、少数派だと思いますよ。 赤ちゃんや子供や女性の人肌を、桃の実のように、血色よくシミ・シワをかくして撮る。 これがCanonのカメラだと、やりやすいのですよ。 ここがカメラに求められている、中心的な性能なのです。 Nikonには、そこがわかっていないので、NikonがCanonに勝てるわけがございません。

以上のようなことから、LUMIXは最終的には、LeicaのOEM供給元になり、コンシューマー市場からは撤退し、業務用専門メーカーに落ち着くことでしょう。

Nikonは動画に強くならなければ、生き残るのはきびしいですね。 Nikonが本格的なシネマ用カメラを開発し、Super 35mm/APS-C用のシネマレンズを多数そろえれば、生き残れるかもしれません。

しかし、すでにFUJIFILMが、Super 35mm/APS-C用のシネマ用レンズを多数そろえているので、いまからNikonが追いつくのは困難かもしれません。

シネレンズ | 富士フイルム [日本]

ニコン映画用レンズの一覧 - Wikipedia

  • シネマ用レンズというのは、フルフレーム用は重くて大きいし高額でもあるため、なかなか買うことができません。
  • そうするとレンタルになりますので、フルフレーム機で映画を撮ると、高額なレンタル料が日数分かかりますから、それが映画の製作費にものすごく影響するようです。
  • 大がかりな映画は天気待ちということもあるようですので、天気しだいで制作費をドブに捨てることにもなりがちです。
  • 劇場用のスクリーンですら、解像度としては、Super 35mm/APS-Cで十分であるようです。
  • ということから、Super 35mm/APS-C用のシネマ用レンズを自社で買ってしまったほうが、トータルで制作費が浮くようです。
  • つまり総じていえることは、シネマ用レンズの主戦場はSuper 35mm/APS-Cであるということです。
  • そこから、Super 35mm/APS-Cで撮影できるシネマ機をもたないZマウント〔Nikon〕が、動画用カメラとして候補に挙がることはありません。
  • 他方、Canonの場合、Super 35mm/APS-Cで撮影できるシネマ機として[EOS C70][EOS C300 Mark Ⅲ]があるため、スチル〔写真〕とムービー〔動画〕の色彩的な統一感を重視する人にとっては、NikonとCanonなら、Canonを選択するしかないわけです。
  • いいかえれば、スチル〔写真〕とムービー〔動画〕の色彩的な統一感を重視する人にとっては、Zマウント〔Nikon〕よりもRFマウント〔Canon〕ということに、必ずなります。
  • このような部分において、Nikonはとても手薄であった歴史をもっているため、すでに数多くのシネマ用レンズを取りそろえているCanonに、Nikonが追いつくことは、ハッキリいって不可能でしょう。

キヤノン:映画製作機器 CINEMA EOS SYSTEM

Apple ProRes や ProRes RAW の使用が承認されている製品 - Apple サポート (日本)

以上の7社のうち、シネマ用レンズをしっかり取りそろえているのは、CanonとFUJIFILMだけです。

そして、CanonとFUJIFILMは、カラーサイエンスの技術が進んでいる2社であり、写真と動画の色彩的な統一感を追求した場合、CanonかFUJIFILMか、というところに落ち着きます。

写真も映画も、最後はいかにして省力的に[色彩的な統一感]を得るか、という効率性に帰着します。 SONYは、この点、[BIONZ XRプロセッサ]を2機搭載した[α7S Ⅲ][α1][FX3][α7 Ⅳ][FX30][α7R Ⅴ]以外の古い機種の写真・動画の色彩は、ハッキリいって残念な色彩です。 しかも[BIONZ XRプロセッサ]を2機搭載した機種の動画は、事前に色彩補正が相当してあるらしく、カラーグレーディングをほどこす余地があまり残されていないので、シネマ向きではないようです。 つまりSONYのミラーレスカメラの動画データは、カラーグレーディング耐性が低いので、動画を撮る場合の色味にかんしては、FUJIFILMかCanonのカメラを選んだほうがいい、ということです。

SONYのシネマ用レンズは、ホコリが入りやすいので、SONYは完全に素人ですね、シネマ用レンズにかんしては。 そして、SONYはシネマ用レンズのラインナップがショボいので、シネマ用にはあまり向かないでしょう。 しかもSONYの場合、カラーサイエンスがイマイチなので、この点でFUJIFILMやCanonに負けますね。

こうやって絞り込んでいくと、今後、確実に生き残るレンズマウントは、RFマウント〔Canon〕とXマウント〔FUJIFILM〕であることが、現時点ですでに潜在的には確定しているわけです。 そのことが顕在化するのに、10年とか、15年とかを必要とするわけですが。

以上のことから考えられるのは、NikonがCanon・SONY・FUJIFILMに追いつくことは無理だということです。 そしてLUMIXは圏外です。

LUMIXは完全敗北、Nikonは敗北するであろう、という局面なのですよ、実際には。 Nikonにシネマ用レンズがない時点で、Nikonはスチル専用なのですね。

ミラーレスカメラなのにスチル専用というのはあり得ません。

しかも、[写真よりも動画のほうが訴求力がある]ことが広く認知され、動画投稿サイトが盛んである、このご時世にスチル専用というのはあり得ません。

これでは、Zマウント〔Nikon〕が発展する要素がないわけです。

Zマウントのレンズは解像度が高く、周辺画像の収差が少ないため、写真は確かにZマウントの写真が、フルフレーム機の中では抜きん出ています。 しかし、その写真の色彩と、ムービー〔動画〕の色彩とを統一しようとすると、話が途端に難しくなってくるわけです。 Nikonのカメラでムービーを撮るのが難しいから、Nikonを避ける、Zマウントを避ける。 そういう消費者も多いのではないかと推察されます。

ミラーレス時代は、写真と動画をトータルで考える時代であることを、Nikonは見落としていたわけですね。 Nikonの経営陣は、全員クビですね。

フルフレーム用のシネマ用レンズは高額であるため、シネマ用レンズはSuper 35mm/APS-Cであるほうが好ましい。

そして、写真においては高画素が必要だけれども、動画において高画素にしすぎると、動画をRAWで撮影した場合などにSSDの容量がすぐに底をつくため、また暗所ノイズを低減するために、イメージセンサーはある程度、低画素でないといけません。

ということは、シネマ用レンズを使うカメラとしては、Super 35mm/APS-Cの低画素モデルが好ましい、ということになるでしょう。 そういう意味では、[FUJIFILM X-H2〔低画素・連写・暗所・動画向き〕][FUJIFILM X-H2S〔高画素・トリミング耐性・写真向き〕]というFUJIFILMの製品づくりが光ります。

写真も動画も、ということになると、FUJIFILMになるでしょう。

他方、Canonは[フルフレーム機を買わせるために、APS-C専用のレンズに高画質なレンズを投入しない]という王者の戦略をとっていることが災いし、[スチル用レンズをSuper 35mm/APS-C用に流用する]という手段が使えません。

フルフレーム用のレンズを、APS-C機で使うと、Canonの場合は1.6倍にクロップされるため、広角域の焦点距離が無効化されます。

だからこそ、APS-C専用のレンズが必要なのですけれども、このAPS-C専用のレンズとして高画質なレンズを出すと、フルフレーム機が売れなくなるとCanonは思っているのです。

つまりSuper 35mm/APS-Cで広角域をキレイに撮影するとき、Canon機では、レンズが不足しているわけですね。 しかしCanonは、2022-11-12の段階では、RFマウント〔Canon〕の仕様を他社に公開していませんので、サードパーティ製レンズを使うことができません。

他方、Xマウント〔FUJIFILM〕は、仕様を他社に公開していますので、他社のレンズが使えます。

結果として、CanonにはAPS-C専用のレンズには、ろくなものがありません。 Canonは目先の損得だけで、消費者を泣かせるようにしてラインナップをそろえてきたので、その矛先がこのケースでは、自分自身に向かってきて、自滅的な展開になっているわけです。 Canonは結果として、写真専用機になるでしょう。

それから、新しく出たCanon EOS R6 MarkⅡでも、動画撮影時のこんにゃく現象が、広角レンズでの歩き撮りにおいて、かなりひどかったです。 つまり、CanonのデュアルピクセルCMOSセンサーの読み出し速度が遅いのか、画像処理エンジンの処理能力が低いのか、その両方かで、動画撮影時のこんにゃく現象が目立つわけです。

ということから、写真も動画も、ということになると、消去法でFUJIFILMになるわけです。

写真も動画も、と考えたとき、たいていの人はSONYに行きますけれども、Eマウント〔SONY〕のシネマ用レンズのラインナップがショボいことを計算に入れずに、SONYを選択しているのでしょう。 あるいは、[フルフレーム機を使いたい]ということから、SONYを選んでいるのでしょう。

しかし、カラーグレーディングのことまでトータルで考えると、SONYの動画データは、パラメータを変更できる幅が狭くて、カラーグレーディングが苦しいらしいですよ。

FUJIFILMのデータのほうが、カラーグレーディングできる幅が広くて、やりやすいらしいですよ。

しかもFUJIFILMの場合、フィルムシミュレーションで、あらかたの色彩を整えた状態で収録しておくことによって、ポストプロダクション〔収録後工程〕のカラーグレーディングがほぼ不要になり、映画の予算が削減できるらしいですよ。

FUJIFILMの練り上げられた戦略に舌を巻くばかりです。

以上のようにして、LUMIXやNikonは、危険な段階に入ってきているのです。

それでは、2000年代にLUMIXやNikonに就職した文系の出身者というのは、どうなるでしょうか?  当然、クビにならざるを得ないわけです。

これは、個別具体的な話をしているのではありません。 LUMIXやNikonが、大量の従業員を解雇したとも聞いていませんし、文系の人がLUMIXやNikonに就職できるかどうかもわかりません。

ここで私がいいたいことは、コアコンピタンスに深く関係する職種でなければ、存在しなくても困らない従業員なのだということであり、その筆頭格が文系出身の営業職・事務職なのだということなのです。

コアコンピタンスに深く関係する職種でなければ簡単に解雇されてしまう、ということは、いわば[能なし]≒[特別なスキルがない]と見なされたのだということであり、それゆえに、再就職が困難なのだというところが、ポイントなのです。

世間を渡るのに、[能なし]≒[特別なスキルがない]ということ、いいかえれば、[手に職がないこと]ということが、どれだけ危険であるのかをわかってから、文系という進路を選択する必要があったわけです。

17歳・18歳のみなさんの多くは、[みんなが私大文系にも進学しているから、自分も]といったように、周囲の動向に合わせて、自分で考えずに進路決定をしているのです。 それが地獄への道だとも知らずに。

自分で調査して、自分の頭でしっかり考えてから結論を出しましょう。

文系が携わることができるテクニカルな領域といえば、せいぜいが法令です。

しかしDSは、司法試験をぶっ壊して、弁護士を独立開業して食っていける職業ではないものにしました。 いまこの時代に、弁護士を目指すのはバカです。

[薬学部が6年制になったこと]と[医薬品販売に関する規制緩和]によって、薬学部を出ても、ペイしなくなりました。 いまこの時代に、薬学部へ行くのはバカです。

[医薬品販売に関する規制緩和]は、ネット通販で医薬品を販売できる領域が広がったのです。 ということは、街のドラッグストアが全滅する可能性があり、これまで、薬剤師である主婦がドラッグストアにパートで入り、それで小銭を稼いでいた、そのやり方が通用しなくなるので、6年もかけて薬学部を出ても丸損だということです。 とくに私立の薬科大学は学費が高額なので、最悪です。

また男子で薬剤師だと、製薬企業の営業部門に所属しながらMR〔Medical Representatives〕つまりB2Bの営業職としてトヨタのプロボックスで走り回る生活です。 つまり男子で薬剤師だと、一般の文系出身営業職と、あまり変わらない未来ですね。 必死で学んだ有機化学の知識も使いません。 最低・最悪です。

国家資格の世界というのは、法令が変われば、その施行直後から食っていけなくなる、とても危険な世界なのです。

法令というのは、実体がない空疎なものなのに、実効性があるから、DSは法治国家をつくったのですよ。 こういう側面から考えると、法治国家というのは、ある意味で、ぶっ壊す必要があるんです。

けれども、ある製品をつくり出すためのノウハウ・スキルといったものは、法令が変わっても、相変わらず存在し続けるものです。 ある製品をつくり出すためのノウハウ・スキルと深く関係しているのが、工学部という理系学部なのです。

法令の改正が頻繁に行なわれているのは、法令を改正しないと、[公務員の専門性・特殊性][法令に基づく国家資格取得者が就いている職業の専門性・特殊性]を保持することができないからです。

また法令の改正が頻繁に行なわれないと、法令の改正に基づいて新版が出る出版関係の人たちが食っていけなくなります。

学習指導要領が10年おきに改訂されるのは、それをしないと出版関係の人たちが食っていけなくなるからでしょう。 でも、すでに出版関係の人たちが食っていけなくなっていますけどね。

つまり、文系の世界の人間が[食っていける・食っていけない]は、大まかにいえば、法令いかんにかかっているわけです。 これがDSの狙いなんですよ。

法令を変更する権限を掌握しておけば、対象の生殺与奪を支配することができる。 この状態を現出するために、法治国家がつくられたわけです。

法令とは、DSのエゴが書かれている文書です。

法令をちょっといじれば、奴隷である市民・国民に致命的なダメージを与えられる状態に市民・国民を留め置く。 それこそが統治・コントロールの仕組みそのものなのです。

こういう側面から考えて、こういうタイプの法治国家だったら、ぶっ壊す必要がある。

DSをとっつかまえて、K1に出場させ、ボコボコにしばいたる必要があるわけです。

文系出身者というのは、牙を奪われた猛獣です。

文系出身者というのは、いわば能なしだから、雇用や金銭を通じて支配しやすい、ということなのですよ。

そして、文系出身者を国民の7割にすることが、DSが[国民という名の奴隷]を支配し続けることができる[安全なボーダーライン]なのだと想定しているのであろう、と推定されるわけです。

いいかえれば、国家資格のない世界を切り開き、そこで食っていける状態になることこそ、DSによる不正支配・不正コントロールから抜け出す最短経路なのだと思うわけです。

文系出身者というのは、雇われなければ食っていけない、いわば弱者、最下層民です。

学習指導要領が10年おきに改訂するごとに、数学や物理を履修しづらいようにされてきました。 これは、DSが日本の科学力・工業力を削ぐためです。

そしてDSは、台湾人・中国人・韓国人のスパイを日本の半導体業界に派遣し、日本の半導体産業をぶっ潰しました。

この構造をぶっ壊す必要があるわけです。

そのためには、大学の学生数において、7割が理系、3割が文系というように、ネガ・ポジを反転させる必要があるわけです。

私が文系のことをくさすのは、文系を選択したみなさん、あるいは、文系出身者をくさしているのではありません。

この人たちにも、理系へ転じてもらいたいから、文系をくさしているのです。

なぜかというと、理系のほうが、個人としてのコアコンピタンス〔他社には真似のできない核=コアとなる能力〕を身につけやすいからです。

電気工事関係の資格は、実務的に必要な資格であり、弁護士・弁理士・公認会計士・税理士などといった法令に基づく文系資格とは、また別のニュアンスをもっているのです。

法令改正・制度改正によって実質的に無力化〔その資格だけでは食っていきがたい状態に〕された資格として、司法試験〔弁護士〕と薬剤師があります。

法令をちょろっといじれば、無力化できてしまうのが、法的手続きに関連した国家資格です。

法的手続きに関連した国家資格は、そのスキルが、法令改正・制度改正によって、いとも簡単に実質的にが無力化されてしまうので、マジでこういう世界の資格は危険です。

それで、文系で自分が優秀だと思っている人たちは、大学に通いながらも、公務員試験とか、こういう法的手続きに関連した国家資格の専門学校に通うわけですけれども、それが有益だったのは、司法試験改革以前の昭和時代・平成時代における、古いタイプの対処法だと私は思っています。

その時代には、早稲田大学の文系の学生などは、法律系の専門学校である早稲田セミナー・辰巳法律研究所・LECなど、あるいは、会計系の専門学校であるTACや大原簿記学校などにも通う[ダブルスクール族]をして、司法試験・公認会計士試験・税理士試験、あるいは、公務員試験に備えていました。

私は[駿台予備学校・河合塾・代々木ゼミナールなど][早稲田セミナー・辰巳法律研究所・LECなど][TACや大原簿記学校など]は、総じて、[文系へ進学しても大丈夫である]というウソの前提の上に成り立ってきた、[虚業である学校]あるいは[詐欺師集団]だと思っています。

11月末から、世の中がでんぐり返るようなことが起こるらしいですけれども、それに比べたら、こうした[文系へ進学しても大丈夫である]というウソの前提は、ごくごく小規模なものだと思います。

いずれにしても、司法試験改革以前の昭和時代・平成時代は、弁護士になれば食ってける時代だったのです。

司法試験結果公表 受験者4千人を切って法曹離れ止まらず 法曹養成改革の「改革」はこれから | 赤池誠章オフィシャルブログ Powered by Ameba

しかし、弁護士が増えすぎて、弁護士になっても食っていけない状態になってしまったので、それだったら法学部に進学しても意味ないでしょ? 

そして、法的紛争は人口に比例しますから、人口が減少する日本という国家において弁護士を増やしたら、弁護士1人あたりの受注が減って、弁護士になってもペイしないことになる。 DSは、それを狙って、わざと司法試験改革をしたのです。

そして、法的紛争が起こるのは、民衆が生活に困っているからであり、民衆が豊かになったら、法的紛争は減るのです。

世の中が不幸になるように仕組まれているから、法的紛争が起こるのであり、そこに弁護士が活躍する余地があるわけです。

そして、奴隷が優秀になって財力をもちはじめた結果、権力に刃向かうようになっては困るので、弁護士といえども、経済的に困窮するように仕組まれたのです。

つまりDSは、民衆が幸せになったり、豊かになったりしないように、必死でコントロールしているのですよ。

[文系学部へ進学する]というのは、そうした[DSが敷いた死へのレール]にみずからの身を置くバカな行為で、そのレールの先は谷底への転落であることを私が保証します。

また法学部だからといって、司法試験の準備に有利かというと、関係ないのです。 そうなると、ますます法学部なんて意味ない、っていうことになる。

かつては文系の花形であった法学部ですら、その惨状ですから、政治経済学部、経済学部、商学部、経営学部など、有象無象の社会科学系の学部は、法学部未満ですよ。

社会科学系の学部は、食っていけない。

人文科学系の学部は、なおさら食っていけない。

要は、文系は爆死確定なのです。

文系から、こういう職種に進めるのではないか?  そういうふうに、いろいろと検討・検証しても、文系だと逃げ場がなくなるんです。

文系は、最終的に詰むように、社会制度が構築されているわけです。 これは、DSの策略なんですね。

それだったら、工業高校の電気科を出て、電気工事の会社に勤務して、実務経験を積みながら、電気工事関連の上位の資格を取得していき、最終的には、電気工事の会社を立ち上げたり、エアコン取り付けの会社を立ち上げたりしたほうが、[食っていける]のです。

そこは、偏差値とか、学歴とかの世界ではなく、まさしく実務の世界なのです。

[英語・現代文・古文・漢文・日本史または世界史]を選択して入学できる大学にろくなものがない理由

[英語・現代文・古文・漢文・日本史または世界史]なんて社会に出てから使わないから。

どういう業界・職種で、[英語・現代文・古文・漢文・日本史または世界史]を使うのか考えてほしい。