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エンジニアの世界にかんする参入障壁についての盲点

エンジニアの世界に致命的な打撃を与えるインパクトをもって参入してくるのは、人間ではなく、AIかもしれない、という観点が抜け落ちている感じがする。

  • たしかに[技術的に難易度の高いことができるエンジニアほど解雇されにくいであろう、という点で安全であろう]という考え方も重要である。
  • ところが、技術的に〔人間にとって〕難易度の高いことほど、じつはAIにとっては易問であったりする危険性もある。
  • いいかえれば、技術的に難易度の高いことができる技術者ほど、リプレイサブル〔代替可能/置換可能〕であったりする危険性もある。

水彩画風の絵が描けるソフトがあるけれども、結局、鉛筆と水彩絵の具で実際に描いて、それをスキャナで読み込んだほうが、味があると思う。

[フリーハンドで描ける偶発性の高さ〔偶発性/ゆらぎ〕]というパラメータに注目したい。

  • AdobeのIllustratorで描いた絵は、画風が似てしまいやすい。
  • アニメのキャラクターの顔は、画風が似てしまいやすい。
    • 私は、アルプスの少女ハイジのペーターと、侍ジャイアンツの番場蛮が、親戚筋ではないかとにらんでいる。
    • スタジオジブリ系のキャラクターも、ペーターの親戚筋ではないかとにらんでいる。
  • EDMはどれも同じ曲に聞こえる。 EDMにはグルーヴがない。 音楽としての味がない。
    • 人間がマニュアル〔手動操作〕でリズムというタイムキーピングを管理している点が、人間による演奏の醍醐味である。機械的に、時間を整数で割っていくのではつくれないリズムがある。
    • 例えば、バンドのグルーヴは、[ドラマー+ベイシスト]〔リズム隊〕が95%を決める。
    • 例えば、ウインナワルツ〔独特のタメを波状的に繰り返す、リズムが単純に均等ではないワルツ〕のグルーヴは、[指揮者+第1ヴァイオリンの首席奏者]が95%を決める。

つまり、[標準化できる可能性が高い領域]ほど、[マシンにとって参入障壁が低い][AIによって置換されやすい]ということになる。

[手づくりでなければ出せない味]の部分を追求していくことが、存在場所をなくさない方向性ではないのか? 

結局、ロジカルな詰めによって再現できる[再現性の高い世界]は、それがいかに複雑で高度であったとしても、コピーされて、すぐに陳腐化する。 大切なのは、複雑さ、高度さではなく、[模倣のしにくさ]である。

[模倣がしにくい]とは、自由度が高くてゆらぎの大きい、ダメとイイがハッキリわかる世界である。

青山純のドラミングを真似ろといっても、完全に真似ることはできない。

神保彰のドラミングを真似ろといっても、完全に真似ることはできない。

高橋幸宏のドラミングを真似ろといっても、完全に真似ることはできない。

結局、ロジックで詰められる世界は、それがいかに複雑で高度であったとしても、コピーされて、すぐに陳腐化するので、感性でしか追究できない境地を、最初から目指していくのが、人間らしい生き方なのかもしれない。

ITエンジニアが[複雑で高度なことがわからない、スキルの低い人がやっている世界]と見下しているUI、UXにこそ、[誰にも真似できない味]を追究することができる世界が広がっているのだと思う。


[複雑で高度なこと]が、本当にスキルだといえるのか? 

スキルとは何なのか? 

結局、スキル云々にこだわる人は、結局、[スキルという因子を使って稀少性を身につければ勝ち抜くことができるので安全だ]という世界観でロジックを組み立てているのだろうと思う。

でもそれは、男の子のはかない夢であって、人間にとって心地よいことでなければ、高いお金を払ってまで、それを得たいとは思わない。

[勝ち抜いて順位を上げていき、あわよくばトップを取ること]を目標設定にすること自体が、精子の考え方に束縛されている。 だからそれを、男の子のはかない夢と表現しているのである。

ITエンジニアがスキルを上げていくことは、たしかに素晴らしいけれども、最後はAIによってリプレイスされ、最終的には、陳腐化してしまう。 それはむなしいレースに参加することなのかもしれない。

人間は、[稀少性]に対してお金を払うのではなく、トクをするか、気持ちがいいか、そういうことに対してお金を払うのである。

したがって、トクをさせる、気持ちよくさせる、という部分のスキルを磨いたほうが、当を得ているのかもしれないよ。

つまり、勝ち残らなければ淘汰される世界を選んだ、その選択眼こそが、最大のリスク要因であったりするのだろうと思う。

競争に参加しないで生きていく方向性へ舵を切ったほうが、よかんべえ。


エンジニアの仕事の中心は、メインテナンスであろうと思う。

他者の書いたコードを読解するのに多大な時間を浪費しているのがITの現状だろう。

こういう世界は、AIでやったほうがいいと思う。

つまりAIを使って[コード]から[フローチャート][PAD図][Scratchのブロックのようなもの]などを生成し、[フローチャート][PAD図][Scratchのブロックのようなもの]などから[コード]を再生成することを通じて、コードを丸ごと書き換えて、テストから何からやり直すわけである。

ノーコード/ローコードのツールを使うなどして、レガシーなシステムを廃棄し、システムを新規に立ち上げるのが容易になる環境をつくる必要があるのだと思う。

人間がコーディングしているかぎり、バグの危険性が高いままである。

AIについて騒いでいるけれども、どうして、[レガシーなコードを解析し、人間が見やすいように翻訳するためにAIを使う]という[既存コードの蘇生]に注力しないのだろうか?  [社会が困ることの中心]は、システムが突然止まることであり、その原因が[誰がコーディングしたかわからないレガシーなコード]にあることは明らかなのだから、少なくとも、[問題箇所が明らかになるかたちにソースコードを書き換える]ということを、予備的に、AIにやらせておけばいいのではないかと思う。

コーディングにおける自由度を低くしていき、コーディングを標準化することを通じて、メインテナンス性を高める。

これが、IT土方を減らすことを通じて、人間をもっとクリエイティブな世界へといざなう道なのかもしれない。


結局、手づくりのアートのようなものが、最終的には残ると思う。

そして、手から出ているパワーをこめた作品は、力をもっている。

手づくりの物品をつくる。 これも、よき道であろうと思う。

ライターとか動画編集の下請けではカネにならないから、[高度な技術]を習得して貧困化のリスクを下げる|その考え方の盲点

  • [ライターの労働単価が安い]というのは、アフィリエイト目的などのクソ記事の量産に使われるライターのことだろうと思う。 手書き文字、絵・イラスト、文章、歌・楽器の演奏などは、[フリーハンドで描ける偶発性の高さ〔偶発性/ゆらぎ〕]が大きく、ヘタと上手との見分けがつきやすい。 [ライターの労働単価が安い]ということがいえる前提条件をしっかりと説明してから論を組み立てる必要がある。 [高度な技術]との対比を行なうための[噛ませイヌ]として、[HTML+CSS+JavaScriptのコーダー][ライター][WordPress案件]などを[低くてダメなもの]として語るのは、かなり偏っているし、重要な視点に気づいていないか、重要な視点を隠しているか、と見られて、自分の評価を下げることになるだろう。
  • [ウェブサイトのコーダーの労働単価が安い]というのは、美的要素を無視した量産型のサイトにおけるコーダーのことだろうと思う。 ウェブサイトの構成要素において、写真・イラスト、あるいは、使用するフォント、ロゴデザインの比重はとても大きく、写真・イラスト、あるいは、使用するフォント、ロゴデザインの単価を無視して、[HTML+CSS+JavaScriptのコーディング]を一律に低いものと見なす見方は、重要な視点に気づいていないか、重要な視点を隠しているか、と見られて、自分の評価を下げることになるだろう。
  • [自分は安全なところにいる]ということを確認するために、ブラインドサイドをわざわざ見ないようにして語ることは、自分の価値を下げると思うし、誤解を与えて、人をあらぬ方向に導く結果を招きかねない。
  • [少数の人しか理解できない、難易度の高いこと]が取り扱える人ほど安全、というのは、本当かどうかわからない。 [将棋ソフト不正使用疑惑騒動]から、[棋士よりも将棋ソフトのほうが能力が高い〔であろう〕]ということが見えてくる。 将棋は[少数の人しか理解できない、難易度の高いこと]だろうけれども、[棋士よりも将棋ソフトのほうが能力が高い]のだとしたら[人間が将棋をさす必要があるのか?]ということもいえる。
  • プログラミングの分野の中には、[人間が設計・コーディングする必要があるのか?]という分野も出てくるであろう。 たとえ、それが[高度な技術]にかんする領域であっても、である。
  • 例えば、WordPressを改変してサイトを構築する案件について、単価が安いからダメだと断定する人がいるけれども、その改変作業において、ノーコード、ローコードのツールを自分で開発するなど、徹底的な自動化をすることによって、薄利多売体制を確立することも可能である。
  • 一律に[ダメだ]と言い切るのは、[視野が狭い][単細胞]と思われる原因になる。