ライティング〔書く〕、スピーキング〔話す〕という出力〔アウトプット〕を通じて言語学習を行なうのが最も効率的

  • ライティング〔書く〕、スピーキング〔話す〕という出力〔アウトプット〕を通じて言語学習を行なうのが最も効率的である。
  • しかし、日本人英語教師は、英文校閲〔英文のネイティブ・チェック〕ができる水準に達していない人が大半である。
  • 出力〔アウトプット〕された英語の正誤・不自然さを指摘し、適切に修正する能力を持たない者が英語教師をしているのは[芝居]にすぎない。
  • [芝居]はやめるべきだ。
  • つまり英語教育という茶番をやめて、数学、物理、化学、小論文〔日本語ライティング〕といった、現実的な学科を深掘りする必要がある。
  • 英語教育はおカネのために茶番で行なわれているだけ。
  • コアコンピタンス〔中核価値〕、いいかえれば、自分の強み/得意技をもたない人が、英語などの外国語を勉強しても、高い学習コスト〔時間・手間〕の割に、役立つことがない。
  • 例えば、[北欧の精密加工の工作機械のマニュアル〔操作手順書〕を日本語化する]など、技術翻訳という分野があるけれども、これは語学力の問題ではなく、精密加工の工作機械という工学系の知識の問題となる。 [汎用的な語学力というものは、存在しない]と考えてよい。 結局、[語学が先]ではなく、[工学が先]であり、[工学を修めた人が、必要に応じて、必要な分野の語学力を身につけていく]という順序になるのだと思う。
  • 英語圏からの帰国子女で[ペラ]と揶揄やゆされる、英語だけは達者な人が、帰国子女枠で日本の大学に入学し、その後、就職したけれども、まったく仕事ができない。 どうやって解雇しようか、就職した先の上司が悩んでいる。 そういうケースもあるらしい。 英語ができても、能力がなければ、仕事はできない。 英語力重視で採用してきた企業は、[無能なペラ]を抱え込むリスクが高く、そういう企業の担当者は、みんな悲惨な思いをしているよ。 コアコンピタンス〔中核価値〕をもたない人を、語学力だけで採用して、[無能なペラ]というチームのお荷物を増やすことは、本人のためにも、社会のためにも、よろしくない。
  • コアコンピタンス〔中核価値〕がなくても、生きる道はあるし、[あなたは無能なペラだから、別の職業に就いたほうがいい]ということを、誰かが正直に、しかし、できるだけ傷つかないように、教えてあげる必要がある。 こういうことにかんして、[本人が傷つくといけないから、誰も本当のことを告げてあげない]というのが、いちばんむごいことだと思う。
  • そもそも、小学校に英語教育導入するといっても、教員を採用するとき、[英語を教える能力]について、試験を行なったりしたうえで採用したわけではないだろう。 資格をもたない人が、特例で英語を教えるなんて、法律の面からしておかしい。
  • とにかく、英文校閲〔英文のネイティブ・チェック〕ができる水準に達していない人が英語の指導をする、現在の英語教育は、ぜんぶ破壊する必要があると思う。 そして、インターネットを活用することによって、学校以外で英語学習を行なうことが可能であり、そのほうが格段に効果が高いので、学校教育では英語という科目を取り扱わないのが適切である。
  • それから、教職員の採用においては、情実採用が慣行となってきたけれども、ここらで一斉にテストをして、無能な教職員を解雇しないといけない。 ベーシックインカムで生活保障をするなど、セーフティネットを設けたうえで、無能な教職員をどんどんやめさせる必要がある。 というより、従来の学校を解体し、義務教育をも含めて、すべての単元を検定試験にして、全単元について検定試験に合格しないかぎり、卒業できない仕組みにする。 検定試験対策を民間委託すれば、それで義務教育になる。

英語長文問題はコピペで済むから、バカでも出題できる

  • 英語学習者としては、書く〔ライティング〕・話す〔スピーキング〕という、出力〔アウトプット〕ができる範囲なら、読む〔リーディング〕・聞く〔リスニング〕が可能である、という部分を大切にするのがよい。
  • つまりactive vocabularyだけが正味〔net〕の語彙力なのであり、passive vocabularyは知らないも同然なのである。
  • 結局、書けない部分、話せない部分は、身になっていないので、能力のうちに入らない。
  • ところが、日本では、英文校閲〔英文のネイティブ・チェック〕ができる水準に達していない人が英語の指導をしたり、高校入試、大学入試の問題を作成し、採点したりしている。
  • 能力なき者が出題者になると、[コピペで済むから、バカでも出題できる]という点から、英語長文問題、リスニング、英文法・語法問題、語句整序問題が中心の出題となる。 英文法・語法問題は[断片的知識]にすぎず、語句整序問題は[パズル]にすぎず、語学力そのものとは、直接関係ない。
  • それらは、書く〔ライティング〕・話す〔スピーキング〕という部分をしっかり測定する試験だけ行なえば、それらの能力に包摂されるから、試験として測定しなくてもよい部分である。
  • つまり入試問題は、短文英作文問題300題を5時間かけて解答するなど、鬼ほど書かせる長丁場の試験を課して、そこを通過した人にだけ、英検のように口頭試問をすればいいのである。
  • 英語長文問題の対策をしても、[書けない部分、話せない部分は、身になっていないので、能力のうちに入らない]がゆえに、その部分は、英語力にはカウントできないんだよ、実際。
  • 高校入試でも、大学入試でも、[書けない部分、話せない部分は、身になっていないので、能力のうちに入らない]という領域を鍛えることを余儀なくされる。 それが、英語長文問題、リスニング、英文法・語法問題、語句整序問題といった部分になる。 例えば、英語長文問題、リスニングは、[読み取れているか/聞き取れているか]よりも[設問の意地悪さを見抜く能力]つまり[運転免許試験の引っかけ問題の引っかけを回避する能力]がおもに必要となる。
  • [書けない部分、話せない部分は、身になっていないので、能力のうちに入らない]という領域こそが、受験英語であり、受験英語でおカネ儲けをしているのが、英語利権ムラの人々だ。
  • 高校入試、大学入試から英語をなくして、書く〔ライティング〕・話す〔スピーキング〕という、出力〔アウトプット〕を中心の英語学習を、行なう人は行なえばよい。 そうしてアウトプット中心の勉強にしたほうが、格段に英語力が身に付くから。
  • アウトプット中心の勉強の前提として、[音声言語を通じて、用例を覚えまくる]必要がある。 [音声言語を通じて、用例を覚えまくる]という部分は、公教育が関与する範囲ではない。 [音声言語を通じて、用例を覚えまくる]という部分は、[音声教材の聞き込み]という個人的なトレーニングの世界となる。 その成果を試すために、書く〔ライティング〕・話す〔スピーキング〕という、出力〔アウトプット〕の試験が必要だけれども、日本では、英文校閲〔英文のネイティブ・チェック〕ができる水準に達していない人が英語にたずさわっている。 これでは試験ができない。 試験ができなければ、教育の目標設定もできないし、学習への意欲も湧かないし、教育の効果も測定できない。 したがって、英文校閲〔英文のネイティブ・チェック〕ができる水準に達していない日本人英語教師が大半である現状を考えたら、日本の公教育における英語教育は、停止させ、民間委託するのがよいであろう、ということになる。
  • [利権のために]というのは、もう通用しない。 現在のような、まやかしの英語教育では、学習者・国民にとって、明らかに不利益である。

英語長文問題を和訳したって、英語力なんかつくわけねぇだろ? 

  • アウトプット中心の勉強にしたほうが、格段に英語力が身に付く。
  • アウトプット中心の勉強の前提として、音声言語を通じて、用例を覚えまくる必要がある。
  • [音声言語を通じて、用例を覚えまくる]という部分は、[音声教材の聞き込み]という個人的なトレーニングの世界となる。 したがって、英語教師は、そこでは必要ない。
  • 英語教師は、書く〔ライティング〕・話す〔スピーキング〕という、出力〔アウトプット〕をした英文の正しさ、自然さを判定し、もしも不具合があれば、適切に修正する能力をもたなければならない。
  • 日本人の英語教師のうち、その能力をもつ人は、ごく一握りであり、あとの英語教師は無能といってよい。
  • この状況から、[英語長文問題を和訳する]という意味のない英語教育が中心となっている。
  • [英語長文問題を和訳する]という意味のない英語教育が中心となっているのは、英語教師の大半が[英文校閲〔英文のネイティブ・チェック〕]をする能力をもたない、という点で無能であるからだ。
  • このまやかしを何とかしないことには、ムダな英語学習で、人生をムダに生きることになる。
  • そもそも、語学以外に、何らかのコアコンピタンス〔中核価値〕を有する人においてのみ、語学力を生かすことができるのである。 語学以外は無能だったら、語学力は生かされず、死蔵されることになる。 英語だけはうまいけれども、コアコンピタンス〔中核価値〕をもたず、無能である。 そのような帰国子女がたくさんいて、上智大学だの、ICUだの、帰国子女が優遇される英語系大学に帰国子女枠で入学し、卒業し、[ペラ]と揶揄やゆされる、英語だけは達者な人となり、これが社会問題となっている。
  • 帰国子女の中には、高卒という人も多い。 語学だけできても、ホント、困っちゃうから、語学に必要以上に時間・手間をかけるのをやめたほうがいい。
  • もっとコアコンピタンス〔中核価値〕を深掘りすることに集中したほうがよい。