英文におけるパーシング(文構造の解析)について
英文に対して、SVOCMを紙面に書き込んだりして、文構造を解析することをパーシング(to parse/parsing)といいます。
主語(S:subject)
述語動詞(V:predicate verb)
目的語(O:object)
補語(C:complement)
修飾語(M:modifier)
パーシングは「慣れるため」の方便としてのみ利用するに留めてほしいと思います。
例えば、リスニングするとき、パーシングなんかしませんよね?
パーシングというのは、時間(t)の動きを止めた状態で言語を観察する、特殊モードなのです。
伊藤和夫先生などの英文読解の本は、すべて「時間停止モード」の中での思考過程を書いてあるわけです。 したがって、伊藤和夫先生などの英文読解の本をやっても、翻訳や大学入試には役立つとしても、実務的な英語の勉強には、まるっきり役立ちません。
「翻訳も実務だろうに」という疑問も生じるでしょう。
しかし、翻訳は「時間停止モード」の中での意味解釈になりますので、ここでいう「実務」には含まれません。
1人の人間が「英語を」使いこなすことを「実務」と、ここでは述べているわけです。
体言とは「格を帯びる主体」
この記事では、名詞の働きをする語句を体言〔名詞相当〕としてまとめています。
この体言〔名詞相当〕とは、「格(case)を帯びる主体」ということです。
体言が「主語になる」とは、体言が主格という格を帯びることを意味します。
体言が「直接目的語になる」とは、体言が対格という格を帯びることを意味します。
体言が「間接目的語になる」とは、体言が与格という格を帯びることを意味します。
この「格を帯びた体言」が「述語を形成している動詞類(≈用言)」に係る(を修飾する)。 これが文意発生の主要な流れです。
主格も対格も与格も、すべて「体言〔名詞相当〕が副詞化されたもの」=「副詞相当」なのです。 副詞だからこそ、動詞に係る(動詞を修飾する)ことが可能なのですよ。
ところが英語の先生は「主語は名詞・代名詞」という教え方をしているでしょう? それは、正しくない教え方です。
名詞が動詞を修飾する(名詞が動詞に係る)ことなど不可能なのですから。
学校教育には、いろいろなウソがありますので、あまり真に受けないようにしてください。
地球語の文意発生では、格を帯びた体言が、述語をなしている用言に係る。 概略、この原理しか使っていません。
英文の大きな約束事
英文法はフランス語文法とドイツ語文法を学んで初めてわかる
英文法の中で格というものを意識できるようになったのは、ドイツ語の文法を知ってからです。 つまり、ドイツ語文法の基本を知らないと、英文法は理解できないという側面があるのです。
格については『ラテン語とギリシア語|三省堂』という本が参考になりました。
フランス語の基本は大学の教養課程で勉強しました。
『フランス語のABC(あべせ)』を自分で買って勉強しました。 英文法において、形容詞・副詞で比較級・最上級をつくるときに、more beautiful/less beautifulという比較級の機械的なやり方があります。 これはフランス語文法からきているのかもしれないと思いました。
フランス語文法にも、格の概念はあるのですけれども、フランス語の文法書では、徹底して「格」ということを隠蔽するように書かれています。
日本語の6マス活用表について
6マス活用表を用いた活用表の6という数値は、ナ変(「死ぬ」「往ぬ(去ぬ)」)の活用形が6つに分類できるところからきています。
6マスのネーミングは「未然形・連用形・終始形・連体形・仮定形(已然形)・命令形」となっていますけれども、
職能的なネーミングをすると「連ズ形・連タリ形・言いきり形・連体形・連バ形・命令法」ということになります。
英語の法(mode)には、「直説法」「仮定法=接続法=反実仮想法=タラレバ法」「命令法」「祈願法」などがあります。
日本語の6マス活用表には、直説法と命令法が共存しているのです。 さらに、「ましかば~まし」などの構文で、反実仮想法(仮定法)を表します。
結局、ナ変が6マスだった。 つまり、古典文法の活用表が先にあって、これを現代日本語を取り扱う国文法の活用表に採り入れたのです。
この6マス活用表が、便利な部分もあるし、これによって自由な文法的思考が阻害されている部分もある。
日本語教育の世界では、たぶん、6マス活用表を使っていないと思います。
体言とその格
この記事で「体言」と表現しているのは、「英語・日本語の名詞・代名詞・名詞句・名詞節」の範囲です。
一言でいえば、主語または目的語、その両方になることができる語句を体言(たいげん)とこの記事では説明しています。
言語の仕組みの大筋は、体言が格を帯びて副詞化され、この「副詞になった体言」が、「述語をなしている動詞」に係る(を修飾する)という仕組みであり、それ以上のものではありません。
結局、地球の主要言語の系(システム)は、「述語中心主義」という大きな系統をなしているわけです。
「体言が格を帯びて副詞化される」という部分を、どの英文法書も説明していません。
「体言が格を帯びる」とは、体言が副詞化または形容詞化されることを意味します。 そこでは、品詞転換が起こっているのです。 この品詞転換を起こす概念を格(かく|case=ケース)といいます。
ドイツ語でも、サンスクリットでも、ロシア語でも、この「格というものの原理」=「格は体言を副詞化・形容詞化する品詞転換の仕組みである」はみな同じです。
枝葉末節を教えても意味はなく、「格を帯びた体言は、必ず副詞または形容詞と見なすことができる」という定理さえ知っていれば、じゅうぶんなのです。
品詞には体言〔名詞相当〕と用言(述語類)しかない
(1)形容詞相当は、体言〔名詞相当〕に吸い込まれて、体言〔名詞相当〕の一部となって消失すると考えてください。
(2)副詞相当は、体言〔名詞相当〕<以外>吸い込まれて、体言〔名詞相当〕<以外>の一部となって消失すると考えてください。
体言〔名詞相当〕<以外>とは、{形容詞相当、副詞相当、等位接続詞、間投詞}を意味する。
●前置詞は体言〔名詞相当〕の直前に置かれて、体言〔名詞相当〕に格を帯びさせ、体言〔名詞相当〕を形容詞化、または、副詞化する。
●従位接続詞は、名詞節(体言〔名詞相当〕の1つ)の直前に置かれて、名詞節に格を帯びさせ、名詞節を副詞化する。 つまり従位接続詞の導く節は、副詞節だけ。 ただし例外として、whether、if(「~かどうか」の意味)、thatという3つの従位接続詞だけは、名詞節を導く。
整理すると、間投詞(「ああ」「うう」「おお」とかのたぐい)、形容詞相当、副詞相当は、ザコキャラなんだよ。
それで、日本語も英語もフランス語も、結局、体言〔名詞相当〕と用言〔述語類〕と等位接続詞しかないんだね。
基本構造として、体言〔名詞相当〕と用言〔述語類〕と等位接続詞だけ見ていけば、文(センテンス)の骨格が見えるということになる。
これは、複雑な文を読むときに大切ですよ。
以上の3つしか見ないようにするわけさ。
それで、さらに体言〔名詞相当〕については、「体言〔名詞相当〕が文中に入ると、必ず格を帯びる」という性質をもっている。
いいかえれば、体言〔名詞相当〕は副詞化または形容詞化される。
副詞化の例として、主格(ガ格)、与格(ニ格)、対格(ヲ格)、時格(whenと呼応)などがある。
主格(ガ格)、与格(ニ格)、対格(ヲ格)というのが、文型の構成要素である、主語、間接目的語、直接目的語のことだ。
ここで述べている範囲だけでいうと、時格(whenと呼応)というのは、last Sunday、next monthなどといった「副詞的目的格(副詞的対格)」とよばれる、「副詞相当の名詞句」のこと。
名詞句なのに副詞相当っていうのが「副詞的目的格(副詞的対格)」という変則的な表現。
「副詞的目的格(副詞的対格)」を説明するためには、「文中の体言〔名詞相当〕は必ず核を帯びる」という定理をつくるしかないんだよ。 また、それで説明がつくんだね。
形容詞化の例として、属格(ノ格)=所有格がある。 属格は前置詞ofでも表現することができる。
このように、体言〔名詞相当〕は、何らかのかたちで、副詞化される、または、形容詞化される。
それで、とくに副詞化された体言〔名詞相当〕は、用言(述語類)に係る(を修飾する)ので、文意の骨格を決めるんだね。
いいかえれば、格を帯びた体言〔名詞相当〕というものが、用言(述語類)に係る(を修飾する)過程が、文(センテンス)の主たる職能だということになる。
文とは、格を帯びた体言〔名詞相当〕が、用言(述語類)に係る(を修飾する)仕組みである、という定義になる。
これが文意発生の大筋なんだわ。
さて、文には、いろいろなタイプのパターンがあるだわな。
それを整理していくと、英語構文集になるということだ。
英語構文集を覚えておくと、「見たことのないパターンの英文」に出会う機会が少なくなる。
だから、英語構文集を先に覚えたほうがいいんだ。
ただし、英語構文集は1つの文(センテンス)を覚える必要があるから大変なんだよ。
だから大学受験の場合は、『英熟語Always1001 (河合塾SERIES)』を使うなどして、先に英熟語を800個~1000個、覚えてください。
『英熟語Always1001 (河合塾SERIES)』の中には、後ろのほうに、多少の英語構文が入っていますけれども、足りません。
独立した英語構文集を1冊、仕上げてください。
―― | 中学 | 高校 |
英熟語集 または 英語構文集 |
||
英単語集 |
まず英語構文集を覚えよ
具体的な英語学習の方針。
まず英語構文集を覚えよ
●英文をつくるゲームは、代入と変形のゲームである。
●単語・熟語を代入する素材が、英語構文集を構成しているキー・センテンスである。
●キー・センテンスを集め合わせたものが、英語構文集である。
●代入先であるキー・センテンスを暗記しないことには、代入のトレーニングができない。
●したがって、まずはキー・センテンスをあらかた暗記してしまうことである。
●中学レベルのキー・センテンスが載っている書籍を紹介しよう。
●『ニュークラウン英語の基本文型』を最初に中学3年生の終わりまで、すべて暗記してしまうのがよい。
●その後、『システム英単語』で肉付けしてゆけばよいと思う。
●『ニューホライズン』か、『サンシャイン』か、『ニュークラウン』を採択する学校が多い。
●しかし、そういう「お話の文章になった教科書本文」で学習しても、きわめて効率が悪い。
●先に英語構文集(キー・センテンスの集まり)を覚えてしまい、あとから、単語・熟語を覚えて、単語・熟語をキー・センテンスに代入するとき、語句をどのように変形させるのか。それを学習するのが効率がよい。
●ちなみに、その代入・変形にあたっての注意事項が、英文法なのである。
●つまり、文科省や学校が敷いたレールの上を走ると、遠回りさせられる仕組みになっている。
ニュークラウン英語の基本文型
『ニュークラウン英語の基本文型』は中学英語の検定済教科書である『ニュークラウン』に準拠した、英語構文集である。
『ニューホライズン』や『サンシャイン』を使っている人でも、『ニュークラウン英語の基本文型』を利用することは可能。
『ニュークラウン英語の基本文型』に、音声教材はない。 しかし、新出の単語・熟語があまり登場しないかたちで、純粋にキー・センテンスだけを学習することができる。
Google翻訳や詠太などの読み上げソフトを使えば、音声教材を自作することが可能。 したがって、『ニュークラウン英語の基本文型』は、かなり使えると思う。
システム英単語
キー・センテンスが500本あり、その中に中学で習う単語・熟語がミッチリ詰まっている。
効率はよいけれども、かなり負荷が大きいため、覚悟して取りかかろう。
音声教材が付属しているので、有効に活用しよう。
音声教材を使っていくと、覚えた英文と、まだ覚えていない英文が混在した状態になる。
これは不便なので、覚えていない英文だけを取り出したいと、誰もが思う。
しかし、音声教材を波形編集ソフト(例:Audacity)で編集するのは、かなり効率が悪い。
覚えていない英文をテキストエディタに打ち込んで、Google翻訳や一太郎の詠太に読み上げさせて、それをAudacityで録音しよう。
■Audacity® | Free, open source, cross-platform audio software for multi-track recording and editing.
Google翻訳に英文を読み上げさせて、Audacityで録音する。 こういうのはスマホじゃできないよ。
勉強に使うためのPCを親に買ってもらおう。
SOEL
SOELは、購入者特典として、全英文の音声のダウンロードが可能です。
SOELは、Grade-1が「中学・高校1年レベル」で、Grade-2が「高校2・3年レベル」になっています。
用例が豊富(キー・センテンスの数が中学生には多すぎるし難しすぎる部分も多い)で、重複もたくさんありますけれども、網羅性が高いので、英語構文辞典としても使えます。
高校に入ってから取り組むとよいでしょう。
高校生に向く英語構文集
高校生で真面目に勉強する人たちは、大学を目指しているであろうと思います。
上位の大学では、第2外国語があり、大学で留年するケースの多くが、「体育実技の出席日数(単位)が足りない」「第2外国語の点数が足りない」といった原因によるものです。
ドイツ語は格変化があり、かつ、「前置詞の格支配」というトリッキーな制度がありますので、習得しづらく、単位を落としやすいです。 大学でドイツ語を選択した人は、ハッキリ言って無謀です。
ロシア語が選択できる場合もあるでしょうけれども、ロシア語も格変化があって、難しいです。
単位を落としにくいのは、中国語と、フランス語/スペイン語です。
フランス語/スペイン語/イタリア語は、ラテン語から出ている「姉妹言語」です。
中国語の語順(シンタックス)は、英語にとても近い。 ただし、中国語の場合、ごく一部の例外の除いて、後置修飾(形容詞相当が体言を後ろから修飾する語順)がありません。 「中国語や漢文に後置修飾なし」と暗記しておいて、ほぼほぼ間違いないでしょう。
日本語も、詩歌などを除き、後置修飾を使わないので、「英語のシンタックス」よりも「中国語のシンタックス」のほうが、日本人としては混乱がなくて有利です。
フランス語/スペイン語/イタリア語は、西欧語ですから、後置修飾アリです。
後置修飾を発生させる主要メンバーは、関係詞(関係代名詞/関係副詞)、それから、形容詞相当の準動詞です。
西欧語のシンタックスが、SVOになっていて、日本語のシンタックスがSOVになっている。 この違いよりも、むしろ「西欧語には関係詞(関係代名詞/関係副詞)による長大な後置修飾がある」という点こそが、日本人が英語、フランス語等になじめない主要な理由だと思われます。
大切なポイントですよ。 関係詞(関係代名詞/関係副詞)を使った表現が多発するから、英文読解がやりにくいわけです。
さて、英国はノルマン朝の時代は、フランスの植民地でした。
これはちょうど、日本が明治維新以来、太平洋戦争までがイギリスの植民地になり、太平洋戦争終結以降がアメリカの植民地になっているのと同様です。
こんど新しい天皇が即位し、京都に遷都される可能性があるわけですけれども、そこからは、独立日本となります。 幕末以来続いてきた植民地時代の終結ですね。
結局、東京に遷都(せんと)されたのではなく、東京に奠都(てんと)されただけで、じつは京都が首都だった、というオチです。
「文化庁が京都へ移転する」ということからしても、京都が首都になる可能性が、かなり濃厚でしょう。
東京五輪(2020年)というのは「天皇はんが京都に帰らはる」ことから目をそらさせ、東京やその周辺の地価が暴落することを防止するための策略ではないかと見ています。
先月(2018年3月)の最後の数日間に、白い放射性物質が関東一円に降り積もる事件がありました。
もちろん報道されていません。
花粉なのか、航空機から人工的に散布されたものかは不明ですけれども、計測器で計ると、かなりの線量だったようです。
■喉痛くありませんか? 2018/3/28~29: ずくなしの冷や水
■非常事態 !!!過去最大の放射能汚染。 | mixiユーザー(id:20653861)の日記
春の強風による砂塵だとしても、針葉樹の花粉だとしても、毎年これが続いていたのでは、命は長くは続かないでしょう。
東日本放射能汚染地域(青森県と北海道を除く「富士山より東側の地域」)、とりわけ福島原発から半径300kmぐらいは、ぜんぶ高濃度に汚染されてしまっています。
いいかえれば、そのあたりの地価は暴落してしかりなのです。
「(1)放射能汚染」と「(2)京都へ天皇陛下がお帰りになるかもしれない」という2点で、東京の地価、東京の周辺の地価は、暴落する地合になっています。
新天皇即位が2019年の元日、そこからの東京五輪(2020年)ということで、京都へ首都を戻す話は、東京五輪の興奮が冷めて、しばらくしてからになることでしょう。
関東地方に住んでいても、あまりいいことはないでしょう。 電気が60Hzの地域へ、早々に引っ越したほうがいいです。
そして、中高生のみなさん。 もしも、関東地方にお住まいなら、早々に引っ越すよう、ご両親に懇願してください。
さらに、進学・就職にあたっては、できるだけ電気が60Hzの地域へ。
ノルマン朝の時代に「英文法が崩壊し、英語がフランスに似た言語になった」と考えてよいと思います。 このことは、文法においても、語彙においても、妥当します。
つまり、英語の知識があれば、フランス語の攻略はチョロいということがいいたいのです。
英単語をフランス語風に発音し換えると、途端にフランス語になる単語が、おびただしい数あります。 これを利用しない手はない。
「大学で第2外国語の単位を落とさないため」あるいは「センター試験でラクをするため」に、中学時代・高校時代からフランス語を勉強しておいたら、かなりかなりかなりかなりかなりかなりかなり、入試に有利になります。
上位の大学の個別入試では、英語に代えて、第2外国語での受験を認めているところがあります。
ハッキリいって、センター試験、個別入試を第2外国語で受験するのは、うまみが大きすぎて、秘密にしておいたほうがいいぐらいの裏ワザです。
易しい級から、仏検を取得していけば、励みになって、学習が継続しやすいと思います。
述語が中心
●英語学習では、基本文型を最初に学びます。 基本文型は、基本5文型などの形を覚えるのではなく、原理を知って、あとは実際の用例(例文)を音声言語として暗記します。 語学は「用例(例文)に代入し、用例(例文)を変形するいとなみ」です。 その代入・変形にあたって「原理」を本能レベルまで落とし込んでしまうことが大切です。 この「原理」が文法です。
●ふつうの文法は、たくさんの用例(例文)を分類することに終始します。 したがって、その知識は「言語を動かすための知恵」にはなりません。 「言語を動かすための知恵」として必要なのは「実際の用例(例文)の知識(音声言語としての知識)」と「原理」だけで、あとは必要ありません。
●英文法書や国文法教材や古典文法教材に載っている内容は、「分類のための分類」に使うためのくそ知識にすぎません。 「用例(例文)に代入し、用例(例文)を変形するいとなみ」に直接関係のないくそ知識を覚えても、時間・手間の無駄です。
基本5文型|英語において体言の格は語順によって表示される
結論を先にいってしまうと、英語では「語順の第n番目の体言〔名詞相当〕が、その体言〔名詞相当〕の格をあらわす」という約束事になっています。
そういう語順のあり方を整理した一例が「基本5文型」なのです。
基本5文型で大切なのは、「語順が格を表示している」という点です。
日本語の場合、「私が彼女に指輪をあげた」「彼女に私が指輪をあげた」「指輪を彼女に私があげた」など、格を帯びた体言〔名詞相当〕の語順が可変型です。 したがって、日本語には、基本5文型のような「文型」というものが、明確にはありません。 日本語は語順について柔軟な側面をもつので、「文型」という感じではなく、必要な要素をその都度、加えていく感じです。
ところが英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、中国語など、多くの言語では、格を帯びた体言〔名詞相当〕の語順が固定型です。 固定型であるうえ、ドイツ語のように、格変化という「体言〔名詞相当〕」や「体言〔名詞相当〕を修飾する冠詞・形容詞」が格に応じて語形変化するシステムをもつ言語もあります。
大切なのは、西欧語や中国語においては、語順がとても大切であり、文型というものが存在するという点です。
文法のうち、とくに「語順の文法」をシンタックス(syntax)といいます。
文法のうち、とくに「語形(語形変化)の文法」をモーフォロジー(morphology)といいます。
日本語の場合、モーフォロジーが当てはまるのは、「活用語=用言+助動詞」についてのみです。 あとは「体言〔名詞相当〕+格助詞」など、部品をはめ込む感じで、動的(dynamic)に文を構築していきます。 いいかえれば、日本語の作文では、フリーハンド(自由にどうにでもできる)領域が広大であるため、文章の下手くそな人が文章を書くと意味がわからなくなります。
他方、西欧語や中国語においては、語順が定まっているので、自由度が少ないのと引き換えに、意味が明瞭になりやすい傾向があります。
ただし英語の場合、格のハッキリしない挿入句を連ねるくそ文章が多いため、読者に多大なる負担をかけます。
大学入試の英文読解問題として出題される文章には、「格のハッキリしない挿入句を連ねるくそ文章」が好んで選ばれ、それが「英文読解力である」と誤解されています。
ハッキリいえば、英語は言語として崩壊しているので、私は英語を学ぶ価値を、そこまで強くは感じていません。
英語は「名詞・代名詞の性・数」や「格を表す体言〔名詞相当〕の語形変化、いいかえれば、格変化」をもたない言語ですので、文意を誤解なく伝えるシステムが、すでに崩壊している言語だといえます。
「文意を誤解なく伝えるための言語」として、英語は、きわめて残念な言語なので、もしも地球の第一共通言語にするとしたら、フランス語やドイツ語のほうが適任でしょう。
■Xユーザーの智子@第444代目さん: 「異星文明と交流する時代になったら、日本語が地球の第一共通言語になると聞きました。」 / X
例えば、「解像度の高い動画」を「解像度の低いフォーマット」に「下げる(ダウンコンバートする)」ことは容易です。
フランス語やドイツ語は、「解像度の高い言語」なのです。
他方、英語は「解像度の低い言語」であるため、英語をフランス語やドイツ語に翻訳するとき、「解釈」=「補間(interpolation)」が必要になります。
例えば、「フルHDの解像度しかない動画」を「4K動画」に「上げる(アップコンバートする)」とき、足りない部分を「でっち上げる(ピクセル補間する)」ことが必要です。
例えば、フルHDでも4Kでも、30pで撮った動画を60pにするとき、1つおきの足りないフレームを『フレーム補間する(フレームのでっち上げをする)』ことが必要です。
低解像度の情報を、高解像度のフォーマットで表現するためには「補間」=「でっち上げ」が必要となり、そこに「主観に基づく解釈というノイズ」が混入することになります。
低解像度の情報というのが、英語ですね。
高解像度のフォーマットというのが、フランス語やドイツ語ですね。
英語が低解像度である理由が2つあります。
(1)「名詞・代名詞の性・数」や「格を表す体言〔名詞相当〕の語形変化、いいかえれば、格変化」といった、文意を明瞭に保つための文法制度が廃止されている点。
(2)英語では「名詞化表現」という、解釈の余地がいくらでもしょうじうるくそ表現が多用される傾向にある点。
以上の2点において、英語は残念な言語だといえます。
ただし、フランス語やドイツ語など、「名詞・代名詞の性・数」のある言語の場合、外来語を採り入れるとき、「名詞・代名詞の性・数」をいちいち決定する必要があります。 といっても、だいたい語尾に応じて自動的に決まるみたいですけれども。
したがって、フランス語やドイツ語には、外来語が流入しづらい、ということがいえます。
フランス語やドイツ語は、言語として「系が閉じている」「排他的な性質をもっている」のです。
他方、英語の場合、「名詞・代名詞の性・数」や「格を表す体言〔名詞相当〕の語形変化、いいかえれば、格変化」といった文法的な制約がないので、外来語がたいへん流入しやすくなっています。
そして英語では、外来語である名詞を、野放図なまでに自由に動詞化してしまいます。
英語の場合「三単現のsが付いた動詞」と「名詞の複数形」の語形がまったく同じですので、「動詞にも、名詞にも、同じ単語が使われるような、そんな単語」の場合、英文の中では、よく注意しないと、両者を取り違えてしまいます。
そして日本語の場合、文法的な制約がきわめて少ないので、いろいろな言語の「解像度」に対して、柔軟に合わせ込むことが可能です。
英語と同じように、日本語は外来語を組み込みやすい「簡素な文法」をもっています。
日本語で複雑なのは、述語部分の接続だけです。
接続というのは、「直前の語句」が「直後の語句」から、特定の語形変化をするよう制約を受けるシステムです。
「連体形接続の助動詞」だったら、「直前にある活用語」に対して「連体形であれ」という制約を加えます。
この逆行的な制約は、「直後の語句」がわからなければ、「直前の語句の活用形が決定できない」ので、言葉を発するよりも先に、「直後の語句」を決定しなければならない、という高度な思考を求めてきます。
ただし実際には、その場で考えるのではなく、「よく使われる表現」を覚えておいて、その場で思い出して出力しているだけなのです。 要は、暗記です。
日本語教育で大切なのは、接続などのくだらない文法概念を教えることではなく、よく使われる表現を書き出して、それを正直に覚えるような「泥臭いトレーニング」がいちばんの近道なのだと教えてあげることでしょう。
言語として(いちばん?)万能ネギに近いのは、日本語だと思います。
ただし日本語の場合「代名詞と名詞との性・数の一致」がありませんので、文意が不明瞭になりやすく、その点だけは、フランス語やドイツ語などに見習って、改造する必要があると思います。
例えば、名詞に「春夏秋冬の4属性」と「それぞれに単数形・複数形」を与えると、8つの属性を生成することができます。
「春名詞の単数」の名詞を指示する代名詞は、「春名詞の単数形」という語形をしている。 そんな感じでやると、代名詞の指示先(先行詞)が明瞭になりやすいです。
ドイツ語の格変化は、システムとして重たく、無駄だと思います。
それよりも「体言〔名詞相当〕+格助詞」という「接尾辞的なシステム」のほうが、簡便で柔軟です。 もちろん「前置詞+体言〔名詞相当〕」という「接頭辞的なシステム」でもかまいません。
さて、以下は、英語の基本5文型の説明です。
第1文型|ほとんど意味のない分類項目(形式的なカテゴリー)
(1)私が走っている。
第2文型|「be動詞やその親戚」が「補語」をしたがえている文型
(2)私が西郷だす。
第3文型|「他動詞」が「対格を帯びた体言〔名詞相当〕」をしたがえている文型
(3)私が本を読む。
第4文型|「他動詞のうち授与動詞という特殊な動詞」が「与格を帯びた体言〔名詞相当〕」と「対格を帯びた体言〔名詞相当〕」をしたがえている文型
(4)私が彼女に指輪をあげた。
第5文型|「第3文型」の「目的語(O)の部分」に「be動詞+何か」を組み込んだ複文的な文型
(5)私は彼女が道路を渡っているのを見た。
述語は主語から修飾される
主語とは、「ガ格」を帯びた体言〔名詞相当〕のことです。
体言(たいげん)とは、名詞類=名詞相当語句のことです。
「主語が述語に係る」=「主語が述語を修飾する」ということです。
私が → 走っている。
I → am running.
述語は目的語(間接目的語)から修飾される
間接目的語とは、「ニ格」を帯びた体言〔名詞相当〕のことです。
「目的語が述語に係る」=「目的語が述語を修飾する」ということです。
草野くんが → あげた。
彼女に → あげた。
指輪を → あげた。
草野くんが彼女に指輪を → あげた。
Kusano gave her a ring.
述語は目的語(直接目的語)から修飾される
直接目的語とは、「ヲ格」を帯びた体言〔名詞相当〕のことです。
「目的語が述語に係る」=「目的語が述語を修飾する」ということです。
私が → 食べている。
I → am eating
(私は)給食を → 食べている。
I am eating ← school lunch.
補説
日本語の場合、形容詞や形容動詞も、単独で述語をなします。
しかし、形容詞や形容動詞も、じつは動詞のうちなのです。
中学・高校で、古典文法(古文を読むための文法)を習います。
古文の形容詞には、補助活用という特別な活用があります。
補助活用の中に「あり」=「英語のbe動詞」が含まれているのです。
また形容動詞については、もともと「あり」=「英語のbe動詞」が含まれているのです。
したがって、「日本語の形容詞と形容動詞」は、大まかに見て、「英語におけるbe動詞+形容詞」と等価です。
日本語の形容詞 ≈ 英語におけるbe動詞+形容詞
日本語の形容動詞 ≈ 英語におけるbe動詞+形容詞
「≈」は「ニアリー・イークォル(nearly equal=ほぼ等しい)という記号です。
「単独で述語になる品詞」を用言(ようげん)といいます。
用言とは、動詞,形容詞,形容動詞の総称(そうしょう=ひっくるめた呼び名)です。
結局、「日本語の用言」≈「英語の動詞」と覚えて、ほぼほぼ間違いないのです。
細かいことは無視して、ざっくりとつかみましょう。
主格(しゅかく)
主語とは、「ガ格=主格」を帯びた体言〔名詞相当〕のことです。
「私」の後ろに「ガ」という格助詞を付けると、「私」(体言=名詞類)が「ガ格=主格」を帯びます。
「ガ格=主格」を帯びた「体言=名詞類」は、副詞になります。
「私」――「体言=名詞類」
「私が」――副詞
草野くんが → あげた。
「草野くんがあげた」について、文法的に説明するとしたら、「ガ格を帯びた体言が、副詞として、述語になっている動詞を修飾している」ということになります。
修飾(しゅうしょく)とは
修飾とは、「意味を制限/限定して、意味の範囲を狭くすること」です。
「あげた」だけでは、意味が広すぎてわからない。
だから「草野くんが」という制限/限定を付けることによって、「あげた」の意味を狭くしているのです。
与格(よかく)
間接目的語とは、「ニ格=与格」を帯びた体言〔名詞相当〕のことです。
「彼女」の後ろに「ニ」という格助詞を付けると、「彼女」(体言=名詞類)が「ニ格=与格」を帯びます。
「ニ格=与格」を帯びた「体言=名詞類」は、副詞になります。
「彼女」――「体言=名詞類」
「彼女に」――副詞
彼女に → あげた。
「彼女にあげた」について、文法的に説明するとしたら、「ニ格を帯びた体言が、副詞として、述語になっている動詞を修飾している」ということになります。
対格(たいかく)
直接目的語とは、「ヲ格=対格」を帯びた体言〔名詞相当〕のことです。
「指輪」の後ろに「ヲ」という格助詞を付けると、「指輪」(体言=名詞類)が「ヲ格=対格」を帯びます。
「ヲ格=対格」を帯びた「体言=名詞類」は、副詞になります。
「指輪」――「体言=名詞類」
「指輪を」――副詞
指輪を → あげた。
「指輪をあげた」について、文法的に説明するとしたら、「ヲ格を帯びた体言が、副詞として、述語になっている動詞を修飾している」ということになります。
間接目的語と直接目的語を合わせて「目的語」という
間接目的語 + 直接目的語 = 目的語
以上の説明は、英語の基本文型の核心部分である
英語の先生も、国語の先生も、「体言が格を帯びたら、その体言は副詞になるか、形容詞になる」という大原則を教えません。
それというのも、そんなことは、どの英文法書に書かれていないからです。
英文法書に書かれていないことは、怖くて自分から発表できないのですね。
しかし、私の場合、「体言が格を帯びたら、その体言は副詞になるか、形容詞になる」ということを断言しますよ。
「主語が述語に係る」とは、主語という副詞が、述語という動詞を修飾する(限定/制限する)ということです。
この原理を理解しないと、文法学習はすべて無駄になります。
(1)動詞を修飾することができる品詞を副詞といいます。
(2)名詞を修飾することができる品詞を形容詞といいます。
言語というものは、ある意味、副詞や形容詞が、意味を限定/制限していくいとなみでしかないのです。
ちなみに、国文法や古典文法の6マス活用表における「連用形 = 副詞形」であり、同じく「連体形 = 形容詞形」です。
第何文型とか覚えても、あんまり意味ないよ
(1)形容詞は、修飾する相手である体言(名詞類=名詞相当語句)を、いつも探しています。 形容詞があると、必ずその形容詞が修飾する相手である体言が存在します。
(2)「おいしい → 水」という場合、「おいしい」が「水」を「修飾している(限定/制限している)」といいます。
(3)「水が → おいしい」という場合、「おいしい」が「水」を「叙述(じょじゅつ)している」≈「描写(びょうしゃ)している」といいます。
(4)「おいしい」という形容詞には、「修飾する(限定/制限する)」使い方(用法=usage)と、「叙述(じょじゅつ)する」≈「描写(びょうしゃ)する」使い方(用法)の2つがあり、この2つ以外にありません。
(5)「水が → おいしい」という場合も、広く大きく見れば、「おいしい」が「水」を「修飾している(限定/制限している)」と見ることもできます。 なぜかというと「水が → おいしい」とは、「水が → 『おいしい水』という表題の集合に属しています」という意味になるからです。 『おいしい水』とは、(2)の「おいしい → 水」にあたります。 つまり「水が → おいしい」における「おいしい」は、「叙述用法でもあり、限定用法でもある」ということになる。 もっといえば、「形容詞の叙述用法と限定用法は、大まかにいって、同じものである」ということです。 これが(1)の話につながっています。 つまり、その形容詞が叙述用法であっても、その形容詞が限定用法であっても、形容詞は常に、修飾する対象である体言〔名詞相当〕を探している。 修飾の対象を求めている。 それは、磁石のS極とN極が引き合うようなものです。
(6)「水が → おいしい」という場合の「おいしい」を、英文法では「補語(ほご)」(complement:コンプリメント)といいます。 つまり「補語になる用法の形容詞」を「叙述用法の形容詞」という。 つまり「形容詞が補語になっている用法」を「形容詞の叙述用法」という。
(7)補語とは、「主語が属している集合」の「表題(theme=シーム=テーマ)」を表す、形容詞や名詞のことです。
(8)形容詞と同じように、副詞があれば、何か修飾する相手を探しています。
(9)副詞が修飾の相手として選ぶことができる範囲は、「体言以外ならすべて何でもOK」ということになります。 つまり「体言〔名詞相当〕を修飾対象とする語句」=「形容詞相当」というのです。 つまり「体言〔名詞相当〕以外を修飾対象とする語句」=「副詞相当」というのです。 ときどき、「副詞が名詞を修飾する」という寝ぼけたことをいう先生がいますけれども、それは先生の勘違いです。
大切な原理を2つ。
●形容詞は体言を修飾し、体言は形容詞からしか修飾を受けない。
●副詞は体言以外を修飾し、副詞が体言を修飾することはけっしてない。
以上のような「定理」みたいな部分だけしっかり覚えておけば、くだらない文法用語は必要ないですよ。
(1)The flowers are red.(その花は赤い)
(2)These are red flowers.(それらは赤い花である)
(1)の形容詞redの用法を叙述用法といい、英和辞典では[P](predicative)で表します。 このとき、形容詞redは、文の補語になっています。 主語であるThe flowersを、形容詞redが補語として叙述(≈描写)しているのです。 The flowers are red.は「この花は、赤い花という集合に属している」という意味です。
(2)のred flowersのredの用法を限定用法といい、英和辞典では[A](attributive)で表します。 red flowersのredは、「すべての花」という全体集合の中から、とくに「赤い」という条件を満たす花だけを抽出した、という意味です。 「たくさん花があるうちから、『赤いヤツ』だけを取り出した」という感じです。
それで、英文法の授業では、叙述用法と限定用法を神経質に教えますけれども、そこまで重大な意味の違いはありません。
実際、(1)と(2)は、ほぼ同じことを述べています。
大切なことは、(1)の用法が補語になる用法だという点ぐらいです。 あとは、そこまで神経質になる必要はないと思います。
関係代名詞や関係副詞には、「限定用法(制限用法)」と「継続用法(非制限用法)」があります。
そのときに、叙述用法と限定用法の概念を使います。
関係代名詞や関係副詞は「文としての形容詞(=形容詞節)」をつくるための言葉です。
節(clause)というのは、文中文(文の中のプチ文)ということです。
この段階で、節としてとくに意識しておくべきなのは、名詞節・形容詞節・副詞節の3つだけです。
名詞節=名詞と等価の文中文
形容詞節=形容詞と等価の文中文
副詞節=副詞と等価の文中文
関係代名詞とは、「形容詞節を形成する語句の代名詞バージョン」にすぎません。
関係副詞とは、「形容詞節を形成する語句の副詞バージョン」にすぎません。
そして関係副詞というのは、関係代名詞が格を帯びた結果として、副詞と見なされるようになった「成り副詞」にすぎません。 つまり関係副詞は、最初から副詞なのではなく、中に関係代名詞が入っていて、「前置詞+関係代名詞」を1語で表現し直したので、関係副詞と呼ばれるようになっただけなのです(成り副詞)。 最初から副詞ではないから「成り」(将棋)なのです。
さて、関係代名詞や関係副詞は、「形容詞節をつくることば」なのですけれども、形容詞節にも叙述用法と限定用法があるわけです。
形容詞節の叙述用法のことを「継続用法」や「非制限用法」という別名で呼んでいるだけなのです。
形容詞節の限定用法のことを「限定用法(そのまま)」や「制限用法」という別名で呼んでいるだけなのです。
したがって、広く形容詞相当には、限定用法(意味をせばめるやつ)と叙述用法(描写するやつ)の2種類があって、それ以外にないのです。
形容詞の仲間(=形容詞相当)には、形容詞、形容詞句、形容詞節という3つのタイプがありますけれども、そのどれもが、限定用法か叙述用法か、2つに1つなのです。
学校の先生は英文法を理解していませんから、関係代名詞や関係副詞の「継続用法(非制限用法)」が、形容詞の叙述用法と同じだとは気づいていないと思います。
現象を直接観測して感得するのではなく、用語の字面にとらわれているから、そういうふうになってしまうわけです。
たいていの英文法書は、オックスフォード大学出版局などから出ている英文法書を和訳するかたちでパクったものであり、「自分の頭で考えてつじつまを合わせてある英文法書」というものは、見たことがありません。
それから、私見ですけれども、「限定用法(制限用法)」と「継続用法(非制限用法)」というのは、「関係代名詞や関係副詞の」ではなく、「形容詞節の」といいかえるべきです。 このあたりは、本国イギリスの英文法書からして「(私から見れば)間違っている」と思っています。
「関係代名詞や関係副詞」は、形容詞節を導く機能語なだけであって、「関係代名詞や関係副詞」が形容詞相当に属しているのではありません。 形容詞相当に属していない主体が、「限定用法(制限用法)」とか「継続用法(非制限用法)」=「叙述用法(描写する用法)」とかになるわけがないのです。
「関係代名詞の限定用法(制限用法)」=「関係代名詞が導く形容詞節の限定用法(制限用法)」
「関係副詞の限定用法(制限用法)」=「関係副詞が導く形容詞節の限定用法(制限用法)」
「関係代名詞の継続用法(非制限用法)」=「関係代名詞が導く形容詞節の継続用法(非制限用法)」=「関係代名詞が導く形容詞節の叙述用法(描写する用法)」
「関係副詞の継続用法(非制限用法)」=「関係副詞が導く形容詞節の継続用法(非制限用法)」=「関係副詞が導く形容詞節の叙述用法(描写する用法)」
関係代名詞/関係副詞が形容詞節を導く以外に「名詞節を導く」と覚えるのはナンセンスで、先行詞コミで考えた場合に、名詞節に「見える」というだけのことです。
このあたりも、英文法策定者の「思想」「理念」が徹底されておらず、その「不備」によって、学習者が100年以上、振り回され続けているという感じがします。
次のように覚えておいてください。
形容詞節を形成する主体(形容詞節を導く主体)は、関係代名詞/関係副詞しかありません。
関係代名詞/関係副詞は、形容詞節しか導きません。
基本5文型では説明のできない重要文型
所格を含む文型
I have lived in Osaka for fifteen years.
私は大阪に15年間住んでいる。
以上のin Osakaは、この英文から消し去ることができない、必須の要素です。
このin Osakaは、体言であるOsakaが前置詞inによって格を帯びたものです。
このように、場所を表すので、これを所格(しょかく)といいます。
所格を表す疑問詞/関係詞は、whereです。
場所をたずねる疑問文において、Whereは省略できませんね?
同様に、以上のin Osakaもまた、省略できないのです。
ところが、基本5文型を教えるときは、in Osakaや疑問副詞whereについては、巧妙に触れないようにしています。
まったくのごまかしですね。
in Osakaは「前置詞inによって体言Osakaが格を帯びた結果として、副詞になったもの」です。
in Osakaは、その全体で所格を帯びた体言をあらわし、副詞に相当します。
in Osakaに対応する疑問詞は、疑問副詞のwhereです。
whereも副詞に相当します。
whereは、in what place、at what place、to what place、for what place、on what placeなどを1語でいいかえたものです。
所格を含む文型|There is構文も所格を含む文型
There are some books on the desk.のThereとon the deskは、所格を帯びた体言〔名詞相当〕です。
「there」≈「at / in / on / to that place」です。
つまり「there」という副詞になっているのは、前置詞句(前置詞が導く句)である「at / in / on / to that place」が圧縮されているだけで、「there」を解凍すれば、「at / in / on / to that place」という前置詞句に還元されるわけです。
副詞であるthereが、先行詞(代名詞が指し示す相手である体言〔名詞相当〕)をもつ。 これって、おかしいでしょ?
「そこ」=体言〔名詞相当〕
「そこで」=格を帯びた体言〔名詞相当〕=副詞相当
「そこの中で」=格を帯びた体言〔名詞相当〕=副詞相当
「そこに」=格を帯びた体言〔名詞相当〕=副詞相当
「そこへ」=格を帯びた体言〔名詞相当〕=副詞相当
体言〔名詞相当〕を指示するのは代名詞でないといけない。
それなのに、thereやhereやwhereといった副詞が、代名詞を指示している。 ここに疑問をもつことが大切です。
thereやhereやwhereは、前置詞句に展開できます。
「there」=「at / in / on / to that place」
「here」=「at / in / on / to this place」
「where」=「at / in / on / to what place」
このように、所格を含む文であっても、構造的には、対格を含む文(SVO、SVOO、SVOC)と同じなのですね。
それなのに、所格を含む文は、基本5文型に含まれていないのです。
これは不公平・不平等な取り扱いで、一貫したものがありません。
これまで日本の英語教育では、Onionsの基本5文型を金科玉条としてきましたけれども、これもかなり問題のある教え方なのです。
文型という「型」があるという考え方をしないで、文型を構成する「格を帯びた体言〔名詞相当〕」のあり方として、主格、与格、対格、所格、時格、様格、因格などがある。
主格、与格、対格、所格、時格、様格、因格などは、文型という概念や、疑問副詞・関係副詞と密接に関係しているわけです。
所格の疑問詞・関係詞が、where
時格の疑問詞・関係詞が、when
様格の疑問詞・関係詞が、how
因格の疑問詞・関係詞が、why
主格、与格、対格は、基本的には、前置詞によって表現することができません。
for me to go thereなどで、for meが意味上の主語と呼ばれる場合には、いちおう、前置詞forによって主格が表現されていることになります。
my friend ≈ a friend of mineなど、属格=所有格というのは、前置詞ofで表現できます。
主格、与格、対格以外について、格の種類は、少なくとも前置詞の種類だけはあり、さらにもっとあります。
格というものをイメージとしてつかみたい場合、英文法署の前置詞の章を読んでみてください。
体言〔名詞相当〕に前置詞を付けた状態が、「体言〔名詞相当〕が格を帯びた状態」であり、前置詞を体言〔名詞相当〕から外した状態が、体言〔名詞相当〕の素の状態です。
そのときの差分が「格(case)」というもののイメージです。
格の種類は、数え切れないぐらいあるのです。
しかし、とくに英語に限定して考えると、名前を付けて重んじるべき格は、文型を構成している主要素の範囲、つまり、「主格、与格、対格」と、形容詞相当になる属格(所有格)と、関係副詞・疑問副詞をなす、所格、時格、様格、因格の範囲ぐらいでしょう。
いろいろな言語があり、たくさんの数が格変化を行なう複雑な言語もあります。
しかし英語では、主格、与格、対格、属格、所格、時格、様格、因格の範囲を考えておけば、じゅうぶんだと思います。
それで、文章の下手な人(私もそうかも)というのは、文章の中で、格が欠けているのですよ。
5W1H=「いつ(when:所格)、どこで(where:時格)、だれが(who:主格)、なにを(what:対格)、なぜ(why:因格)、どのように(how:様格)」です。
この5W1Hは、あくまでも「概念モデル」にすぎず、取り扱う情報の性質に応じて、必要な格が違ってきます。
どのように(how:様格)というのは、「何でもアリ」の格であって、応用範囲が広すぎる側面があります。
「この動画はα6500で撮影した」という情報が必要な場合には、「α6500で」も様格に含まれるでしょう。
「この動画はα6500に35mm単焦点F1.8のレンズを付けて撮影した」という情報が必要な場合には、「α6500に35mm単焦点F1.8のレンズを付けて」も様格に含まれるでしょう。
こういう「α6500に35mm単焦点F1.8のレンズを付けて」のような条件がくわしければくわしいほど、文意は明確に伝わりやすくなります。
結局、格の盛り込み不足だと、わかりにくい文章になるわけです。 主語のない文とか。
時格を含む文型
What time will the movie start?
When will the movie start?
映画はいつ始まるの?
It will start at 19:00.
以上のat 19:00は、この英文から消し去ることができない、必須の要素です。
このat 19:00は、体言である19:00が前置詞atによって格を帯びたものです。
このように、時を表すので、これを時格(じかく)といいます。
時格を表す疑問詞/関係詞は、whenです。 what timeも使われます。
時をたずねる疑問文において、Whenは省略できませんね?
同様に、以上のat 19:00もまた、省略できないのです。
ところが、基本5文型を教えるときは、at 19:00や疑問副詞whenについては、巧妙に触れないようにしています。
まったくのごまかしですね。
at 19:00は「前置詞atによって体言19:00が格を帯びた結果として、副詞になったもの」です。
at 19:00は、その全体で時格を帯びた体言をあらわし、副詞に相当します。
at 19:00に対応する疑問詞は、疑問副詞のwhenです。
whenも副詞に相当します。
whenは、at what time、in what week/month…、on what dayなどを1語でいいかえたものです。