🟩 もくじ

日本の政治・経済の上層部は同じ層に属し、庶民を分断し下層に不利なルールを作ることで階級を固定化しており、このシステム依存から脱却し、過去と未来を繋ぐという役割を果たすには、地球との繋がりを意識したグラウンディングとオーラ浄化による個人の波動の安定と浄化が必要である

影響を受けないために必要なことをお伝えします
プレアデスから観測された日本人の意識の変化は、1980年代のニュータウン建設を転換点とし、地域共同体の破壊と見えない世界との繋がりの喪失により、損得マシーン、言葉の自動機械、法の奴隷という形で現れる感情の劣化と社会全体の意図的な劣化をもたらした。 1980年代を境に、お盆やハロウィンの空洞化、都市化によるアニミズム感覚の喪失を通じて日本人の内面倫理が奪われ、その後に専門家依存、お金依存、情報依存の3段階でシステムへの完全な依存が完成し、人々は支配されやすい状態になった。 日本の政治・経済の上層部は同じ層に属し、庶民を分断し下層に不利なルールを作ることで階級を固定化しており、このシステム依存から脱却し、過去と未来を繋ぐという役割を果たすには、地球との繋がりを意識したグラウンディングとオーラ浄化による個人の波動の安定と浄化が必要である。

魂に宿る記憶の表面と実態は異なっている

表面と実態が異なっているという感覚は、静かに考えてみると確信に変わることがある。 ふと自分の周りを見渡したとき、大切なものが失われていることに気づいている人が多くいる。 プレアデスから地球を観測すると、ある変化がはっきりと見える。 特に、日本という国で起きている静かだが深刻な変化が見えている。 人は何かを失ったときすぐには気づかず、気づいたときには取り返しがつかないほど遠くへ来ている。 今の日本はまさにその状態である。

日本人の魂から失われたものが誰によってなぜ奪われたのかが主題である

今夜の話は、日本人の魂から失われたもの、そして誰によってなぜそれが奪われたのかという点に焦点を当てる。 私はプレアデス聖団からこの地球という星を見守っている存在であるメイと称する。 私の役割は、魂の成長を語ることではなく、人々の意識が集まって作り出す権力構造、支配の仕組み、お金の流れを冷徹に読み解き伝えることである。 プレアデスから地球を長く観測していると、人々の意識の変化が色のように見え、今日本人の意識の色が急速に薄くなり空っぽになっていくように見える。

意識の色が薄くなる現象は3つの形で現れている

プレアデスから観測している私が見ている日本人の変化は、3つの形で現れている。

  • 1つ目は、すべてを損得とコストでしか考えられなくなった人々であり、生きる目的を見失い、ただ効率だけを追い求めている。
  • 2つ目は、他人から借りた言葉でしか語れない人々であり、自分の内側から湧き出る言葉を失い、誰かのフレーズを繰り返すだけである。
  • 3つ目は、ルールに書いてあるから、法律で決まっているからと自分で判断することを放棄した人々である。
  • この3つには、自分の内側から湧き出るものが消えているという共通点がある。

内側から湧き出るものが消えたとき人は空っぽになるという現状がある

内側から湧き出るものが消えたとき、人は空っぽになる。 日本人は昔からそうではなく、かつては内側から湧き出る何かが日本人を支えていた。 それは見えない眼差しであり、ご先祖様の眼差しや、お天道様の眼差しであった。 木や壁や天井さえも私たちを見ているという感覚は、日本人の倫理を支えていた。 効率がなくても誰も見ていなくても正しく生きるという感覚は、見えない何かが常に見ているからである。

日本人の見えない眼差しは1980年代のある時点から急速に失われた

この見られているという感覚は、1980年代のある時点から急速に失われていった。 なぜ日本人から見えない眼差しが消されたのか、誰がそれを消したのか、そしてそれは日本だけの問題ではないという点をこれから60分かけてお見せする。 後半では本当の構造をお見せし、最後にはこの構造から抜け出すための実践法も準備している。 見えない眼差しがなぜ消されたのか、そして誰がそれを消したのか絶対に知りたいという欲求がある。

感情の劣化は損得マシーン言葉の自動機械法の奴隷の3つの状態である

プレアデスから観測した日本人の変化は、人間が空っぽになっていく過程であり、それは損得マシーン、言葉の自動機械、法の奴隷の3つの状態である。 これは地球の言葉で言えば感情の劣化と呼ばれ、人間らしさや内側から湧き出る何かが失われた状態である。

損得マシーンはあらゆる行動を損得コストでしか判断できない状態である

損得マシーンは、あらゆる行動を損得コストでしか判断できない状態である。 この仕事は給料がいいから選ぶ、この資格は使えるから取る、この人と付き合うとメリットがあるなど、すべてが計算であり、すべてが効率である。 生きる目的が効率だけになった人々の意識は、プレアデスから見るとまるで機械のように見え、温度がなく感情もなく、ただ計算だけが回っている。 仕事を選ぶときも人間関係を選ぶときも全部損得で決めてしまうことが、今の社会では普通になってしまったことが問題である。

言葉の自動機械は他人から借りた言葉をそのまま使う状態である

言葉の自動機械は、他人から借りた言葉、テンプレート、常識をそのまま使う状態である。 ネットで見た言葉、ニュースで聞いた言葉、誰かが言っていた言葉をそのまま繰り返すだけで、自分の内側から湧き出る言葉がない。 感動したとき、怒りを感じたとき、本当に大切なものを語る時、その時に自分の言葉が出てこない。 借りた言葉では足りないと気づくはずなのに、それにも気づかなくなっている。

自分の言葉と借りた言葉とは本質的に全く違うものである

借りた言葉でもみんなが使っている言葉を使うのは、コミュニケーションとして当然ではない。 借りた言葉と自分の言葉は全く違う。 本当に大切な人を失ったとき、その悲しみを誰かの言葉で語ることはできない。 人生で最も美しいと思った景色を見たとき、その感動をテンプレートで伝えることはできない。 本当に心が動いたとき、借りた言葉では足りないから、自分の言葉が生まれる。 今多くの人は、本当に心が動いた時でさえ借りた言葉しか出てこない。 それが言葉の自動機械である。

法の奴隷は法律で決まっているからと自分で判断することを放棄した状態である

3つ目の法の奴隷は、プレアデスから観測していて最も興味深い変化である。 地球人の会話を聞いていると、[法律で決まっているんだから従うしかない][ルールだから仕方ない]という言葉がよく聞かれ、自分で判断することを放棄している。 ルールに書いてあるから正しい、法律に書いてないから間違っているという思考停止が法の奴隷である。

ルールを守ることとルールに縛られることは全く違うことである

ルールは誰が作ったのか、法律は完璧なのかという問いがある。 ルールを守ることとルールに縛られることは全く違う。 ルールを守るのは大切なことではあるが、ルールを破れと言っているのではない。 プレアデスから観測して日本には興味深い概念があることを知った。 それは置き手である。 かつては法律の前に地域や家で受け継がれてきた置き手があった。

置き手は人として何が正しいかを自分で判断する概念である

置き手は、法律に書いてなくてもやるべきことをやるというものの一つである。 法律に書いてあってもおかしいと思ったらやらないということも置き手である。 法律よりも前に人として何が正しいかを自分で判断することが、法の奴隷との違いである。 今この置き手が失われつつある。

3つの状態の蔓延は社会全体の意図的な劣化である可能性が高い

この3つである損得マシーン、言葉の自動機械、法の奴隷が蔓延した結果、政治家も企業人も教師もみんな空っぽになっていった。 損得だけで動く政治家、誰かの言葉を繰り返すだけのメディア、ルールに縛られた教育は、個人の問題ではなく社会全体が劣化していった。 プレアデスから見ると、これは偶然ではなく意図的に作られた可能性が非常に高い。

1980年代の巨大な団地建設が変化の転換点であった

意図的に誰が何のために日本人をこんな風にしたのかを理解するには、まずそれがいつ始まったのかを見る必要がある。 プレアデスから観測していると、はっきりとした転換点が見える。 1980年代という時期に、日本に巨大な団地が次々と建設された。 玉ニュータウン、高島平、千里ニュータウンなどであり、表向きには住宅不足の解消のために作られた。 しかし、実際には人々の流動性が急激に上昇し、地元という概念が崩壊し始めた。 この変化が全ての始まりであった。

ニュータウン建設は地域に受け継がれてきた置き手を通じなくさせた

ニュータウン建設は、住宅を作っただけではない。 新しく建設された団地に住む人々は、その地域で受け継がれてきた置き手を知らなかった。 地域の掟、昔からの約束ごと、暗黙のルール、それらすべてが新しく来た住民には無縁のものであった。 だから[昔からこうやってきた]が通じなくなった。 [そんなの知らない][条例に書いてない]という反応が増えていった。

子供から冒険を奪い管理下に置く社会が安全やルールで切断されていった

かつて日本では子供たちが当たり前にやっていた焚き火、花火、秘密基地、よその家でご飯を食べるという行為が、1980年代から禁止になっていった。 [絶対によその家に行ってはいけません]というルールが学校や家庭で徹底されるようになった。 子供から冒険を奪い管理下に置く社会への変化は、安全のためだと言われた。 かつて子供たちは地域の大人に見守られていたが、新しく来た住民にとってそれは知らない子供であった。 新しく来た住民は地域の文脈を理解しておらず、火を使うのは危険だ、子供が他人の家に入るのは非常識だと考えた人々が増え、行政や警察に通報する文化が生まれた。 安全やルールという言葉で人間関係が切断され、信頼ではなく不審が広がり、地域共同体の破壊が起きた。

地域共同体の破壊は世界経済の大きな変化への準備段階であった

地域共同体の破壊は偶然ではない。 ニュータウン建設の表向きの理由は戦後の住宅不足解消であったが、プレアデスから見ると別の意図が見える。 計画は1960年代から始まっており、小さな住宅を各地に分散させるのではなく、なぜ巨大なニュータウンを作ったのか、なぜ人々を地元から切り離す必要があったのかという疑問がある。 その答えは世界の経済の動きにあり、世界経済の大きな変化への準備段階であった。 本当の目的は地域共同体の破壊であった。

地域に根を張る人間は世界の資本主義にとって邪魔であった

大きく変化した経済は、動かせる人間を必要としていた。 地域に根を張る人間は企業の都合で動かせず、[この土地を離れたくない][地域の人々と一緒にいたい]と考える人間は大企業にとって不便であった。 だから流動性を高める必要があり、転勤、単身赴任が当たり前の社会になり、家族と離れて働く、地元を離れて暮らすことが普通になっていった。 地域共同体は、世界を相手にする資本主義にとって邪魔だったから意図的に壊された。 これは日本だけでなく世界中で起きたことで、同じパターンが見える。

地域共同体以外にも目に見えない世界との繋がりが日本人から奪われた

この構造に気づけた人はもう違っているが、多くの人は住宅不足が解消されてよかったとしか思っていない。 誰がその指示を出したのかは後半で明かす。 その前にもう1つ消されたものがあり、地域共同体以外にも日本人から奪われたものがあった。 それはもっと深いところにある目に見えない世界との繋がりであり、ご先祖様、お天道様、そして見えないもの全てとの繋がりである。

お盆やハロウィンの原型はご先祖様との対話の機会であった

プレアデスから地球を観測していて、日本には興味深い伝統があることを知った。 お盆、そしてハロウィンの原型である。 かつて世界中で年に1度死者を迎える儀式があり、日本のお盆、ケルトのハロウィン、中国の清明節は、ご先祖様と会う機会であった。 年に1度死者を迎え、一緒に食事をし、そして送るという儀式には深い意味があった。

ご先祖様と会う感覚は法律がなくても正しく生きる倫理を支えていた

ご先祖様と会うということ、それはご先祖様に顔向けできないという感覚を持つことである。 この感覚が日本人の倫理を支えていた。 法律がなくても誰も見ていなくても正しく生きるという倫理は、ご先祖様が見ているから、ご先祖様に恥ずかしいという感情から来る。 この感情があれば、やってはいけないことを平気ではできない。 あなたが何か悪いことをしようとした時、ご先祖様の顔が浮かんだらできるだろうか。 これが内面から湧き出る倫理であり、法律で縛られるのではなく自分の内側からやってはいけないと感じる。

お盆やお墓参りは形は残っているが中身が変わってしまった

今はお盆やお墓参りもあるが、形は残っているが中身が変わってしまった。

1980年代を境にお盆は形だけの行事になり魂が抜けていった

プレアデスから観測していて興味深い変化を見た。 1980年代を境にお盆が形だけの行事になっていった。 昔の日本人はお盆に本当にご先祖様が帰ってくると信じていた。 キュウリの馬を作りご先祖様が乗って帰ってくる道を作り、精霊棚を設けてご先祖様が座る場所を作ることは、本気でご先祖様が帰ってくると信じていたからである。 今では伝統行事だから、文化だからと言いながら本当に帰ってくると信じている人は少なく、形だけが残り魂が抜けていった。

ハロウィンも死者を迎える儀式から形だけ輸入され空洞化した

もう1つ、ハロウィンも元々は死者を迎える儀式であった。 ケルトの伝統では10月31日に死者が戻ってくると信じられていたため、仮装をして区別がつかないようにした。 これも盆と同じく、生と死が交わる特別な日であった。 今日本のハロウィンは、仮装してお菓子をもらって騒ぐだけで、死者を迎えるという意味は完全に消えている。 形だけが輸入されて魂が抜けている状態であり、お盆もハロウィンも同じように空洞化していった。

ご先祖様との対話が消えた結果誰も見ていないという感覚が広がった

ご先祖様と本当に会うという感覚が消えていった結果、誰も見ていないという感覚が広がった。 法律がなければ何をしてもいい、誰も見ていなければ何をしてもバレないという考え方が当たり前になっていった。 かつての日本人は、誰も見ていなくてもご先祖様が見ている、お天道様が見ている、さらには木も壁も天井も全てが見ているという感覚を持っていた。

日本のアニミズムは万物に魂が宿るという倫理を内側から支えた

この感覚をアニミズムと言う。 プレアデスから観測していて、日本のアニミズムは万物に魂が宿るため全てが見ているという点で非常に興味深いものであった。 誰もいない部屋で見られていると感じたこと、古い神社に入った時に何かの気配を感じたこと、大きな木の前に立った時に言葉にならない畏れを感じたことなどがアニミズムである。 理屈ではなく感覚として何かがそこにいると感じるこの感覚が、日本人の倫理を内側から支えていた。 法律で縛られるのではなく、自然と正しく生きようとするのは、全てが見ているからである。

都市化により自然との接点が減少しアニミズムの感覚が薄れた

この感覚が1980年代から急速に薄れていった。 1980年代に日本は急速に都市化し、人々は自然から切り離されていった。 木を切り倒してビルを立てる、川を埋め立てて道路を作る、山を削って団地を立てるなど、自然との接点がどんどん減っていった。 自然との接点が減ればアニミズムの感覚も消えていく。 木や川や山に魂があると感じるには、それらに触れる必要がある。 しかし、都市に住む子供たちは自然に触れる機会がなく、人工物には魂を感じにくいから、アニミズムの感覚が消えていった。 アニミズムが消えると見られているという感覚も消える。

お天道様が見ているという宇宙の秩序的な感覚が消滅した

ご先祖様との対話が消え、アニミズムが消えた結果、お天道様が見ているという言葉の意味も変化した。 かつて日本人は、悪いことをしようとする子供に[お天道様が見ているよ]と言った。 これは太陽が見ているという意味ではなく、もっと大きな宇宙の秩序のようなものがあなたを見ているという意味である。 この感覚が日本人の倫理を支えていたが、見えない眼差しを感じる感覚が消えてしまったため、今この言葉を使う人はほとんどいない。

内面倫理が消えた結果法律でしか善悪を判断できない社会になった

見えない眼差しが消えた結果、内側から正しく生きようとする力も消えた。 これが消えた結果、法律でしか善悪を判断できない社会になった。 法律に書いてあるからダメ、法律に書いてないからOKという思考が当たり前になった。 かつての日本人は、法律に書いてなくてもやってはいけないことがあると知っていた。 なぜならご先祖様や、お天道様や、万物が見ているからである。 この内面倫理が日本人を支えていたが、地域共同体を壊し、自然から切り離し、伝統を形骸化させることで、日本人から内面倫理が奪われていった。

地域破壊都市化伝統形骸化が同時期に起き意図的な計画が見える

この流れが偶然だと思えるだろうか。 偶然にしてはあまりにも完璧すぎる。 地域共同体の破壊、都市化による自然からの切断、伝統の形骸化、これら全てが1980年代という同じ時期に起き、全てが日本人を内面倫理から切り離すという同じ方向を向いている。 冷静に構造を見ると計画が見えてきて、これは世界規模の流れの一部だった。

システムへの依存は3段階で作られ自立する力を失わせた

地域共同体を壊し見えない眼差しを消した後、システムへの依存が次の段階として見えてきた。 人々を何かに依存させ、自分で考えることをやめさせ、誰かに頼らなければ生きていけない状態を作るのが次の段階であった。 システム依存は3つの段階で作られた。

  • 1つ目は専門家への依存
  • 2つ目はお金への依存
  • 3つ目は情報への依存 この3つが揃った時、人々は完全に自立する力を失う。

専門家依存は効率を正当化する言葉で自己解決能力を奪った

かつて人々は、病気になれば家で直し、食べ物は自分で育て、家は仲間と建てた。 しかし今、少し体調が悪ければ病院へ行き、食べ物は全てスーパーで買い、家は業者に任せるようになり、自分でできることが減っていった。 [効率的だから]という言葉が依存を正当化する言葉になった。 自分で直せる軽い病気まで病院に行き、自分で育てられる野菜まで買い、自分で直せる故障まで業者を呼ぶのは効率ではなく依存である。 依存すればするほど自分でできる力が失われ、知識がどんどん失われていった。 専門家を増やし、資格を作り、素人がやることを危険だという流れは、人々を専門家に依存させる計画であった。

お金依存はゆいの仕組みを壊しすべてをお金で交換させた究極の依存である

かつて日本には、田植えの時期に村の人々が集まって助け合い、家を建てる時みんなで手伝うという、お金を使わない労働力を交換し合うゆいという仕組みがあった。 しかし、1980年代に日本は急速に貨幣経済化し、全てがお金で交換されるようになり、ゆいの仕組みは消えた。 [公平]という言葉が依存を正当化する言葉になったが、お金で交換することの問題は、お金がなければ生きられなくなることである。 お金がなければ誰も助けてくれず、食べ物、医療、全てが得られず、お金がなければ死ぬという究極の依存状態である。 お金に依存すればするほど人は支配されやすくなり、お金を持っている者が持っていないものを支配できる構造が1980年代に完成した。

情報依存はメディアの普及で自分の感覚を信じる力を奪った

情報への依存は最も巧妙な仕組みであった。 かつて人々は、畑の土を見れば何を植えるべきかわかり、空を見れば明日の天気がわかるなど、自分の経験から学び、自然を観察し、自分の感覚を信じた。 しかし今、天気予報やニュースを見なければ世の中で何が起きているのか分からず、専門家の意見を聞かなければ何が正しいのか分からないというように、自分の感覚ではなく外部の情報に依存するようになった。 1980年代にテレビが普及しメディアが力を持つようになり、専門家の意見、政府の発表、企業の情報といった上からの情報が伝えられた。 [自分で考えるな、専門家を信じろ、政府を信じろ、メディアを信じろ]という形で情報への依存が作られていった。 情報に依存すればするほど人は操作されやすくなり、自分の感覚ではなくメディアの情報で判断するようになった。

システム依存の完成は支配しやすく自立できない人々を生み出した

専門家依存、お金依存、情報依存の3つが揃った結果、完全なシステム依存が完成した。 自分で病気を直せない、自分で食べ物を作れない、お金がなければ生きられない、情報がなければ判断できないという状態になった人々はもう自立できず、システムに従うしかない。 自立できない人々は支配しやすくなる。 なぜなら、システムを止められたら困るからである。 [言うことを聞かないと給料を払わない][医療を受けさせない][情報を与えない]と言われたら従うしかないという状態が、システム依存の恐ろしさである。 システムなしで生きることは今の時代ほとんど不可能だと感じさせることが、まさに仕組みの完成形である。

依存に気づくことが大きな一歩であり依存度を下げる選択肢がある

この仕組みに気づいたこと自体が大きな一歩であり、多くの人は依存していることにすら気づかず、これが普通だと思い込んでいる。 しかし、気づいた人には選択肢が見えてくる。 完全にシステムから抜け出すことは難しいかもしれないが、依存度を下げることはできる。 少しずつ自分でできることを増やし、少しずつお金以外の繋がりを作り、少しずつ自分の感覚を信じることができれば、システムに完全に支配されることはない。

本当の対立は上と下支配する層と支配される層という縦にある

この完璧な仕組みを作ったのは誰かという問いがある。 地域共同体の破壊、見えない眼差しの喪失、そしてシステム依存の完成が、全て1980年代という同じ時期に起きた。 なぜここまで完璧なシステムを作る必要があったのか、人々を依存させて一体何を得ようとしているのか、支配する側は何を目指しているのかという疑問がある。 多くの人は、右と左、保守と革新、日本とアメリカといった横の対立を見せられて本当の対立から目をそらされている。 本当の対立は横ではなく、上と下、支配する層と支配される層という縦にある。 右も左も結局は同じ政策を進めてきて、保守も革新も大企業を優遇してきた。 どの政党が政権を取っても庶民の生活は苦しくなる一方であった。 なぜなら右も左も同じ上層部に属しているからである。

日本の上層部は同じ大学・組織で繋がり利害を共有する

日本の政治家、大企業の経営者、メディアの幹部、官僚のトップは、東京大学、慶應義塾大学、早稲田大学といった同じ大学で教育を受けた。 彼らは経済団体、政策研究会、交流会などの同じ組織で繋がっている。 彼らは互いに知り合いであり、結婚し、子供を同じ学校に通わせ、利益を分け合っている。 これが上層部であり、そこには右も左もなく、保守革新もない。

政治家の対立は演技や役割分担であり大企業の利益を守る茶番である

政治家同士が対立しているように見えるのは、演技というよりも役割分担である。 右派の政治家は国を守ると言い、左派の政治家は弱者を守ると言う。 しかし、実際にはどちらも大企業の利益を守っている。 右は経済成長のためと言い、左は雇用を守るためという言い方が違うだけで、やっていることは同じである。 庶民はこの茶番に騙され、右を支持する人と左を支持する人が互いに対立する。 上層部は下の者たちが争ってくれて都合が良いと考える。

庶民を右と左に分断し本当の縦の対立から目をそらさせている

庶民を右と左に分断して、本当の対立から目をそらさせている。 本当の対立は上と下にあり、上層部はルールを作る人々である。 彼らは法律を作り、政策を決め、予算を配分し、そのルールは常に自分たちに有利に作られている。

上層部が作ったルールは所得税を下げ消費税を上げ下が得をしない仕組みである

税制を見ると、所得税の最高税率は下がり続け、大企業への法人税も下がり続けてきた。 その一方で消費税は上がり続け、貧しい人々が一番負担している。 貧しい人々は収入のほとんどを消費に使うため、消費税は貧しい人々に重くのしかかる。 上層部が作ったこのルールは、上が得をして下が損をする仕組みになっている。

教育制度は階級の固定化を生み上に生まれた者が有利になる

教育制度も同じである。 上層部の子供はお金があるから塾に通い家庭教師をつけ良い大学に入り、良い大学を出れば良い会社に入るため、また上層部になる。 一方、下層部の子供は良い教育を受けられず、非正規雇用で働き、また下層部のままになる。 これを階級の固定化と言う。 上に生まれたものは努力しなくても上に残り、下に生まれたものは努力しても上がれないという構造が1980年代から急速に強まった。

上層部は下層部の分断を巧妙に行ない上への怒りをそらしている

上層部はもう1つ巧妙な仕組みとして下層部の分断を作った。 下層部の人々が団結すれば力を持つため、上層部は下層部を分断する。 正規雇用と非正規雇用、日本人と外国人労働者、若者と高齢者、都市と地方のように、下層部の人々を互いに対立させる。 非正規雇用の人が増えたから自分の給料が上がらない、外国人労働者が来たから仕事が減った、高齢者が年金をもらいすぎているから若者が苦しい、という対立を作り出す。 低賃金で働かせている企業とそれを許している政策が悪いのだが、下層部の人々が互いに争っている間、上層部は安泰である。

1980年代に作られたシステムはもう壊れ始めている可能性がある

今生きているこの人生は80年、90年という短い時間である。 しかし、人類の歴史は数千年、魂の旅はもっと長い。 1980年代に作られたシステムはたった40年前のことである。 40年で作られたものは40年で壊れる可能性があり、実際にもう壊れ始めている。 構造に気づく人が増えているから、そして気づいた人々が新しい繋がりを作り始めているからである。

気づいた人々はシステムに依存しない生き方を静かに増やしている

システムに依存しない生き方、お金だけに頼らない関係、上層部の情報に頼らない判断力を持つ人が静かに増えている。 今世で勝つか負けるかは小さな問題かもしれないが、大切なのは構造に気づいたこと、それを次につぐことである。 システムに依存せず人と繋がること、ご先祖様を思い出すこと、丁寧に生きるという選択は、100年後、1000年後へと時間を超えて影響する。

集合意識の鏡である政治を変えるには個人の波動の安定と浄化が必要である

政治は集合意識の鏡であるため、個人の波動が変われば全体が変わる。 システムに依存してきた人々は地に足がついておらず、見えない世界との繋がりを失った人々のエネルギーは汚れている。 他人の期待、ネットの評価、会社の圧力といった全てがエネルギーに付着している。 だからグラウンディングと浄化が必要である。

グラウンディング瞑想で不安定なエネルギーを安定させ地球と繋がる

グラウンディング瞑想の目的は、不安定なエネルギーを安定させ地球と繋がることである。 システムに依存してきた人々は空中に浮いているようなものであるため、まず地球と繋がることが必要である。 ご先祖様もこの地球に立っていたという繋がりを感じる。 具体的な手順は次の通りである。

  • 1.裸足で床に立つ
  • 2.目を閉じて深呼吸を3回する
  • 3.足裏に意識を向けて感覚を感じる
  • 4.足裏から木の根のようなもの生えていくイメージをする
  • 5.その根が地球の中心まで伸びていくイメージをする
  • 6.地球の中心にある赤く光るマグマのようなエネルギーを感じる
  • 7.あなたの根がそのエネルギーに触れているのを感じる
  • 8.そのエネルギーが根を通って足裏からあなたの体に上昇してくるのを感じる
  • 9.最後に心の中で[私は地球と1つです]と唱える

オーラ浄化ワークはエネルギーの汚れを取りシステムの毒を浄化する

オーラ浄化ワークの目的は、エネルギーの汚れを取り、システムの毒を浄化することである。 システムに依存し、見えない世界を忘れた人々のエネルギーは汚れている。 他人の期待、ネットの評価、会社の圧力といった全てがオーラに付着しているため、これを浄化する。 具体的な手順は次の通りである。

  • 1.静かな場所で楽な姿勢で座る
  • 2.目を閉じて自分の周りに卵型のオーラをイメージする
  • 3.そのオーラに灰色の汚れが付着しているのを見る
  • 4.頭の上から金色のシャワーが振り注いでくるイメージをする
  • 5.そのシャワーがオーラの汚れを洗い流していくイメージをする
  • 6.汚れは地面に流れ落ち地球が浄化してくれる
  • 7.シャワーが続きオーラがどんどん透明になっていく
  • 8.最後にオーラが透明な光になっているのを確認する

日本人は過去と未来を繋ぐ駆け橋であり時間を超えた繋がりが役割である

時間の枠を超えて物事を見ると、あなたは過去と未来の交差点に立っている。 後ろには無数のご先祖様が立ち、その選択の結果が今のあなたである。 前には100年後、1000年後の子孫が立っているかもしれない。 あなたの選択は確実に彼らに影響する。 あなたは時間の流れの中の一点ではなく、過去と未来を繋ぐ駆け橋である。 日本人が失ったものは、時間を超えた視点であり、今だけを生きるようになった。 時間を超えた繋がりを取り戻すことが、日本人の役割であり世界への貢献になる。

時間を超えた繋がりを取り戻すための具体的な方法が5つある

時間を超えた繋がりを取り戻すための具体的な方法は以下の5つである。

  • 1.ご先祖様に語りかける:朝目が覚めた時、心の中でおはようございますとご先祖様に語りかける。
  • 2.100年後を想像する:何か選択をする時、100年後の子孫はこの選択をどう思うだろうかと問う。
  • 3.古いものに触れる:古い神社や古い道具など、時間を超えて存在してきたものに意識を向ける。
  • 4.次の世代に伝える:昔はこうだったんだよと誰かに伝える。
  • 5.今という瞬間を大切にする:時間を超えた視点を持つからこそ、今この瞬間が輝く。

痛みを伴う気づきは魂の成長でありあなたの役割は繋ぐことである

システムに依存していた、ご先祖様を忘れていたと気づくことは痛みを伴うが、この痛みには意味がある。 魂は何度も転生を繰り返し、今世はその長い旅の1場面である。 この痛みを経験することであなたの魂は成長し、その成長は次の転生にも影響する。 あなたの役割は繋ぐことである。 過去と未来を繋ぐこと、ご先祖様と子孫を繋ぐこと、失われたものとこれから生まれるものを繋ぐことである。