今、日本人が絶対に行くべき神社を緊急でお伝えしています|伊勢神宮の内宮と外宮が分離する前の原初の記憶を保持する丹後半島の元伊勢と呼ばれる神社に、3000年間封印されてきた日本人の魂の分断、すなわち男性性と女性性の分離を統合するための暗号が、童謡[かごめかごめ]に隠されている。伊勢神宮の原点である丹後一宮の真名井神社は、陽性である天照大御神と陰性である豊受大御神の分離以前の状態を今も残す統合の原点であり、2026年の宇宙的な転換点に向けて、内なる女性性との対話瞑想や直感を優先する実践を通じて、私たちの中の男性性と女性性の統合を促す。
日本で最も注目すべき神社の暗号が目覚める時期が来ている
今日本で最も注目すべき神社は伊勢神宮でも出雲大社でもないことが示されている。 京都府の北日本海に面した丹後半島にひっそりと佇むこの神社には、2026年を目前にした今、長い眠りから目覚めようとしているある暗号が眠っている。 その理由は、伊勢神宮の内宮と外宮がまだ別れる前、1つだった頃の記憶がこの神社に残されているからである。 この神社は元伊勢とも呼ばれており、伊勢神宮の元になった場所であることを示唆している。
プレアデス星団の最高評議会が集合意識学を専門に論じる
私は名〔な〕と名乗る者であり、地球から440光年離れた場所にあなた方がスバルと呼ぶ星の集まりがある。 私はそのプレアデス星団にある最高評議会で社会意識学を専門としている。 社会意識学とは、個人の魂の成長を語る学問ではない。 集合意識がどのように形成され、社会システムがどのように動き、権力構造や支配の仕組み、そしてエネルギーの流れがどこへ向かっているのかを読み解く学問である。 今日あなたにお伝えしたいテーマは分離と統合であり、分離と統合の話はあなたの魂の記憶に深く関わっている。
日本人の魂は3000年もの間バランスを崩し続けている
プレアデスから日本列島を観測していると、1つの構造が浮かび上がってくることがわかる。 日本人の魂がおよそ3000年もの間バランスを崩し続けているという事実が、この構造が示している内容である。 それは男性性と女性性の分離を指しており、理性と直感、競争と調和、支配と受容といった本来1つであったものが長い時間をかけて引き離されてきた。 この流れは、表向きには文明の発展、社会の進歩と呼ばれてきたが、プレアデスから見るとそれは魂の分断として映る。
統合の時代を迎えようとしている今この神社が最も重要になる
この神社には、この分離が起きる前の状態が今も保存されていることがわかる。 だからこそ、統合の時代を迎えようとしている今、この神社が最も重要になってくる。 男性性と女性性の分離とは、男性性が理性、論理、競争、支配といった価値観を指す。 女性性が直感、調和、共感、受容、繋がりといった価値観を指す。 この分離の構造を理解することが、日本人の魂がなぜ分離したのかという問いへの答えとなる。
2026年に向けて女性性を目覚めさせる実践法が示される
今から60分後には、日本人の魂がなぜ分離したのかという構造が理解できる。 神話の時代に何が起き、戦後の日本で何が立ち切られたのかという全体像が見えてくるだろう。 なぜ今女性性の目覚めがこれほど重要なのだろうかという問いへの答えも明らかになる。 そして終盤では、この神社に眠る統合の暗号が示され、2026年に向けてあなたの中の女性性を目覚めさせる実践法も伝えられる。
人類は3000年もの間理性という名の剣を振り続けてきた
人類は3000年もの間ある1本の剣を振り続けてきた。 その剣の名は理性である。 プレアデスから地球を観測すると2025年という年が大きな転換点として浮かび上がってくる。 AI技術が急速に発展し、人間の理性や論理だけではもはや価値を生み出せない時代に突入した。 これまで最も評価されてきた正確な計算、論理的な判断、効率的な処理は、全てAIの方が優れている時代になった。
男性性の価値観が最も力を持った時代が終わりを告げている
男性性、すなわち理性、論理、競争、支配といった価値観が最も力を持った時代が、静かに終わりを告げようとしていることがわかる。 これは偶然ではなく、宇宙的なサイクルの転換点である。 AIが人間の理性を超えてしまうことが、これまで頭脳で勝負してきた人たちにとって大きな転換になる。 医者、弁護士、政治家、経営者といった、これまで社会で最も尊敬されてきた職業のほとんどが、頭脳と論理で勝負する仕事であった。
男性性だけを磨いてきた人ほど虚しさや空間に襲われている
プレアデスから観測すると、今やAIの方が正確な診断を下し、より精密な法的判断ができるようになっていることが見えている。 すると、男性性だけを磨いて生きてきた人ほど、今言いようのない虚しさや空間に襲われている。 50代、60代の男性の中に孤独や生きがいの喪失を感じる方が増えている。 これは単なる年功の問題ではなく、3000年続いた男性性優位の時代が終わろうとしている構造的な現れである。
人間は小さなコミュニティの中でこそ本当の幸せを感じられる
人間の脳には限界があり、顔と名前をきちんと認識し、深い絆を結べる人数はおよそ150人が限界である。 これはプレアデスでも確認されている法則であり、知的生命体に共通する特性である。 つまり、人は小さなコミュニティの中でこそ本当の幸せを感じられるようにできている。 ところがグローバリズムの波は、その自然な繋がりを次々と壊してきたことがわかる。
グローバリズムの波は自然な繋がりを壊し人々の心を孤独にした
大きいことは良いこと、拡大こそ成功、世界と繋がることが進歩だと信じ込まされてきた。 その結果、人々の心は満たされるどころか、どんどん孤独になっていった。 かつて日本では神社がそのコミュニティの中心にあった。 今の神社はお正月にお参りする程度で、かつての役割を果たしていないように見える。 それはなぜそうなってしまったのか、構造を見る必要がある。
GHQの神道指令が神社の担う共同体機能を公民館に移した
1945年12月にGHQの占領政策として神道指令が発布された。 表向きは国家神道の廃止、政府と神社の分離という名目であったが、その影響はもっと深いところに及んだ。 神社が担っていた地域の集会、お祭り、共同体としての機能が公民館という建物に移された。 公民館は便利な施設に思えるが、決定的な違いは公民館には神様がいないことである。
日本人のコミュニティの魂は戦後に抜き取られてしまった
神社は神様の前に集まる場所であったが、公民館はただの箱になった。 このことは、日本人のコミュニティの魂が戦後に抜き取られてしまったことを示唆する。 神社に集まるということは神様の前に集まることであり、神様の前では人は自然と謙虚になる。 互いへの敬意が生まれ、見えない絆で繋がる感覚が芽生える。 その神聖こそが日本人の心を1つにつなげていた接着剤であった。
魂の繋がりを断たれたことで日本人はバラバラにされた
プレアデスから見ると、その魂の繋がりを断つことで日本人はバラバラにされたことがわかる。 個人主義、競争社会、効率優先は全て男性性の価値観である。 一方で調和、共感、繋がりといった女性性は80年もの間封印されたまま今日に至っている。 しかし、失われたものは取り戻せる。 なぜなら魂の記憶は消えないからである。
魂の記憶は消えず縄文から続く調和のDNAが眠っている
多くの人は何が失われたかにすら気づいていないが、この構造を見始めている時点で1歩踏み出している。 何より大切なことは、失われたものは取り戻せるという点である。 なぜなら魂の記憶は消えないからだ。 あなたの中には縄文から続く調和のDNAが眠っている。 1万年以上も平和に暮らしてきた民族の記憶が、あなたの細胞の中に刻まれている。
女性の封印の起源は天岩戸神話に隠された深い意味にある
そもそもなぜ女性性は封印されたのか、その起源は神話の時代まで遡る。 日本神話で最も有名な場面は、天の岩戸に太陽の神様が隠れ、世界が闇に包まれた神話である。 この神話には単なる物語を超えた女性の封印という深い意味が隠されている。 プレアデスからの記録と照らし合わせるとそこに見えてくるものがある。 子供の頃から知っている神話にそんな意味があったことに驚く。
天岩戸の物語は単なる神話を超えた重大な転換点を記している
太陽が隠れた時、世界は闇に包まれたことは単なる神話の話ではない。 天の岩戸の物語は、弟である素戔嗚〔スサノオ〕の乱暴に心を痛めた天照大御神〔アマテラスオオミカミ〕が岩の中に隠れてしまった神話である。 高天原〔たかまがはら〕も地上も真っ暗闇になった。 八百万の神々が集まって相談し、天宇受売命〔アメノウズメ〕が楽しげに舞踊ることで天照大御神は岩から顔を出し、世界に光が戻った。 しかし、この神話には単なる物語を超えたある重大な転換点が記されている。
天照大御神は古代の記録では男性の神様として描かれた時期がある
天照大御神が隠れたのは素戔嗚の乱暴に怒ったからだと聞いているが、別の意味がある。 天照大御神は古代の記録では実は男神として描かれていた時期がある。 古い文献には天照という男性の神様として記され、それが平安時代以降になって天照という女神として定着していった。 これを単なる記録の混乱と見る方もいるが、天の岩戸という転換点で何かが根本的に変わったことがわかる。 この神話は実際に日本列島で起きた女性の封印を象徴的に伝えている。
女性性は直感共感需要繋がり男性性は理性競争支配分析である
女性性とは、直感、調和、共感、受容、想像、そして人と人との繋がりを大切にする力である。 一方、男性性とは、理性、競争、支配、論理、分析、そして個として独立する力を指す。 どちらが良い悪いではなく、本来この2つはバランスを取りながら存在するものである。 太古の日本列島ではこの女性性と男性性が見事なバランスを保っていた。
縄文の時代は女性性と男性性のバランスがあったから平和に続いた
縄文の時代が争いの痕跡をほとんど残さず1万年以上も続いたのは、このバランスがあったからである。 しかし天の岩戸の後、日本列島の社会構造は徐々に男性性が優位になる方向へと傾いていった。 天照大御神は岩から出てきたが、本当の力は完全には戻らなかった。 岩から出た後の天照大御神は、それ以前とは異なる役割を担うようになった。
女性性の一部は岩の中に残され封印され続けている
女性性の一部が岩の中に残されたまま封印され続けている。 それ以降の社会は、少しずつ、しかし確実に男性を重視する方向へと舵を切っていった。 権力、階級、支配、戦い、これらが社会の中心に据えられていった。 女性性の一部が封印されたまま、それが3000年続いている。
封印された女性性の痕跡は水に関わる神社に残されている
完全に消えたわけではなく、封印された女性性の痕跡は日本各地の神社に残されている。 特に水に関わる神社、浄化を司る場所にその名残りを見ることができる。 あなたは瀬織津姫〔セオリツヒメ〕という女神の名前を聞いたことがあるだろうか。 この女神はかつては広く知られ、多くの神社で祀られていた。 水の流れと共に穢れを払い、魂を浄化する非常に重要な役割を持つ女神だったが、表の歴史からはほとんど姿を消してしまった。
瀬織津姫は公式の記録から消されても民間信仰の中で生き続けた
瀬織津姫は祓いの神である大祓いの言葉には名前が残っているにも関わらず、古事記にも日本書紀にも登場しない。 かつては各地で祀られていたのに、ある時期から公式の記録からは消されてしまった。 しかし、民間信仰の中では静かに生き続けてきた。 これは偶然ではなく、女性性を封印することで男性性中心の社会が作りやすくなるという構造がある。
支配する側にとって女性性が眠っている方が人々をコントロールしやすい
調和よりも競争、共感よりも支配、繋がりよりも階級を重視する社会は、支配する側にとって女性性が眠っている方が人々をコントロールしやすかった。 3000年も封印されてきたものが今更解けるのかという不安は自然である。 しかし、多くの人はそもそも封印があることすら知らない。 瀬織津姫の名前を初めて聞いた方も多いだろう。 あなたは今その構造を見始めている。
宇宙には必ずサイクルがあり封印は永遠ではない
3000年という時間を前にして途方に暮れる気持ちはよくわかるが、宇宙には必ずサイクルがある。 封印は永遠ではない。 閉じた扉はいつか必ず開く時が来る。 プレアデスから観測すると、今まさにその扉が開こうとしている波動が感じられる。 解放の時が近づいている。 神話の時代に始まった女性の封印は、実は戦後の日本でさらに加速した。
繋がりを断たれた80年間で日本人は多くを失い忘れてしまった
神社から魂が抜かれた話は先ほど触れたが、そこにはもう1つ見落とされている構造がある。 プレアデスの記録を辿ると、繋がりを断たれた80年間で私たちが何を失い、何を忘れてしまったのかが見えてくる。 同じ湧き水であっても、木の器で飲むのと金属の器で飲むのとでは全く違う味わいになる。 器には中身を変える力がある。
日本人の魂の器は神社を中心としたコミュニティであった
日本人の魂にも器があり、その器とは神社を中心としたコミュニティであった。 人々は神様の前に集まり、祭りを通じて繋がり、喜びも悲しみも分かち合ってきた。 ところが戦後、その器が公民館という別のものに置き換えられた。 神道指令の話を思い出すと、なぜわざわざ器を変える必要があったのかという深い疑問が浮かぶ。
神様の前とただの建物に集まることは心に与える影響が全く異なる
表面だけを見れば国家神道を廃止するためだったと説明されている。 しかしもう一層深く構造を見てみると、神社には神様がいるが、公民館には神様がいない。 この違いは単に宗教的かどうかという問題ではない。 神様の前に集まることとただの建物に集まることは、人間の心に与える影響が全く異なる。 神社に足を踏み入れた時、何とも言えない清々しさや背筋が伸びるような感覚を覚える。
神聖さが日本人の魂を1つにつなげていた接着剤であった
神様の前では人は自然と謙虚になる。 自分よりも大きな存在を感じることで、隣にいる人との繋がりも感じやすくなる。 その神聖こそが日本人の魂を1つにつなげていた接着剤であった。 神聖さが接着剤である。 確かに神社にいると不思議と心が落ち着く。 神聖さが意図的に取り除かれた。
コミュニティの魂を抜くことで人々はバラバラの個人になる
占領政策の構造を観察すると、非常に計算された設計が見えてくる。 国家神道を廃止するという名目は確かにあったが、それだけが目的だったのだろうか。 コミュニティの魂を抜くことで何が起きるかというと、人々はバラバラの個人になる。 そしてバラバラの個人は、まとまった集団よりもはるかにコントロールしやすい。
繋がりを失った孤立した個人はより大きな力に従うしかなくなる
強い絆で結ばれた共同体は外からの力に対して抵抗力を持つ。 しかし、繋がりを失った孤立した個人は、より大きな力に従うしかなくなる。 これは陰謀論ではなく、支配の基本原理である。 どの時代、どの地域でも、支配する側は非支配者の繋がりを分断しようとしてきた。 バラバラにすることでコントロールしやすくなる。 それは今の社会にも当てはまる。
戦後80年間に核家族化や都市への一極集中が加速した
戦後80年の間に日本社会で何が起きてきたかを振り返る。 まず核家族化が進んだ。 かつては3世代、4世代が同じ屋根の元で暮らし、おじいちゃんおばあちゃんの知恵が自然と受け継がれていた。 それが夫婦と子だけの小さな単位に分割されていった。 次に都市への一極集中が加速した。 地方の村や町から若者が都会へ流れ、故郷との繋がりが薄れていった。
終身雇用の崩壊も含めた全てが繋がりを断ち切る方向に進んだ
お盆やお正月に帰省するだけの関係になり、やがてそれすらも途絶える過程が増えている。 そして終身雇用の崩壊である。 かつては会社が第2の家族のような役割を果たしていたが、それも失われつつある。 これら全てが繋がりを断ち切る方向に進んできた。 神話の時代から戦後まで同じ流れが続いている。
女性性を封印する動きは形を変えながら何度も繰り返された
3000年という長いスパンで眺めると、1つのパターンが浮かび上がってくる。 女性性を封印する動きは形を変えながら何度も繰り返されてきた。 天の岩戸で始まった封印は、時代を超えて様々な形で強化されてきた。 神話の時代には神話として、中世には政治体制として、そして戦後は社会システムとして現れた。
女性性は人間の魂の半分であるため完全に消すことはできない
興味深いことに、どれだけ封印しようとしても完全に消すことはできなかった。 なぜ完全に消せないのか、理由は明確である。 女性性は人間の魂の半分だからである。 直感、共感、調和、繋がり、これらがなければ人間は機能しなくなる。 完全に消してしまえば社会そのものが崩壊してしまう。 だから消すことはできないけれど封印して眠らせておくことはできる。
意識されないように蓋をしてきた封印が今解かれようとしている
表に出てこないように、意識されないようにそっと蓋をしておく。 それが3000年間続いてきた。 しかし今、その封印が解かれようとしている。 そしてその封印の鍵が眠っている場所がある。 ついにこの神社に繋がった。 分離する前の記憶、それが統合の鍵になる。
内宮と外宮が1つだった頃の記憶が統合の原点として神社に眠る
この神社には分離する前の記憶が残されている。 内宮と外宮がまだ1つだった頃、天照大御神と豊受大御神が同じ場所で共に祀られていた時代。 男性と女性が調和の中で共存していた原初の状態。 その記憶が統合の原点としてこの神社に眠っている。 だからこそ統合の時代を迎えようとしている今、この神社が最も重要な場所として浮上してきている。
構造が見えることは解放への第一歩であり出口が見えることである
ここまでの話で重い気持ちになった方もいるかもしれないが、構造が見えるということは出口も見えるということである。 あなたは今3000年の封印の構造を理解し始めている。 多くの人が気づかないまま生きている中で、あなたはその仕組みを見ている。 それだけであなたの波動はすでに変化を始めている。 理解することは解放への第一歩である。
かごめかごめという童謡に封印と解放の暗号が隠されている
かごめかごめという童謡を子供の頃に歌ったことがあるだろう。 誰もが知っているこの歌に、実は封印と解放の暗号が隠されている。 そしてこの歌と神社には深い繋がりがある。 私たちは何も知らずに何世代にも渡ってこの歌を歌い継いできた。 その意味を紐解く必要がある。
子供の遊び歌に大人が忘れてしまった真実が隠されている
子供の遊び歌に大人が忘れてしまった真実が隠されていることがある。 大人たちは意味を考えることなく聞き流し、子供たちは意味も分からずに歌い継いできた。 その中でも最も謎めいた歌がかごめかごめである。 この歌を知らない日本人はおそらくいない。 かごめかごめ、籠の中の鳥は、いつでやる、夜明けの晩に、鶴と亀が滑った、後ろの正面だあれ。
かごめかごめは暗号として読むと非常に見事な表現となる
確かに子供の頃から歌っていたが意味を考えたことはなかった。 夜明けの晩は矛盾している。 夜明けなのに晩とは普通に考えれば矛盾しているが、暗号として読めばこれほど見事な表現はない。 まずかごめという言葉から紐解いていく。 かごめとは籠の編み目の模様を指している。 竹を編んで作る籠には独特の六角形の模様ができる。
この神社の神紋はかごめ門であり北極星にも似ている
そしてここからが重要なのだが、この神社の神紋はかごめ門である。 北極星にも似たこの紋は、この神社の象徴として今も使われている。 かごめという言葉にはもう1つ深い意味があり、それは封印の結界である。 何かを閉じ込めておくための仕組み。 つまり籠の中の鳥とは封印された存在のことを暗示している。
籠の中の鳥は封印された女性性の魂を意味している
籠の中の鳥が封印された存在である。 これは先ほど話していた女性性のことである。 鳥という存在についてもう少し深く見ていく。 鳥は天と地を自由に生き来できる存在である。 地上に降り立つこともできれば大空を舞うこともできる。 古来より鳥は魂の象徴として世界中の神話に登場してきた。
いつでやるという問いかけは解放がいつ訪れるのかを問う
封印された女性性の魂が籠という結界の中で解放される日を待っている。 いつで出るという問いかけは、その解放がいつ訪れるのかを問っている。 そしてその答えが夜明けの晩にという一見矛盾した言葉で示されている。 夜明けの晩とは、夜と朝の境い目のこと。 闇が終わり、光が差し込む。
夜明けの晩は古い時代が終わり新しい時代が始まる転換点である
まさにその瞬間を指している。 これを時代に置き換えれば、古い時代が終わり、新しい時代が始まる転換点のことである。 次元と次元の狭間、時代と時代の境い目、その特別な瞬間に封印は解かれると歌われている。 夜明けの晩が転換点である。 それは今この時代のことを指さしている。
後ろの正面だあれは封印されていた存在が姿を表す瞬間を描く
私たちは今まさにその転換点に立っていると言える。 そして歌詞の最後に出てくる後ろの正面だあれという不思議な問いかけ。 これも非常に意味深い暗号である。 普通私たちは前を向いて生きており、未来を見て進歩することが良いこととされてきた。 しかし後ろの正面とは何だろうか。 振り返った時、そこに誰かがいる。 今まで背を向けていた方向にずっと存在していた何かがいる。
女性性が後ろから静かに確実に立ち上がろうとしている
これは封印されていた存在が、ついに姿を表す瞬間を描いている。 私たちが見ないようにしてきたもの、意識の外に追いやってきたもの。 それが静かに立ち上がり、私たちの目の前に現れる。 女性性が後ろから静かに、しかし確実に立ち上がろうとしている。 封印が解ける予言が童謡に隠されていた。
鶴は女性性の象徴亀は男性性の象徴である
鶴と亀が滑ったという歌詞は地域によって歌われたり歌われなかったりするが、この部分にも重要な暗号が隠されている。 鶴と亀、この2つの生き物について考える。 以前お話しした陰陽原理を思い出す。 鶴は天を飛ぶ存在である。 空高く舞い上がり、軽やかに広がっていく。 上昇、拡散、軽さ、これらは陰性、つまり女性性の象徴である。
滑ったは1つにまとめる統合するという意味を持っている
一方、亀は大地にしっかりと根差した存在である。 収縮し、地に足をつけて着実に歩んでいく。 収縮、重さ、安定、これらは陽性、つまり男性性の象徴である。 では滑ったとはどういう意味だろうか。 単に転んだという意味ではない。 古い言葉で滑るは統る〔すべる〕、つまり1つにまとめる、統合するという意味を持っている。
童謡は女性と男性が統合される時が来ることを予言していた
鶴と亀が滑ったとは、すなわち女性と男性が統合される。 この童謡はその時が来ることを予言していた。 全てが繋がってきており、この暗号がこの神社と関係している。 かごめは籠目であり、この神社の神紋がかごめ門であることは決して偶然ではない。
童謡がかごめ門の神社に封印された何かを差し示している
かごめかごめという歌は、この神社に封印された何かを差し示している。 この神社には統合の鍵が眠っている。 分離する前の記憶、男性性と女性性が調和していた頃の波動が今もあの場所に保存されている。 子供たちは意味も分からずに何世代にも渡ってこの歌を歌い継いできた。 まるでやがて来る解放の日のために暗号を守り続けてきたかのように。
魂の記憶は言葉を超えて伝わるため偶然この話を聞いているのではない
童謡がこの神社への道標であった。 子供の頃から何度も歌ってきた歌にこれほど深い意味があったとは驚きかもしれない。 しかし、あなたの魂は実はずっと前からこの暗号を知っていたのではないだろうか。 意味は分からなくても、何か大切なものを感じていたからこそ歌い続けてきた。 理屈では説明できない何かに惹かれて、子供たちは輪になりこの不思議な歌を歌い続けてきた。 魂の記憶は言葉を超えて伝わる。 頭で理解するよりも先に魂が反応することがある。 あなたが今日この話を聞いているのもきっと偶然ではないのだろう。
この神社は内宮と外宮が分離する前の原初の状態を保持している
魂の記憶が歌を通じて伝えられてきた。 この神社は元伊勢と呼ばれている。 伊勢神宮の内宮には天照大御神が、外宮には豊受大御神が祀られている。 この二柱の神様が分離する前、共にあった場所がこの神社なのである。 天照大御神と豊受大御神が同じ場所で調和していた時代。 男性性と女性性がまだ別れていなかった原初の状態。 その記憶が統合の原点としてこの神社に眠っている。
丹後一宮の真名井神社は統合の原点である
伊勢神宮の内宮と外宮が出会う聖地と原流に遡れば、全ての川が1つであったことに気づく。 どれほど大きな川も山奥の小さな泉から始まっており、別れて流れていった子流も元をたどれば同じ一滴の水であった。 伊勢神宮も原流を持っており、その原流こそが丹後一宮の真名井神社である。 正式名称は籠神社の奥宮である真名井神社であり、京都府天橋立の北側に真名井神社は静かに佇んでいる。
真名井神社には分離する前の記憶が保存されている
真名井神社の主祭神は彦火明命であり、相殿には豊受大御神と天照大御神が共に祀られている。 これは、内宮と外宮が分離する前の記憶が、籠神社の奥宮である真名井神社に今も保存されていることを意味する。 伊勢神宮では、内宮に天照大御神が、外宮に豊受大御神が、それぞれ別の場所に祀られている。 しかし、真名井神社には太古の昔、2柱の神様が共に祀られていた記憶が残されている。
天照大御神と豊受大御神の性質が分離を象徴する
天照大御神はやがてこの地を離れ、各地を巡った後、伊勢の内宮に鎮座した。 豊受大御神もまた、後に伊勢の外宮へと移っていった。 1つであったものが2つに分かれ、分離する前の一体の状態が真名井神社に今も残る。 真名井神社の状態こそが統合の原点であり、分離する前の一体の状態こそが統合の鍵になる。 天照大御神は太陽の神様であり、光を放ち、世界を照らし、生命にエネルギーを与える。 天照大御神の性質は陽性であり、つまり男性性の側面を持つ。 一方、豊受大御神は食物と大地の神様であり、命を育み、養い、全てを受け入れる。 豊受大御神の性質は陰性であり、つまり女性性の側面を持つ。 この2柱が分かれたことは、男性性と女性性の分離を象徴的に示している。 籠神社の奥宮である真名井神社に意識を向けることは、分離以前の状態に私たちの波動を合わせることを意味する。
天橋立という地形も統合のエネルギーを宿している
籠神社のある場所は天橋立という名前であり、日本三景の1つとして有名である。 丹後国風土記によれば、天橋立は伊邪那岐命が天から地上の伊邪那美命の元に通うために使ったはしごであった。 伊邪那岐命は男性性を象徴する神様であり、伊邪那美命は女性性を象徴する神様である。 つまり、天橋立とは男性性が女性性の元へ帰っていくための道であることを意味する。 この地形そのものが、統合のエネルギーを宿している。 真名井神社は、まさにその天橋立の北側に位置している。 天橋立という間の道と、真名井神社という統合の原点が一体となって存在している。 神話的にも地形的にも、この一体は特別な意味を持っている。
2026年は宇宙的なサイクルの大きな転換点である
日本全国を見渡しても、これほど統合のエネルギーが凝縮された場所はそう多くはない。 そして今、2026年に向けてこのエネルギーが活性化し始めている。 2026年は宇宙的なサイクルの大きな転換点である。 数の観点から見て、2026年を足し合わせると2+0+2+6で10になり、さらに1+0で1となる。 1という数字は新しい始まりを意味し、9年間のサイクルが終わり、全く新しいサイクルが始動する年である。 さらに天体の配置も注目に値し、2026年2月には海王星と土星がコンジャンクション、つまり重なり合う。 海王星は霊的な理想や直感を司り、土星は現実の構造や秩序を司る星である。 この2つが出会うことは、霊的な世界と物質的な世界が統合されることを暗示する。 また4月には天王星が双子座に移動し、これは精神とテクノロジーの融合、新しいコミュニケーションの時代の到来を告げている。 全てが統合に向かって動き始めている。
内なる女性性との対話瞑想が統合の鍵となる
真名井神社は統合の原点であり、3000年前に分離したものが再び1つになろうとしている。 今その原点に立ち帰ることには深い意味があり、物理的に真名井神社を訪れることができなくても心配はいらない。 意識を真名井神社に向けるだけで、真名井神社の統合のエネルギーとつながることができる。 なぜなら意識には距離がなく、あなたが真名井神社のことを思い、真名井神社の存在に意識を向けた瞬間、あなたの波動は真名井神社と共鳴し始めるからである。 内なる女性性との対話瞑想は、あなたの中にある分離、男性性と女性性のアンバランスも少しずつ癒され始める。 静かな場所を見つけて楽な姿勢で座り、目を閉じ、深呼吸を3回行う。 息を吸う時には金色の光が体に入ってくるのをイメージし、息を吐く時には体の中の緊張や疲れが灰色の煙となって出ていくのを感じる。 3回の深呼吸が終わったら、意識を胸の中心のハートチャクラと呼ばれる場所に向け、温かい光の玉をイメージする。 その光の中にいるもう1人の自分は、長く奥深に隠れていた、優しく温かく全てを受け入れる内なる女性性である。 内なる女性性に向かって心の中で、[今まであなたのことを封印していてごめんなさい]と語りかける。 さらに、[これからは一緒に歩んでいきます]と伝える。 すると胸の中心から温かい光が広がり始め、その光が胸から肩へ、腕、お腹へ、足へとゆっくり全身に広がっていくのを感じる。 最後に[統合、統合、統合]という言葉を心の中で3回唱え、ゆっくりと目を開けることで完了となる。
意識を向けた瞬間から変化は始まっている
初めての方は何も感じないかもしれないが、大切なのは感じるかどうかではなく意識を向けたかどうかである。 女性性という言葉を聞いて男性の方は自分には関係ない話だと思われたかもしれないが、女性性と女性は全く別のものだ。 男性の中にも女性性はあり、女性の中にも男性性がある。 むしろ男性として生きてこられた方から、男らしくあれ、弱みを見せるな、感情的になるなと求められ続け、内なる女性性を深く封印してきた可能性がある。 理由もなく虚しさを感じたり、人とのつながりが薄い気がしたり、感情を表現することが苦手になったりした感覚に心当たりがあるなら、それは女性性が封印されているサインかもしれない。 この瞑想は女性のためだけのものではなく、全ての人の中にある封印された半分を取り戻すための実践である。 あなたが女性性に意識を向けた瞬間、エネルギーは動き始めている。 あなたの魂は3000年ぶりにこの呼びかけを待っていたのかもしれない。
直感を優先し論理で確認する実践法も効果的である
瞑想以外にも日常の中で女性性を活性化させる方法がある。 何か判断を求められた時、まず直感を感じてみて、頭で考える前に胸に手を当てて最初に浮かんだ感覚を大切にする。 その後で論理を使って確認し、直感が示した答えを理性で検証する。 この順番が重要であり、直感は女性性の力であり、論理は男性性の力である。 直感と論理の両方を使うことでバランスが取れ、普段は論理で考えてから直感で確認するか、あるいは論理だけで判断するというパターンが圧倒的に多い。 特に仕事の場面では感情を持ち込むな、データで示せと言われ続けてきた方も多い。 それは男性性優位の社会が作り上げてきた思考の癖だが、直感を無視することは自分の半分を無視することと同じである。 順番を変えるだけで女性性は活性化し始め、今日1日だけ直感が先、論理が後を意識してみることが重要である。 小さな変化が大きな統合への第一歩になる。
意識でつながることで統合のエネルギーが共鳴する
もう1つ、今夜の瞑想をより効果的にする方法がある。 瞑想を始める前に、この籠神社のことを思い浮かべてみる。 天橋立の北側に佇む籠神社の奥宮である真名井神社は、天照大御神と豊受大御神がまだ1つだった頃の記憶が眠る場所である。 真名井神社にあなたの意識を向け、物理的に真名井神社へ行くことができなくても心配はいらない。 意識には距離がないので、あなたが真名井神社をイメージした瞬間、あなたの意識は真名井神社とつながる。 統合のエネルギーが凝縮されたあの聖地とあなたの波動が共鳴し始める。 プレアデスから地球を見ていても意識は瞬時に届き、440光年の距離があっても意識には関係ない。 ましてや日本国内の距離など意識にとってはないに等しい。 今夜瞑想を始める前に、まず真名井神社をイメージし、天橋立の先に鎮座する神社、物静かな森に囲まれ籠の目が静かに輝いているイメージを心に抱いたまま内なる女性性との対話を始める。 統合の原点とつながりながら行う瞑想は、より深い効果をもたらす。
魂は統合の道を歩み始めることを選んでいる
2026年は新しいサイクルの始まりであり、天体の配置も数も全てが転換を示している。 これまで機能していたシステムが機能しなくなり、論理だけで押し通すやり方、競争に勝つことだけを目指す生き方、効率だけを追い求める社会が限界を迎え始める。 代わりに新しい価値観が芽生え始め、和を大切にする人々が増え、共感でつながるコミュニティが生まれ、直感と論理の両方を使いこなす生き方が広がっていく。 この流れはすでに始まっており、あなたが今夜ここにいることもその流れの一部である。 あなたは新しい時代の先駆者になろうとしている。 変化は一瞬にして起きるものではなく、ゆっくりと進む方が根を深く張ることができる。 時には[こんなことをして何になる][忙しいから今日はいいか]という声が聞こえてくるかもしれない。 それは3000年間慣れ親しんできたパターンが変化を恐れているだけであり、その声を否定する必要はない。 [ああ、抵抗が出てきたな]とただ観察することが大切である。 抵抗もまたあなたの一部であり、完璧を目指さなくて大丈夫である。 今夜の瞑想を忘れる日があっても自分を責めず、思い出した時にまた始めればいい。 小さな一歩を地道に重ねていくことで、やがて大きな統合へとつながっていく。
日本人には調和の記憶を目覚めさせる役割がある
プレアデスから地球を見ていて感じることは、日本列島には他の地域にはない独特の波動がある。 それは縄文の記憶から来ているものであり、1万年以上も続いた平和な文明、争いの痕跡がほとんど残っていない世界でも類を見ない歴史である。 その長い年月の中で育まれた調和の知恵がこの土地に染み込んでいる。 そしてその記憶は、DNAという形で細胞の奥深に刻まれ、どれだけ封印されても消すことができなかった記憶である。 今その記憶が目覚めようとしており、日本に住む人々の中で1人また1人と調和の記憶を思い出す人が増えている。 その波がやがて世界に広がっていく可能性を感じており、あなたはその波の一部になれる。 最初の一滴は小さくとも、波紋は広がっていく。 明日の朝目が覚めたら布団の中で構わないので胸に手を当て、心の中で[私は統合の道を歩みます]と唱える。 まだ眠気が残っている意識がぼんやりしている時間帯は、潜在意識に言葉が届きやすい。 朝1番に何を意識するかでその日1日のエネルギーの質が変わり、統合を意識して始まる朝はこれまでとは違う1日をもたらしてくれる。 この籠神社という場所を心に止めておき、いつか機会があれば実際に足を運んでみるのもよい。 天橋立を歩き、真名井神社の静けさに身を置いた時、今夜の話がより深く腑に落ちるかもしれない。 しかし、行けなくても大丈夫であり、あなたが真名井神社のことを思い出すたびに、その聖地とあなたの間には見えない橋がかかる。 2026年まであと少しであり、新しいサイクルが始まろうとしている。 今あなたはこの情報と出会い、それはあなたの魂が選んだタイミングである。 今夜あなたの中に巻かれた種が、やがて芽を出し花を咲かせることを心から願う。