全体の要約
■【プレアデス緊急警告】「私」という自我、この小さな檻の中で本来の力を封印されていることに気づき、脱出せよ!
宇宙の扉が開かれる特別な時期に人類は大いなる転換点を迎えている
- 人類は大いなる転換点を迎えており、生きづらさを感じるのは特別な意識を持つ存在のサインである。
- 私たちが住む世界は映画[マトリックス]のような幻想の世界であり、そこから抜け出す時が来た。
- あなたのDNAに眠る神聖なる暗号が活性化し、量子場との共鳴が始まり魂の記憶が目覚める。
私たちが生きているこの世界は人間的世界観や自我的世界観と言った方が正確かもしれない
- マトリックスという概念は多くの魂が真実に目覚めようとしている今とても重要である。
- 私たちが生きている世界は[マトリックス]というより、人間的世界観や自我的世界観と言った方が正確である。
触られたり名前を呼ばれることによって全体から切り離された個人の私が誕生した
- 赤ちゃんの頃は私という概念がなく、あなたと他人との境界線が存在していなかった。
- 触られたり名前を呼ばれることによって全体から切り離された個人の私が誕生した、これが自我の形成過程である。
肉体という小さな檻の中に本来無限である意識が圧縮されてしまった状態がマトリックス内での生活の始まりである
- 肉体という小さな檻の中に本来無限である意識が圧縮された状態がマトリックス内での生活の始まりである。
- 赤ちゃんの時は全体だったので恐れや不安はなく、相対するものが存在しない状態であった。
肉体という檻の中に入ってしまうと相対する私と相対する何かが生まれて摩擦が起きる
- 肉体という檻の中に入ると相対する私と相対する何かが生まれ、摩擦が起きて武装したり守りに入ったりする。
- 常に戦いモードになってしまうが、実際は全体だったということが根本的な勘違いである。
私が存在するには私以外の誰かが必要なのにマトリックス内では私のことばかりに注目が集まっている
- 私という感覚は見るものと見られるものがあって初めてわかり、私が存在するには世界が存在しないとおかしい。
- マトリックス内では私のことばかりに注目が集まっており、個人向けのノーハウや自我のキャラクター論が溢れている。
- スピリチュアル業界も自分探しばかりに集中しており、私以外の世界のことを知ろうとしない。
苦しみや悩みの大きな原因の1つはちっぽけな私であるという勘違いである
- 苦しみや悩みの大きな原因の1つは、ちっぽけな私であるという勘違いである。
- 銀河系という大きな存在の中のちっぽけな私という錯覚が、戦いや恐れを感じる状態を生み出す。
- 本当は小さな存在ではなく、肉体の外に出ると世界自体が私になり、敵対する何かもなくなる。
マトリックス内で起きている誤解は詰まるところ自我というキャラクターが勘違いをしているということである
- マトリックス内で起きている誤解は全部が誤解であるが、自我というキャラクターが[私だ]と勘違いしている。
- そのキャラクターを成長させようとすることは間違いであり、本当にやるべきことは自我を解体することである。
自我はプログラミングなのでそのプログラミング自体を解体していく必要がある
- 自我はプログラミングなので、そのプログラミング自体を解体していく必要があり、プラスで対処するマトリックス内のスピリチュアルは誤っている。
- スーパーマリオのゲームのように、解体が起きない限り自我自体が恐れの根源なので恐れでしかない。
- 根本的な構造を変える必要があり、感じている違和感や生きづらさは魂が真実に気づこうとしているサインである。
自我というのは実はプログラミングであり多くの魂がこのプログラムを自分だと勘違いしている
- 自我は実はプログラミングのデータ端末のようなものであり、多くの魂がこのプログラムを自分だと勘違いしている。
- 5~6歳で自我が確立すると言われているが、その時に恐れや不安もプログラミングされる。
自我が誕生すると同時に常に今の自分以外の誰かになろうとする構造を持つ
- 自我が誕生すると同時に常に今の自分以外の誰かになろうとする構造を持ち、セーラームーンやヒーローになりたいという発想と何も変わらない。
- YouTuberになりたい、看護師になりたい、学校の先生になりたいという理想像も根本的な構造は同じである。
地球の魂たちが感じている未来への不安や恐れが美想像を描かせてしまう
- 地球の魂たちが感じている未来への不安や恐れが理想像を描かせ、それは自我の恐れというプログラミングからの逃避行動である。
- 今の自分ではダメだと思っている状態であり、今の自分で十分なのに違う何かの自分に走りたがるのが自我である。
何かをしようとする動き自体が自我の動きであり解体が起きない原因である
- 何かをしようとする動き自体が自我の動きであり、それは自我の解体が起きない原因である。
- ノンデュアリティとか非二元とか目覚めとか悟りという語は、地球の魂たちが特別なもののように捉えてしまうという問題がある。
マトリックスの外に出ることはものすごくナチュラルで普通のことである
- マトリックスの外に出ることはものすごくナチュラルで普通のことである。
- 普通じゃないと思っている自体が勘違いであり、もっと当たり前のことである。
コントロールがあろうとなかろうとどうでもいいことにこだわることが自我の動きである
- 自我には理解が難しいが、[コントロールがあるかないか]といった観念的な議論にこだわると、目覚めていないという方向に進んでしまう。
- [私は目覚めていないんだ]とか[また目覚めなきゃ]という方向に向かうことは自我の動きである。
- 個人としての探求と全体性は反するものに見えてそうではなく、自我を超えた全体の働きの一部として生きることが面白い。
私がないという後を聞くと私の感覚でいる状態は悪いんじゃないかと思われるが自我はずっといる
- [私がない]という語を聞いても、自我はずっといるから私の感覚でいる状態は悪くない。
- 4次元空間の本体からゼロというポイントを超えて頭だけ出しているのがキャラクターである。
4次元空間の本体の方が本当の私たち全体性のある自己である
- 4次元空間の本体の方が本当の私たち全体性のある自己であり、自我の方は割との話である。
- キャラクターである自我自体が私だと勘違いしているから、多くの誤解が起きる。
自我と自己の密着が離れてくると初めてキャラクターが柔軟になり個性がそのまま表現される
- 自我自体を私だと思い込んでいるから、自分をよく見せなきゃとか守らなきゃとかいう硬いキャラクターになってしまう。
- 自我と自己の密着が離れてくると初めてキャラクターが柔軟になり、本来持っている個性がそのまま表現される。
- 自我の構造と性質を知っていくだけで自然に離れてくるので、もっと簡単に考えて大丈夫である。
多くの魂が探求している本当の自分とは4次元空間にある本体のことである
- 多くの魂が探求している本当の自分とは、この4次元空間にある本体のことである。
- あなたたちはすでにそこにいるため、認識ができるということはその存在であることを意味している。
キャラクターが自分だと勘違いしているから本来の状態に気づけない
- すでにそこにいるので、もっと簡単だと考えて欲しいが、キャラクターが自分だと勘違いしているから気づけない。
- 本来はキャラクターを解放してあげている状態なのに、自分がキャラクターだと思っていると[なんとかしなきゃ]という動きが出てしまう。
本体である自己の方が優位になってくると見守るお母さんのような感じになる
- 本体である自己の方が優位になってくると、見守るお母さんのような感じで[遊んでいいわよ、何あってもいいわよ]という状態になる。
- とにかくお伝えしたいのは、マトリックスの外に出ることはもっと簡単なことで普通のことだということである。
マトリックスの外に出るということは個人の探求が終わった後の話である
- マトリックスの外に出るということは、個人の探求が終わった後の話であり、それを精神と時の部屋と表現している。
- 自我は何かをしないと生きていけないという恐れを持っているので、常に何かしなきゃという動きのもとに存在する。
個人の探求が終わると全体が安心の世界観にいる状態になり自我自体は放置しておける
- 個人の探求が終わると全体が安心の世界観にいる状態になり、自我自体はスクリーンの映像の中に放置しておける。
- 本体の自己は4次元空間の方にいて、精神と時の部屋のような空間で情報を見たり突然変異が起きたりする。
本体の自己は4次元空間の方にいて精神と時の部屋のような空間で情報を見たり突然が起きたりする
- ルーシーという映画と同じことができるようになり、そうなっていけるということはもう理解できている。
- 最初はできることを増やしていった、そうなれるという発想があるが、実際は真逆である。
人類は今鏡の中に囚われている状態でありそれは肉体の中に自我が存在していることである
- 人類は今、鏡の中に囚われている状態であり、それは肉体の中に自分という自我が存在していることである。
- 赤ちゃんの時は見える視点が違い、他者というものが存在していない状態であった。
触られたり名前を呼ばれたりすることで肉体の中に私がいるという大きな大誤解をしている状態になった
- 触られたり名前を呼ばれたりすることによって肉体の中に私という感覚が生まれ、肉体の中に私がいるという大きな大誤解をしている状態になった。
- 本来の視点を取り戻す必要がある。
肉体の外に出るために必要なことはやはり自我の解体である
- 肉体の外に出るために必要なことは、やはり自我の解体である。
- 心臓の自我が心臓について調べるように、マトリックス内のスピリチュアルや心理学は部分しか理解しようとしていない。
- 人間の体全体が私自身なのに一部しか理解しようとしておらず、全体像を把握することが大切である。
マトリックスの外の世界は地球の魂たちが体験する全く新しい次元の世界である
- マトリックスの外の世界は、地球の魂たちが体験する全く新しい次元の世界である。
- 真逆に生きてきたことが理解できた瞬間、生き方が大きく変わり、苦しい状態が一気に解決する。
ある瞬間ダムが決壊し水が一気に流れ出すように真実がわかる
- ある瞬間ダムが決壊し水が一気に流れ出すように真実がわかり、喜怒哀楽が同時に起き愚かなことをしていたのが理解できる。
- これが反転と呼ばれる現象であり、受動的な思考が優位になっているから反転が起きる。
自我がないといいことがなくなると怒る人やつまらないと感じる人もいる
- 自我がないといいことがなくなると怒る人やつまらないと感じる人もいるが、絶望が起きてもそのノンデュアリティのレイヤーを通ることは大事なプロセスである。
- 自我を超えた全体の働きの一部として、それを認知しながら生きることが面白い。
全体像が分からないまま進むことは世界地図がないまま世界旅行に行くことと同じである
- 全体像の宇宙の仕組み、私と私以外の両方を含めた宇宙の仕組みを知るべきである。
- 自分のことだけを知ろうとしているのは片目だけでなんとか生きようとしているのと一緒である。
自分と自分の外側の構造を知ることで反転した世界からのアプローチが必要である
- 両目で見えていないから怖い、それが自我的発想の原因である。
- 自分と自分の外側の構造を知ることで、反転した世界からのアプローチが必要である。
自我自体に恐れというプログラミングが内蔵されているのでコントロールしたがる
- 自我自体に恐れというプログラミングが内蔵されているからこそ、人生の主導権を握らなきゃというコントロールがあった方がいいという発想になる。
- 自我の構造を深く理解していくと、コントロールしなくても安心の中にいるということが分かってくる。
マトリックスの外に出た後の生き方はあるがままの受容という状態である
- マトリックスの外に出た後は、あるがままの受容という状態である。
- マトリックス内は宇宙の方向性と真逆を向いているため、老子が言うように何もしないことが何でもなす。
ネガティブな状態であろうとポジティブな状態であろうと全く同じ動きをしている
- ネガティブな状態であろうとポジティブな状態であろうと、コインの裏と表で全く同じ動きをしている。
- ネガティブな状態でいいが、その状態がだめだという発想を持ってしまうのが自我である。
何かをしようとする動きじゃなく全自動洗濯機のように置いておいていい
- 本当は何かをしようとする動きではなく、全自動洗濯機のように置いておいてよく、起きることしか起きない。
- 任せておけばいいことによって宇宙全体の進化が行われ始めている。
一番本当に伝えたいのは自我のことを自分だと思わないことである
- 一番本当に伝えたいのは、自我のことを自分だと思わないことであり、ほっといて大丈夫である。
- べったり張り付いたものが緩んで柔軟になり、その自我というキャラクターの夢が叶っていったりする。
なんとかしなきゃと思うよりホット棒がいいんですね
- なんとかしなきゃと思うより、ほっとく方がよく、既読無視の方がいい。
- その方が全体と一体化するので、感知能力もすごくなる。
自我で考えるのではなく4次元の方の自己で考えるのは大きく違う
- 自我で考えるのではなく、4次元の方の自己で考えるのは大きく違う。
- 肉体の中にいる自分自身が思考でできると考えているが、考える能力を理解していくと勝手に体の外に出ていく。
- 4次元の方の自分で考えるのは全く違うことである。
全体のことしか考えてない状態になるとキャラクターとして生きつつ全体として生きる
- 全体のことしか考えてない状態になると、キャラクターとして生きつつ全体として生きる感じになり、宇宙意識と調和した素晴らしい状態になる。
- 前提が安心なので、意図してなくても皆さんがなっていくだけの時代である。
- あなたたちの存在が世界を変える力である。
マトリックスから抜け出すことは特別なことではなくとても自然で普通のことである
- マトリックスから抜け出すことは特別なことではなく、とても自然で普通のことである。
- あなたたちはもうすでにその存在なので、恐れることは何もありません。
- 宇宙の法則としてそうなっており、あなたたちの1人1人の存在が新しい地球の創造に参加している。
自我というプログラミングを解体し4次元空間にある本体の自己を優位にすることでマトリックスから抜け出し老子の言う何もしないことが何でもなすというあるがままの受容の状態になる
■【プレアデス緊急警告】「私」という自我、この小さな檻の中で本来の力を封印されていることに気づき、脱出せよ!
宇宙の扉が開かれる特別な時期に人類は大いなる転換点を迎えている
宇宙の扉が開かれる特別な時期にこの動画を見つけたあなたに緊急メッセージをお伝えする。 今、人類は大いなる転換点を迎えている。 多くの魂が違和感や生きづらさを感じているのは、あなたが特別な意識を持つ存在だからである。 社会で感じる阻害感やなぜか満たされない思いは、あなたの魂が真実を求めているサインである。 私たちが住んでいると思っているこの世界は、実は映画[マトリックス]のような幻想の世界である。 地という小さな檻の中で本来の力を封印されている状態であり、もうそこから抜け出す時が来た。 あなたのDNAに眠る神聖なる暗号が今まさに活性化しようとしている。 量子場との共鳴が始まり、魂の記憶が目覚める瞬間である。 今回はこの幻想の世界から抜け出すための宇宙レベルの真実をお伝えする。
私たちが生きているこの世界は人間的世界観や自我的世界観と言った方が正確かもしれない
さあやさんがよくおっしゃる[マトリックス]という概念について、詳しく教えてもらう。 [マトリックス]という概念は、多くの魂が真実に目覚めようとしている今、とても重要なお話である。 私たちが生きているこの世界が[マトリックス]と呼ばれるのは、映画[マトリックス]を見られた方が多いのであのイメージを使わせていただいている。 実際には、人間的世界観や自我的世界観と言った方が正確かもしれない。
触られたり名前を呼ばれることによって全体から切り離された個人の私が誕生した
具体的には、赤ちゃんの時のことを思い出してほしい。 あの頃は私という概念すらなかったはずである。 あなたと他人との境界線が存在していなかった。 触られたり名前を呼ばれることによって、全体から切り離された個人の私が誕生した。 それが自我の形成過程ということである。
肉体という小さな檻の中に本来無限である意識が圧縮されてしまった状態がマトリックス内での生活の始まりである
肉体という小さな檻の中に本来無限である意識が圧縮されてしまった状態が、マトリックス内での生活の始まりである。 それは普通の成長過程に見えるが、実は大きな誤解が起きている。 赤ちゃんの時は全体だったので、恐れや不安は絶対にない。 なぜなら相対するものが存在しないからである。 相対する存在がないということである。
肉体という檻の中に入ってしまうと相対する私と相対する何かが生まれて摩擦が起きる
肉体という檻の中に入ってしまうと、相対する私と相対する何かが生まれてしまう。 そこで摩擦が起きて武装したり守りに入ったりするようになる。 これがマトリックス内で起きていることである。 それで常に戦いモードになってしまうのである。 しかし、実際は全体だったというのがまず根本的な勘違いである。
私が存在するには私以外の誰かが必要なのにマトリックス内では私のことばかりに注目が集まっている
私が存在するには絶対に私以外の誰かが必要である。 見るものと見られるものがあって初めて、私という感覚がわかるはずである。 つまり、私が存在するためには世界が存在していないとそもそもおかしい。 ところが、マトリックス内では私のことばかりに注目が集まっている。 自我というキャラクターについて[こう勉強したらうまくいく]や[この方法を使えば成功する]といった個人向けのノーハウが溢れている。 スピリチュアル業界も自分探しばかりである。 私が存在するためには私以外の誰かがいるのに、世界のことを誰も知ろうとしていない。 矢印が自分にばかり向いている。 私が私が、という感じになってしまう。
苦しみや悩みの大きな原因の1つはちっぽけな私であるという勘違いである
本当は私以外の反対側である人や世界を知らないといけないのに、現状では全く無視している状態である。 それが苦しみの原因になっている。 苦しみや悩みの大きな原因の1つは、ちっぽけな私であるという勘違いである。 空を見上げれば雲があって、その向こうに宇宙がある。 銀河系という大きな存在の中のちっぽけな私という錯覚をしているから、戦わなければならない、恐れを感じる状態になってしまう。 本当はそんなに小さな存在ではない。 肉体の外に出ると世界自体が私になる。 相対する何かがなくなり、敵対する何かもなくなる。 それがマトリックスの外の世界である。
マトリックス内で起きている誤解は詰まるところ自我というキャラクターが勘違いをしているということである
マトリックス内で起きている誤解は全部が誤解ではあるが、詰まるところ[私だ]という勘違いをしている自我というキャラクターがいるということである。 そのキャラクターを成長させようとすることが間違いである。 成長や進化させようとすることは皆さんよくされていると思う。 しかし、本当にやらないといけないのは解体することである。
自我はプログラミングなのでそのプログラミング自体を解体していく必要がある
イメージで言うと、自我に対してプラスで対処するのがマトリックス内のスピリチュアルである。 しかし、マイナスしていかないといけない。 自我はプログラミングなので、そのプログラミング自体を解体していく必要がある。 分かりやすく例えると、スーパーマリオのゲームと同じである。 ゲームの中で一生懸命頑張っても、マリオはマリオのままで何も変わらない。 解体が起きない限り、自我自体が恐れの根源なので、恐れを持った媒体が何をしても恐れでしかない。 つまり、根本的な構造を変える必要がある。 あなたたちの多くが感じている違和感や生きづらさは、実は真実に気づこうとしている魂のサインである。
自我というのは実はプログラミングであり多くの魂がこのプログラムを自分だと勘違いしている
さあやさんは、自我というプログラミングについてもう少し深く教えてくれる。 これが最も重要な真実の1つである。 自我というのは実はプログラミングであり、プログラミングのデータ端末のようなものである。 多くの魂がこのプログラムを自分だと勘違いしている。 それは大きな勘違いである。 5~6歳で自我が確立すると言われているが、その時に恐れや不安もプログラミングされる。
自我が誕生すると同時に常に今の自分以外の誰かになろうとする構造を持つ
自我が誕生すると同時に、常に今の自分以外の誰かになろうとする構造を持つ。 それは具体的には、幼稚園の時を思い出せばわかる。 セーラームーンになりたいとか、ヒーローになりたいとか思ったはずである。 大人になっても実は変わっていない。 YouTuberになりたい、看護師になりたい、学校の先生になりたいという理想像は、表現方法が変わっているだけで、セーラームーンやヒーローになりたいという発想と何も変わらない。 なるほど、根本的な構造は同じである。
地球の魂たちが感じている未来への不安や恐れが美想像を描かせてしまう
地球の魂たちが感じている未来への不安や恐れがあるからこそ、理想像を描いてしまう。 でもこれは実際、自我の恐れというプログラミングからの逃避行動である。 つまり、今の自分ではダメだと思っている。 まさにそうで、今の自分で十分なのに、今の自分とは違う何かの自分に走りたがるのが自我である。 でもそれだと、いつまでたっても自我の解体が起きない。
何かをしようとする動き自体が自我の動きであり解体が起きない原因である
解体というのは具体的にはどうすればいいのか。 多くの方が誤解しているが、何かをしようとした時に、何かをしようとする動き自体が自我の動きである。 それは難しい。 ノンデュアリティとか非二元とか目覚めとか悟りという語には問題がある。 なぜかと言うと、地球の魂たちが特別なもののように捉えてしまうからである。 確かに[悟らなきゃ]といった感じになる。
マトリックスの外に出ることはものすごくナチュラルで普通のことである
しかし本当は、マトリックスの外に出ることはものすごくナチュラルで普通のことである。 普通じゃないと思っている自体が勘違いである。 もっと当たり前のことである。 自我には理解が難しいのは間違いないが、[コントロールがあるかないか]といった議論はとても観念的である。 そんなことを考えていたら何もできなくなる。 白黒はっきりつけなくてもいい。
コントロールがあろうとなかろうとどうでもいいことにこだわることが自我の動きである
コントロールがあろうとなかろうとどうでもいいことにこだわって、[私は目覚めていないんだ]とか[また目覚めなきゃ]という方向性に向いてしまう。 それも自我の動きである。 あなたたちの多くが探求していたり目覚めたいと思っているかもしれないが、個人としての探求と全体性は反するもののように見えて実はそうではない。
私がないという後を聞くと私の感覚でいる状態は悪いんじゃないかと思われるが自我はずっといる
[私がない]という語を聞くと、私の感覚でいる状態は悪いんじゃないかと思われるかもしれないが、はっきり言って自我はずっといる。 ただ4次元空間の方に本体がおり、4次元空間の本体からゼロというポイントを超えて頭だけ出しているのがキャラクターである。 なるほど、本体とキャラクターが別れている。
4次元空間の本体の方が本当の私たち全体性のある自己である
4次元空間の本体の方が本当の私たち全体性のある自己である。 自我の方は割との話にしている。 ただ多くの誤解が起きるのは、キャラクターである自我自体が私だと勘違いしているからである。 それで固くなってしまう。 自分をよく見せなきゃとか守らなきゃとか、いい人で見られたいとか、自我自体を私だと思い込んでいるから、そういう硬いキャラクターになってしまう。
自我と自己の密着が離れてくると初めてキャラクターが柔軟になり個性がそのまま表現される
でも本来はもっと柔軟でいい。 自我と自己の密着が離れてくると、初めてキャラクターが柔軟になる。 本来持っている個性がそのまま表現されるようになる。 その密着を離すにはどうすればいいのか。 これはとても簡単なことである。 自我の構造と性質を知っていくだけで、自然に離れてくる。 だから難しいとは全く思ってほしくない。 あなたたちはもっと簡単に考えて大丈夫である。
多くの魂が探求している本当の自分とは4次元空間にある本体のことである
さあやさんは4次元空間の本体について詳しく教えてくれる。 これが真の自己の正体である。 多くの魂が探求している本当の自分とは、この4次元空間にある本体のことである。 4次元空間というのはどこにあるのか。 実はあなたたちはすでにそこにいる。 認識ができるということは、もうその存在であることを意味している。 私の声が今聞こえているということは、その存在を同時に理解している。
キャラクターが自分だと勘違いしているから本来の状態に気づけない
もうすでにそうである。 ただそこにあるというのは、もうすでに持っている状態なので、もっと簡単だと考えて欲しい。 全然当たり前のことである。 でもなぜそれに気づけないのか。 キャラクターが自分だと勘違いしているからである。 本来はキャラクターを解放してあげている状態である。 キャラクターが自分だと思っていると、自分がキャラクターになってしまうから[なんとかしなきゃ]という動きが出てしまう。
本体である自己の方が優位になってくると見守るお母さんのような感じになる
なるほど、本体の方が優位になる必要がある。 まさにその通りである。 本体である自己の方が優位になってくると、見守るお母さんのような感じになる。 [遊んでいいわよ。 何あってもいいわよ]というそんな感じになった時にかなり違ってくる。 それは楽になりそうである。
マトリックスの外に出るということは個人の探求が終わった後の話である
楽になるという相対的な表現は難しいが、とにかくお伝えしたいのは、もっと簡単なことでもっと普通のことだということである。 マトリックス内でよく言われる探求についてはどうなのか。 マトリックスの外に出るということは、個人の探求が終わった後の話である。 それを精神と時の部屋と表現している。
個人の探求が終わると全体が安心の世界観にいる状態になり自我自体は放置しておける
自我は何かをしないと生きていけないという恐れを持った状態なので、常に[何かしなきゃ、どうにかしなきゃ]という動きのもとに存在している。 確かにいつも何かに追われている感じがする。 でも、個人の探求が終わるということは、全体が安心の世界観にいる状態なので、自我自体はスクリーンの映像の中に放置しておけるという感じになる。
本体の自己は4次元空間の方にいて精神と時の部屋のような空間で情報を見たり突然が起きたりする
放置しておけるというのは、本体の自己は4次元空間の方にいて、精神と時の部屋のような空間で色々と情報を見たり、突然変異が起きたり、そういう空間に常にある状態になる。 それは素晴らしい状態である。 映画[ルーシー]と同じことができるようになる。 最初はできることを増やしていった、そうなれるという発想があるが、実は真逆である。 真逆というのは、素粒子的な媒体に自我がなるということではない。 でもそうなっていけるということは、もう理解できている。
人類は今鏡の中に囚われている状態でありそれは肉体の中に自我が存在していることである
人類は今、鏡の中に囚われている状態である。 鏡の中に囚われているとは、肉体の中に自分という自我が存在していることである。 それ自体が鏡の中である。 赤ちゃんの時とは見える視点が違う。 赤ちゃんの時は間違いなく見える視点が違った。 他者というものが存在していない状態だったし、自分以外という存在がない状態だった。 それがどう変わってしまったのか。 触られたり名前を呼ばれたりすることによって肉体の中に私という感覚が生まれてしまい、いつしか肉体の中に私がいるという大きな大誤解をしている状態になった。
本来の視点を取り戻す必要がある
つまり、本来の視点を取り戻す必要がある。 赤ちゃんは目の前で見える何かをそのままあるがまま見ることができていた。 しかし、自我が形成されると他者ありきの視点になってしまう。 他者がいる空間の中に私がいるということを無意識に認識している。 部屋の中に友達がいる時、その友達みたいに私が空間の中にポツンといるという前提がある。 それは、他者の視点で自分を見ているということである。 自分から出ている視点で物事を見ていない。 だから、鏡の中やマトリックスの中と表現される。 これからこの肉体の外に出るという状態になっていく。
肉体の外に出るためには自我の解体が必要である
肉体の外に出るために必要なことは、やはり自我の解体である。 例えば、人間の体が宇宙全体だとして、心臓が自我という個人だと仮定する。 肝臓も胃も全部がバラバラの状態を想定して考える。 心臓の自我は心臓について死ぬほど調べ、[私って何のために存在しているんだろう][私ってどういう働きがあるんだろう][私ってどういう個性があるんだろう]と考える。 これは、マトリックス内のスピリチュアルや心理学みたいである。 胃腸も胃腸で[私の働きは][私の能力は][私の天命は]と調べるが、どれだけ調べても胃のこと肝臓のことしかわからない。 確かに部分しか理解できない。 人間の体全体が私自身なのに、結局1部分しか理解しようとしていない。 これがマトリックス内で行われていることである。 全体像を把握することが大切である。 肉体の外に出るには自我の解体が必要になってくる。 あなたたちが感じている探求への渇望は、実はこの真実を求めている魂の声である。
マトリックスの外の世界は地球の魂たちが体験する全く新しい次元の世界である
マトリックスの外の世界は、地球の魂たちが体験する全く新しい次元の世界である。 地球の魂が真実に気づく時、何をしてきたかがはっきりわかる。 真逆だったということが理解できる。 真逆というのは、どれだけ愚かなことをしてきたのかが理解できた瞬間、生き方が大きく変わる。 なぜうまくいく人とうまくいかない人がいるのか、真理を知りたいのに整合性が取れない部分があるのか、それがめちゃくちゃ苦しい状態である。 それが一気に解決する。
ある瞬間ダムが決壊し水が一気に流れ出すように真実がわかる
マトリックス内だからそうなっている。 しかし、ある瞬間ダムが決壊し水が一気に流れ出すように真実がわかる。 喜怒哀楽が同時に起き、どれだけ愚かなことをやっていたかが一瞬で理解できる。 これが反転と呼ばれる現象である。 反転とは、ひっくり返えるような感覚になる。 まだ反転に気づけるかどうかも大事なところである。 受動的な思考の方が優位になっていて、それがあるから反転が起きる。 ノンデュアリティ非二元を聞くと絶望する人もいる。 [自我がない、私がない]と聞くと絶望じゃないかと思われるかもしれない。 しかし、もっと面白い世界が来るのは間違いない。
自我がないといいことがなくなると怒る人やつまらないと感じる人がいる
自我がないといいことがなくなると怒る人やつまらないと感じる人もいる。 しかし、そこで絶望が起きたら、絶望が起きた時で、そのノンデュアリティのレイヤーを通ることもすごく大事なプロセスである。 それも必要な過程である。 はっきり言ってもっと自我を超えた全体の働きの一部として、それを認知しながら生きることが面白い。
全体像が分からないまま進むことは世界地図がないまま世界旅行に行くことと同じである
全体の働きの一部として生きるとは、世界地図があったら迷わずに世界旅行ができる。 しかし、自我がやろうとしていることは、一から地図を作ろうとしているように見える。 なるほど、全体像が分からないまま進んでいる。 全体像である宇宙の仕組み、マトリックス内で言われている宇宙の仕組みではなく、私と私以外の両方を含めた宇宙の仕組みを理解すべきである。 両方を含めた仕組みとは、右目と左目があるのに片方だけで生活しようとしているようなものである。 自我は右目だけでなんとか生きようとしている。 しかし、右と左があって初めてよく見える。 確かに片目だけでは立体的に見えない。
自分と自分の外側の構造を知ることで反転した世界からのアプローチが必要である
自分のことだけを知ろうとしているのは、右目だけでなんとか生きようとしているのと一緒である。 自分と自分の外側の構造を知ることで意識が移っていくというか、反転した世界からのアプローチが必要である。 両目で見えていないから怖い。 それが自我的発想の原因である。
自我自体に恐れというプログラミングが内蔵されているのでコントロールしたがる
意識進化について、ノンデュアリティ的にはコントロールがないということが言われている。 ある側面ではその通りである。 人生に対してこうでありたい、こうなったら嬉しいな、現象に対して抗っていくのが自我のやることである。 確かに理想を追い求めてしまう。 なぜそういう発想が生まれるかというと、自我自体に恐れというプログラミングが内蔵されているからである。 その逃避の行動として、[私が人生の主導権を握らなきゃ]というコントロールがあった方がいいという発想になる。 しかし、プログラミングの構造を理解すれば変わる。 自我の構造を深く理解していくと、コントロールしなくても安心の中にいるということが分かってくる。 あなたたちの感じている生きづらさや違和感は、実は意識進化への準備が整っているサインである。
マトリックスの外に出た後の生き方はあるがままの受容という状態である
マトリックスの外に出た後は、あるがままの受容という状態になる。 マトリックス内では[あるがままに生きよう]とか[本来の自分を探そう]という内容が多いが、マトリックス内は宇宙の方向性と真逆を向いている。 真逆というのは、老子が言っているように[何もしないことが何でもなす]ということである。 本当にそのままで完璧である。 でもそのままだと怖いという気持ちもある。 [そのままでいたら怖い]という恐れがあるから動いてしまうのが自我である。 しかし、どこまで行ってもそのままにしておく。 例えばネガティブな状態もそのままでいい。 ネガティブな状態をそのままにしておくとネガティブな現象が起きるという話もあるが、ネガティブとポジティブはコインの裏と表である。
ネガティブな状態であろうとポジティブな状態であろうと全く同じ動きをしている
ネガティブな状態であろうと、ポジティブな状態であろうと表面的には違うように見える。 沈んでいるのとハッピーなのとでは、現れとしては違うように見える。 確かに全然違って見える。 でもそれはコインの裏と表で全く同じ動きをしている。 だからネガティブな状態でいい。 ただその状態がダメだという発想を持ってしまうのが自我である。 理想を描いてしまう。
何かをしようとする動きじゃなく全自動洗濯機のように置いておいていい
しかし本当は、何かをしようとする動きじゃなく全自動洗濯機のように置いておいていい。 何かをしようとしなくても起きるべきことは起きるし、起きることしか起きないし、困ったことは絶対に起きない。 任せておけばいい。 それによって宇宙全体の進化が行われ始めている。 それが意識進化である。 一番本当に伝えたいのは、自我のことを自分だと思わないことである。 自分じゃないし、ほっといて大丈夫である。
ほっとくと自我と自己とのべったり張り付いたものが緩んで柔軟になる
ほっとくと、べったり張り付いたものが緩んで柔軟になる。 その自我というキャラクターの夢が叶っていったりする。 ほっとく方が良い。 なんとかしなきゃと思うよりほっとく方がいい。 なんとかしなきゃ夢が叶わないという発想を持ちがちだが、既読無視の方がいい。 実はその方が全体と一体化するので、感知能力もすごくなる。
自我で考えるのではなく4次元の方の自己で考えるのは大きく違う
個人として生きながら全体性も生きる。 自我で考えるのではなく、4次元の方の自己で考えるのは大きく違う。 全体の世界地図を見ると、どこにアメリカがあってどこに日本があるか一目瞭然である。 右方向しか行っていなかったのを、左方向から行ってみましょうという提案である。 両方向から見ることが大切である。 肉体の中にいる自分自身が思考でできると考えている。 その考える能力を理解していくと、勝手に体の外に出ていく。 考えてはいけないと言われたりするが、自我は考えてはだめ、4次元の方の自分で考える、これは全く違うことである。
全体のことしか考えてない状態になるとキャラクターとして生きつつ全体として生きる
個人のことを考えない。 全体のことしか考えてない状態になると、キャラクターとして生きつつ全体として生きる感じになってくる。 宇宙意識と調和した素晴らしい状態になる。 前提が安心なので、意図してなくても皆さんがもうすでになんですが、なっていくだけの時代である。 あなたたちの存在が世界を変える力である。 マトリックスから抜け出すことは特別なことではなく、とても自然で普通のことである。 簡単で当たり前のことである。 あなたたちはもうすでにその存在なので、恐れることは何もありません。 それは本当に安心できる世界である。 宇宙の法則としてそうなっている。 あなたたちの1人1人の存在が新しい地球の創造に参加している。