🟩 もくじ

2014年12月11日の徳島大学病院でのエボラ出血熱合同訓練と、2025年10月20日の徳島大学大学院研究室での特別研究学生のドライアイスによる酸素欠乏死という、出血を伴う事案が11年の時間差をもって発生した連鎖は、長崎大学のバイオセーフティレベル4施設の正式指定を囮としつつ、地理的隔離性と高度な研究施設を持つ徳島を裏の場所として利用し、感染症という恐怖を口実にした準備・実行・完成の3段階の構造を介して、2026年に成立予定の国会機能維持条項(旧称:緊急事態条項)という法的な完成形に至る、緊急時の権限拡大を目的とした計画的な仕組みが稼働していることを示唆する

2014年の徳島におけるエボラ訓練、2025年の徳島大学での特別研究学生の死亡事故、そして2026年の国会機能維持条項の法制化という3つの出来事は、感染症という恐怖を利用して権力拡大と民主的手続き停止の準備が、段階的かつ計画的に進められている可能性を示唆する。 2014年の訓練から2026年の法制化に至るまでの段階的な出来事の連鎖は、高度な設備と隔離性を持つ徳島を実験場とし、長崎の公式施設を囮として利用しながら、緊急時の権限拡大を目的とする仕組みが、責任分散型の構造の下で計画的に完成に近づいていることを示す。

徳島大学大学院研究室での特別研究学生の死亡事故が発生した

2025年10月20日、徳島大学大学院の研究室において、27歳の特別研究学生が亡くなるという出来事があった。 低温培養室でうつ伏せに倒れている状態で男性は発見されたが、目立った外傷は確認されなかった。 口と鼻から血液が流れていた状況が、男性の遺体から発見時に確認された。 司法解剖の結果、死因は酸素欠乏であり、ドライアイスが気化して二酸化炭素が充満したためと説明された。 この出来事は管理体制の不備による不幸な事故として処理され、ニュースは数日間報道されて静かに消えていった。

ドライアイス31kgの搬入状況は通常の保冷には多すぎる

ドライアイス31キログラムが停電対応のために、男性の死亡するわずか3時間前にこの部屋に設置された。 ドライアイス31キログラムは通常の試薬保冷には多すぎる量であり、研究室の教員や大学側もこのドライアイスの搬入を把握していなかった。 別の研究室の判断でドライアイスが搬入されたが、なぜ誰も知らなかったのかという疑問が生じる。 理系の研究者であればドライアイスの危険性は当然知っているはずであり、31キログラムという量を密閉空間に置けばどうなるかを知っていながら周知しなかった事実は不備として考えられる。 ドライアイスは常温で1キログラムあたり2時間から3時間で気化するため、31キログラムなら数時間で部屋を満たすのに十分な二酸化炭素が発生する計算になる。

2014年に徳島大学病院でエボラ出血熱患者発生合同訓練が実施された

2014年12月11日、平成26年に同じ徳島の地でエボラ患者発生、徳島大学病院と県との合同訓練と講演会という名称の訓練が実施されていた。 この訓練は日亜メディカルホールと第一種感染症病棟で行われ、徳島大学病院の職員と県の健康増進課や保健所の関係者など517名が参加した。 訓練の内容は感染防護服の着脱であり、特に脱ぐ工程に重点が置かれていた。 講演会では日本赤十字社和歌山医療センターの医師が、エボラ出血熱の診療と感染対策というテーマで話をした。 当時2014年は西アフリカでエボラが流行していたため、この訓練自体は理解できる。

徳島での大規模なエボラ訓練の実施には疑問が残る

日本には東京や大阪や名古屋にも多くの大学病院があり、設備の整った医療機関が数多く存在する。 それにもかかわらず、なぜ四国の徳島で517名も集めてこれほど大規模な訓練が行われたのかという疑問がわく。 徳島大学病院は四国で唯一、医学部・薬学部・歯学部のすべてを持つ総合的な医療教育機関であり、設備も整っている。 しかし、地理的な隔離性を有し、人口が少なく地理的に独立していて高度な医療研究ができる設備がある場所であるという特徴が徳島にはある。 この隔離性と充実した医療研究施設という2つの条件が揃う場所は、何かを試すには都合の良い環境であると考えられる。

2014年にも低温室で出血を伴って亡くなった人がいたという情報があった

2014年のエボラ訓練が行われた同じ年に、徳島大学の薬学研究科で低温室で口と鼻から血を流して亡くなった方がいたという情報を耳にした。 しかし、この情報は探しても見つからず、記録が残っていないのか、消されたのか、最初から表に出ないようにされていたのかは確実ではない。 もし2014年に似たような出来事があったとして、その直後に大規模なエボラ訓練が行われたとしたら、この2つはどのような関係になるのかという疑問を持つことは許される。 偶然と計画を見分けるポイントは再現性と準備であり、本当の偶然は事前の準備を伴わないが、計画されたものは必ず準備の痕跡が残る。

エボラ出血熱はエボラウイルス病へと名称が変更された

2014年当時エボラ出血熱と呼ばれていた病気は、出血を伴う恐ろしい感染症というイメージを人々に与えた。 しかし、時間が経つにつれてこの病気の名称はエボラウイルス病へと変わり、世界保健機関も本疾患が必ずしも出血症状を伴うわけではないと説明している。 実際、2000年のウガンダでの流行では出血症状が見られたのは患者の10%以下だったというデータがある。 つまりエボラは必ずしも出血しないが、2014年当時人々が持っていたイメージはエボラとイコールで出血であった。 出血を伴う何かが起きて、それをエボラかもしれないという名目で扱えば、大規模な訓練や厳重な管理体制も全て正当化される。 その後、実は出血しないこともあると説明が変わっていくことは、単なる偶然の流れではない可能性がある。

国会機能維持条項が2026年に法制化される予定である

2026年に日本の国会で、国会機能維持条項と呼ばれる条文が提出される予定になっている。 以前は緊急事態条項という名称であったが、言葉が持つ強い印象を和らげるために名前が変えられた。 自民党と日本維新の会が推進しており、災害や有事の際に国会議員の任期を延長できるようにする条文である。 名前は変わったが中身の本質は変わっておらず、内閣による緊急政令の制定と議員任期の延長、必要に応じた人権の制限という権限は全て維持されている。 議論の焦点を国会の機能維持に絞ることで受け入れられやすくしており、憲法を改正してこの条文を加えることが2026年度中に実現される予定である。

感染症を視点とすると3つの出来事が一本の線で結ばれる

2014年徳島でのエボラ訓練、2025年徳島での出血を伴う事故、2026年国会機能維持条項の法制化という3つは、感染症という視点から見ると一本の線で結ばれる。 権力を拡大する時のパターンは恐怖を使うことであり、感染症は人々が恐れる見えない脅威という条件を全て満たしている。 感染症を理由にすれば、情報の制限や移動の制限や集会の制限など、多くのことが正当化され、個人の権利よりも全体の安全が優先される。 国会機能維持条項も緊急事態が宣言されれば選挙を延期し議員の任期を延長でき、通常の民主的な手続きを停止できるための仕組みである。

言葉のコントロールという手法が共通して使われている

エボラ出血熱がエボラウイルス病になったり、緊急事態条項が国会機能維持条項になったり、どちらも恐怖を喚起する言葉を避け中立的で技術的な言葉に変えている。 人々の抵抗感を和らげるために言葉を変えているが、エボラはエボラであり、緊急事態の権限拡大は緊急事態の権限拡大であり、本質は変わっていない。 言葉のコントロールは非常に重要な技術であり、同じものでも呼び方を変えれば受け取られ方が変わり、権力は受け入れられやすくなる。 出血熱と聞けば恐ろしい病気だと思うが、ウイルス病と聞けば印象が和らぎ、緊急事態と聞けば警戒するが、国会の機能維持と聞けば必要な措置だと感じる。

準備・実行・完成という3段階の論理が適用されている

まず訓練があり、2014年に徳島でエボラ訓練が実施され、感染症は脅威であるという認識を広め、備えていますという実績を作る。 次に何かが起きて、2025年に徳島で出血を伴う出来事が発生し、訓練していたのにこんなことが起きたという状況が生まれる。 そして法律が整備され、2026年に国会機能維持条項が成立する予定であり、このような事態に備えて緊急時の仕組みが必要ですという論理が通る。 準備、実行、完成というこの3段階を人間組織が何かを実現しようとする時必ず踏み、いきなり最終形態を作ろうとしても人々は受け入れない。 訓練で備えの必要性を示し、実例で実際の危険を示し、最後に法律で制度の必要性を示すという順番が重要な構造である。

感染症対策の流れは上から下への権力構造を持つ

世界保健機関が国際的な方針を示し、各国の厚生労働省がそれを受けて国内の方針を決め、感染症対策の訓練を実施すべきと大学や病院が現場でそれを実行する。 517名が参加する訓練を徳島で実施するという流れは、国際機関の方針に従って各国が動き現場が実行するという通常の仕組みであり、表向きは何の問題もない。 しかし、この流れの中に本当の目的が隠されることがあり、国際機関の方針に従って準備していましたという説明ができる。 誰もなぜこの訓練をしたのかという疑問は、国際的な方針だからという理由でかき消される。

徳島は高度な研究設備と地理的隔離性を持つため選定された

世界保健機関が国際的な方針を示したことから、各国はその対策を実施し、現場である大学や病院がそれに従うという流れがある。 徳島大学は四国で唯一、医学部・薬学部・歯学部のすべてを持つ総合的な医療教育機関であり、高度な研究ができる設備が整っている。 人口約75万人の徳島県は、東京や大阪のような大都市と比べて注目が集まりすぎない適度な規模である。 県の総面積の約75%を森林が占めており、地理的に一定の隔離性があるため、情報をコントロールしやすい環境である。 これらの必要な設備、目立ちすぎない規模、管理しやすい環境という3つの条件が揃う場所として、徳島は選定された。

11年という時間差は人々の記憶を薄れさせるのに適切である

2014年から2025年まで、訓練と事故の間に11年という時間が経過した。 この期間は人々の記憶が薄れるのにちょうど良い長さである。 2014年に20歳だった人は今31歳であり、2025年に大学にいる学生の多くは2014年には中学生であった。 つまり、以前にも似たことがあったと気づく人はほとんどいない状況が生まれている。 2026年には訓練から12年、最近の出来事から1年という絶妙なタイミングで法律が成立する。 この流れによって最近こういうことがありましたね、昔も訓練していましたね、だから備えが必要ですねという論理が自然に見える。

構造を理解すると次に何が起きるかが予測できる

訓練、出来事、法律という3つの点が偶然に並んでいるのか、それとも設計図に基づいて配置されているのかという2つの考え方がある。 構造を理解する人としない人では見える世界が違い、構造を理解すれば次に何が起きるかが予測できる。 準備の段階を見れば実行の段階が予測でき、実行の段階を見れば完成の形が想像できる。 訓練を見れば次に何が起きるかが分かり、出来事を見れば次にどんな法律が作られるかが分かる。 法律を見れば次にどんな権限が使われるかが分かり、準備はすでに整っていることから方向性は変わらない。

準備実行完成という3段階の構造が計画の実行を可能にする

法律は使われるために作られており、国会機能維持条項は緊急事態が起きた時に使われる。 訓練という名の実績、事故という名の実例、法律という名の完成形が準備・実行・完成の3段階を構成する。 世界保健機関が警告を出し、厚生労働省が対策を決め、現場がそれを実行するという指令の流れは、責任が分散されるため誰も責任を取らなくて済む。 世界保健機関は国際的な方針を示しただけ、厚生労働省は世界保健機関に従っただけ、大学は厚生労働省の指示に従っただけと、誰も全体像を把握していない状況が生まれる。 誰も責任を取らない状況下で、結果として計画は完璧に実行される構造が完成する。

長崎大学のバイオセーフティレベル4施設の正式指定が囮として機能する

2025年1月、長崎大学の高度感染症研究センターが厚生労働省からバイオセーフティレベル4施設として正式に指定を受けた。 長崎大学の施設は、エボラウイルスやラッサウイルスなどの高知性の病原体を研究できる国内唯一の正式な施設として認められた。 この公式な大規模施設が大々的に発表されることで、日本の感染症研究はここで行われていると示される。 長崎という公式な施設があることで、徳島のような静かな場所で何かが起きても、人々はなぜ他の場所で何かをする必要があるのかと考え、繋がりを考えにくくなる。 長崎の施設は注意を引きつける囮として機能し、ここで全てが行われていると思わせることで、他の場所への警戒心が薄れる。

徳島は忘れられる場所として計画が進行し長崎は表の顔である

徳島で2014年に訓練が行われたことも、2025年に出来事が起きたことも、それぞれ別々の話として処理され繋がりが見えなくなる。 長崎は公式で規則通りの人々が知っている表の顔であり、徳島はすぐに忘れられ注目されず追跡されず記憶にも残らない裏の場所である。 表に出したくないことがあるとしたら、注目されず追跡されず記憶にも残らない徳島のような場所で行われる可能性がある。 一つの大きな公式施設があることで、他の場所での活動への疑問が薄れる仕組みが囮の機能として働く。 この仕組みは再帰性があり、世界保健機関が別の警告を出せば同じ流れが動き出し、仕組みさえあれば中身は何にでも入れ替えられる。

国会機能維持条項の成立により緊急事態発動の流れが法的に保障される

2026年国会機能維持条項が成立する予定であり、この法律が成立すれば仕組みは完成する。 世界保健機関が警告を出し、厚生労働省が対策を決め、訓練が実施され実例が示され、政府が緊急事態を宣言する。 そして、国会機能維持条項が発動され、選挙が延期され議員の任期が延長され、緊急政令が制定される。 この一連の流れが法的に保障されるため、もうそんな権限はありませんとは言えなくなる。 2014年から2026年まで12年かけて準備、実行、完成という3段階が完成する。

観察し続けることと情報共有が構造に流されない力になる

構造を理解することは力を持つことになり、仕組みが分かれば次に何が起きるかが予測できる。 公式な施設ができたとき、他の場所でも何かが起きるのではないかと考えることができる。 訓練が行われたとき、これは何かの準備ではないかと気づくことができる。 知っていれば選択ができるため、2026年に何が起きるのか、長崎の施設で何が行われているのか、徳島はどうなるのかを観察し続ける必要がある。 徳島はすでに2回使われたため、もう役割を果たしたかもしれず、囮として注目を集めてしまった場所はもう使いにくくなる。 そうした場合は次は別な場所で、適度な規模で研究施設があり注目されすぎない場所が選定される可能性がある。

静かな場所にも目を向け全体を観察することが重要である

仕組みは場所を選ばず条件さえ揃えばどこででも再現できるため、一つの場所だけを見ていては全体像は見えない。 他の場所でも同じパターンが起きないか、静かな大学で何か訓練が行われていないか、報道されない出来事が起きていないかを注意深く見ていく必要がある。 大きな公式施設だけでなく静かな場所にも目を向けること、囮に気を取られず全体を見渡すことが重要である。 表に出る情報だけでなく報道されない出来事にも耳を傾け、構造を理解している人同士で情報を共有することが必要である。 構造は人々が気づかないことで成り立っているため、気づく人が増えれば構造は維持できなくなる。