[ほんらいは、こうあるべきだ]という前提〔思い込み〕としての【信念体系・観念】を書き出して[これは最初からなかったものだ]と心に落とし込む
いつもハトに餌をやっているおじさんがいる。
ハトはおじさんが来たら、エサをくれるものだと期待している。
あるとき、おじさんがハトに餌をやらなかった。
おじさんには、 何の悪気もなかった。
しかし、ハトは、深い憎悪の念にさいなまれている。 おじさんは私を裏切った。 餌をくれていたときの恩を忘れ、感謝の心をすら思い出すことなく、ハトはおじさんを憎み、恨み、そして波動を落としていった。
失望するとは、期待した応えが返ってこないことである。
失望するからには[ほんらいは、こうあるべきだ]という前提〔思い込み〕としての【信念体系・観念】が存在するはずである。
[ほんらいは、こうあるべきだ]という前提〔思い込み〕としての【信念体系・観念】を、ゼロに戻す。
[ほんらいは、こうあるべきだ]などというものは、最初から存在しないのだ。
[理想の自分]を思い描き、[理想の自分]と[現在の自分]とを比べることによって、自己否定や罪悪感にかられて失望している。 この心理的な状況も、[期待していることにかんして、裏切られたと感じること]と同じである。
[理想の自分]を置くことそれ自体が、[現実]をあるがままに受容することなく【抵抗のエネルギー】を加えていることになる。
[現実]をあるがままに受容する。 これが何よりも大切であり、基本であり、そこからズレると失敗するものである。
例えば、恋人がゲームばっかりしているから尊敬できないと称して、恋人を責めて別れたカップルがいたとする。
[理想の相手]を思い描き、[理想の相手]と[現在の相手]とを比べることによって、その人を否定し、その人に罪悪感を抱かせ、自分でも相手に失望している。 この心理的な状況も、[期待していることにかんして、裏切られたと感じること]と同じである。
つまり、[現実]をあるがままに受容し、いまここに精神の向けどころを定める。 この基本からズレたときに不具合、不和、不調和が起こる。
[理想の自分]というファイルにアクセスし続けて、そのファイルを占有していると、このファイルを削除しようと思ってもできない。
[いまある状態][いまここという時空間]以外へアクセスすることを、やめてみよう。
そのためには、緊張を要する大切な作業を一心に行なうなど、日常の中でいまここを体現する場面を意識的につくっていくとよいのではないかと思う。
【信念体系・観念】とは過去のデータであり、過去のデータを参照しながら、いまここを生きようとすると矛盾が起こってしまう
魂や細胞の中に、[過去の情報]は、きっと記録されているであろう。
魂の中に過去の記憶が残っているからこそ、私たちは。能力を発揮し。宇宙に貢献することができるのである。
ただし、その[過去の情報]を、24時間体制で参照するようにしていたら、他のシステムによって、そのファイルにアクセスすることができなくなる。
具体的には、過去に起こった嫌な出来事、残念だった出来事などを、
心の中で
これは、シロクマのことを考えないようにしても、シロクマのことを考えてしまう状態である。 自然は真空を嫌うので、何も考えないようにするよりも、何かに集中して、心の中で雑念が発生しないようにすることが大切だと思う。 瞑想中の雑念に対して、[呼吸に集中する]ということと同じである。
いずれにしても、[過去の情報]というファイルを誰かが握り込んで、ずっと使っていると、その[過去の情報]を解放しようと思っても、できなくなってしまう。
したがって、過去に起こった嫌な出来事、残念だった出来事などの
日常的にアーシング〔