ゆきんこの勉強法 | 自修人

unchain yourselves

08 Jun 2020

文法の原理

多義性を最小化した中間言語

動画収録の世界では、CMなどだとRAWで撮ることもある。 しかしRAWのファイルサイズは巨大なので、ストレージの容量の関係から、映画などでは、RAWよりもファイルサイズの小さい、ProResという中間コーデックで収録することが多いと思う。

この中間コーデックからヒントを得た。

[コミュニケーションのための自然言語]をできるだけ正確に機械的に翻訳するための中間言語〔演算可能なコンピュータ言語〕を国際的に策定することが必要だと思う。

それを[演算可能な中間言語]と呼ぶことにする。

法律の条文だって、契約書の文言だって、だいたい曖昧に書かれているからね。

それを悪用して、自分に都合がいいように、契約者を奴隷化してきたのが、Googleであったり、Appleであったり、Amazonであったり、といった具合だ。

外国語をAIで翻訳するといっても、限界があるんだよね。 それは、その言語の[文法システム]や[語義の定義]の不完全さを背景として、[文意の一意性]つまり「文意がただ1つに収束する性質」をその言語がそもそも有していない。 そういった場合、いきなり中間言語で書いたほうが「マシ」ということになる。

他国との意思疎通のために、[演算可能な中間言語]を国際的に策定する。 これは、けっこういいアイディアだと思う。

学生が学校でする語学といったら、その[演算可能な中間言語]を学ぶことを意味する。

そうすると、語学に費やすムダな時間・労力・お金が、地球規模で減るんだよね。

語学なんて、昔のワープロでいう変換ユーティリティ以上のものではないからね。

富士通の[OASYS]、シャープの[書院]、NECの[文豪]、東芝の[ルポ]、Panasonic[スララ]、カシオの[カシオワード]などのデータを相互に変換する変換ユーティリティというのがあったんだよ、昔は。

ワープロが衰えたのは、そうやって各社がバラバラなことをやっていて不便だったから。 それでPC98を使う人が増えた。 さらに、PC98よりもずっと安いDOS/Vマシーン〔IBM PC/AT互換機〕を使う人が増えたので、PC98が勢いをなくし、廃止された。

私たちがいま使っているPCは、DOS/Vマシーンの流れを汲むマシーンだ。

でも、振り返ってみれば、PC98のほうがマシーンが丈夫なんだよね。 PC98はハードウェアとして物がいい。

量子コンピュータの時代になったら、国産のPCを復活させてほしい。

クリスタルとか、水には、ものすごい記憶容量があるから、現在のような半導体記憶装置は、やがてすたれると思うよ。

英語の「つづりと発音の関係」はメチャクチャ

表音文字の言語なのだったら、「つづりと発音の関係」に規則性がないと困る。

フランス語の場合、[読まない文字]が多すぎて困るけれども、ドイツ語の場合はとくに、[つづりが発音記号と同等の価値を持つ]という性質がある。

つまりドイツ語は、それだけ「つづりと発音の関係」が規則的である度合いが高いのである。

表音文字の言語である場合、ドイツ語の「つづりと発音の関係」における高い規則性は、理想に近いものがある。

英語の場合、「つづりと発音の関係」はメチャクチャなんだよ。

それで、英語教育者、とくに幼児に対する英語教育をおこなう人たちの間で[フォニックスを学ぼう]と言っているけれども、フォニックスは「つづりと発音の関係」がメチャクチャであるという英語の性質の上に構築された、グラグラなものなんだね。

[フォニックスを知ること]にも、一定の意味がある。 それは私もわかっているけれども、そもそも英語を学ぶ価値があるのか? 

[人間の尊厳]に基づく[自己選択権の担保]という観点から、幼児に勝手に英語を教えてもいいのか? という大きな問題があるのだと思う。

私は[英語を学ぶと攻撃的になる]という感触を得ている。 これは私の錯覚かもしれないし、とんでもなく失礼なことを申し上げているような気もする。

しかし英語圏で育った日本人に[欠けている日本人らしさ]が共通しているような気がする。 その「気がする」に嘘はつけないんだよね、私としては。

もちろん、いろいろな文化があり、いろいろな人種があり、けっして非難してはならないのが原則ではある。 しかし、英語圏で育った日本人には、[日本人らしさがない]という漠然とした感触がある。

日本語のプロソディの中に、あるいは、発音の中に、日本人として身につけるべき波動が含まれており、それを邪魔してはならない。 そのエネルギーを感じる。

日本語の中に含まれている[日本人として身につけるべき波動]を守るエネルギーがあって、それで英語という異質なものを防御しているのかもしれないのだと思う。

その防御がゆるい幼少期に、英語を入れてしまうと、[日本人として身につけるべき波動]が損なわれてしまうような気がしてならない。

綜合的に考えると、英語は学ばないほうが[日本人として身につけるべき波動]を損なわずに済む。

日本人は英語ができなくて幸いであった。 日本人は守られた。 そんな安堵感がある。

それで、開国以来、英国や米国を宗主国として、英語教育をするように仕向けられてきた日本人だけれども、ここでいったん「英語を学ぶ必要があるのか?」ということを再び検討する必要があるのだと思う。

日本は、開国以来、英国の植民地であり、太平洋戦争後は、米国の植民地なんだよね、事実上は。 そうした歴史については、今後、明らかにされていき、歴史教育も変化していくと思う。

英語教育というのは、[日本人として身につけるべき波動]を破壊する目的で、こっそりと仕掛けられた「爆弾」ではないかと私は思っているのである。

その国、その民族、その国民としてのアイデンティティ維持の観点から、外国語学習について、もっと慎重になる必要があるのだと思う。

その点、私はフランスが立派な姿勢を示していることを強く感じる。

英語を学んだり、お米を食べなくなったり、四つ足動物を食べるようになったりして、日本人は明らかに「パワー」が落ちたよ。

「パワー」を取り戻すためには、日本語教育を強化し、お米を食べて、四つ足動物を食べる習慣を少しずつ減らしていこう、ということになると思う。

英文法の概略

そもそも英文法はグチャグチャなので、理屈を知っても、英語力はまったく上がりません。

英文法はグチャグチャなので、英語構文集などで実際に例文を覚えてから理屈を少し勉強するだけでいいのです。

しかも、疑問を感じた点だけ、本格的な英文法書をチョロッと調べるぐらいにして、英文法には深入りしないことです。

フランス語とドイツ語は、文法が整備されており、規則性が保たれており、しかも文法が複雑です。 フランス語は時制と法が複雑です。 ドイツ語は体言〔名詞相当〕やそれを限定する限定詞や形容詞に格変化があり、その点で超複雑です。 大学の第二外国語は、ドイツ語だけは避けておいたほうがいいですよ。 どうせ第二外国語なんか使わないし、ドイツ語は世界で通用する言語でもないからです。

フランス語とドイツ語は、文法を勉強しないとダメですけれども、英語の場合、文法体系がメチャクチャであり、文法の中に誤りもたくさんあるので、英文法を知らないで、とにかく英文をたくさん覚えて、その後、英文法書を見ることをオススメします。 そうすると、英文法書の内容が間違っていることに気づきます。

英文法の概略におけるポイントは以下の3点です。 英文法は、細かく、詳しくやっても意味がありません。

(1)英文法とは、修飾語が被修飾語を修飾するプロセスである。 修飾には[形容詞的修飾]、いいかえれば、[形容詞相当の名詞相当〔体言〕に対する修飾]が1つある。 もう1つ、[副詞的修飾]、いいかえれば、[副詞相当の名詞相当〔体言〕以外に対する修飾]が1つある。 修飾には[形容詞的修飾]と[副詞的修飾]の2種類があり、それ以外にない。 英語も日本語も、述語動詞の中心をなす本動詞を、格を帯びた体言〔名詞相当〕が副詞的に修飾するプロセスである。 [私が〔主格〕 → あげる][君に〔与格〕 → あげる][お金を〔対格〕 → あげる]など。

※[名詞相当〔体言〕]が格を帯びていることを表示する方法は3つあります。

――《1》人称代名詞のように、語形を変化させる方法〔格変化〕。

――《2》文型という語順で格を表示する方法。
コンピュータの言語でいう[オペランドの位置]で格を表示する、ということです。 [第1オペランドは主格を表す] [第2オペランドは与格または対格を表す] [第3オペランドは対格を表す]といったことです。

――《3》[名詞相当〔体言〕]の前後に「前置詞」や「後置詞〔日本語の助詞など〕」を置く方式があります。 英語の場合、前置詞や従位接続詞が「前置詞」にあたります。 日本語では格助詞が「後置詞」にあたります。

(2)英文法とは、動詞が[名詞化][形容詞化][副詞化]されるプロセスである。 英文法とは、品詞変換のプロセスである。 動詞が[名詞化][形容詞化][副詞化]された結果を、それぞれ[名詞節][形容詞節][副詞節]という。 [名詞節]をつくり出す語句として覚えておくべきなのは、that、if、whetherだけである。 [間接疑問][先行詞を含んだ関係詞]も[名詞節]といえば、[名詞節]だけれども、そんなものは当たり前なので、覚えておかなくてもいい。 大半の[副詞節]は従位接続詞がつくり出す。 従位接続詞は[名詞節]に対する「前置詞の一種」であり、[名詞節]に格を帯びさせることを通じて、[名詞節]を副詞化させた結果として[従位接続詞が副詞節をつくり出す]こととなる。 [形容詞節]をつくり出す語句は関係代名詞と関係副詞である。 節の勉強で難しいのは、関係代名詞と関係副詞の部分だけである。 関係代名詞と関係副詞は[形容詞節]をつくり出すためにある。 その目的は、関係代名詞と関係副詞が指し示す先である先行詞〔名詞相当〔体言〕〕に対して文〔センテンス〕を使って[形容詞的修飾]をおこないたい。 「きのう私がジュンク堂で買った → 本」というように、本を文によって[形容詞的修飾]したいので、関係代名詞と関係副詞を使うのである。 [形容詞節]は、関係代名詞と関係副詞が指し示す先である先行詞〔名詞相当〔体言〕〕を後ろから修飾する。 そのありさまを後置修飾こうちしゅうしょくという。 後置修飾とは[形容詞相当]が[体言〔名詞相当〕]を後ろから修飾するありさまをいう。

(3)英文法とは、名詞相当〔体言〕が格を帯びて[形容詞化][副詞化]されるプロセスである。 英文法とは、品詞変換のプロセスである。 例えば、[前置詞+名詞相当〔体言〕]で[形容詞化][副詞化]が起こります。 例えば、[従位接続詞+名詞節]で[副詞化]が起こります。つまり従位接続詞が副詞節をつくり出します。 それらは、「名詞相当〔体言〕が格を帯びて[形容詞化][副詞化]されるプロセス」です。


以上の3点が英文法の要所であり、枝葉末節しようまっせつはバッサリとカットしてよい。

英文法の概略は、以上だけなのですよ。

英文法に体系なんかございませんよ。

だから、高校生は「総合英語」ではなく、より実践的な「英語構文集」を使うことをオススメします。

英文法の細かい部分は、「総合英語」を使うより、英文法書を使ったほうが詳しいので、オススメですよ。

「英語構文集」を[例文を覚えるため]に使い、調べるために、本格的な英文法書を1冊、買っておくのがいいと思います。

そういった視点と相性のよい英文法書を挙げておきましょう。

基本5文型の知識は役に立ちますか? 

いいえ、役に立たないので、「総合英語」や「英文法書」の基本5文型のページはホッチキスで留めて、見ないようにしてください。

《1》英文に登場する動詞の大半はSVO[第3文型]なので、登場する英文の文型をいちいち分析しても意味がありません。 [英文にSVOCMのマークを付ける]人は、[作業のための作業][自己満足の作業]をしているだけで、英語力は絶対に上がりません。

例えば、リスニングのとき、英文にSVOCMのマークを付けることができますか?  できませんね?  したがって、[英文にSVOCMのマークを付ける]というのは邪道であり、有害なのです。

[英文にSVOCMのマークを付ける]という英語教師がいたら、「申し訳ないのですが、私の学習方針と、あなたの指導方針が合致しないので、あなたの指導は受けません」と丁寧に説明し、その英語教師のもとを去りましょう。

例えば、塾・予備校の講師は、生徒が早く実力を付けると商売上困るから、[遠回り・回り道をさせて、自分に依存させる期間を長引かせよう]とします。 それは歯科医師や医師の世界でも、スピリチュアルの世界でも、かなりの規模と頻度でおこなわれていることです。

[依存させよう][つなぎ止めておこう]というのは、[闇のエネルギー]そのものですから、そこで見分けてください。

学習上は無意味な[作業のための作業]などをさせる教師が、[依存させようとしている]かどうかを見て、[ああ、これはダメだな]と思ったら、すぐに離れてください。

[やっても意味のない努力]を防止することに心を砕いている教師をリスペクトし、そういう教師をメンターにしてください。 しっかりと見極め、自分にそぐわない教師だったら、即座に離れることです。

《2》[*すべての英文は基本5文型に分類できる]と思ってはいけません。

[*すべての英文は基本5文型に分類できる]という結論を導き出すために、[基本5文型に分類できない要素をすべてMとして除外する]という意味のないおこないをすることも可能です。 しかし、それは文字通り意味のないおこないです。

例えば、文章を書くとき、5W1Hが大切だといわれます。 それらは「文章表現において、よく使われる格〔case〕」を列挙したものです。

5W1H - Google 検索

例えば、Where am I?〔ここはどこ?〕においてWhereは疑問副詞という副詞と見なされますので、基本5文型の考え方では、Mですね。 Where am I?は第1文型〔SV〕の一種です。

しかしM〔Modifierモディファイヤー:修飾語句〕として捨象しゃしょうされた 疑問副詞Whereは、5W1Hの一部をなす重要な要素であり、疑問副詞を使った疑問文という[文]にとっても、[必須の要素]なのです。

基本5文型の考え方では、[形容詞相当][副詞相当]はM〔Modifierモディファイヤー:修飾語句〕という[文にとって必須ではない要素]として捨象しゃしょうするのです。 しかし、文意成立に向けて、疑問副詞Whereは[文にとって必須の要素]だと断言できます。

基本5文型の考え方は、こんな初歩的な例文においても、その矛盾と欠陥をさらすような、頼りない考え方なのです。

英語の学び始めにおいて一種の導入要素として採用されていますけれども、有害無益だと思います。

基本5文型という理屈に縛られ、とらわれ、混乱させられるだけなのですよ。

《3》文型は[動詞がもつ意味と不離一体の概念]であり、その動詞を例文ごと覚えていれば、その動詞の文型は、意味として肌感覚でつかめます。

ですので、[それが第何文型か]ということは、意識にまったくのぼらない。 これが文型との正しい向き合い方だと私は考えています。

《4》文型を意識する必要があるとしたら[第4文型をとる動詞〔授与じゅよ動詞〕]と[第5文型をとる動詞]の 語彙増強ごいぞうきょうvocabularyヴォキャビュラリー buildingビルディング〕 にともなって、ということになるだろう。

[その動詞がとる文型]は、[文法の問題]というグローバル関数的な問題ではなく、[ごく一部の動詞の語法]というローカル関数的な問題にすぎないのです。 [第4文型をとる動詞][第5文型をとる動詞]というのは、かなり限定されています。 それは理屈の領域ではなく、[動詞をその例文とともに覚える]という暗記の領域なのです。

英語の傾向として、ぶっちゃけた話をするよ。 [個別具体的な語句の使い方]を[語法]〔usageユーセッジ〕という。 同じ[語法]をもつ語句をグループ分けしていき、整理したものが[文法]なんだよ。 そして[文法]を学ぶ意味があるのは、[語法が整理された言語である]という前提が必要なんだよ。

さて、英語を概観してみると、[語法]〔usageユーセッジ〕がグチャグチャで、統一性が低いんだね。 それは英語が[自由に発展できる、制限の少ない言語]だからなんだよ。 結局、英文法は精緻な構造とはいえない。 語形変化表〔paradigmパラダイム〕を整備しなくても、[名詞を動詞化して使う]などして、安易・安直に新語をつくることができる。 この自由さが災いして、英語は野放図に乱雑さを増していったんだよ。

例えば、htmlが野放図に乱雑さを増していった結果として困ったので、HTML5というかたちで禁止タグを設定した。 つまりコンピュータのスクリプト言語においても、放っておくと乱雑さが増していき、収拾が付かなくなるため、どこかで[ノイズ/ゴミを捨て去る]という大掃除・剪定せんてい作業が必要になるわけだね。

英語の場合、その[ノイズ/ゴミを捨て去る]という大掃除・剪定せんてい作業をおこなう当局が存在しないんだよ。 オックスフォード大学出版局の辞書が、いちおうそれっぽいことをする辞書なのだけれども、あくまでも「民間」だからね。

結局、英国政府が英語のエントロピー増大について無関心なんだね。 他国に戦争を仕掛けて、他国を植民地支配することは好きだけれども、[英語を整える]といった文化事業には関心がないというのがお国柄なんだよ。 日本もひとさまのことを言えない立場で、文部科学省が日本語を整える文化事業に熱心かといったら、まったくそうではない。

いずれにしても、現在の英語という言語の[語法]〔usageユーセッジ〕の乱雑さは、[エントロピーの増大]を野放図に許してしまった、なれの果てなんだね。 結果として、[語法]に多様性が生まれすぎて、学習者にとって、学びにくい言語になってしまったのが英語なんだよ。

たとえ英文法を詳しく学んだとしても、[学んだ英文法の規則が通用しない語法をもつ語彙が数多く存在する]という現実に直面するのが、英語という言語なんだ。

したがって、英文法書〔文典〕の重要性は、英語においては、きわめて低い。

その代わり、英語では辞書における用例が重要になってくる。 つまり[語法]〔usageユーセッジ〕を知らなければ、英語を使うことができない、ということになる。

したがって、英語学習では、文法学習の意義は小さく、語彙増強ごいぞうきょうvocabularyヴォキャビュラリー buildingビルディング〕の意義が大きい、いや大きすぎる、という構図になるんだよ。

だから「*英文法を体系的に学ぶ」とか、「*英文法を一通りやらなければ英語構文集を使っても学習が進まない」とか、そういう認識は、完全に間違っているよ。

英文法には、ほとんど内容がない。 だから[語法]〔usageユーセッジ〕を身につける意味で、とくに動詞は例文を丸ごと覚えていく。 これしかないんだよ。

だから[英文法書が分厚い]というだけで、「これは詐欺さぎだな」ってわかっちゃうんだよ。 高校で一括採用している[総合英語]なんて、分厚すぎて通読できるわけないじゃん。

[総合英語]は、分厚いので、通読できるわけがないし、通読する必要もないんだよ、実際問題。

『英語の綜合的研究|赤尾好夫|旺文社』という大いに売れた学習参考書があった。 その『赤尾の英綜』とは、[簡略版の英語文典〔英文法書〕]なんだね。 つまり「英文法のダイジェスト版」が『赤尾の英綜』なのよ。

高校で一括採用することが多い[総合英語]っていうのは、『赤尾の英綜』の[類似品]が原形なんだよ。

レトルトカレーを生み出したのは大塚食品。 大塚食品がレトルトカレー第一号であるボンカレーを生み出すと、ハウス食品が[類似品]としてククレカレーを出したわけよ。 そうすると、ボンカレーやククレカレーの[類似品]が続々と出てくるわな? 

そういう感じで、『赤尾の英綜』の[類似品]が各社から出たわけよ。 それが、文英堂、桐原書店、いいずな書店などから出ている[総合英語]の正体なんだね。

[総合英語]というのは、学校一括採用の出版社の利権のための出版物であり、内容は「詳しくない英文法書」なんだよ。

それで「[総合英語]として何が有用か?」ということになると、[総合英語]は通読するのには分量が多すぎるし、調べるためには詳しさが足りないので、中途半端だから「[総合英語]は使わない」のが「正解」なんだね。

「[英語構文集]と[詳しい英文法書]を併用する」というのが、バランスがいいと思うよ、私は。

英語の話題に戻ろう。 英語は[文法]の制約が少ないので、[外国から新語を取り入れやすい]=[外来語をインポートすることが容易である]という性質がある。 そのため、英語では[意味にほぼ差異のない同義語]が粗製濫造そせいらんぞうされていった、という感じになっている。

さらに悪いことに、英語では、同義語をたくさん使ったほうが「教養ある英文だ」ということになっている。 なので英文を書くときは同義語辞典〔thesaurusシソーラス〕が必須になってくる。

こうした結果、「[古い英語]と[新しい英語]が短期間のうちに生まれやすい状況」が醸成されてきた。 その結果、何が起こるのか?  英語という言語が「常に古びていく言語」になってしまっているのだ。

《1》[語法]〔usageユーセッジ〕に経時的な変化が起こりやすいので、それにキャッチアップするために、絶えず勉強を続けなければならない。

《2》[同義語]が増え続けるので、それにキャッチアップするために、絶えず勉強を続けなければならない。

結果として、英語を使うことになると、「英語学習奴隷」になっていくんだよ。 絶えず「最新」を追い求めて、英語学習をし続ける必要がしょうじてくる。 これが英語の宿命なんだね。

それでは、こういう英語という言語を母語としていないわれわれが、「英語学習奴隷」になる必要があるのか? 

私だったら「あるわけないじゃん。もっと有意義なことを勉強しなよ」とアドバイスをするよ。

それは「外国語学習をしない」という割りきった選択である。 「外国語学習をしない」で知的生活が営めるのか?  IcTやAIが発達してくると、それが可能になるんだよ。 それは、もうすぐ起こることだ。

だから若いキミたちには、外国語学習は、あまりオススメしない。 外国語学習は、私にとっては「人生のムダ」だ。

もっと[知の本質][発明・発見の本質]に直接アプローチし、その果実の発表は、語学の得意な他者に任せればいいと思う。 その[他者]は、人間の語学の専門家である場合もあれば、IcTやAIである場合もある。

いいかえれば、IcTやAIが発達してくれば、人間の語学の専門家は失業することになる。 つまり、語学には[将来性]がない、ということになる。

もちろん、人生はあなたのものだから、最終判断はあなたが下すことになる。

言語は道具にすぎないのだから、[言語を使って何を生み出すか]に意識をフォーカスしたほうが、文化の発展・文明の発展にとって有意義だと私は判断する。


ぶっちゃけ、[その動詞の意味を知っているから、その動詞が第4文型だとわかる] [その動詞の意味を知っているから、その動詞が第5文型だとわかる] というメカニズムなんですね。

ところが英語教師は、[この動詞は第4文型をとるから]という説明のしかたをしますよね?  これって[知識のないキミたちの無知に乗じて、自分をスゴそうに見せようとするハッタリ]なんですよ。 私はその手の弱い者イジメ的なハッタリが大嫌いだから、「先生、それは逆じゃないですか?」「先生、本当に理解して説明なさっていますか?」とか言っちゃいそう。

[その動詞を使った英文の意味がわかる]または[その動詞を使って英文を作成することができる]ということが英語学習なのでしょ?  その両方において、[それが第何文型か]というのは、必要のない分析、概念、意識の使い方なのですよ。 [それが第何文型か]というのは、分析し、考え、語っても意味がないのです。

だったら、[この動詞は第4文型をとるから]という説明のしかたをする理由は、 [私は専門家で、文法用語を使いこなせます] [おまいらより私は上だ] [おまいらは私に従え] というおどしなんですよ。 [おどし]で語弊ごへいがあるとしたら、それは虚飾きょしょくだね。

いずれにしても、実力がないのに専門家ぶるための煙幕として、意味もなく文法用語を振り回す英語教師には注意してください。

[文法用語を振り回す英語教師]は、内心では、自信がないんだよね。 実際、英語は[語法]〔usageユーセッジ〕に経時的な変化が起こりやすく、新語も短時間のうちに数多く登場する。 [外国語としての英語]を取り扱う立場だと、いいかえれば、[英語のネイティブスピーカー]でない立場だと、[勉強が追いつかない]ということが、実際問題としてあるわけですよ。

したがって、英語を習う場合、[教養ある英語のネイティブスピーカー]以外からは、ぜったいに習わないほうがいい。 そして日本人英語教師は、[教養ある英語のネイティブスピーカー]の範疇はんちゅうには含まれません。

英語を学ぶとしても、例えばZoomミーティングで、海外の[教養ある英語のネイティブスピーカー]から直接英語を習ったほうが、圧倒的に「いい」んですよ。 そうなってくると[学校で英語という科目を扱う]ことの正当性が大きく揺らいでくるわけです。

キミたちは、今の大人たちより、波動の高い世界から降りてきて、アセンション後の地球を支える精鋭たちなんだ。 だから、おかしな教育に「NO」の声を上げて、教育を正常化させていくことも、キミたちの大切な使命の1つなんだと思うよ。

波風が立たないようにエセ調和の中に埋没して生きる時代は終わったと思う。

べつに、[イキって問題を起こせ]ということではない。 自分で「それは違う」と思ったら、「NO」の声をしっかりと上げていくのが、【中立点定位】を基本とする、これからの生き方なのだということだよ。

そして、いまの大人たちには、宇宙の常識からすると、かなりおかしなことを、たくさんやっている未熟者が多い。 「おかしい」と思ったら、しっかりと声を上げていくことが、中長期的には、みんながよくなる方向へ向かうことなんだよ。

[その場のエセ調和のために黙っておく]ということを繰り返した結果が、このざまなんだよ。

さて、本題に戻ろう。 [理屈がわかるから英文が読める]のではなく、[語彙力があるから英文が読める]のですよ。

その動詞の意味が「私が[あげる]キミにお金を」という意味を発生させることを事前に知っているから、その動詞を「第4文型をとる動詞」というふうに言えるわけですよ。

だから文法の理屈をこねくり回すより、単語・熟語を例文ごと覚えること、とりわけ、音声を通じて耳で言語を覚えていくことを徹底する。

アリさんが小さな土のかたまりを少しずつ運んでいくようにして、知識を確実に増やしていく。

そのためには、Bluetoothのネックスピーカーを買ったり、そういうガジェット系には惜しみなくお金を使うといいよ。 学習効率がまったく違うからね。

私は[OLYMPUS LS-P4]を使っていますよ。 [OLYMPUS LS-P4]と[KENWOOD CAX-NS1BT]はBluetoothで問題なくペアリングできます。 ただし[OLYMPUS LS-P4]の場合、毎回接続し直すんだよね。 それが面倒だよ。

Bluetoothで音声を飛ばせて[単4形]1本で駆動することができるボイスレコーダーは、[OLYMPUS LS-P4]しかないので、仕方なくこれを買いました。

本当はSONYのボイスレコーダーがいいけれども、リチウムイオン充電池なので、出先で充電が切れたとき困るからね。 デジタルガジェットで[コンビニで買える乾電池で動く]っていう条件は、とても大切なんだよ。 多くのメーカーは、充電池がヘタったら買い換えさせるというもくろみで、やたらに封入式充電池にするけれども、それが環境破壊を生んでいるんだ。 その端緒たんちょとなったiPhoneやiPad、iPod touchなどは、問題作だと思うよ。 ノートPCも、Let's note〔Panasonic〕と、ほか数えるほどしか、バッテリー交換式になっていないもんね。 ノートPCも使い捨て? おかしいよね?  このデジタルガジェットを使い捨てにさせる仕組みは、停止させないと環境破壊が止まらない。

音声ダウンロード付き英語構文集

高校生として英文法の知識を実践的に身につけるために必要なのは、これぐらいの少ない英語構文集の例文をぜんぶ覚えること、いいかえれば、和訳から英文が瞬間英作文できるように練習すること。 それだけでいいです。 [リスニングで理屈を持ち出す時間がない]ということからわかるように、理屈を知っていても、実践では役に立ちません。 実践で役立つのは、覚え込んだ例文の知識だけです。

英語構文集は、[分量が多すぎる][内容が詳しすぎる][内容が高度すぎる〔レベルが高すぎる〕]といったことを避けて、確実に1周、2周、3周と繰り返し、完全に覚え切るべき学習参考書です。 その条件に合っている英語構文集は、以下の1冊だけです。

文英堂

英文法書|調査用・兼・通読用

〔新版〕英文法書|調査用・兼・通読用

英語構文集は英作文を眼目とした短文型を1冊だけ完全に覚えるようにする

英文読解を視野に入れた、長文を取り扱った英語構文集は、覚えるべき範囲が不明確なので却下です。

小中学生に向けての説明

―― 1 2 3 4
A 定形 名詞相当 形容詞相当 副詞相当
B 名詞節 形容詞節 副詞節
C 準動詞
(不定形)
名詞句 形容詞句 副詞句
D ing形 動名詞 現在分詞 分詞構文
E 過去分詞・受動態 ―― 過去分詞・受動態 分詞構文
F 過去分詞・完了形 完了形 過去分詞・完了形 分詞構文
G 不定詞 不定詞の名詞用法 不定詞の形容詞用法 不定詞の副詞用法

小中学生に向けてのげき

キミたちはアセンション後の地球を支えるために、文明の進んだ各天体からやってきた精鋭たちだ。

一言で言って、大人はキミたちから教わる立場なんだよ。

大人のほうが文化程度が低いという感じなんだよね。

これまで地球人がつくり上げてきた文化の多くは、不完全な部分がたくさんあり、完全に腐っているものも多い。

したがって、[学校で教えられたこと][本に書いてあること][インターネットで誰かが発信していること]を絶対に鵜呑うのみにしないことが大切だ。

それから、他者から教わろうとしないで、[対象を観察して、法則性を自分で導き出す]クセをつけてほしい。

英文法最大の欠陥|[-ed]という表現に意味が多重登録されている

規則動詞きそくどうしの[-ed]という語形は、[過去時制][完了形][受動態][仮定法]という4つの可能性をもつ。

たしかに前後から見分けられることもある。

しかし[過去時制]と[仮定法]を見分けがたい場合もある。

準動詞において[完了形]と[受動態]を見分けがたい場合もある。

同じ[文法上の語形]に意味を多重登録しているので、英語は[文法的推論を尽くしてもなお、どういう文意なのだか客観的に断定することができないことが多々ある言語]つまり[意味の曖昧な言語]〔ambiguousアンビギュアス languageラングェッジ〕であるといえる。

こうした背景から、国際条約の「原文」にはフランス語が採用されることが多いようだ。 フランス語の場合、[性・数の一致]によって、体言〔名詞相当〕が単数であれば、代名詞の先行詞が「これしかない」と断定できる場合が大半である。 そういう意味で、フランス語は[曖昧さを許さない厳密な言語]だといえる。

伊藤和夫氏は[文脈やフィーリングなどの英文の文意を解釈すること]を邪道として批判していた。 しかし実際には、英文読解・英文解釈は伊藤和夫氏の嫌った「背景知識・予備知識、文脈、フィーリングなどの英文から見た外部的要素から文意を解釈すること」が最大限に求められる領域である。 それは、英文法のつくりの甘さゆえに、英語が[文意を文法のみから割り出すことが困難なケースの多い、曖昧さに満ちた言語]だからである。 つまり伊藤和夫氏の考え方は、受験生を惑わすだけで、完全に間違っていたのだと思う。

株式会社ナチュラルスピリット ナチュラルスピリットは、「意識の目覚め」に役立つ情報を提供することによって、 人々の幸せとスピリチュアルな成長に貢献してゆきます。

例えば、スピリチュアル関係の出版社で、ナチュラルスピリットという会社がある。 スピリチュアル関係の良書も数多く出している一方で、原語である英語では素晴らしい本も、翻訳者の未熟さによって、メチャクチャなものがあるんだよ、中には。 スピリチュアル関係に精通していなければ、誤訳を乱発して、じつにメチャクチャな状態になってしまうことがある。 しかもそういうケースが、少なくない。

これは「英語という言語は、文法の制約が少ないことが災いして、文意が唯一に収束しづらい」という性質があるからだろうと思う。

それから英文ライティングの手法として、「虚飾きょしょくを多く盛り込む」というのがある。 英書の多くは、[内容はスカスカなのだけれども、やたらに語数を費やす、紙数を費やす]というスカスカ・ライティングの手法で書かれているんだよ。 [ダイジェストで書けば数ページ]なんだけれども、500ページになっているとかね。 いいかえれば、[英書の中身はゴミ情報が99%である]ということになる。 それには、原稿料がページ数に比例するので、[どうにかして水増しする]という動機が、ライターの側に働きやすいという背景がある。

[英書を和訳したビジネス書]の多くが、スカスカ・ライティングの手法で書かれた英書を和訳したものにすぎない。 だから、誰かがサマリー〔要約〕をまとめてくれるのを待って、そのサマリーを読んだほうが時間の節約になる。

そうした意味において、[読書は時間の無駄][読書は人生の無駄]だといえる。

読書よりも、[書いて生み出しながら発見していく]のが私の好みだ。 私は、ひとさまの書いた文章は、あまり読まない。

内側から出てくるものを裏付けるためにインターネットを検索して、そこで勉強していくのが私流だ。

フランス語やドイツ語は、言語そのものが論理的思考を補助するような精密さをもっていて、文法に美しさがある。 英語には、それがまるでない。

[文意を文法のみから割り出すことが困難なケースの多い、曖昧さに満ちた言語]である英語における英文読解・英文解釈というものは、[無意味な難行苦行]と考えてよい。

この[無意味な難行苦行]を中心としてきた日本の英語教育は、「意味がないからやめちまえ」ということになると思う。

例えば、英文ライティングの指導を受けるとしたら、英語圏の教養あるネイティブスピーカーに有料で依頼すればよい。

また発音の確かな英語圏のネイティブスピーカーが、Zoomミーティングで英語の授業をすれば、日本の英語教師は必要ない。

IcTの環境として、すでに[日本人英語教師の出る幕はない]状態であるにもかかわらず、日本の法律によって[真剣に英語を学びたい生徒]の足を引っ張るような教育環境になってしまっている。

外国語を、高校課程までの必修単位からはずすのが妥当だと思う。


例えば、[openedオウプンド]という表現がある。

openedオウプンド]を単独で見たとき、[過去形かこけい][完了形かんりょうけい][受動態じゅどうたい]という3つの可能性があるんだよ。

つまり[-ed]という[1つの語形]に対して[過去時制かこじせい][完了形かんりょうけい][受動態じゅどうたい]という[3つの意味]を多重登録しちゃってるわけ。 私はこれを設計ミスだと思う。

さらに言えば、[-ed]という[1つの語形]に対して[仮定法]まで登録してしまっている。 私はこれを設計ミスだと思う。

日本人なら日本語をしっかり学んで、日本語で知的な世界を探求すればいいんだ。 もしも英語の文献から情報が得たければ、翻訳ソフトを使えばいい。 英語を勉強するより、もっとほかに有意義なことをしたほうがいいよ。

例えば、[playプレイ - playedプレイド - playedプレイド]のように、[過去形かこけい]と[完了形かんりょうけい]と[受動態形じゅどうたいけい]が[-ed]という同じ語形になる動詞を規則動詞きそくどうしという。

それで[完了形かんりょうけい]と[受動態形じゅどうたいけい]を2つ合わせて、世間では[過去分詞かこぶんし]と呼ぶ。 [過去分詞かこぶんし]という語形を、[完了形かんりょうけい]と[受動態形じゅどうたいけい]とで共用してしまっている。 いいかえれば、[過去分詞かこぶんし]という語形に、[完了形かんりょうけい]と[受動態じゅどうたい]という2つの意味を多重登録しちゃってるわけ。 私はこれを設計ミスだと思う。

[語形]と[意味]とが、1対n対応(n≧2)になっている時点で、関数になっていないんだよ。

頭のいい人ほど、英文法とか英語は苦手なんだね。 これは英文法が不規則で、「考えないで暗記していくタイプ」にとって、英語学習が有利にできているからなんだ。 [英文法書を読むな][英語構文集を暗記せよ]という意味のことを私が主張しているのは、そういうところからなんだよ。

考え方が論理的で、規則性を重んずるタイプの人には、フランス語が合っている。 フランス語やドイツ語は、言語が関数になっているけれども、英語は関数とはいえない。 英語の場合、読み手・聞き手の側で忖度そんたくして、テキトウに解釈しているわけよ。

もしも外国語をどうしても学びたいという場合、フランス語を先に学んで、後で英語をやったほうがラクなんだよ。 英文法は、フランス語文法を真似た部分があるから、文法として共通点がある。 あと語彙についても、英単語のかなりの部分を、フランス語由来のものが占めている。

例えば、[doドゥ - didディドゥ - doneダーン]のように、[過去形かこけい]と[過去分詞かこぶんし]が異なる語形になる動詞を不規則動詞ふきそくどうしという。

不規則動詞の場合ですら、[過去分詞かこぶんし]という1つの語形を、[完了形かんりょうけい]にも、[受動態形じゅどうたいけい]にも使ってしまっている。[1つの語形]に、[2つの意味]を多重登録しちゃってるわけ。 私はこれを設計ミスだと思う。


過去分詞であることがすでにわかっているopenedオウプンドについては、「hasハズ openedオウプンド〔開いた〕」「wasワズ openedオウプンド〔公開された・開かれた〕」というふうに、2つの可能性が出てくる。

というのも、openオウプンには、「~を開ける」「~を開く」という他動詞の用法と、「く」「ひらく」という自動詞の用法の両方があるからだ。

[受動態]は[他動詞]でないと成り立たないという法則がある。 それは、以下の《1》《2》《3》からきている。

《1》「[主語]と[目的語]を入れ替えたものが[受動態]である」

《2》「[目的語]と同時には存在できる動詞を[他動詞]という」

《3》「[自動詞]と[目的語]は同時には存在できない」

こういった場合、anアン openedオウプンド doorドーアという表現について [完了形と解釈する〔開いたドア〕]または[受動態と解釈する〔開かれたドア〕]という2つの解釈の余地が出てくるわけなんだよ。

つまり[hasハズ openedオウプンド]なのか、[wasワズ openedオウプンド]なのかを、文法以外の要素からみ取ってやる必要がある。 それが英文読解、英文解釈の世界なんだね。

バカバカしいだろ?  そう思ったら、英語なんてやらなくていいんだよ。

私は[外国語を学ぶ]という行為が意味をなさなくなる時代が、すぐそこまで来ていると思っている。

それはAIによる自動翻訳の性能が高まってくるので、[大意を伝えるだけ]であれば、人間が訳す必要がなくなるからだ。

そして英語の場合、文法が不完全なため、文意がどうしても一意に定まらない側面があるので、AIによる自動翻訳にも限界がある。

そこから逆算して、今後の世界共通語に、英語は適さないと思うんだわ。

また、そもそもテレパシーが使えるようになれば、言語は必要なくなる、ということがある。

私は[英語が国際語である]という状況が、[イギリスの帝国主義支配が世界の広い範囲に及んだ]という[世界史の汚点]から生まれているのだと解釈している。

それゆえ、私は[平和主義の観点]から、[英語を国際語として受け容れる気持ちにならない]のである。

私たちが[英語を学ぶ]ことは、[帝国主義に屈した]ということを、暗に意味する、と私は思っている。

もちろん、すべての行為を水に流し、許すことは重要である。 しかし、[相手を許す]ということと、[言語学習を通じて、帝国主義支配を追認する]ということは、別だと思う。

それと[ビジネスのために英語を学ぶ]という文脈において、その[ビジネス]という言葉から、[外資系の企業が、他国を食い物にすることで利益を上げ、世界を経済的に支配していく]ということが、どうしても連想されてしまう、私の場合。 これは偏見なので、[統合]する必要があると思っているけれども、今のところ、そう思えてしまう。

英語を話し、飛行機に乗って世界を飛び回り、活躍しているのはいいけれども、やっていることは[他国を食い物にすることで利益を上げ、世界を経済的に支配していく]ことに加担しているとか。 そういうふうに思えてしまうんだよね、英語ということから連想される世界が。

そちらの世界に、私はまったくかれない。

B-2|名詞節

[私がきのうジュンク堂で本を買った][こと]、というように、後ろに[こと]を付けると、文が名詞になります。 文〔sentenceセンテンス〕が名詞になったヤツが名詞節です。

名詞節をつくり出すヤツは、that・if・whetherだけ覚えておけばいいです。

つまり[thatで始まる文〔~こと〕][ifで始まる文〔~かどうか〕][whetherで始まる文〔~かどうか〕]は名詞節になるのだということです。

くわしく|高校生用

せつとは、述語動詞を中心とした文型を含む表現である。 文型というのは、SVxxという基本5文型などのことである。

[名詞相当]の完全な文〔sentenceセンテンス〕を[名詞節]と定義する。 [名詞節]をつくり出す主体は、従位接続詞じゅういせつぞくしであるthat、if、whetherである。

「関係詞が[名詞節]をつくり出す」というのは、[関係詞の先行詞まで含めて考えたとき]の1つの見方にすぎない。

-everを複合関係詞というけれども、複合関係詞は従位接続詞の一種と割りきったほうがよい。 複合関係詞は[副詞節]をつくり出すことが中心で、たまに[名詞節]をつくり出すけれども、複合関係詞がつくり出す節は、その品詞を分析しても意味がない。 複合関係詞が生み出す文意はパターンが決まっており、丸覚えするべき対象であり、分析して考える対象ではないからだ。

結局、従位接続詞の一部である[that、if、whether]と、[先行詞込みで考えたときの関係詞]が[名詞節]をつくり出す主体なのである。 さらに言えば、「[先行詞込みで考えたときの関係詞]が[名詞節]をつくり出す」という考え方は、あまりにも形式的であり、結局、従位接続詞の一部である[that、if、whether]だけを「[名詞節]を生み出すことば」として覚えておくだけでよい。

例えば、関係代名詞whatで始まる節は[名詞節]とされるけれども、そのwhatを解凍〔圧縮の逆演算〕するとthe thing(s) whichになるわけである。 the thing(s)という関係代名詞whichの先行詞込みで[名詞節]だということである。

それから、間接疑問も[名詞節]であることは事実だけれども、間接疑問が生み出す文意はパターンが決まっており、丸覚えするべき対象であり、分析して考える対象ではないので、「間接疑問も[名詞節]だ」ということを暗記しても、屁の突っ張りにもならんことですたい。 とにかく、こんな細かいことをゴチャゴチャ考えていると、例文を覚えるという本業がおろそかになるので、文法学習には深入りしないでください。

B-3|形容詞節

[私がきのうジュンク堂で買った] → [本]、というように、名詞[本]を修飾するような文が形容詞節です。 文が形容詞になったヤツが形容詞節です。

関係詞〔関係代名詞と関係副詞〕は、形容詞節をつくり出すためにあります。

B-4|副詞節

[私がきのうジュンク堂で買った] → [時に]、というように、[私がきのうジュンク堂で買った]という名詞節に対して前置詞を置くことによって、名詞節に格を帯びさせる。 これが従位接続詞の働きです。 結果として、その名詞節は、副詞節になります。

名詞節に格を帯びさせる結果として、その名詞節を副詞節にするはたらきをもつ「名詞節に対する前置詞」のことを従位接続詞といいます。

従位接続詞は、副詞節をつくり出すためにあります。

D-2|動名詞

ing形の名詞用法を動名詞といいます。

動名詞は[前置詞の目的語]つまり[前置詞によって格を帯びる名詞相当〔体言〕]になることができる点で、他の準動詞とは、性質が異なります。

D-3|現在分詞

ing形の形容詞用法を現在分詞といいます。

D-4|分詞構文

ing形の副詞用法を分詞構文といいます。

ing形の副詞用法で、分詞構文でないものも、ほんの少しだけあります。

しかし「ing形の副詞用法を分詞構文である」と割りきってください。

E-2|――

空欄です。

E-3|過去分詞・受動態|他動詞由来

他動詞由来の動詞の過去分詞は受動態を含意します。

E-4|分詞構文

[Being]が省略されて、[過去分詞]が置かれたケースです。

F-2|完了形

[過去分詞]に後続する句を、名詞句と解釈し、完了形をもたらす助動詞haveを、本動詞haveだと考えれば、その名詞句はhaveの目的語です。

実際、完了形は「~という過去を所有している」という共通した意味をもち、そこから[継続、経験、完了、結果]といった意味を表しているのです。

F-3|過去分詞・完了形|自動詞由来

自動詞由来の動詞の過去分詞は完了形を含意します。

F-4|分詞構文

[Having]が省略されて、[過去分詞]が置かれたケースです。

G-2|不定詞の名詞用法

[~すること]という意味をもちます。

G-3|不定詞の形容詞用法

[~するための]などの意味をもちます。

G-4|不定詞の副詞用法

[~するために]などの意味をもちます。

英文法はグチャグチャにわかりにくくつくられています

文法の原理というのは、こういうことです。

文というものは、[修飾]という電流が流れる回路である。

電流が流れるモトを修飾語という。

電流が流れるサキを被修飾語という。

修飾には、[形容詞的修飾]、いいかえれば、[名詞相当〔体言〕]に対する修飾が1つある。

[名詞相当〔体言〕]以外に対する修飾を[副詞的修飾]という。

修飾には、[形容詞的修飾]と[副詞的修飾]の2種類しかない。

[修飾する]を[掛かる][係る]などと言い換える先生もいる。 [掛かる][係る]という言葉を使っている先生は、じつは理解していないことが多い。

[修飾する]とは、付帯条件を付帯させることによって、意味する範囲を小さくしていくことである。

ウンコにも、固いウンコと、適度に柔らかいウンコと、柔らかいビチグソがある。 食中毒を起こすと、水のようなウンコが出ることもある。

ただウンコといったのでは意味が広すぎてわからない。

ビチグソというふうに、意味する範囲を小さくすることが、意味を正確に伝達する道である。

ビチが形容詞で、グソが体言〔名詞相当〕である。

グソの意味を限定し、制限し、意味する範囲を小さくしているのが形容詞ビチである。 正確に言えば、ビチは語形変化しないので、連体詞〔語形変化しない形容詞〕である。

関係代名詞の説明で、制限用法とか、限定用法とか出てくるけど、これは「ビチグソ」の「ビチ」を意味するにすぎない。 そんなカンタンなことなのに、難しい用語を使うなんて、本当にセンスがない。

意味を明確に伝えようとしすぎて、汚い表現を使ってしまいました。 申し訳ありませんでした。 本当にセンスがないのは私です。



節の中心をなしている述語動詞の、さらに中心をなしている[述語動詞の中の本動詞]を圧縮する方法には3つある。

[本動詞を圧縮した姿]を[準動詞]という

(1)[過去分詞]:【例:done】:[受動態]と[完了形]を含意する。

(2)[ing形〔動名詞・現在分詞〕]:【例:doing】:[すでになしたこと]を含意する。
※英語では分詞構文というけれども、フランス語ではGérondifジェロンディフという。
※英文法の分詞構文という名称付けは誤りだと私は思う。 それは、分詞構文に[前置詞+ing形]という表現があるけれども、 [前置詞の目的語]になることができるのは[名詞相当〔体言〕]だけである。 つまり[前置詞+ing形]という表現は[分詞構文]ではなく[動名詞構文]=[Gérondifジェロンディフ]なんだよね、実際には。 オックスフォードの偉い文法学者も気づいていないか、ごまかしている部分だよ。 英語というのは、英国がフランスの植民地だったノルマン征服の時代を通じて、フランス語の文法をかなり取り入れています。 英文法は、ゲルマン語の骨格をもちながら、ラテン語系のフランス語の要素も取り入れた、ハイブリッドなのです。 そのことを[隠したい]という意識が英国人にはあるようです。

(3)[不定詞〔動詞の原形〕]:【例:to do】:[これからなすこと]を含意する。
※英語でいう不定詞を、フランス語では不定法という。

[動詞]の三態|[名詞相当][形容詞相当][副詞相当]

[動詞]は品詞変換されます。

完全な文〔sentenceセンテンス〕の述語動詞をなしている本動詞が品詞変換されるパターンとして[名詞相当][形容詞相当][副詞相当]という3つのパターンがあり、これ以外にありません。

[形容詞相当]の完全な文〔sentenceセンテンス〕を[形容詞節]と定義します。 [形容詞節]をつくり出す主体は関係詞〔関係代名詞・関係副詞〕です。 [形容詞節]をつくり出す主体は、関係詞以外にはありません。 予備知識として、疑問副詞は[疑問代名詞が格を帯びたものを1語で言い換えたもの]であり、関係副詞は[関係代名詞が格を帯びたものを1語で言い換えたもの]ということを軽く覚えておいてください。 ですので、[形容詞節]をつくり出す主体は、関係代名詞だけだと考えて、ほぼほぼ間違いありません。 また関係副詞が生み出す文意はパターンが決まっており、丸覚えするべき対象であり、分析して考える対象ではないので、「関係副詞も[形容詞節]をみちびく」ということを暗記しても、屁の突っ張りにもならんことですたい。

関係副詞 whenとwhereなど 基礎からの英語学習 英語喫茶~英語・英文法・英会話~

※[形容詞節]というのは、「関係代名詞がその先行詞〔指し示す先〕としている[名詞相当〔体言〕]を修飾する節」というものです。 [形容詞相当節]のことを[形容詞節]と呼んでいるだけです。 同様に、[名詞相当節]のことを[名詞節]と呼んでいるだけです。 同様に、[副詞相当節]のことを[副詞節]と呼んでいるだけです。

[副詞相当]の完全な文〔sentenceセンテンス〕を[副詞節]と定義する。 [副詞節]をつくり出す主体は、従位接続詞だけ覚えておいてください。 複合関係詞が、あるいは、文意によっては関係代名詞が[副詞節]をつくり出す主体になる場合もありますけれども、それは「整理のための整理」「知識のための知識」であり、屁の突っ張りにもならんことですたい。

※じつは従位接続詞と前置詞は、同じ品詞です。 つまり「名詞節」に相当する文〔sentenceセンテンス〕の前に、従位接続詞を前置詞として置くことにより、「名詞節」に相当する文〔sentenceセンテンス〕が格を帯びて、副詞化される。 これを[副詞節]と呼んでいるだけなのですね。

不完全な文〔sentenceセンテンス〕の述語動詞をなしている本動詞を[準動詞]といいます。 [準動詞]が品詞変換されるパターンとして[名詞相当][形容詞相当][副詞相当]という3つのパターンがあり、これ以外にありません。

ing形の名詞用法をとくに動名詞〔ジェランド〕といいます。 動名詞〔ジェランド〕は前置詞や従位接続詞といった「前置詞」を前置して格を帯びる点において、他の準動詞とは異なる、名詞的な性質の強い言葉であるといえます。 動名詞〔ジェランド〕は、動詞から派生した派生形ではあるけれども、より名詞としての性質が強くなり、固定化したものだと考えてください。

動名詞〔ジェランド〕以外の準動詞は、あまり難しくありません。

[ing形の形容詞用法〔現在分詞〕]と[過去分詞の形容詞用法]と[不定詞の形容詞用法]は、[形容詞節]の圧縮された表現にすぎず、それらはみな[形容詞相当]として機能します。

[ing形の副詞用法〔分詞構文〕]と[過去分詞の副詞用法〔分詞構文〕]と[不定詞の副詞用法]は、[副詞節]の圧縮された表現にすぎず、それらはみな[副詞相当]として機能します。


以下の3つで、英文法の主要な部分である「動詞が品詞変換されてつくり出される派生的なものである名詞相当・形容詞相当・副詞相当の3点」を一気に見通すことが可能です。 この観点からまとめてある英文法書は、ほぼないと思います。

(1)[名詞節をつくり出す〔をみちびく〕主体]と[名詞節の圧縮表現である句〔名詞句〕をつくり出す〔をみちびく〕主体]

(2)[形容詞節をつくり出す〔をみちびく〕主体]と[形容詞節の圧縮表現である句〔形容詞句〕をつくり出す〔をみちびく〕主体]

(3)[副詞節をつくり出す〔をみちびく〕主体]と[副詞節の圧縮表現である句〔副詞句〕をつくり出す〔をみちびく〕主体]

[名詞相当〔体言〕]が文中に入ると[格]を帯びて[副詞相当]または[形容詞相当]に変化する

Iアイ myマイ meミー

以上を代名詞の「主格しゅかく所有格しょゆうかく〔=属格ぞっかく〕・目的格もくてきかく与格よかくまたは対格たいかく〕」と呼んでいます。

しかし、それらは[文意の発生過程]においては代名詞ではありません。

(1)[文意の発生過程]においては、主格の[名詞相当〔体言〕]は、[副詞相当]として機能します。

(2)[文意の発生過程]においては、所有格=属格の[名詞相当〔体言〕]は、[形容詞相当]として機能します。

(3)[文意の発生過程]においては、目的格〔与格または対格〕の[名詞相当〔体言〕]は、[副詞相当]として機能します。

まとめると、[副詞相当]であるのは[主格][目的格〔与格または属格〕]であり
[形容詞相当]であるのは[所有格=属格]です。

文中の[名詞相当〔体言〕]は、[文意の発生過程]において必ず格を帯びますので、事実上は[副詞相当]または[形容詞相当]に変化するわけです。

[名詞相当〔体言〕]が[格を帯びる]ということは、[名詞相当〔体言〕]が[副詞相当]または[形容詞相当]に変化することです。

例えば、Iアイは[副詞相当]として[述語動詞をなす助動詞+本動詞]を副詞的に修飾します。

「[私が] → [走る]」といった具合です〔主格〕。

「[君に] → [あげる]」といった具合です〔与格=間接目的格〕。

「[卵を] → [食べる]」といった具合です〔対格=直接目的格〕。

[私が]が[副詞相当]であるから、[述語動詞をなす助動詞+本動詞]=[動詞類]を修飾することができるわけです。

Iアイ myマイ meミーなどを人称代名詞といいます。

人称代名詞の場合、語形によって、あらかじめ[帯びている格の種類]が表示されているタイプですので、これらを代名詞という[名詞相当〔体言〕]と見なすのは、かなり不自然に感じることでしょう。

[私]は[名詞相当〔体言〕]です。

しかし主格を帯びた[私が]は、もはや[名詞相当〔体言〕]とはいえず、これは[副詞相当]です。

しかし所有格=属格を帯びた[私の]は、もはや[名詞相当〔体言〕]とはいえず、これは[形容詞相当]です。

しかし与格を帯びた[私に]は、もはや[名詞相当〔体言〕]とはいえず、これは[副詞相当]です。

しかし対格を帯びた[私を]は、もはや[名詞相当〔体言〕]とはいえず、これは[副詞相当]です。

英語は[ドイツ語・オランダ語]の一種〔ゲルマン語の系統〕ですから、格変化をするのが基本でした。 しかしノルマン征服の時代に英語文法が破壊され、フランス語文法によって、部分的に乗っ取られました。 それなので、英文法は、ゲルマン語系とラテン語系がごちゃ混ぜになっているので、文法として壊れてしまっているのです。

私が「英文法を学ぶ意義」を否定するのは、英文法が[ゲルマン語系とラテン語系がごちゃ混ぜになっている壊れた文法]なので、そんなに真剣にやってもムダだと思うからです。

寿命が長ければ、私だったら、もっといい言語を開発できますよ。

というより、言語のコミュニケーションだけではなく、テレパシーなどのコミュニケーションを使えば、言語という制限されたコミュニケーション手段は使わなくてもよくなるのです。

こんなこと言って白けさせるようですけれども、語学はあんまし意味のない学問だと、内心では思っているのですよ、私は。

だから、チャッチャッチャッと要領よくやればいいのよ。

[深くやろう]なんて思わないでくださいよ。

どうせ翻訳の世界は、AIのほうが「使える」という時代が来るのですから、語学力とか、翻訳とか、あんまり深入りしてもアレですよ。