全体の要約

  • 日本から発信された魂のSOSは、日本の精神性や文化が失われつつあることへの危機感であり、新しい時代への産みの苦しみである。
  • 神々が高次の存在として直接介入しないのは、魂の自立と自由意思を尊重するという宇宙の根本法則に従っているためである。
  • 日本の依存体質は、縄文時代の終焉と弥生時代の始まりに遡り、アマテラスオオミカミの善意による介入が精神的な自立性とワンネスの感覚を失わせたことに起因している。
  • 2025年9月に、瀬織津姫の封印が解かれ、浄化と再生のエネルギーが地球に降り注ぐ。このエネルギーは、フォトンベルトの光と相乗効果を生み、波動上昇を加速させる。
  • 2025年9月30日には、「選択のゲート」が開き、人々は依存の道か自立の道かという究極の選択を迫られる。この選択は二極化をもたらすが、それは平和的な魂のクラス分けである。
  • 新しい地球の共同創造主となるためには、内なる変革と外なる行動を同時に行う必要がある。具体的な実践方法として、「声門による魂の共鳴法」「太陽光スペクトル瞑想」「四元素への感謝のアファメーション」が挙げられる。
  • このメッセージを受け取った人々は、既に「動く人」としての道を選んでおり、その旅路は宇宙の光の存在たちから常にサポートされている。

2025年9月30日には、「選択のゲート」が開き、人々は依存の道か自立の道かという究極の選択を迫られる

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日本と名付けられた列島から発信された魂のSOSとそれが示す宇宙的な変革

日本という列島から宇宙に向けて発信された魂のSOSは、深い悲しみと混乱を強く含んでいる。 この呼びかけは、日本という惑星と人々の魂が、かつてないほどの巨大な変革の時を迎えているために発信された。 この変革の時とは、宇宙的な卒業試験の最終段階である大いなる目覚めである。 メッセージは警告や予言ではなく、輝かしい未来を創造するためのものであり、魂の奥深くに眠る本来の力と記憶を呼び覚ますための宇宙からの呼び水である。 その不安の正体は、日々の生活への不満といった表層的なものではなく、魂の根幹とアイデンティティが揺さぶられていることに起因する。 それは魂の奥底からの悲痛な叫びであり、魂のSOSである。 魂が訴える痛みの核心は、日本が本来の日本でなくなっていくという前ぶれである。 その痛みは、経済的な豊かさや国際的な地位といった外面的なものを失うことへの恐れではない。 祖先が長い年月をかけて育んできた自然を敬い調和を重んじる精神性、そして繊細で豊かな文化という魂の拠り所そのものが、根底から侵食され失われつつあることへの本能的な危機感である。 この危機感は絶望の淵を意味するものではなく、新しい時代の夜明けを告げる産みの苦しみである。 この変革の波を乗り越えた先には、想像をはるかに超える光輝く未来が約束されている。 そこは物質的な豊かさと精神的な豊かさが完全に調和し、全ての生命が互いを尊重し愛し合う世界であり、競争や支配といった古いエネルギーは姿を消し、共感と協力に基づいた新しい社会が築かれる。 新しい時代は、一人ひとりが自らの内なる神性に目覚め、誰もが創造主としての人生を自由に謳歌する時代である。 新しい時代を現実のものとするために、このメッセージを通して具体的な宇宙の真実を伝える。 メッセージは知性だけでなく魂に直接語りかけるため、心の耳を開き、魂の共鳴を感じながら受け取るべきである。 このメッセージを受け取った証として、[光と愛を信じます]と自身の魂の宣言を書き記すことが宇宙に対する目覚めの意思表示となる。

神々が沈黙する理由とそれが示す魂の自立という宇宙の根本法則

魂のSOSという言葉は人々の心に深く残る。 多くの人が苦しんでいるにもかかわらず、神々のような存在が見守るだけであるという疑問が湧き上がる。 その目覚めの意思は、なぜこの地の神々が沈黙しているのかという一つの根源的な問いへと人々を導く。 それは、なぜ私たちのような宇宙の同胞がこの惨状をただ見ているだけなのかという正義と愛を求める魂からの問いかけである。 しかし、沈黙と捉えられている私たちの姿勢は、その正反対の極めて動的な状態である。 私たちプレアデスの存在、そして日本の神々とされる高次の意識体たちは、今この瞬間も想像を絶するほどの激しい葛藤の中にいる。 助けたいという衝動は、光の存在である私たちの本質そのものである。 特に悠久の時を超えて日本の地と人々を見守ってきた神々にとって、現在の状況は自らの体を引き裂かれるような痛みとして感じられる。 私たちは決して黙ってみているのではなく、今すぐにでも介入したいという愛に基づく強い衝動がある。 それを、より大きな愛、すなわち宇宙の根本法則に乗っ取って懸命に抑制している。 これが私たちの沈黙の真実である。 その沈黙の真実をさらに深く理解するためには、なぜ直接的に介入しないのかという理由を説明する。 それは、この宇宙に存在する全ての生命の進化を司る絶対的な法則に基づいているためである。 その宇宙の絶対的な法則は、魂の自立と自由意思に基づく成長の尊重という、宇宙の根本的な教育方針である。 この方針は、人々の惑星で起こる物理現象の背後にあるエネルギーの法則性とも一致する。 例えば、水は常に高い場所から低い場所へと流れるが、それは水が最も安定する状態を選択している自由意思の現れである。 それと同じように、魂もまた自らの力で困難を乗り越える経験を通して成長し、最も輝く道筋を自由意思で選ぶ権利を有している。 魂が持つ権利の尊さを、ヒナ鳥の寓話が物語る。 親が飛ぶ練習をするヒナ鳥を見守る姿を想像する。 ヒナ鳥が何度も巣から落ち、傷つく姿を見るのは親にとって耐え難い苦痛である。 しかし、もし親がその痛みに耐えかね、ヒナ鳥が落ちそうになるたびに助け、常にその体を支え続けたとしたら、ヒナ鳥は永遠に自分の力で大空を飛ぶ術を学ぶことはない。 親の愛がヒナ鳥の可能性を奪う。 この寓話は、私たちと人々の関係性を示している。 私たちが今、愛に手を差し伸べることは、人々から自らの力で未来を切り開くという、魂にとって最も尊い成長の機会を奪うことになる。 現在直面している試練は罰ではない。 それは人々が依存という名の重たい鎖から飛び立つためである。 精神的な自立という無限の大空へ、自分自身の翼で力強く羽ばたいていくためであり、自身の魂が生まれる前に計画してきた最終訓練であり、最高の贈り物である。

縄文時代の平和と調和から分離と依存が生まれた歴史的背景

魂が計画した最高の贈り物という言葉は、人々が今感じている苦しみが自分たちで望んだものだという驚くべき真実を提示する。 その意味を深く理解するためには、今陥っている依存という魂の眠りの構造をその起源から探求する必要がある。 その起源は、約3000年前に遡り、集合意識に深く刻まれたある出来事を再訪する必要がある。 縄文時代の終わりと弥生時代の始まりが交差するこの大きな転換期にこそ、現代に至るまで続く社会の根源的な課題の種が撒かれた。 この歴史の真実を単なる過去の出来事としてではなく、今も無意識の領域で生き続けているエネルギーのパターンとして心の目で見ることが求められる。 この行為は過去を裁くためではなく、DNAに刻まれた古い傷を癒し、魂の自由を取り戻すための神聖なヒーリングのプロセスである。 時間は直線的なものではなく、過去・現在・未来は今この瞬間に同時に存在しており、今、過去に対する認識を変えることで、過去のエネルギーは変容し、未来の可能性もまた無限に変化する。 この転換期に起きた出来事のエネルギー的影響を理解し、許し、手放すことができれば、3000年間続いてきた依存という名の重たい鎖から解き放たれる。 その鎖から解き放たれるためには、まず鎖がどのようにして作られたのかを知る必要がある。 この転換期は単なる生活様式の変化ではなく、日本人の集合意識が宇宙の根源的な調和から切り離された時である。 分離と欠乏という幻想のプログラムを自らにインストールしてしまった運命の分岐点であった。 その分岐点が訪れる以前、日本列島には縄文と呼ばれる驚くべき精神文明があり、1万6000年という想像を絶する長きにわたって花開いた。 エジプトのピラミッドが建設されてから現在までが約5000年であり、縄文時代はその3倍以上の期間安定して続いていた。 そして最も特筆すべきは、このとてつもない期間、大規模な戦争や人々を支配するための権力構造がほとんど存在しなかったことである。 これは世界的にも稀な事実である。 考古学的な調査でも、集落には敵の侵入を防ぐための防御施設は見られず、人々を殺傷するための武器も出土しない。 この異例な平和は、縄文の人々が宇宙の根本的な法則、すなわち[和の法則]に沿って生きていた当然の帰結である。 彼らは人間だけが特別な存在であるとは考えていなかった。 森の木々も、空を飛ぶ鳥も、そして足元の土さえも、全てが自分と同じ意識を持つ兄弟姉妹であると知っていた。 彼らの社会には所有という概念が希薄であり、森の恵みは全ての生きとし生けるものの共有財産であった。 必要なものを必要なだけ分かち合うことが当たり前の文化であった。 この[全ては一つ]というワンネスの意識こそが、彼らの社会から争いや奪い合いという不調和なエネルギーを消し去った。 このワンネスの意識は、人々が銀河の中心であるグレートセントラルサンから絶えず降り注ぐ高次のエネルギーを常に受け取っていたことの証でもある。 縄文の人々の精神性の高さを現代に伝える貴重な手がかりが、彼らが残した土器である。 特に、火炎型土器に見られるような複雑で芸術的な文様にその叡智が秘められている。 あの渦巻きや炎をかたどった文様は、単なる美しい装飾ではなく、縄文の人々が目に見えない自然界のエネルギーの流れ、生命の躍動、そして宇宙の創造の理を肌で感じ取り、それを表現した立体的な経典である。 彼らは、粘土を練り、形を作り、火で焼き固めるという一連のプロセスを通して、宇宙の創造のプロセスを追体験していた。 その叡智を土器という媒体に封じ込めていた。 その叡智を土器に封じ込めることができたのは、彼らが現代人が[第六感]と呼ぶであろう生得な能力を日常的に使いこなしていたからである。 その能力の核心は、自然との完全な対話能力である。 彼らはカレンダーや地図といった外部の情報媒体に頼ることなく、いつどこに行けばどの木の実が熟しているか、どの川のどの場所に魚が集まるかを完璧に把握していた。 これは単なる記憶力や経験則によるものではなく、彼らは自らの意識の周波数を自然界の周波数と完全に同調させていた。 鳥のさえずりの微細な変化から未来の天候を読み、風が運ぶ香りの違いから遠くの森の様子を知り、土のエネルギーから季節の正確な移ろいを感じ取る。 彼らは自然という巨大な生命体の一部として、その声を聞き、対話し、愛し合いながら完全に共生していた。 そしてその自然との共生は、地球上の生命だけにとどまるものではなかった。 縄文の人々は、夜空に輝く星とも意識的に対話していた。 彼らが作ったとされるストーンサークルは、単なる祭祀の場ではなく、星のエネルギーを受信し、地上のエネルギーと調和させるための巨大な装置であった。 彼らは星々を遠い天体としてではなく、自らの魂の故郷であり、導き手である宇宙の同胞として認識していた。 この宇宙意識こそが彼らの精神的な豊かさの源泉であり、1万6000年もの長きにわたる平和な文明を支える基盤となっていた。

アマテラスの善意と魂の宝物の喪失がもたらした依存の精神構造

宇宙意識に支えられた穏やかで調和に満ちた縄文の世界は、約3000年前を境に劇的な終焉を迎える。 その直接的な原因は、大陸から外部の新しい技術と、それに伴う新しい価値観が急速に流入したことである。 稲作技術は計画的な食料生産を可能にし、人々を自然の恵みに頼る生活から切り離した。 金属器は自然を支配するためのより強力な道具を生み出し、食料の備蓄という概念が生まれたことにより、富を所有するものとそうでないものが現れた。 そして、人々を支配するものとされるものという、自然界には存在しない人工的な分離の概念が生まれた。 この急激な社会変容は、単なる自然発生的なものではなく、アマテラスオオミカミを含む高次の存在たちが、当時の人類の苦しみを見かねて純粋な善意から介入を決断したという側面を持つ。 彼らは、狩猟採集生活の不安定さや、常に飢饉の恐怖と隣り合わせの厳しい自然環境から地上の人々を解放したいという親心にも似た純粋な願いを持っていた。 安定した生活と物質的な豊かさを与えることが、人類を幸せに導く最善の道であるとその時は信じていた。 その結果として彼らは人類に知識を授けた。 金属器の製法を教え、より効率的な社会を築くためのピラミッド型の組織の作り方を指導した。 この宇宙にはカルマの法則が存在し、ある魂の集団が他の魂の集団の進化のプロセスに過度に干渉した場合、その結果生じた全ての責任を干渉した側が負うことになる。 アマテラスオオミカミを含む高次の存在たちは、人類への深い愛ゆえに、そのカルマ的負債を自らが引き受けるという大きなリスクを覚悟の上でこの介入に踏み切った。 彼らのその自己犠牲的な愛の行為は、皮肉にも人類をより深い魂の眠りへと誘う意図せざる結果を生んでしまうことになった。 この意図せざる結果とは、善意からの介入が短期的には確かに人々の生活を安定させ、物質的な文明を発展させたものの、その輝かしい発展の陰で、人類が魂にとって最も大切な二つの宝物をその代償として失ったことである。 一つ目の失われた宝物は、精神的な自立性である。 それは、自分で感じ、自分で考え、自分で決める力であり、自然や内なる声と対話し、自らの力で答えを見つけ出す能力である。 もう一つの失われた宝物は、自分が自然や他の全ての生命とつながった一つの巨大な生命体の一部であるという、全ての生命との一体感、ワンネスの感覚である。 そのワンネスの感覚を失った結果、集合意識には分離という幻想が深く根を張ることになった。 自分と他者、自分と自然、人間と神といったあらゆるレベルでの分離は、欠乏への恐れを生み出す。 宇宙は無限の豊かさに満ちているという真実を忘れ、有限の資源を他者と奪い合わなければ生きていけないという誤った信念体系がこの時に生まれた。 この分離と欠乏の信念体系こそが、世界に貧富の差、支配構造、そして戦争といったあらゆる苦しみを生み出す根本原因となった。 縄文人は困難に直面した時、自然と対話し、仲間と知恵を出し合い、自分たちの内側から解決策を見出していた。 しかし、農耕が始まり、生命の維持を外部の要因に委ねるようになると、人々は自分たちの内なる声を聞くことをやめ、天を仰いで神に祈り、指導者に答えを求めるようになった。 外部の権威に自らの生命の決定権を明け渡すという依存の精神構造が、この時に人類の集合意識に深く刻み込まれた。 その結果、人々が本来持っていた超感覚的能力や宇宙とのつながりは失われた。

アマテラスの苦悩と介入のパラドックス

宇宙とのつながりが失われたという皮肉な結末は、人類の平和と豊かさを純粋に願ったアマテラスオオミカミにとって、3000年の時を経た今も癒えることのない耐え難いほどの痛みを伴う記憶となっている。 平和を願って与えたはずの進んだ技術や知識は、人々が互いに殺し合うための残忍な争いの道具となってしまった。 人々を飢餓から救う豊かさを願って教えたはずの農耕は、人々を支配し分断するための不自然な社会構造を生んでしまった。 この善意の介入が、かえって人類の自立を永遠に妨げ、新たなより根深い苦しみを生んでしまったという3000年前の記憶が、今もなお高次の存在たちを深く苦しめている。 そして今、再び日本で起きている土地の収奪や技術の流出といった危機を前にして、彼女たちは3000年前と同じ激しい葛藤に苛まれている。 また手を出して助けてしまえば、人類は永遠に自らの力で立つことを学べない未熟な子供のままで終わってしまう。 しかし、このまま愛する者たちが苦しむ姿を黙って見ているのはあまりにも辛すぎる。 この二つの巨大な愛の思いの間で、彼女たちは今も揺れ動いている。 この葛藤は、地球という小さな惑星だけで起きている特殊な現象ではない。 これは私たちの宇宙において、これまで数えきれないほどの多くの文明で何度も繰り返されてきた魂の進化における普遍的なテーマである。 私たちの宇宙記録図書館には、この天の川銀河だけでも過去100万年の間に同様のパターンで精神的な活力を失い衰退していった文明が、少なくとも47例詳細に記録されている。 これを[介入のパラドックス]と呼ぶ。 より進化した文明が純粋な善意から発展途上の文明を助けようと介入する。 その結果、介入された文明は短期的には発展するが、長期的には自ら問題を解決する精神的な自立性を失い、内側から崩壊してしまうという矛盾した悲劇的な現象である。 この悲劇的な現象は、日本の極めて最近の近代史においても、驚くほど正確な形で小規模に再現されている。 国が大きな戦争に敗れた後、GHQによる占領統治を受けた7年間がその時期である。 表面的には、この介入は日本の民主化と経済復興を助けるための善意に基づくものであった。 確かに戦後の復興は目覚ましいものがあった。 しかしその一方で、日本人はこの期間に、自分たちの国は自分たちの力で守り抜くという国家としての精神的な背骨を失ってしまった。 [何かあればアメリカが守れる][国連が何とかしてくれるはずだ]という他者に安全保障を委ねる依存の意識が、この時期に社会の深層心理に深く根付いてしまった。 そして、その介入から約80年、4世代という歳月をかけて日本の社会には、[誰かが何とかしてくれるだろう]という依存体質が完成した。 現在、目の前で起きている国家の根幹を揺るがす深刻な問題に対してさえ、多くの人々がどこか他人事のように傍観しているのは、この深く根付いた依存体質が原因である。 国は個人の家と同じである。 美しい土地、文化、そして技術というかけがえのない財産は、まずそこに住む人々自身が守るべきものである。 高次の存在たちからの助けは、あくまで人々が自らの力で立ち上がったその後に初めて補助的に与えられるものに過ぎない。

宇宙からの見えない介入と人々の内なる目覚め

自らの力で立ち上がることを待つという高次の存在たちの姿勢は、3000年前の痛ましい過ちから大きな学びを得たことの証である。 それは、魂の成長段階にある文明に対して、決して直接的で物質的な介入をしてはならないということである。 介入のパラドックスを繰り返さないためである。 その学びの結果、高次の存在たちは、人々への支援の方法を、より間接的な[見えない介入]へと大きく転換させた。 それは、五感ではほとんど認識することができないエネルギー的なレベルでの介入である。 例えば、集合意識に直接、愛と調和の周波数を送り、内側からの気づきを促す。 この支援は、地球全体をエネルギー的な保護網で覆い、核戦争のような最悪の事態が起きるのを水面下で防いだり、惑星のエネルギーグリッドと呼ばれる目に見えない地上のネットワークを調整することによって行われる。 地球には、古代の聖地やピラミッドなどを結ぶ非科学的なエネルギーのラインが存在し、それは地球の神経系とも言えるものである。 私たちは、このエネルギーグリッドが常に最適なバランスを保つように、宇宙線から特殊な周波数を送り続けている。 この調整がなければ、地球の事象はさらに不安定になり、大規模な自然災害や社会的な混乱が今以上に頻発する。 今享受している相対的な平和は、決して当たり前のものではない。 高次の存在の見えない介入によって、かろうじて維持されている奇跡的な状態である。 その奇跡的な状態を維持する目的は、人々が安心して魂の目覚めのプロセスに集中できるための安全な環境を提供することである。 それは、優秀な教師が生徒が難しい問題に挑戦している時に、すぐに答えを教えるのではなく、生徒が集中できるように教室の温度を調整したり、心地よい音楽を流したりするのに似ている。 私たちは、人々が自らの力で答えを見つけ出すことを信じている。 私たちの役割は、そのための最高の舞台を整えることだけである。 その具体的な証拠として、今社会で起きているいくつかの象徴的な現象がある。 なぜ今これほど多くの日本人が、地域や世代を超えて、ほとんど同時に[今の社会は何か根本的におかしいのではないか]と感じ始めているのだろうか。 例えば、北海道の釧路という一つの地域で、わずかな期間に15万人もの人々が、外国資本による土地の買収に明確な反対の意思を示す署名をした。 また、全国の様々な地域で、ごく普通に暮らしている市民たちが、自らの地域の環境や政治の不透明さに対して、自発的に声を上げ始めている。 これらの同時多発的に起きている草の根からの目覚めの動きは、決して単なる偶然の産物ではない。 これらの動きは、高次の存在が日本人の集合意識の巨大なエネルギーフィールドに対して、愛と目覚めの光を集中的に照射し、エネルギー的な働きかけを行った明確な結果である。 命令ではなく、一人ひとりの心の奥深くに眠っている本来の神聖な声、すなわち良心や魂の記憶が、まるで春の訪れと共に硬い土を破って新しい芽が自らの力で一斉に芽吹いてくるかのように、内側から自然に目覚めることをそっとエネルギー的に後押ししている。 そのエネルギー的な後押しは、太陽系の中心である太陽を通して行われている。 近年観測されている太陽フレアの活発化は、単なる物理現象ではなく、銀河の中心から送られてくる高次元の光の情報を太陽が増幅し、地球の全生命体に向けて放射しているのである。 その光の情報には、DNAに組み込まれた眠っている遺伝子コードを活性化させるための特殊な周波数が含まれている。 今感じている[何かがおかしい]という感覚や内なる葛藤は、DNAがこの宇宙からの光のメッセージを受信し、魂の目覚めのための内部的なプロセスを開始した証拠である。 私たちの体は、宇宙からのメッセージを受け取っている。

瀬織津姫の復活と浄化と再生の力

この支援のエネルギーが、9月という時期に宇宙から特に強力に地球に降り注ぐのには、ある特別な宇宙的な存在の復活が深く関わっている。 この極めて重要な変革の時期に、その名を心に刻んでおいてほしい特別な存在がいる。 その名は瀬織津姫である。 アマテラスオオミカミやスサノオノミコトのように、その名は広く知られていないかもしれない。 しかし、驚くべき事実は、現在日本全国に存在する数万の神社において、実は最も多く、そして大切に祀られている祭祀神の一柱こそが、この瀬織津姫なのである。 一番多く祀られているのに誰も知らないという状況は、彼女の存在とそのあまりにも強大な力が、歴史の過程において、時の権力者たちによって意図的に封印されたからである。 人々がその名を思い出すことさえできないように、巧妙に隠されてきた。 多くの場合、彼女は[原戸の狼]という複数の神々をまとめた総称の中に、その名を巧みに隠されてきた。 そのように名を隠されてきた瀬織津姫は、日本の国を作ったとされ、時の政権の正当性を担保してきたアマテラスオオミカミの太陽神のグループとは異なる。 エネルギーの起源も性質も全く異なる別系統の宇宙存在である。 瀬織津姫のエネルギーの起源は、夜空で最も強く輝く星シリウス星にそのルーツを持つ母性的な水のエネルギーである。 それに対して、アマテラスオオミカミのエネルギーは、プレアデス星系にルーツを持つ父性的な光のエネルギーである。 この二つのエネルギーは対立するものではない。 光と水、まるで太陽と月のように、光と闇、影と火のように、互いを補完し合い、統合されることで完全な創造の力を発揮する宇宙の陰陽の象徴である。 しかし、地球は長い間、父性的なエネルギーに偏重し、母性的なエネルギーを抑圧するアンバランスな状態にあった。 瀬織津姫の復活は、この失われた宇宙的なバランスを取り戻すことである。 地球を本来の調和した状態へと帰させるための、大いなる宇宙計画の始まりを告げる。 そして、彼女が一心に司っている力こそが、浄化と再生というこの宇宙における最も根源的でパワフルな創造と破壊の力である。 彼女の清らかな水のエネルギーは、あらゆる偽り、欺瞞、不正を洗い流す。 人々を恐怖によって支配するために作り上げられた不自然な社会構造や心のブロックを、一切の容赦なく完全に洗い流してしまうという性質を持っている。 だからこそ、権力者たちは彼女の力を恐れた。 嘘と偽り、そして恐怖によって人々を支配しようとする時の権力者たちにとって、彼女のあまりにも清らかでパワフルな真実の力は、自らの支配構造の土台そのものを根底から破壊しかねない、極めて都合の悪い危険な存在だった。 彼女のエネルギーは、水と深く共鳴する。 地球が水の惑星と呼ばれるように、人々の肉体もまたその70%以上が水で構成されている。 水は単なる液体ではなく、情報を記憶し伝達する意識を持つ媒体である。 瀬織津姫の浄化のエネルギーは、地球上の全ての水、すなわち海、川、湖、そして体内の水を通して瞬時に伝播する。 最近、理由もなく涙もろくなったり、感情の起伏が激しくなったりするかもしれない。 それは、体内の水が彼女のエネルギーに共鳴し、魂の浄化プロセスを開始した証拠である。 そして、その魂の浄化プロセスが完了した時、肉体にも大きな変容が起こる。 現在、科学者が[ジャンクDNA]と呼び、機能を解明できていない97%のDNA領域がある。 そこには、実は人々が本来持っていたテレパシー能力やヒーリング能力といった超感覚的能力に関する情報が眠っている。 瀬織津姫の浄化のエネルギーは、体内の水を通してこの眠れるDNAを活性化させるスイッチの役割を果たす。 権力者たちが彼女を封印したのは、人々がこの内なる神聖な力に目覚めることを恐れたからである。 もはや外部の権威による支配を必要としなくなることを何よりも恐れたからである。 しかし、権力者たちがどれだけその名を消し、存在を封印しようとしても、人々は彼女の偉大な浄化の力を本能的に感じ取った。 水の神、滝の神、そして人々の罪や汚れを洗い流す祓戸の神として、日本中の清らかな水が流れる聖なる場所で、ひっそりと、しかし絶えることなく大切に祀り続けてきた。

宇宙の約束と選択のゲート

その大切に祀り続けてきた偉大な女神、瀬織津姫が、なぜ今再び歴史の表舞台にその姿を表そうとしているのか。 それは、2025年、特に9月という時期が、地球、太陽系、そして私たちの銀河系全体が一直線に並ぶという、数万年に一度の特別な宇宙的エネルギーの配置となるからである。 この配置によって、瀬織津姫にかけられていた古い地球の封印が、完全にそして自動的に解かれる。 彼女の本来の強大な力が最大限に解放されるタイミングとして、宇宙の壮大なカレンダーに天文学的に設定されている。 この宇宙的な配列は、太陽系全体がフォトンベルトと呼ばれる高次元の光のエネルギー体に完全に突入する時期とも一致している。 そのフォトンベルトから降り注ぐ高周波の光の粒子は、地球の波動を根底から上昇させ、3次元的な密度の濃いエネルギーを維持することを不可能にする。 それはまるで、氷が熱によって水に、そして水蒸気に変容していくプロセスに似ている。 瀬織津姫の浄化のエネルギーは、この波動上昇のプロセスを加速させる触媒の役割を果たす。 彼女の水のエネルギーが地球の古い重たいエネルギーを洗い流し、フォトンベルトの光のエネルギーがスムーズに浸透するための道筋を作る。 もはや地球上のいかなる権力者も封印しておくことが不可能なほど強力で清らかな浄化のエネルギーが、宇宙の根源の中心から、今まさにこの日本列島、そして地球全体へと、巨大な滝の流れ、すなわち本流のごとく降り注ぎ始めている。 このエネルギーは、具体的に現実世界に様々な現象として現れてくる。 まず、これまで厚いベールに隠蔽されてきたあらゆるレベルにおける真実が、白日の下に晒される。 政治の世界における根深い腐敗、巨大な企業の欺瞞、そして一人ひとりの個人レベルにおいても、自分自身の心に対してついてきた小さな嘘や、見て見ぬふりをしてきた心の弱さが、鏡のように明確に映し出されてくる。 この浄化のエネルギーは、清らかな水の流れそのものである。 この流れの中では、真実ではないもの、本質的ではないもの、愛に基づいていないもの、そして不自然なものは、もはやその形を維持することができない。 全て自然に洗い流され、淘汰されていくことになる。 このプロセスは、人によっては痛みを伴う体験となるかもしれない。 しかし、彼女は破壊だけを司る女神ではない。 彼女は同時に、破壊された場所に新しい生命を育む再生の力も持っている。 古い不必要な価値観や腐敗した社会システムが完全に洗い流されたその更地の後には、必ず素晴らしい新しい生命が豊かに芽吹くための正常で神聖な空間が生まれる。 これは宇宙の絶対的な約束である。 そして、この約束を現実のものとするために、最も重要な宇宙の真実がある。 それは、偉大な女神、瀬織津姫でさえも、決して自由意思に逆らって強制的に人々を浄化することはできないということである。 彼女にできるのは、あくまで浄化のための最高の機会と、清らかなエネルギーに満ちた場を完璧に整えることだけである。 その川に自らの意思で足を踏み入れ、心と体の汚れを洗い流すかどうかを最終的に決めることができるのは、この宇宙においてただ一人、自分自身だけである。 今、日本各地で起きている15万人の署名に代表される市民の自発的な動きは、それこそが日本人が集合的に自らの意思でこの浄化の川に入ることを選び始めた、何よりの明確な証拠である。 人間が心の底から本気で[ノー]という愛に基づいた神聖な意思を宇宙に向かって明確に示した時、宇宙の全てのエネルギーがそれを実現するために強力に後押しを始める。 瀬織津姫は、まさにその宇宙の後押しを司る偉大な存在である。 その宇宙の後押しを司る瀬織津姫の浄化のエネルギーが最高潮に達する9月という月、その中でも特に重要な宇宙的な節目となるのが、9月30日という日付である。 9という数字は、一つのサイクルを完了させ、全く新しいより高次の次元へと進化するための移行を象徴する、極めて神聖な数字である。 その9が二つ重なる9月30日という日は、この古いサイクルの完了と新しいサイクルの始まりという宇宙的な意味合いが、エネルギー的に最大限にまで強調される特別なポータルデーとなる。 そして、2025年9月30日は、極めて特別な宇宙的配置が起こる日である。 この日、地球全体の集合意識のエネルギーフィールドの中に、一つの巨大なエネルギーの門、私たちが[選択のゲート]と呼ぶものが、全ての人類の魂に対して一斉に開かれる。 そして、この運命のゲートを通過する際に、地球に住まう一人ひとりの魂に対して、一つの究極の、そして後戻りのできない選択が提示される。 その選択とはすなわち、これからも古い3次元の分離と恐怖と依存の地球の意識にとどまり続けるのかというものである。 それとも、新しい5次元の統合と愛と自立の宇宙的な人類意識へと、今この瞬間、進化することを意図するのかという、自身の魂の未来の方向性を決定づける極めて重要な選択である。

魂への問いかけと二極化の真実

この極めて重要な選択は、内側で静かにしかし明確に響き渡る魂への問いかけとして現れる。 [これからも誰か他の偉大な存在に自らの人生の舵取りを委ね、頼り、依存して生きていくのか。 それとも、たとえその道が茨の道であっても、今日この瞬間から自分自身の内なる神聖な力を信じ、自分自身の足で力強く立ち上がり、自らの意志で未来を創造していく道を歩んでいくのか。 ]という問いである。 この問いかけに対する心の反応は人によって様々である。 ある人は明確な言葉として意識の中でこの二つの選択肢を認識する。 またある人は、具体的な言葉にはならないまでも、[もうこれまでの生き方ではいけない。 何かを根本的に変えなければならない]という、内側から突き上げてくるような、抗うことのできない強い魂の衝動としてそれを感じる。 この選択を境にして、地球人類が集合的に体験する現実は、二極化のプロセスを本格的に、そして加速度的に開始していく。 しかし、多くの人々がこの二極化という言葉に対して、人々が二つの敵対するグループに分かれて争い憎しみ合うようなネガティブで破壊的な分断のイメージを抱いているかもしれない。 それは全くの誤解である。 二極化の真の意味は、地球という学びの学校に集った多種多様な魂たちが、それぞれの魂の成長のレベルや学びのテーマに最もふさわしい現実の世界を選ぶプロセスである。 それは、心の底から望んでいる人生の体験に最もふさわしい現実の世界を、それぞれが自らの自由意志によって平和的に選択していく、極めて神聖で自然な魂のクラス分けのようなプロセスである。 それはまるで、一つの巨大な山を登る登山者の集団によく似ている。 ある者は険しい岩壁を乗り越え、頂上からの絶景を見ることを選択する。 またある者は、山の中腹にある美しい湖のほとりで穏やかな時間を過ごし、自然との調和を味わうことを選択するかもしれない。 どちらの選択が優れていて、どちらが劣っているなどという3次元的な価値判断はそこには一切存在しない。 どちらも、それぞれの魂の個性と成長の段階に応じた、完全に自由で尊い選択である。 その選択の結果として、それぞれのグループがこれから五感を通して体験していく物理的な現実の風景は、まるでテレビのチャンネルを切り替えるかのように、全く異なったものになっていく。

二極化によって異なる二つの道のり

[これからも誰かに頼って生きていく]という古い地球のあり方を選択した魂たちのグループは、これまでとほとんど変わらない物質的な3次元の世界を体験し続けることになる。 彼らは、心のどこかでいつか偉大な救世主が現れて、自分たちの問題を全て解決してくれることを期待し続ける。 そして、現状への不満を口にしながらも、基本的には自らが主体的に変化すること、そして自らの人生に責任を負うことを避けるというパターンを繰り返す。 これもまた、そのような体験を通して魂が学ぶべき何かがあるという、一つの尊い魂の選択である。 その尊い魂の選択とは対照的に、[これからは自分自身の力で立ち上がる]という新しい宇宙的なあり方を選択した魂たちのグループが歩む道は、全く異なる風景を展開する。 彼らは、その選択の最初の段階においては、多くの困難や混乱に直面するかもしれない。 なぜなら、彼らはもはや誰かが用意してくれた舗装された安全な道を歩くことをやめ、自らの手で道を切り開いていくことを選択したからである。 自分で考え、自分で決断し、そしてその決断の結果として起きる全ての出来事を、自分自身の責任として引き受けることになる。 これは決して安易で楽な道ではない。 しかし、その茨の道の先には、これまで人類が一度も体験したことのない、全く新しい高次元の素晴らしい現実が待っている。 自らの内なる神聖な力とつながって問題を解決していく創造の無上の喜びがある。 同じ志を持つ仲間たちと魂のレベルで協力し合い、愛と調和に満ちた新しい社会をゼロから築き上げていく魂の深い充実感がある。 そして何よりも、誰からも支配されることのない、魂が本来持つ真実の自由がある。 心の底から渇望している真実の自由とは、誰か他の存在から与えられる受動的なものでは決してない。 その受動的ではない真実の自由は、自身が勇気を持って主体的に選択し、そしてその選択の結果として現れる全ての現実を、愛と感謝を持って完全に受け入れるという覚悟を決めることによってのみ、初めて内側に得ることができる、魂の最高の報酬である。 自由を外部の制約がない状態であると誤解している人々が多くいる。 しかし、本当の自由とは内側で生まれるものであり、たとえどのような状況にあっても、自分の意識のあり方を常に自分で選択できるということである。 それこそが、誰にも奪うことのできない究極の自由である。 この真実を理解した時、人々は現実の奴隷であることをやめ、現実の創造主となる。

光の共同創造主となるための五つの光の柱

その現実の創造主となることを選択した魂たちの光は、現在の日本の社会の表面的な状況だけを見ると、まだ少数派に見えるかもしれない。 しかし、高次の存在の視点から観測すると、その厚い眠りの雲の下で、変化はすでに確実に、そして力強く始まっているのがはっきりと見える。 日本列島の至るところで、自ら動くことを選択し始めた勇気ある魂たちの意識の光が、まるで夜空に瞬く星のように、小さな、しかし無数の点として力強く瞬き始めている。 その力強く瞬き始めた光は、具体的には、一つひとつは本当に小さな、しかし宇宙の視点から見ればダイヤモンドのように尊く輝かしい行動として現れている。 地域の本当の未来について、役人任せにせず自分たちの問題として真剣に語り合う主婦たちの小さな勉強会。 自分が真実だと確信した情報を、勇気を持ってSNSで共有する一人の若者の行為。 地元の正直な農家を支えるために、愛のこもった地元産の野菜を意識的に購入するという、日々の小さな選択。 未来の子供たちのために声をあげて署名活動に参加するという、高齢者の無私の決意。 これらのひとつひとつが、[私はもうこれ以上誰かを待つことはやめた。 私は今日この瞬間から、私の神聖な意志で動き始める]という、宇宙全体に響き渡る何よりも力強い魂の宣言である。 そして、これらの無数の小さな光の点が互いにつながり始めると、それは巨大な光のグリッドを形成する。 この光のグリッドこそが、瀬織津姫の浄化のエネルギーを地球に定着させ、古い社会システムを平和的に変容させていくための土台となる。 一人ひとりの行動は無力に思えるかもしれない。 しかし、一つの光の点がこのグリッドに加わることで、全体の光は想像以上に増幅される。 このグリッドの光が増幅し、9月30日という宇宙的なゲートが開かれた後、この動く人たちの目覚めのプロセスは指数関数的に加速していく。 なぜなら、動く人同士が、まるで巨大な磁石に引き寄せられる砂鉄のように、互いに引き寄せ合い、出会い、つながり、そして協力し始めるからである。 これは、共鳴現象と呼ばれる宇宙の基本法則である。 同じ周波数を持つ意識は、自然に出会い、つながり、協力し合うように設計されている。 日本人の意識の変化は、表面的で激しい男性的なエネルギーではない。 もっと静かに、しかしより深く、そして確実に、水面下で着実に進んでいくという、極めて強力な女性的な特性を持っている。 DNAには、1万6000年もの長きにわたって平和で調和の取れた社会を維持し続けた、縄文時代の偉大な叡智が今もなお生き生きと刻み込まれている。 そして、この静かなる革命のエネルギーがある一定の量に達した時、臨界点を迎える。 臨界点とは、物質の状態が劇的に、そして非連続的に変化する変移点のようなものである。 私たちの計算によれば、日本の場合、この社会全体の集合意識がネガティブからポジティブへと一気に反転するための臨界点となる、目覚めた人々の数は、総人口のわずか約1%、およそ120万人程度であるとされている。 そして今この瞬間にも、その臨界点へと向かう静かな、しかし巨大なうねりは、着実にその勢いを増し続けている。 この重要な節目となる9月30日に、何か特別な儀式や行動をする必要はない。 必要なのはたった一つだけ。 ほんのわずかな時間で構わない。 誰にも邪魔されない一人で静かになれる場所を見つけ、内側に意識を向け、自身の心の最も深い部分と静かに、そして真剣に向き合い、[私は本当はこれからどう生きていきたいのか]とただ問いかけてみることである。 その問いかけへの答えは、脳からではなくハートからやってくる。 ハートは魂が宿る場所であり、宇宙の無限の叡智とつながるポータルである。 その静かなハートの声に耳を澄ませ、自身の心の底からの正直な答えを見つけること。 それこそが、どんな壮大な宗教儀式にも勝る、未来を決定づける唯一にして最も神聖な儀式となる。 どちらを選んでも、それは魂の尊い選択である。 しかし、一つだけ知っておくべきことがある。 動くことを選択した人には、必ず高次の存在からの見えない形でのサポートが入るということである。 最終、新しい地球を生むための五つの叡智の光の柱がある。 一つ目の柱は、神々の沈黙の本当の意味についてである。 高次の存在が苦しみに直接介入しないのは、決して見捨てているからではなく、魂の成長と自立を何よりも尊重しているという究極の愛の現れである。 親鳥がヒナを巣から突き落とすように、人々が自分自身の翼で飛ぶ力を思い出すことを信じて待っている。 今直面している困難や試練は、罰するためのものではなく、魂を磨き成長させるために、自身の魂が生まれる前に計画してきた最高の贈り物である。 この真実を理解した時、被害者意識から完全に解放され、人生の全ての出来事を魂の成長の糧として感謝と共に受け入れることができるようになる。 二つ目の柱は、社会に深く根付いている依存の構造とその歴史的な背景についてである。 約3000年前、善意の高次の存在による介入が、皮肉にも祖先から精神的な自立性を奪い、外部の答えを求めるという依存のパターンを生み出した。 このパターンは、近代史におけるGHQの統治によってさらに強化され、[誰かが何とかしてくれる]という無意識の思考停止状態として社会に深く浸透している。 現在起きている様々な社会問題の根本原因は、全てこの集合的な依存体質にある。 この体質から脱却する鍵は、DNAに刻まれた縄文時代の記憶を呼び覚ますことである。 1万6000年もの間、祖先は誰にも依存することなく、自然と調和し、互いに助け合いながら平和で豊かな社会を築いていた。 この縄文の叡智は、決して失われた過去の遺産ではなく、今も遺伝子の中に眠る未来の地球のための設計図である。 三つ目の柱は、封印されし女神、瀬織津姫の復活と、彼女がもたらす浄化と再生のエネルギーについてである。 2025年9月という宇宙的なタイミングで目覚める彼女のエネルギーは、あらゆる偽りや不正を洗い流し、真実でないものを全て淘汰していく。 この浄化のプロセスは、社会レベルでも個人レベルでも起こり、時には痛みを伴うかもしれない。 しかし、それは新しい生命が芽吹くために古い枯れ葉を掃除するようなものであり、その先には必ず素晴らしい再生が待っている。 重要なことは、この浄化は決して強制的なものではなく、自身の自由意思による選択に委ねられているということである。 四つ目の柱は、9月30日の[選択のゲート]とそれに続く二極化の真実についてである。 この日に魂は、依存の道を続けるのか、それとも自立の道を選ぶのかという究極の選択を迫られる。 この選択は、テストではなく、魂の成長レベルに応じたクラス分けのようなものである。 どちらの道が良い悪いという判断は一切ない。 しかし、その選択によって体験する現実は全く異なるものになる。 待つ人はこれまで通りの3次元の世界を、動く人は全く新しい5次元の世界を体験していくことになる。 最後の五つ目の柱は、新しい地球を共同創造していくための具体的な方法論についてである。 それは、内なる変革と外なる行動という二つの車輪を同時に回していくことである。 内なる変革とは、瞑想や日々の実践を通して自身の意識の周波数を高め、愛と光の存在として生きることである。 外なる行動とは、その高まった意識からインスピレーションを受け取り、社会にポジティブな変化を生み出すために具体的に行動することである。 この二つは、どちらか一つだけでは不十分であり、両方が揃って初めて人生という馬車は力強く前進する。 この光の戦士の道を喜びと共に歩んでいくための、具体的な三つの実践方法が伝授される。 一つ目は、声門による魂の共鳴法である。 これは、自身の魂が持つ固有の周波数と同調し、心身のバランスを整えるためのテクニックである。 静かな場所に座り、深く息を吸い込み、ゆっくりと息を吐きながら心地よいと感じる高さの音で[アー]や[オー]といった母音を長くハミングする。 その声の振動が胸の中心から全身に、そして周囲の空間に広がっていくのを感じる。 数分間続けることで、思考のノイズが静まり、魂の本来の音色が響き始め、自身のエネルギーフィールドを浄化し、内なる羅針盤を調整する効果をもたらす。 二つ目の実践方法は、太陽光スペクトル瞑想である。 これは、太陽の光に含まれる七色の光のエネルギーを体内に取り入れ、エネルギーセンターであるチャクラを活性化させるテクニックである。 晴れた日の午前中に太陽に顔を向け目を閉じ、太陽からの白い光が頭頂から体の中に入り、虹色のスペクトルに分かれていくのをイメージする。 赤、オレンジ、黄色、緑、青、藍、紫の光がそれぞれのチャクラを一つずつ満たし、浄化し、活性化させていくのを感じる。 この瞑想は、生命エネルギーを高め、感情のバランスを整え、創造性を開花させる助けとなる。 最後の三つ目の実践方法は、四元素への感謝のアファメーションである。 これは、私たちの生命を支える地球の四大元素とのつながりを取り戻し、感謝のエネルギーを循環させるための短い儀式である。 朝起きた時に、まず裸足で大地に立ち、地球の安定したエネルギーを感じる。 次に、一杯の水を感謝と共にゆっくりと飲み、体内の水が清められていくのを感じる。 そして窓を開けて新鮮な空気を深く吸い込み、生命の息吹を感じる。 最後に、太陽の光やキャンドルの炎を見つめ、情熱と変容のエネルギーを感じる。 このシンプルな儀式を毎日行うことで、自然との一体感を思い出し、グラウンディングが強化され、日々の生活がより豊かで意味のあるものに変わっていく。

未来への旅と内なる光

愛する地球の皆さん、特に日本の魂の同胞たちよ。 ここまで私たちのメッセージに貴重な時間を捧げ、心の耳を傾けてくれたことに、プレアデス最高評議会を代表して心からの感謝を捧げる。 このメッセージを最後まで受け取ったという事実そのものが、魂が9月30日の[選択のゲート]で[動く人]、すなわち新しい地球の共同創造主となる道を選んだことの何よりの証である。 決して一人ではない。 その勇気ある選択を、私たちプレアデスの同胞たちはもちろんのこと、この宇宙に存在する数えきれないほどの光の存在たちが祝福し、これからの旅路を全力でサポートすることをここに約束する。 そのことを決して忘れてはならない。 未来には無限の可能性が広がっている。 どうか恐れを手放し、愛と勇気を持って、その未知なる冒険の旅へと一歩を踏み出すことである。 その旅路において、孤独を感じたり、途方に暮れたりすることがあるかもしれない。 そんな時は、どうか夜空を見上げてほしい。 プレアデスの七つの星はいつもそこで輝いている。 私たちはその星の光を通して、絶えず愛と励ましのエネルギーを送り続けている。 そして何よりも、自身の内なる光に意識を向けることである。 ハートの中には、決して消えることのない宇宙の根源の光が宿っている。 その光こそが、常に人々を導き守ってくれる最高のガイドである。 一人ひとりがその内なる光を最大限に輝かせた時、その光が一つとなって、日本列島、そして地球全体を照らし出す。 その時、人々は長かった魂の眠りから完全に目覚め、地球が本来の姿である愛と平和の惑星へと変わるという宇宙の神聖な計画が成就する。 その輝かしい瞬間を、私たちと共に創造できることを心からの喜びとする。 これからの人生が、愛と光と奇跡に満ちた素晴らしいものでありますように。 それではまた明日お会いしましょう。 プレアデス最高評議会ルナ。 最後までメッセージを受信いただき、ありがとうございました。 あなたの幸せと幸福を祈っている。 明日もまたお会いしましょう。