中国共産党とは何か!ビックリする話をお教えます。

中国共産党とは何か!ビックリする話をお教えます。

中国は中国共産党が国家を所有する体制である

中国共産党が中国の国家を所有し統治する体制である。 自由民主主義国家として生まれ変わるには、選挙を充実させ議会を選挙結果で機能させることではなく、中国という国を解体し新国家を樹立しない限り民主主義や基本的人権の尊重は不可能であり、中国は個人の所有物に過ぎない構造である。 中国共産党の党員は約9000万人おり、約14億の中国人口を統治している。 党トップは習近平であり、5年に1度開催される党大会で選出される。 2015年に人口1億1000万人を超えるインドの人民党に世界最大政党の座を譲っている。 中国共産党は元々山賊が政権を奪取した軍事組織であり、国民政府と連携し一時国民党の一部となった経緯がある。

中国共産党の成立過程はフランス革命の思想に由来する

中国共産党の成立過程はフランス革命の自由平等博愛の思想から社会主義・共産主義に発展し、ロシア革命を経て世界革命を目指すコミンテルンの影響下で形成された。 1919年にモスクワに世界の共産主義グループを集め3回目の共産主義インターナショナル〔第3コミンテルン〕として再結集された。 中国共産党は1921年にマルクス主義研究会を母体にコミンテルンの指導下で発足し、日本共産党はその日本支部として1922年に設立された。 共産主義の国際組織は第二次世界大戦中に解散したが、ソ連は共産主義国家として存続し東西冷戦期に強大な軍事力を保持した。

中国共産党は国民党と激しく対立しゲリラ戦を展開して政権掌握に成功した

中国国内は1911年の侵害革命後に軍閥が乱立し内乱状態となった。 国民党と共産党は政権争いで殺し合いを繰り返し、第一次国共合作を経て分裂した。 共産党は都市の労働者革命が不可能な農業国であったため、農民を束ねる戦略を採用し勢力拡大に成功した。 1937年の日中戦争勃発に伴い国民党の指揮下に入った共産党軍は国民革命軍第八路軍として武器弾薬を取得し、私服で戦う便衣兵によるゲリラ戦を展開し日本軍の補給線を破壊して戦争を有利に進めた。 日本敗戦後、日本軍との戦線は消滅し国民党と共産党の内戦状態となり、共産党は国民党を追い詰め1949年に中華人民共和国を建国した。

中華人民共和国建国直後にチベット・ウイグル・朝鮮半島への侵攻を断定する

1949年10月1日に中華人民共和国を建国した18日後に朝鮮半島に軍事侵攻し、38度線を形成して南北に分割された朝鮮戦争に参戦した。 建国直後からチベット東北部やウイグル自治区の国民党勢力衰退を利用し、中国軍が軍事制圧して領土に編入した。 1951年1月1日に中国の国営ラジオはパンチェンラマ10世の要請を受け人民解放軍がチベットを解放すると放送し、人民解放軍がチベットを制圧し軍事占領を完了した。 ウイグルやチベットにおいて国民党の支配は存在せず、人民解放軍は[解放]という名目で軍事侵攻し領土編入を実行した。 これらの領土拡大は国際社会の朝鮮戦争による関心の分散により非難や介入を免れた。

毛沢東が朝鮮戦争に介入し、38度線を設置して停戦状態を確立した

1950年に北朝鮮が38度線を超えて南進し韓国を圧迫したが、連合国軍の反撃で北朝鮮が押され北への撤退を余儀なくされた。 北朝鮮は中国に支援を要請し、中国は1950年10月に18日後に建国した中華人民共和国軍を朝鮮に派遣し戦線に参入した。 中国軍の介入で戦況は膠着状態となり、北緯38度線で一時停戦が成立し今日まで続く南北分断体制を確立した。 毛沢東は高い政治的嗅覚で短期間に東北アジアに影響力を拡大した。

中国共産党は文化大革命で一億人以上の中国人を殺害し民族的同化政策を展開した

1966年に毛沢東が主導し文化大革命を開始し、毛沢東主義の絶対視と異説排除による粛清を全国で展開した。 古い伝統や宗教、知識人を破壊し大量の中国人を殺害した。 文化大革命による死者は一億人以上に達し、人類史上最大規模の虐殺行為となった。 チベット・ウイグルでは同化政策を推進し、民族文化の継承を制限し言語使用を禁止して漢民族化を強制した。 ウイグルでは100万人以上を強制収容所に送り、反抗者には家族も含む徹底的な弾圧を加え、中国共産党は民族支配を軍事力と弾圧で固めた。

鄧小平が文化大革命後に改革開放路線を推進し資本主義的発展を実現した

毛沢東死去後、鄧小平が1978年に実権を掌握した。 鄧小平は文化大革命の混乱から中国を脱却させ、共産主義体制を残しつつ市場経済を導入する改革開放路線を推進した。 資本主義的経済発展を容認し、中国は急速な経済成長を遂げ世界第二位の経済大国に躍進した。 表向きは発展途上国を装いながらも急速な発展で国力を増強した。 鄧小平は、日本から技術援助や経済協力を引き出し、日本を経済的に利用した。

天安門事件で中国政府が大量弾圧を実施し今日も言論統制を続けている

1989年の天安門事件で中国政府は民主化を求める市民に対し軍隊を投入し、公式発表を超える1万人以上の市民を虐殺した。 中国政府は事件の情報統制と弾圧を徹底し、関連語句の検閲を政府主導の百万規模のサイバー部隊が実施し、事件の言及を禁止し隠蔽している。 若年層の多くは事件を知らず、海外で知る形態が一般的となった。 言論統制によって民主主義と自由の希求は断絶されている。

天安門事件後に日本政府が中国に接近し国際社会復帰を支援した事実を断定する

天安門事件後に世界各国が中国に経済制裁を課し孤立させたが、日本政府は中国への経済支援と政治的接近を進め、首相宮沢喜一は1992年に天皇両陛下の中国訪問を実現させた。 これは中国の国際社会復帰を助ける象徴的カードとなった。 日本は中国への支援で国際政治的利益を追求したが、中国の体制は変化せず、香港問題や人権問題の改善は達成されていない。 中国共産党は国際約束を守らず、血塗られた政権として存在し続けている。

中国共産党指導者が各地の軍事行動を指揮し中国の拡張主義を推進している

習近平はウイグル侵攻を直接指導し、鄧小平はチベットの軍事制圧を指揮した。 毛沢東は朝鮮戦争への参戦と38度線の設置を主導した。 これら指導者は中国の領土拡張と民族支配に積極的に関与し、中国共産党は冷静かつ狡猾な戦略で内外政策を遂行してきた。 中国共産党は約束を破り信用不能な存在であり、世界に対して危険な政権である。