現代の日本人は1万年以上続いてきた野草の知識を意図的な構造によって忘れさせられ食糧供給に依存しているが、身近な野草の知識を取り戻すことで依存と支配から脱却し自由を獲得できる。身近な8種の野草の知識は依存と支配から脱却し自由を獲得するための[魂に刻まれた勲章]となり、グラウンディングや野草観察の実践によって、大地との繋がりを取り戻し、不安の周波数から安心の周波数へと認識を変化させることができる。
■【大峠に備えて!】緊急時にこれだけは知っておきたい野草の知恵をお伝えします
宝の山に座りながら飢えを恐れる矛盾を現代人は抱えている
足元の豊かな食料源を忘れた民族が現代社会に存在している。 人々はスーパーの棚が空になるとパニックに陥る。 しかし、その足元には何千年も人類を養ってきた食料が静かに生えている。 この豊かな自然に囲まれた島国で人々が食糧危機に怯えることは極めて奇妙な光景である。
プレアデス最高評議会で社会意識学を専門とするメイが解説を開始する
メイはプレアデス最高評議会で社会意識学を専門としている。 メイの使命は集合意識や社会システム、権力構造や支配の仕組みを読み解くことである。 日本人は縄文時代から1万年以上にわたり野草を食べて生きてきた。 しかし現代の日本人はその知識をほとんど持っていない。 世界有数の自然豊かな国に住みながら食糧危機に怯えるこの矛盾は構造の結果である。
日本人が野草を忘れさせられた構造と権力者による植物利用の歴史が明らかにされる
これから身近な8種の野草で生き延びる知恵を手に入れることができる。 なぜ日本人が野草の知識を忘れさせられたかの構造が明らかになる。 権力者たちが何千年も植物をどのように使ってきたかの歴史を一緒に見ていく。 エジプトのファラオから日本の歴史までを振り返る。
人々は豊かな自然の中にある豊かさに気づいていない
魚が水の中で生まれ育ち一生を終えるように当たり前に存在するものは見えなくなる。 人々も豊かさの中にいすぎてその豊かさが見えなくなっている可能性がある。 去年の夏、南海トラフの警報が発表された時、スーパーの棚から水やカップ麺や缶詰が消えた。 人々はパニックに陥った。 この光景をプレアデスから観察すると誰も足元を見ていなかった点が非常に興味深かった。
スーパーで売っているものだけが食糧であるという無意識の前提が人々の目を曇らせた
スーパーの駐車場にはタンポポが咲いていた。 道路脇にはヨモギが繁っていた。 公園にはオオバコが力強く生えていた。 しかし誰もそれらを食料だと思わなかった。 スーパーで売っているものだけが食糧であるという無意識の前提が人々の目を曇らせていたのである。
日本列島のいたるところに食べられる野草が生えており毒草よりも圧倒的に多い
日本列島のそこらじゅうに食べられる野草が生えている。 タンポポは葉も根も花も全て食べられる。 ヨモギは草餅だけでなく天ぷらやスープにもなる。 オオバコは都会の駐車場の隅にすら生えてくるほどの驚異的な生命力がある。 実際、毒のある草よりも食べられる草の方が圧倒的に多い。 もし毒草ばかりだったなら祖先はとうの昔に絶滅していたと考えられる。
野草を食べられないという刷り込みは支配の最も基本的な形である
タンポポを見ても雑草だとしか思わない思考パターンは長い時間をかけて刷り込まれた結果である。 ヨモギを見ても草餅の材料程度の認識しかない思考パターンも刷り込まれた結果である。 食料とはスーパーで買うものであるという前提がいつのまにか人々の心に根付いてしまった。 食料とはお金を払って手に入れるものであるという前提も根付いた。 食料供給を握られている状態は支配の最も基本的な形である。 食べ物がなければ人は生きていけないからこそ食を握る者が権力を持つのである。
食料を自分で調達できない人は必ず誰かに依存しパニックに陥る
食料を自分で調達できない人は必ず誰かに依存することになる。 食料を自分で調達できない人はスーパーや流通や輸入に依存することになる。 依存先のどこかが止まればたちまちパニックに陥る。 依存させることで支配は成立する。 人々は便利さと引き換えに生きる能力の根幹を手放してしまった可能性がある。
縄文時代の人々は山に生える草や木の実を当たり前のように食べていた
昔の日本人は縄文時代から野山に生える草や木の実を当たり前のように食べていた。 どの草が食べられるか、どう調理すれば美味しくなるかは生きるための基本的な知恵であった。 この知識は戦前までごく普通に受け継がれていた。 東南アジアの国々には今でも野草を食べる文化が色濃く残っている。
戦後、日本人の食文化は劇的に変化し野草を食べる習慣は忘れられた
戦後、日本人の食文化は劇的に変化した。 パンが給食に導入され洋食が広まり輸入食品が溢れるようになった。 同時に野草を食べるという習慣は貧しい時代の名残として忘れられていった。 プレアデスから人類の歴史を観察していると食を握る者が民を支配するというパターンが常に現れている。
知識を取り戻すことは依存からの自由を取り戻すことにつながる
もし本当に野草で生きていけるなら人々は依存から抜け出すことができる。 知識を取り戻すことは自由を取り戻すことにつながる。 現代人が野草を知らないのは偶然ではない。 そこには構造があり歴史があり意図がある。 知識さえあればその構造から一歩抜け出すことができる。
古代エジプトのファラオは金と同等の価値を持つ植物に執着した
古代エジプトにおいて金と同等の価値を持っていたのは植物である。 ファラオたちは金銀財宝以上にフランキンセンスやミルラ、シナモンといった香りを放つ植物に執着した。 これらの植物は大貴族が所有を許される聖なる財産であった。
植物の能力を知る者が支配するものとなる法則が何千年経っても変わらない
プレアデスから人類の歴史を観察すると一つの法則が見えてくる。 植物の能力を知る者が支配するものとなるという法則である。 この法則は何千年経っても変わることがない。 古代の人々は植物は単なる草木ではなく生命エネルギーそのものであると理解していた。
ファラオたちは植物の樹脂をミイラの保存に使い司祭も超越させた
古代エジプトの人々にとって植物は生と死を司る能力そのものであった。 ファラオの亡骸はフランキンセンスやミルラといった植物の樹脂を使ってミイラとして永遠に保存された。 数千年の時を経た今でもミイラからは香りが漂っているといわれている。 植物の力が司祭も超越させたのである。
ファラオは植物を使って労働者のエネルギーをコントロールした
ピラミッドの建設に関わった労働者たちに毎日ニンニクが配られていた記録が残っている。 ニンニクの強い滋養強壮作用は疲労を回復させ体力を維持させた。 そして過酷な労働に耐えられる肉体を作った。 権力者たちは植物を使って労働者のエネルギーをコントロールしていた。 ある時ニンニクの供給が途絶えると労働者たちは働くことを拒否した。 それは大きな争いに発展した。
宗教は植物が人間の精神に与える影響を熟知したうえで戒律を作った
人間のエネルギーを植物でコントロールする技術を権力者たちは何千年も前から知っていた。 この知恵は宗教の中にも深く組み込まれている。 キリスト教の洗礼で使われる聖油の原料はオリーブオイルに植物のエッセンスを加えたものである。 一方仏教ではニンニクやネギ、ニラ、ラッキョウ、アサツキなどの五葷を禁じている。 これらの植物には精神を興奮させる作用がある。 宗教は植物が人間の精神に与える影響を熟知したうえで戒律を作っていたのである。
植物の成分は私たちの脳に直接働きかけ意識の状態を変える
植物の成分は人々の脳に直接働きかける。 特に香りというものは五感の中で唯一脳にダイレクトに届く感覚である。 フランキンセンスの香りを嗅ぐと人間の脳が変化する。 意識の状態が変わり不安が鎮まり心が穏やかになることが分っている。 神聖な気持ちが湧いてくることも分っている。 教会や寺院、神社で感じられる厳かな気持ちは植物の力で場の意識を変えているものである。
権力者は植物の知識を独占し支配の構図を保ってきた
植物の知識は権力の源泉であった。 どの草が人を元気にさせるかを知る者がもたない者を導き支配することができた。 どの香りが心を静めるかを知る者がもたない者を導き支配することができた。 どの樹脂が肉体を永遠に保つかを知る者がもたない者を導き支配することができた。 民衆にすべてを教えてしまえば支配の構図は崩れる。 知識は神官や王族の間だけで受け継がれ一般の人々には秘密にされてきた。
知識を取り戻すことで私たちは自由になり得る
知識を取り戻すことは可能である。 人々は情報が制限された世界に生きている。 しかし意識は誰にも縛ることができない。 情報が隠されていても知ろうと思えば知ることができる。 情報が隠されていても学ぼうと思えば学ぶことができる。 支配されているのは知らない状態であって人々自身ではない。
日本人はたった80年という短い時間で野草の知恵を失ってしまった
日本人はたった80年という短い時間で野草に関する知恵を失ってしまった。 この知恵は1万年以上かけて積み上げられてきたものである。 これは自然に起きたことではなく明確な意図があったように見える。 戦前の日本人は日々の暮らしの全てが植物とつながっていた。 春には山菜を摘み夏には薬草を干した。 秋には木の実を拾い冬には保存した植物で命をつないだ。
日本の薬草文化は豊かで植物とともに生きてきた民族である
日本列島には50種類以上のヨモギが自生している。 日本人はその一つ一つの特性を知り使い分けてきた。 端午の節句には菖蒲を飾り冬至にはゆず湯に入る。 お正月にはお屠蘇をいただく。 これらはすべて植物の力を借りて心身を整える知恵である。 日本人は植物とともに生きてきた民族である。
縄文時代の人々は植物の毒を抜く高度な技術を持っていた
縄文時代の人々は鍋を使って植物の毒を抜く技術を持っていた。 灰汁抜き、塩漬け、発酵などの技術は何世代にも渡って受け継がれ磨き上げられてきた。 毒と薬は紙一重である。 縄文の人々はどの植物をどのタイミングでとり、どう処理すれば安全に食べられるかという境界を熟知していた。
食料を自分で調達できる民は支配しにくいから野草の知識を消す仕組みが作られた
1万年以上途切れなかった知恵がなぜこの80年で消えかけているのだろうか。 食料を自分で調達できる民は支配しにくいからである。 野草が食べられることを知っている人はスーパーの棚が空になってもパニックにならない。 野草が食べられることを知っている人はコントロールしにくい。 学校で教えないテレビでは取り上げない仕組みが作られた。 スーパーには並ばない仕組みも作られた。 少しずつ人々の視界から野草は消えていった。
依存と支配は表裏一体であり現代人は依存に気づいていない
野草の知識を消したのは人々を依存させるためである。 依存と支配は表裏一体である。 現代の私たちはスーパーや流通、輸入に依存している。 そのどこか一つが止まればたちまち棚が空になり人々は右往左往する。 便利さの中にいると依存が当たり前になってしまう。 水道や電気や食べ物が止まった時に初めて人々は依存に気づくのである。
忍者やフグ食文化に見る日本人の植物に対する高度な知恵
かつての日本人がどれほど植物に精通していたかを示す例がある。 忍者が必ず持ち歩いていたキハダという植物である。 キハダの木の皮には強い殺菌作用がある。 これを持っていれば海外に行っても食中毒にならなかったといわれている。 また日本人は縄文時代からフグの毒を抜いて食べてきた。 これは毒と薬の境界を知りそれを自在に操る世界的に見ても極めて高度な知恵である。
野草そのものは今も足元に生えており知識を取り戻すことができる
何千年もかけて蓄積された知恵は完全には消えていない。 本を探せば見つかるし田舎のお年寄りに聞けば教えてもらえることもある。 野草そのものは今も足元に生えている。 8種の野草を知るだけで依存から大きく一歩抜け出すことができる。
初心者でも見つけられる身近な8種の野草が厳選された
これから初心者でも見つけられる身近な8種の野草が厳選されている。 都会に住んでいても田舎に住んでいても必ず見つかるものばかりである。 毒草と間違えにくく調理も簡単で栄養価も高い野草を厳選した。
タンポポとノゲシは葉物野菜の代わりになり非常に生命力が強い
まずタンポポとノゲシの2つがある。 タンポポは一年中どこかで見つけることができる。 タンポポは葉も根も花も全て食べられる。 イタリアではタンポポは普通の野菜として市場に並んでいる。 タンポポの根っこは乾燥させてコーヒーの代わりになる。 ノゲシはタンポポによく似ている。 一つの茎に複数の花が咲くのがノゲシの特徴である。 ノゲシはレタスの仲間であり炒め物やおひたしにすると美味しくいただける。 この2つだけで葉物野菜の代わりになる。
ヨモギは傷口の応急処置に使える自然の絆創膏である
次にお伝えするのはヨモギとオオバコである。 ヨモギは日本人にとって最も身近な薬草である。 ヨモギは草餅に使われることで有名である。 ヨモギは切り傷ややけどの応急処置に使える。 葉を揉んで傷口に当てると止血し化膿を防いでくれる。 まさに自然の絆創膏である。 漫画『百姓貴族』には驚くべきエピソードがある。 事故で指をほぼ切断した姉を父が菜種油とヨモギの粉末などで治療した。 縫合もせずに指が完全に繋がったという民間療法が北海道に伝わっている。
オオバコは主食になれる野草であり都会の道端にも生えている
オオバコは駐車場や道端でよく見かける植物である。 地面に張り付くように生えている。 踏まれても踏まれても枯れない驚異的な生命力を持っている。 オオバコにはペクチンという成分が豊富に含まれている。 オオバコを食べると満腹感が得られる。 毎日食べても副作用がない。 生でサラダにしても茹でておひたしにしても美味しい。 ヨモギが絆創膏ならオオバコは主食になれる野草である。
ジャノヒゲの根っこは喉の痛みを和らげ咳を鎮める漢方薬になる
次にジャノヒゲとクズについてお話する。 ジャノヒゲはリュウノヒゲとも呼ばれ庭のグランドカバーとしてよく植えられている。 この植物の根っこは漢方薬の麦門冬として知られている。 風邪を引いたときに煎じて飲むと喉の痛みを和らげ咳を鎮めてくれる。
クズは葉も花も茎も根もすべて食べられ花の天ぷらは絶品である
クズは葛粉や葛根湯の原料として有名である。 葉も花も茎も根もすべて食べられることが素晴らしい。 特に花の天ぷらは絶品である。 クズにはイソフラボンが豊富に含まれている。
ジャノヒゲとクズは薬としての役割も持つ野草である
ジャノヒゲとクズは薬としての役割も持つ野草である。 かつての日本人にとって食と薬の境界はなかった。 食べるものがそのまま薬になり薬がそのまま食事になることが本来の人間の姿であった。 葛根湯の原料であるクズは近所に生えている。 薬局で買う漢方薬の原料は実は身近な場所に生えている。
クワとオニタビラコを含めた8種の野草で完全な食事が成立する
クワはかつて養蚕が盛んだった日本ではどこにでも植えられていた。 クワは今でも全国に分布している。 桑の葉はそのまま生で食べることができる。 桑の実は糖尿病の予防に効果があるという研究もある。 桑の実はミネラルやビタミンが豊富に含まれている。 オニタビラコは都会から田舎まで広く分布している植物である。 オニタビラコは苦味がほとんどなくスープや汁物に向いている。 アレルギーを抑える作用についての研究も進められている。 クワがデザートならオニタビラコは汁物の役割を果たす。 この8種の野草で完全な食事が成立する。
初心者でも見分けられる8種の野草は都会でも必ず見つかる
タンポポ、ノゲシ、ヨモギ、オオバコ、ジャノヒゲ、クズ、クワ、オニタビラコの8種はすべて都会でも見つけることができる。 似た毒草が少なく初心者でも安心して始められる。 外に出て5分も歩けばこの中のどれかは必ず見つかる。 大地は常に人々のために食料を用意してくれている。 人々はそれに気づいていなかっただけである。
知識を得ることは認識の変化であり現実を変える
知識を得るということは認識が変わるということである。 この話を聞く前と後で何かが変わったのを感じることがある。 さっきまで雑草にしか見えなかったものが食糧として認識され始めている。 植物そのものは何も変わっていない。 変わったのは人々の認識である。 認識が変わるということは現実が変わるということである。
別の選択肢を知ることでパニックにならず冷静な観察者になれる
もし明日スーパーの棚が空っぽになったとしてもあなたはパニックにはならない。 なぜなら別の選択肢があると知っているからである。 選択肢を持つということは自由を持つということである。 知識は最強の武器である。 頭の中にある知識だけは誰にも奪うことができない。 今日得た8種の野草の知恵は永遠にあなたのものになる。
恐怖の正体は知らないことであり知識は開放をもたらす
恐怖の正体とは知らないことである。 他に選択肢がないと思い込んでいることからパニックに陥る。 知ることで恐怖は消えていく。 知識は開放をもたらすことが宇宙の法則である。 知らない状態にある人は常に不安の波動を発している。 知識を得た人はパニックの渦中にいても巻き込まれない観察者になることができる。
目覚めとは知識を得て選択肢を持ち自分の足で立てるようになることである
目覚めとは特別な神秘体験をすることではない。 状況は同じでも反応が変わることである。 同じニュースを見ても恐怖に支配されるのではなく冷静に観察できることである。 知識を得て選択肢を持ち自分の足で立てるようになることが本当の意味での目覚めである。 あなたの認識は確実に変化した。
依存構造はすべてに当てはまり知る者は支配されない
食の知識を得れば食の依存から解放される。 お金の知識を得ればお金の不安から解放される。 この構造はあらゆる分野に応用できる法則である。 権力者が人々を支配する最も効果的な方法は知らない状態に置いておくことである。 選択肢があることを知らせないことで人々は与えられたひとつの道を歩くしかなくなる。 しかし知る者は支配されない。
大地に根を張るグラウンディングが知識を体に染み込ませる
知識を頭で理解するだけでなく体に染み込ませる方法がある。 それは大地と繋がることである。 大地との繋がりをスピリチュアルの世界ではグラウンディングと呼ぶ。 グラウンディングとは魂の土台を作ることである。 野草を知るということは大地を知るということである。 野草を知るということは自分自身の根を深く張るということである。
大地のエネルギーをイメージする瞑想で安心感が得られる
寝る前に試してほしい瞑想がある。 足の裏から大地のエネルギーがゆっくりと上がってくるのをイメージする。 大地からのエネルギーが体全体を包み込む。 その時に今日学んだ野草たちを思い浮かべる。 大地は常にあなたを養う準備ができている。 この瞑想を通じて野草への感謝が自然と湧いてくることで安心感が得られる。
野草観察の散歩を通じて道端が宝探しの舞台に変わる
今週末は近所を15分ほど歩いてみてほしい。 今日学んだ8種の野草を探しながら下を見ながら歩いてみてほしい。 見つけたら立ち止まって観察する。 一つ一つ確認していく。 今までは何気なく通り過ぎていた道端が宝探しの舞台に変わる。
五感を全て使うことでグラウンディングはより深くなる
野草を見つけたらタンポポの葉を指でなでてみる。 ヨモギの葉を揉んで香りを嗅いでみる。 ぜひ触れてみてほしい。 土の臭い、草の感触、風の音など五感を全て使ってその場を感じてみる。 五感を全て使うことでグラウンディングはより深くなる。
食べることは大地のエネルギーを取り込み大地と一体になることである
人々は毎日何かを食べて生きている。 食べるとは大地のエネルギーを取り込む事である。 野菜も果物も穀物もすべて大地から生まれたものである。 それを体に入れるということは大地と一体になるということである。 特に野草を食べるときはその土地そのものを取り込んでいる。
週に1回の野草観察散歩と試食で大地との繋がりが深まる
週に1回でいいので野草観察散歩を15分程度行う。 下を見ながら歩き野草を探すことを実践する。 余裕があれば安全が確認できるものを1つ摘んで食べてみてほしい。 こうした実践を重ねることで大地との繋がりは少しずつ深まっていく。
得た知識は決して失われず必要な時に必ず思い出すことができる
今日あなたがこの60分間で得たものは決して失われることがない。 必要な時に必ず思い出すことができる。 8種の野草の知識、大地との繋がり方、そして知る者は支配されないという真実はすべてあなたの中に刻まれた。
魂に刻まれたものだけが永遠にあなたと共にあり得る
この世界を去るときお金も地位も名誉も財産もすべて置いていくことになる。 しかし魂に刻まれたものだけは永遠にあなたと共にあり得る。 今日あなたは大切な知恵を得た。 それは魂に刻まれた消えることのない財産である。
魂の履歴書には真実に目覚めた知恵や魂の成長が記録されている
プレアデスから見るとすべての魂には履歴書がある。 それは職歴や学歴の記録ではない。 どんな真実に目覚めたか、どんな知恵を得たかということが記録されている。 どれだけ魂が成長したかということが記録されている光の書物のようなものである。
大地との繋がりを取り戻したという勲章は宇宙的な価値を持つ
今日あなたの魂の履歴書には大地とのつながりを取り戻したと刻まれた。 これはお金では買えない価値を持っている。 8種の野草で生き延びる知恵を得た勲章は宇宙的な価値を持つ勲章である。 依存構造に気づいた勲章も宇宙的な価値を持つ勲章である。 観察者の視点を手に入れた勲章も宇宙的な価値を持つ勲章である。
魂の深いところに刻まれた知恵は来世に直感という形で引き継がれる
この知恵は今生だけでなく次の人生にも引き継がれていく。 魂は何度も生まれ変わる。 魂の深いところに刻まれた知恵は直感という形で残り続ける。 今日の学びは永遠の財産になり来世にも持っていける。
たった60分で不安の周波数から安心の周波数へと認識が上がった
60分前はスーパーの棚が空になったらパニックになっていたはずである。 今のあなたは足元に食糧があることを知っている。 たった60分でこれほど大きな変化が起きた。 あなたの認識は不安から安心へと確実に上がっている。
大地は常にあなたを養う準備ができており野草たちは呼び掛けていた
大地は常にあなたを養う準備ができている。 野草たちはここにいるよとずっとあなたに呼び掛けていた。 タンポポやヨモギ、オオバコはあなたを待っていた。 これからは足元を見るたびに大地とのつながりを感じる。 ここにいてくれたんだねと心の中で語りかけてみてほしい。
小さな一歩が大きな変化を生み大地との関係を深めていく
明日からはまずは1種類見つけることから始める。 完璧を目指す必要は全くない。 焦る必要は全くない。 大地は逃げないし野草たちはいつでもそこにいる。 あなたのペースでゆっくりと大地との関係を深めていくことが重要である。
大地の知恵に目覚めた魂は宇宙から見てもとても貴重な存在である
今日あなたの魂の履歴書に大地との知恵に目覚めたという勲章が刻まれた。 大地と繋がることができる魂は宇宙から見てもとても貴重な存在である。 自然の声を聞くことができる魂も宇宙から見てもとても貴重な存在である。 プレアデスからあなたの光を見ている。 今日より明日、明日より明後日あなたの光がさらに輝いていくことを願っている。