全体の要約

  • 【はせくらみゆき氏の自己紹介と脳卒中体験のテーマ設定】画家で作家のはせくらみゆき氏は、安らぎと希望をテーマに生きる喜びを表現し、YouTubeで発信している。 今回の話は[葉っぱの教え]の続きで、30歳時の話から10年後の40歳で体験した脳卒中を通し、人間の可能性や奇跡の次元について探求する。
  • 【脳卒中発症前の極限状態】沖縄引っ越しの準備や子育てと仕事の多忙で、睡眠3時間の生活を1ヶ月続けた結果、極度の疲労状態で過ごしていた。 夢は[ゆっくり寝たい]ことだったが休めなかった。
  • 【脳卒中の発症と病院での出来事】引っ越し前前日にぎっくり腰となり病院受診、帰宅途中で意識を失い倒れる。 救急搬送中に人の会話を耳で聞きながらも体は全く動かず、脳卒中を発症していた。
  • 【入院生活の開始と心の変化】脳卒中と診断され個室に入院する。 体が動かない人生に驚きながらも、[ゆっくり寝たい]という夢がこの形で叶ったと感じる。 引っ越しは夫が対応し、子供は実家へ預けられた。
  • 【窓の外の虫との対話と[ごめんなさい]の実践】虫を見て[ここからスタートすればいい]と気づき、周囲や自分の体へ謝ることを決意。 夜に[脳さんごめんなさい][細胞さんごめんなさい]と全身に謝罪を繰り返した。
  • 【体内からの声と感謝への転換】謝罪を続ける中で[それでも大好きだよ]と体から声を感じ涙する。 感謝が湧き[脳さんありがとう][神経さんありがとう]と伝え続け、小宇宙のような広がりを体験した。
  • 【奇跡的な回復の発生】体に感謝を伝え眠った後、不思議な夢を見て翌朝左手が動き、半身不随の症状に変化が起きた。 足も動くことを確認した。
  • 【院長による緊急検査と診断結果】回診で院長が異変を発見し緊急検査を実施。 その結果、脳卒中の跡すら残っていないことが判明した。
  • 【医師の言葉と退院後の生活】院長は[奇跡]と診断し退院を指示した。 はせくらみゆき氏は[動いても動かなくてもよい、存在そのものがありがたい]と感じるようになった。
  • 【人生の目的の再設定】[体が戻ったら残りの命はおまけ]とし、[命が喜ぶことを生きる]と決め、命の祭りのように生きていく決意をした。
  • 【リハビリと気づきの深化】握力回復に時間を要したが[命が喜ぶことしかしない]と選び、沖縄で三線を始める。 最大の気づきは[自分は肉体でも心でもなく出来事でもなく、それを見ている命である]ということだった。
  • 【奇跡を起こす秘訣と人生観】自分を肉体・心・出来事と限定せず命の次元から人生を見つめることが奇跡につながると考える。 その瞬間瞬間を積み重ねる中に奇跡が現れ[生きることは奇跡の連続]と語る。

脳卒中で倒れたけど謝って感謝したら奇跡的に治った話

はせくらみゆき氏の自己紹介と脳卒中体験のテーマ設定

画家で作家のはせくらみゆき氏は、安らぎと希望をテーマに、生きる喜びをアートや文で表現している。 はせくらみゆき氏は、心がほっとしたり、内から元気が湧いてくるような発信をYouTubeで行う。 今回の話は、過去に話した[葉っぱの教え]の続きである。 はせくらみゆき氏は、30歳だった頃のエピソードから10年後、40歳の時に体験した脳卒中のエピソードを語る。 このエピソードは、人間の可能性や奇跡の次元とどう繋がるかというテーマを探求する。

脳卒中発症前の極限状態

脳卒中発症は、はせくらみゆき氏が横浜から沖縄へ引っ越しする前前日に発生した。 当時、夫は長期出張中で不在であり、はせくらみゆき氏は幼稚園児と小学生の3人の子供を育てていた。 横浜から沖縄への引っ越しは、船に運ぶコンテナを一つ使用する特殊なものであった。 家族全員の机を入れるだけでコンテナの3分の2程度が埋まるため、はせくらみゆき氏は多くの物を処分する必要があった。 はせくらみゆき氏は、母親としてお別れ会の鉛筆一本から様々な物を処分する作業に追われた。 はせくらみゆき氏は、アートとしての絵描きの仕事で毎年カレンダーを制作しており、そのカレンダーの締め切りも重なっていた。 これらの多忙により、はせくらみゆき氏の睡眠時間は約1ヶ月間、3時間程度であった。 当時のはせくらみゆき氏の夢は、とにかくゆっくり寝たいというものであったが、終わらせるべき仕事があるため休めなかった。

脳卒中の発症と病院での出来事

引っ越し前前日、はせくらみゆき氏はぎっくり腰になった。 ぎっくり腰により動けなくなったため、引っ越しの指示ができない状況が発生した。 普段病院に行かないはせくらみゆき氏だが、この時は観念し、友人の車で病院へ行った。 はせくらみゆき氏は、お尻に大きな注射を打たれ、痛いと感じた。 その後、待合室で帰ろうとした際、はせくらみゆき氏にふらつきが発生し、そこから記憶が途絶えた。 はせくらみゆき氏は倒れ、救急車で大きな病院に搬送された。 搬送中、はせくらみゆき氏の耳は聞こえており、医療従事者の[あら、当たっちゃったね、ちょっと若いのにかわいそう]という会話を聞いていた。 はせくらみゆき氏が起き上がろうとしても、身体は全く動かなかった。 はせくらみゆき氏は、心の指令が身体に届かないという状況を認識し、この時脳卒中になったことを知る。

入院生活の開始と心の変化

病院で様々な検査が行われ、はせくらみゆき氏は脳卒中と診断され入院することになった。 病室〔個室〕で落ち着いた時、はせくらみゆき氏にショックが走った。 はせくらみゆき氏は、病気をしたことがなかったのに、今後体が動かない人生を歩み始めるのかという驚きを感じた。 しかし同時に、はせくらみゆき氏の[ゆっくり寝たい]という夢が、この形で叶ってしまったとも感じた。 次にはせくらみゆき氏は、PTAの活動や仕事の締め切りなどを心配したが、動かないという現実は全く変えられないことを理解した。 引っ越し自体は、帰宅した夫が代わりに行ったため、無事沖縄への引っ越しは完了した。 子供たちは北海道の実家へ預けられた。 はせくらみゆき氏は、住民票を異動させていたため、入院した病院で[住所不定]と書かれながら入院生活を始めた。

窓の外の虫との対話と[ごめんなさい]の実践

入院生活の3日目か4日目頃、はせくらみゆき氏は自身が半身不随であるという事実を再認識した。 その時、窓のところに片足の折れた虫が這っているのが見えた。 はせくらみゆき氏は、その虫が普通に這っているのを見て、[ああ、自分はこれであちらの世界に行くことはないけれども、ちゃんとこうやって生きているのだ]と感じた。 その瞬間、[またここからスタートすればよい]とふと思った。 動かないという事実は変わらないため、はせくらみゆき氏はまず親や子供たち、周りの人々に対し、[悪かった][申し訳ない]という気持ちで謝った。 はせくらみゆき氏は、それまで常に[頑張らなくっちゃ]と言っていたことに気づき、その言葉が自分の体には酷なことをさせていたと理解した。 そこで、はせくらみゆき氏は自分の体に対して徹底的に[ごめんなさい]を伝えることを決意した。 夜になり、はせくらみゆき氏は頭の先から爪の先まで、[脳さんごめんなさい][細胞さんごめんなさい]と一つ一つ謝り続けた。

体内からの声と感謝への転換

はせくらみゆき氏が徹底的に謝罪を続けた結果、身体から[声]を感じた。 その声は、[それでも大好きなんだよ]という、細胞たちがはせくらみゆき氏のことを好きだと伝えるものであった。 これを聞いたはせくらみゆき氏は、涙が止まらなくなった。 はせくらみゆき氏は、自分が細胞たちに対して感謝の思いを抱いていなかったにもかかわらず、細胞たちははせくらみゆき氏にとって最も良いように頑張ってくれていたことに申し訳なさを感じた。 やがてはせくらみゆき氏の涙の質は変わり、ありがたさの涙となってボロボロと流れ続けた。 はせくらみゆき氏は、頑張ってくれている体さんに[ありがとう]を伝えようと決めた。 はせくらみゆき氏は、再び頭から爪の先まで、[脳さんありがとう][神経さんありがとう]と一つ一つ言い続けた。 その結果、はせくらみゆき氏の身体の中が小宇宙のようにふわーっと広がる感覚を体験した。 この光景は、非常に綺麗であったとはせくらみゆき氏は述べ、後から絵にした。

奇跡的な回復の発生

体に感謝を伝え続けるうちに、はせくらみゆき氏は眠ってしまった。 その眠りの中で、はせくらみゆき氏は不思議な夢を見た。 その夢は、はせくらみゆき氏が宇宙に戻っていくような感覚であり、母なる地球が見えて、宇宙の水源に戻り、リラックスしている状態であった。 はせくらみゆき氏は、[ただいま]と言いながら、光に包まれているような、抱かれているような感覚を体験した。 翌朝、はせくらみゆき氏は気持ちの良い夢を見たと思い、左手で髪を触った。 はせくらみゆき氏の半身不随は左半身であったため、左利きのはせくらみゆき氏が左手を動かしたことで、[あれ、体動かなかったはず]という驚きが発生した。 はせくらみゆき氏は次に[足は]と思って動かそうとした瞬間、ベッドの中から足が上に上がり、動いた。

院長による緊急検査と診断結果

はせくらみゆき氏が驚いているその時、朝7時の院長先生の回診が行われた。 院長先生はカルテを見ながらはせくらみゆき氏の顔も見ずに[おはようございます]と入室した。 はせくらみゆき氏は、動いていることを伝えたかったが、とっさすぎて何を言うべきか分からず、[はい]と言いながら手を動かした。 院長先生は、カルテとはせくらみゆき氏の手を交互に見て[へ? ]と声をあげ、はせくらみゆき氏も[はい]と答えた。 その瞬間、院長先生はカルテを床に落とし、[緊急検査です]と叫んだ。 その後、3日程度の緊急検査が実施された。 徹底的な検査が行われたが、はせくらみゆき氏の脳卒中の跡すら消えていたという結果になった。

医師の言葉と退院後の生活

最終的に診察室で、院長先生からはせくらみゆき氏へ告げられた言葉は、[あまり医者としては使いたくない言葉だが、跡も残らず、いわゆる奇跡と言いますので、もう何もありませんから出ていってください]というものであった。 はせくらみゆき氏は、1週間余りで退院した。 この出来事を通してはせくらみゆき氏の心に起こった変化は、[ごめんなさい]を徹底的に言った後、[それでも大好きなんだよ]という声を聞いた時に、[動いても動かなくてもどっちでもいい]と思えたことであった。 はせくらみゆき氏は、[今ここにあること、いること自体が、ただただありがたい]と感じた。

人生の目的の再設定

はせくらみゆき氏は、[人はいつかあちらの世界に行くことができる、その瞬間までは生きることができる]と考えた。 そして、[もういいよ]というその時までは、精一杯生きようと心に決めた。 同時に、もし万が一体が戻ることがあるならば、残りの人生は[おまけ]だと考えた。 それまでは[頑張る]といった理屈で生きていたが、これからは[命が喜ぶことしよう]と決意した。 つまり、命が喜ぶ生き方をし、命の祭りのような、命から始まる人生を始めようと決めた。 この決意は、[絶対そうなりたい]という強い願望ではなく、[ただただここに生かされているだけでありがたいから、どちらでもいい]という感覚から生まれた。 その結果、次の朝には[動いている]という、奇跡と呼ばれる次元が現れた。

リハビリと気づきの深化

はせくらみゆき氏は、実際には左半身の握力などが完全なゼロになっていたため、握力を戻すためにそれなりの時間がかかった。 退院後1年間は、毎月脳神経外科に通院し、経過観察を行った。 はせくらみゆき氏は、握力などを元に戻すために、[命が喜ぶことしかしない]と決めていた。 沖縄へ引っ越した後、はせくらみゆき氏は三線を習い始めた。 はせくらみゆき氏は、命の喜びに沿って生きることで、人生がどんどんと変わっていったという体験を持つ。 この体験は、[葉っぱの教え]から10年後に発生し、現在のはせくらみゆき氏へと繋がる大きな転換点となった。 はせくらみゆき氏にとって最大の気づきは、[自分というものは、肉体でもなく心でもなく出来事でもなく、それを見ている命なんだ]ということであった。

奇跡を起こす秘訣と人生観

はせくらみゆき氏は、自分を肉体だと決めてしまうと、肉体が衰えていくことが怖くなり、心だと決めてしまうと心に支配され、出来事だと決めてしまうと、出来事は人生のプリントアウトされたものに過ぎず、自分自身とは異なると感じた。 脳卒中の時に深く感じた[自分は肉体でもなく心でもなく出来事でもなく、それを見ている命なんだ]という気づきは大きかった。 この命の次元から見つめていくことが、奇跡を起こしていく秘訣であるかもしれないという考えに至る。 はせくらみゆき氏は、[どっちに転んでも多分最高のことしか起こってなく]、[起こってない]と[決める]ことで、人生に失敗はなく、成長と成功しかないと決めてみることから、人生はスタートすると考える。 その瞬間瞬間できることを精一杯やっていくという積み重ねの中に、奇跡と呼ばれる次元が現れる。 はせくらみゆき氏は、[私は奇跡の中を歩き、私は奇跡の中にいる。 生きることそのものが奇跡の連続である]と述べる。