🟩 もくじ
14~18世紀のアジア史
中国〔元末・明・清の成立〕
- 14世紀、元朝は疫病と飢饉の多発により支配力が衰退。仏教系民間宗教結社である白蓮教〔宋代創始。弥勒仏の下生信仰と結合して勢力を拡大〕の信徒が紅巾の乱を起こす。
- 乱中で朱元璋が台頭。儒学者層の支援を得て長江下流域を制圧し、1368年に南京で即位〔洪武帝、諡号太祖〕して明朝を建国。
- 元の皇族はモンゴル高原へ退き北元を称す。明は南京を都として中国統一を完遂。
- 洪武帝は政権集中を図り、中書省と丞相を廃止し六部を皇帝直属とした。
- 里甲制〔110戸を1里とし、輪番で徴税と治安を執行〕を導入。 賦役黄冊〔租税台帳〕および魚鱗図冊〔土地台帳〕を作成。
- 民衆教化のため六諭〔[父母に孝順なれ、目上を尊敬せよ]など〕を設け、里老人に毎月躾教化を唱和させた。
- 官学として朱子学を採用し科挙制を整備。 永楽年間には『四書大全』『五経大全』『永楽大典』を編纂。
- 軍制では衛所制〔112人で百戸所、10百戸所で千戸所、5千戸所で1衛構成〕を組織。
- 洪武帝は諸王を辺境に配置して防衛を命じ、加えて海禁政策を施き、朝貢貿易を国家統制の下で推進。
- 建文帝が即位後、藩王勢力抑制に努めると、燕王が反乱〔靖難の役〕を起こし勝利、永楽帝として即位。
- 永楽帝は北京に遷都し、北にモンゴル遠征、南にベトナム出兵を行い一時支配。
- イスラーム教徒宦官鄭和を派遣し、1405~33年の間に7回の大艦隊遠征を実施。 インド洋からアフリカ東岸に至る沿海諸国に朝貢を促した。
- 明の朝貢体制は東アジアからインド洋に及び、琉球・朝鮮・日本・ベトナムが参加。
- 15世紀半ば以降、オイラト部のエセン=ハンが勢力を強め、正統帝を捕縛〔土木の変〕し、以後明は長城修築による守勢へ移行。
- 16世紀、大航海時代の商業活発化で東南アジアの香辛料貿易が拡大。 アチェ王国・タウングー朝など独立勢力が成長し、明中心の秩序が動揺。
- 北方モンゴル〔アルタン=ハンが1550年北京包囲〕と南海沿岸倭寇〔王直を頭目とする〕の活動が急増。
- 明は貿易統制を緩和し、モンゴルと講和して交易場を開設。 民間海外貿易も許可され、日本産銀・アメリカ産銀が大量流入。
- 中国商人は東南アジア諸地に中国人町を形成し、貿易競争時代が到来。
- 国内では綿織物・生糸・陶磁器〔景徳鎮〕など家内制手工業が興隆。湖広が新穀倉地帯となる。
- 一条鞭法によって各種税・徭役を銀納に統一。山西商人・新安商人が全国商圏で活動した。
- 都市では会館・公所が充実し、郷紳〔科挙合格者・官僚経験者〕らが地域社会を掌握。
- 文学では『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』が普及。
- 王陽明が[心即理]を唱え、真の道徳は心中にあると説く。これにより陽明学が知行合一・致良知を重視し庶民にも広まった。
- 科学技術分野では『本草綱目』〔李時珍〕、『農政全書』〔徐光啓〕、『天工開物』〔宋応星〕が著され、日本を含む東アジアに影響。
- 16世紀半ば以降、イエズス会士マテオ=リッチが来華し、『坤輿万国全図』〔1602〕や『崇禎暦書』『幾何原本』を刊行し西洋学術を紹介。
- 明末、政治腐敗と党争〔東林派と非東林派〕が激化。 万暦帝期の重税・飢饉により各地で反乱発生。
- 1644年、李自成の乱軍が北京に入城し、明は滅亡。
- 東北では、女真〔女直、後の満州〕が明の朝貢下にあったが、内乱期に自立の機運を高めた。
- ヌルハチが1616年に建国し、国号をアイシン〔満州語で[金]〕と定め、八旗制〔血縁・地縁団を軍政分化した八軍団〕を創設。
- 次代ホンタイジがモンゴルのチャハルを征服し、1636年に国号を清と改め帝号を称した。
朝鮮〔李氏朝鮮〕
- 元末期、倭寇を撃退して名声を得た李成桂が1392年高麗を滅ぼし〔太祖〕、朝鮮王朝を建てる。
- 都を漢城〔ソウル〕に定め、朱子学と科挙制度を整備して明に朝貢国として服属。
- 世宗期〔15世紀前半〕には金属活字による印刷と訓民正音〔ハングル〕創制が行われ、文化が興隆。
- 16世紀末、豊臣秀吉の侵攻〔壬辰・丁酉倭乱〕を受けるが、李舜臣率いる亀船水軍と義兵・明援軍の抵抗で撃退。
日本
- 14世紀、鎌倉幕府滅亡後に南北朝対立が続く。 海賊的倭寇が活発化し東アジアに進出。
- 1392年、南北朝が合一して内乱終結。
- 室町幕府3代将軍足利義満は明と国交を開き、[日本国王]に封ぜられ勘合貿易を実施。
- 16世紀、銀生産増加と南蛮貿易の拡大により経済発展。
- ポルトガル人が鉄砲伝来をもたらし、キリスト教が伝来〔1549年フランシスコ=ザビエル布教開始〕。
- 織田信長・豊臣秀吉が鉄砲を用いた統一戦争を遂行。
- 豊臣秀吉が朝鮮出兵を行うが失敗し、死後撤退。
- 1603年、徳川家康が幕府を江戸に開設。 朱印船による海外貿易を展開し、東南アジア各地に日本町が形成される。
- 1630年代、キリスト教禁止と貿易制限が強化され、日本人の海外渡航・ポルトガル人来航を禁止〔後に[鎖国]と呼称〕。
琉球〔中山王国〕
- 15世紀初頭、中山王が沖縄を統一。
- 明と朝貢関係を結び、東シナ海と南シナ海を結ぶ中継貿易の要地として発展。
ベトナム〔黎朝〕
- 15世紀初、永楽帝による明の支配を受けるが、黎利がこれを撃退し独立。 黎朝を建て、明と朝貢関係を保つ。
- 朱子学を導入し行政を整備し、儒教的国家体制を確立。
- 16~17世紀、北の黎朝・鄭氏政権と南の阮氏勢力に分裂したが、文化的発展は続く。
モンゴル〔北元・オイラト・アルタン=ハン〕
- 14世紀後半、元滅亡後の北元がモンゴル高原に残存。
- 明との交易制限に不満を持ち侵入を繰り返す。
- 15世紀中期、オイラトのエセン=ハンが明正統帝を捕縛〔土木の変〕。
- 16世紀、アルタン=ハンが西北モンゴルを統合し、1550年北京を包囲。
- 中国人が長城外に移住し、ハンの庇護下で農耕・交易都市〔例:フフホト〕を築く。
満州〔女真・清の前史〕
- 女真〔女直〕は明朝下で朝貢に従事するが、16世紀に部族間抗争激化。
- ヌルハチが諸部統合し、1616年に後金〔アイシン国〕を建国。
- 満州文字制作と八旗制度を確立。
- ホンタイジが内モンゴルのチャハルを征服し、1636年国号を清に改める。
中央アジア〔ティムール朝〕
- 14世紀後半、ティムールが中央アジアを統一しサマルカンドに都を置く。
- ティムールは西アジア・インド・ロシア方面に遠征し、広大な帝国を形成。
- サマルカンドは学芸・建築・天文学が栄える文化中心都市となる。
- ティムール没後、国家は分裂し、その後のイスラーム諸王朝勃興の土台となった。
西アジア〔オスマン帝国・サファヴィー朝〕
オスマン帝国
- 13世紀末、アナトリア西部に成立。
- 1453年、メフメト2世がコンスタンティノープルを攻略しビザンツ帝国滅亡。
- 首都をイスタンブルとし、バルカン・近東・北アフリカを支配。
- セリム1世がマムルーク朝を滅ぼしてメッカ・メディナの保護権を掌握。
- スレイマン1世期〔1520~1566〕、領土最大、文化芸術隆盛。 スレイマニエ・モスクが建立される。
サファヴィー朝
- 16世紀初め、イスマーイール1世が建国し、イランを統一。
- 十二イマーム派シーア教を国教とし、オスマン帝国と対立。
- 都イスファハーンでは織物・陶器・細密画などが発展。
- 18世紀初、内乱とアフガン侵入で滅亡。
南アジア〔ムガル帝国〕
- 1526年、ティムールの末裔バーブルがデリー・スルタン朝ロディー朝を破ってムガル帝国を建国。
- アクバル〔1556~1605〕は行政制度を改革し、宗教寛容策を施行、ヒンドゥー教徒も登用して統治を安定化。
- ジャハーンギール・シャー=ジャハーン期に領域拡大。 シャー=ジャハーンはタージ=マハルを建設。
- アウラングゼーブ〔在位1658~1707〕は領土を最大化したが、イスラーム厳格化によってヒンドゥー勢と対立。
- 18世紀、地方勢力の台頭で帝国は衰退。
東南アジア諸国
マラッカ王国
- 14世紀末、マレー半島南西部に成立。
- 鄭和の航海を契機に15世紀初頭に明へ朝貢し、国際貿易都市として発展。
- 東南アジア海域の交易中心として繁栄。
- 1511年、ポルトガル軍のアルブケルケに攻略される。
アチェ王国
- 16世紀、スマトラ島北端で成立。
- 胡椒交易で繁栄し、イスラーム教国として発展。
- オランダ勢力拡大とともに衰退。
タウングー朝〔ビルマ〕
- 16世紀、ビルマ南部に建国。
- 東南アジア内の交易で繁栄し、一時ビルマ全土を統一。
アユタヤ朝〔タイ〕
- 14世紀半ば、チャオプラヤ川流域に成立。
- 中国・インド・イスラーム・ヨーロッパとの通商が盛ん。
- 17世紀、日本人町が形成されるなど国際的活力を示す。
ベトナム〔南北分立期〕
- 16~17世紀、黎朝の権威低下により北の鄭氏政権と南の阮氏政権が対立。
- 南部は海外貿易で繁栄し、西欧文化が流入。
ヨーロッパ勢力の進出とアジア貿易圏の変化
- 16世紀、ポルトガルがマラッカ・モルッカ諸島・インド洋交易を支配。
- スペインは1565年マニラ征服後、フィリピンを拠点に太平洋交易を展開。
- オランダは17世紀、ジャワ島バタヴィアを本拠に香辛料貿易支配を確立。
- イギリスもインド・東南アジアに進出。
- アジアの伝統勢力はヨーロッパ商業勢力と交錯し、交易ネットワークは再編された。
14~18世紀のアジア史
年表付き地域対照表
| 時期・年代 | 中国 | 朝鮮 | 日本 | 琉球 | ベトナム | モンゴル・満州 | 西アジア | 南アジア | 東南アジア |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 14世紀前半 | 元朝衰退。 | ||||||||
| 白蓮教徒の紅巾の乱起こる | 元支配下で親元派・反元派対立 | 鎌倉幕府倒れ南北朝対立、倭寇出現 | 三山時代〔中山・南山・北山〕 | 陳朝末期、明の影響強まる | 北元として活動続く | アナトリアにオスマン政権成立 | デリー・スルタン朝末期 | マジャパヒト王国最盛期 | |
| 14世紀後半 | 朱元璋が台頭し1368年明建国 | 李成桂が倭寇撃退、勢力拡大 | 南北朝合一1392年 | 中山王が統一を進める | 明の支配下に入る | 北元残存 | ティムール朝成立 | インド北部でイスラーム勢力続く | マラッカ王国成立 |
| 15世紀前半 | 洪武帝の諸制度整備〔里甲制・衛所制・六諭〕 | 李氏朝鮮成立〔1392〕、明へ朝貢、朱子学採用 | 足利義満が勘合貿易開始 | 明との朝貢開始、南海貿易中継拠点に | 永楽帝の支配下で一時併合 | 北元と明の対立続く | メフメト2世、1453年ビザンツ滅ぼす | — | アユタヤ朝形成 |
| 15世紀後半 | 永楽帝が北京遷都、鄭和7回の南海遠征 | 世宗が訓民正音制定 | — | 貿易繁盛 | ベトナム黎朝独立、明撃退 | オイラトのエセン=ハンが土木の変 | ティムール朝分裂 | — | マラッカ王国明貢献を受け隆盛 |
| 16世紀前半 | 朝貢体制動揺、南倭・北虜の出現 | 社会安定期続く | 鉄砲伝来〔1543〕・キリスト教伝来〔1549〕 | — | 北黎南阮分裂の芽生え | ヌルハチ台頭前夜 | サファヴィー朝建国〔1501〕 | ムガル帝国建国〔1526〕 | ポルトガル東南アジア進出 |
| 16世紀中期 | アルタン=ハンが長城侵入 | 平和期 | 織田信長政権興る | 貿易続行 | — | ヌルハチ諸部再編 | オスマン帝国スレイマン1世最盛期 | アクバル帝治世〔1556〜〕 | アチェ王国隆盛、香辛料貿易活発化 |
| 16世紀後半 | 一条鞭法施行。 | ||||||||
| 商業・学問・科学発展 | 壬辰・丁酉倭乱〔1592〜98〕 | 豊臣秀吉が朝鮮出兵 | — | 宗教・分裂状態続く | ヌルハチが勢力拡大 | — | 宗教寛容と中央集権進む | タウングー朝が全ビルマ支配 | |
| 17世紀前半 | 明の党争・李自成の乱で1644年滅亡 | 明援軍受け戦後復興 | 徳川幕府成立〔1603〕・鎖国体制へ | — | 鄭氏・阮氏両政権に分裂 | 1616年ヌルハチが後金建国、1636年清へ改称 | サファヴィー朝最盛期 | ジャハーン期にタージ=マハル完成 | オランダがジャワ支配、バタヴィア建設〔1619〕 |
| 17世紀後半 | 清が中国支配拡大 | 安定期 | 幕政確立、鎖国定着 | — | 南部阮氏商業拠点発展 | 清の領域拡張〔満州・モンゴル・チベット〕 | — | アウラングゼーブ帝支配拡大 | タイ・アユタヤ朝国際貿易栄える |
| 18世紀前半 | 清全盛期〔康熙・乾隆〕 | 文化発展続く | 平和期 | — | 阮氏勢力拡張 | 清の多民族帝国体制整備 | サファヴィー朝滅亡 | ムガル帝国衰退 | ヨーロッパ勢力により東南アジア再編 |
| 18世紀後半 | 海禁緩和の兆し | — | 鎖国下文化栄える | — | 阮福暎台頭 | 清体制維持 | オスマン帝国衰退期 | 英東インド会社が実権掌握 | オランダ・イギリス植民勢力拡大 |
相互関係図説〔地域間の主要接点〕
| 地域関係 | 時期 | 内容 |
|---|---|---|
| 中国と東南アジア | 15世紀 | 明の鄭和艦隊による東南アジア諸国への朝貢促進。琉球・マラッカ・ジャワが中継地として発展。 |
| 中国と朝鮮 | 1392以降 | 李氏朝鮮が朝貢国として明体制に参入。朱子学・科挙を採用。 |
| 中国と日本 | 1401以降 | 室町幕府3代足利義満が勘合貿易開始。16世紀には銀貿易で密接化。 |
| 日本と東南アジア | 17世紀初頭 | 朱印船貿易により日本人町〔アユタヤ・バタヴィア〕形成。 |
| 日本と朝鮮 | 1592–98 | 豊臣秀吉の朝鮮出兵〔文禄・慶長の役〕。明の援軍と朝鮮義兵が抵抗。 |
| モンゴルと中国 | 15–16世紀 | オイラトのエセン=ハン、アルタン=ハンによる侵入。明は長城改修により防衛強化。 |
| 満州と中国 | 17世紀前半 | ヌルハチ・ホンタイジの後金・清が勃興し、明滅亡後に中国を制圧。 |
| 西アジアと南アジア | 16世紀以降 | オスマン帝国・サファヴィー朝・ムガル帝国がそれぞれスンナ派・シーア派・融合政策のもとで対峙。 |
| 西アジアとヨーロッパ | 15〜16世紀 | オスマンが地中海・紅海貿易を掌握、ヨーロッパはアジア航路探索へ向かう契機となる。 |
| ヨーロッパと東南アジア | 16〜17世紀 | ポルトガル・スペイン・オランダが香辛料貿易を巡って覇権争い。アジアの伝統交易網を再編。 |
構造的特徴まとめ
- 14世紀:モンゴル帝国崩壊後、アジア各地で新王朝成立。
- 15世紀:明の朝貢体制が東アジア統合の重心となる。琉球・マラッカが海上中継点。
- 16世紀:大航海時代によるヨーロッパ勢力進出がアジア交易構造を変革。明体制が動揺。
- 17世紀:清帝国・徳川幕府・ムガル帝国が地域的安定を形成。
- 18世紀:これら大帝国の全盛と衰退、欧米商業勢力の浸透が顕著になる。