[英単語は英作文の中で覚えよ][古文単語は古作文の中で覚えよ]
[すでに知っているものを、どのようにして音として表現するか]が言語習得の本筋
- [自分が既に知っている情報との関連付け]がない新知識は、すぐに忘れ去られる傾向がある。
- 英単語・古文単語を覚えるとき、以下のように[受動的語彙の獲得]の方向で学習すると、[覚えやすく忘れやすい]という傾向があり、その結果として[身につきづらい/知識が残りづらい/無限回の復習が必要になる]ことになりがちだ。
- [英単語を見て・聞いて、その意味を答える〔受動的語彙の獲得〕]→[身につきづらい/知識が残りづらい/無限回の復習が必要になる]
- [古文単語を見て・聞いて、その意味を答える〔受動的語彙の獲得〕]→[身につきづらい/知識が残りづらい/無限回の復習が必要になる]
- 受動的語彙の獲得を目指して学習すると[身につきづらい/知識が残りづらい/無限回の復習が必要になる]のは、[自分が既に知っている情報]を核として、その[既有知識という核]に高濃度水溶液をかけて、結晶を育てていくことにはならないからである。
- 学習の初期においては、[あくまでも既有知識を軸に据えたうえで、既有知識から新知識を呼び出すかたちの知識の獲得]という方向で学ばないと、新知識の定着がものすごく悪くなる。
- そういう意味では、新知識獲得には、ある種の極性があると見なすことができる。
- 初学においては[既有知識を軸に据えたうえで、既有知識から新知識を呼び出すかたちの知識の獲得]という方向で覚えたほうが、覚えづらいけれども、いったん覚えたらなかなか忘れない。
- なぜならば、既有知識と新知識との間に、脳内のリンクが張られたからである。
- 逆に[新知識を軸に据えたうえで、新知識から既有知識を呼び出すかたちの知識の獲得]を初学の段階で行なうと、新知識がどこにも関連付けられていない孤立状態におちいっているため、短期的に覚えることは可能でも、知識の忘却がものすごく早い。
- 日本人が英語を学習してもモノにならないのは、学校教育での英語教育が、[新知識を軸に据えたうえで、新知識から既有知識を呼び出すかたちの知識の獲得]という極性を逆にした教育を行なっているからである。
- つまり学校教育での英語教育が、読解やリスニングを学習させている点で、これは[新知識を軸に据えたうえで、新知識から既有知識を呼び出すかたちの知識の獲得]というやり方を、暗に強制しているからである。
- つまり試験の内容が、読解やリスニングを中心としており、作文や発話については、試験の対象外である場合が、学校教育での英語教育において、多い傾向がある。
- 高校入試・大学入試において、英作文を課す学校は少なく、スピーキングの試験を課す学校は、ほぼ皆無であろう。
- 高校入試・大学入試は、英語そのものを音声で覚えなくても答えられる範囲である、読解とリスニングと知識問題が中心である。
- アクティブ・ラーニングの有効性が強調されることが、最近は増えてきたけれども、英語教育においてアクティブ・ラーニングは行なわれていない。
- 日本では英語教師の多くが、英語のネイティブ・スピーカーではないため、英語教育においてアクティブ・ラーニングを行なうだけの指導力をもたない。
- 結局、言語教育とは、おもに音声言語の伝授であるから、正しい発音、イントネーション、プロソディでその言語を話すことのできない語学教師というものは、そもそも成立し得ないのである。
- そういうことだったら、学校教育から外国語の授業をなくしたほうが合理的である。
語彙力は、同義語・類義語の細かい使い分けの能力に帰着する
- [英単語は英作文の中で覚えよ][古文単語は古作文の中で覚えよ]という方針は、同義語・類義語の細かい使い分けができるような語彙力を身につけるべきだという思想を内包している。
- [言葉が使える]とは、語法・文法の側面で正しい文が作れるということ、さらには、諸状況に応じて、同義語・類義語の細かい使い分けができることを意味する。
- 読解やリスニングを中心とする、言語の音声そのものを暗記することを必ずしも要しない、受動的語学力の段階にとどまるような外国語学習を続けても、語学力はまったく身につかない。
- 逆に、作文やスピーキングを中心に外国語学習を進めていけば、その中に読解やリスニングが内包されているので、4技能が自然に身につく。
- いいかえれば、作文やスピーキングだけをやっていれば、外国語教育は機能するので、読解やリスニングの学習は、個人学習に任せてよい。
- 結局、ネイティブ・スピーカーである語学教師が指導する価値があるのは、学習者が行なった作文の添削、学習者が行なったスピーキングの訂正という部分だけなのである。
- 読解やリスニングは、語学教師がネイティブ・スピーカーでなくても指導できる。実際、日本人英語教師の多くが、このタイプである非ネイティブ・スピーカーに該当する。
- 日本の英語教育は、非ネイティブ・スピーカーである日本人英語教師に合わせて、英語教育が逆算的に組み立てられている。
- したがって、日本の公教育で英語を学んでも、作文やスピーキングの能力は、まるで身につかない。だったら、公教育から英語という科目を削除するのが健全である。
- それに伴い、高校入試・大学入試から英語という科目を削除するのが健全だといえる。
- 言語教育とは、おもに音声言語の伝授であるから、正しい発音、イントネーション、プロソディでその言語を話すことのできない語学教師というものは、そもそも成立し得ないのである。
現状をどう生き抜くか
- 同義語・類義語の細かい使い分けの能力を身につけながら、作文・スピーキングができるように語学を身につけていく。
- そのためには、英語でいえば、英作文教材と和英辞典と同義語辞典〔シソーラス〕を使って作文を行ない、複数のAIに修正させながら、ほぼ正しいであろう英語表現を[ちりも積もれば山となる]の精神で集積していくやり方が推奨される、ということになる。
- このやり方には、PCとインターネット回線が必要である。しかし、英語教師はいらない。
- つまり、AIが自由に使える環境にあれば、公教育や塾・予備校における英語教育は、原則として必要ない。これが結論である。
- 実際に用意する必要があるのは英作文教材、つまり、入試で出されやすい英作文表現が集積された印刷教材だけであると、私は考えている。
- 和英辞典と同義語辞典〔シソーラス〕は、AIに直接回答させたほうが早い。
- 結局、英作文教材が提供する[日本語として与えられる問題文/問題句]に対する[英訳]を、文字言語・音声言語の両面で、瞬間的に答えられるように練習することが、英語学習の中心となるべきメニューである。
- いわゆる瞬間英作文だけやっておけば、あとはどうにもでもなる。
- [瞬間英作文だけやっておけば、あとはどうにもでもなる]というのは、語彙増強・英作文対策においても、文法・語法問題対策においても、共通した内容である。
- 音声言語で文や句を暗記して、瞬間英作文によってアウトプットする学習方式を採用していれば、読解とリスニングは、自動的にカバーされていく。
- それは、作文・スピーキングができる難易度の言語の範囲においては、読解・リスニングが自動的にできるはずだからである。
- [作文・スピーキングできる文・句が、読解・リスニングできない]ということは、原理上起こりえない。
- 知の発達の仕方として、既有知識から新知識へブリッジ〔橋〕をかけるかたちが最も自然であり、語学においてそれを行なうとなると、必然的に能動的語彙として新知識を暗記することになる。
- つまりそれは、英作文や古作文をする中で、英語の語彙・古文の語彙を覚えるのが自然だということになる。
基礎がないのに応用を行なう愚
- 基礎がないのに応用的なことをすると、必ず失敗する。
- それは、[基礎がないのに、応用的なことをする]とは、[既有知識が無い状態で新知識を孤立したかたちで暗記することになる]ということを意味するからだ。
- 中学生にもなれば、言語世界において表現可能な対象は、たいてい母語の語彙として知っているものである。
- 母語の語彙として知っている対象は、すでに認知可能な対象として、脳内に記憶されていることを意味する〔既有知識〕。
- この既有知識が基礎力の源泉だというのに、この既有知識を活かすことなしに、英単語から和訳が思い出せるように練習する、あるいは、古文単語から現代語訳が思い出せるように練習するという[逆]をやっている。それは基礎がないのに応用的なことをする愚におちいっていることを意味する。
- つまり、英語で作文ができないのに、英文読解を行なおうとするのは、無謀なチャレンジなんだよ。脳内にないことを認知しようとしているバカがそこにいる。
- つまり、英語の例文・例句をたくさん暗記しているから英文読解、リスニング・コンプリヘンションができるようになる。これが真実である。
- 覚えているから対象を認知することができるんだよ。まずは例文・例句を音声言語を通じて暗記するしかない。
- つまり、古文で作文ができないのに、古文読解を行なおうとするのは、無謀なチャレンジなんだよ。脳内にないことを認知しようとしているバカがそこにいる。
- つまり、古文の例文・例句をたくさん暗記しているから古文読解ができるようになる。これが真実である。
- 覚えているから対象を認知することができるんだよ。まずは例文・例句を音声言語を通じて暗記するしかない。
- 現在の教育は、人間を正常に成長させないように、ぜんぶ[逆]にしてあるのよ。